雨の向こうに君がいる

 十二月。
 あれだけ暑かった夏が嘘みたいに、放課後の海は冷たくなっていた。

 防波堤に座ると、制服のズボン越しに冷気が伝わってくる。
 さすがに海を見るためだけにここへ来るのは寒い。
 ……それでも、俺たちは来ていた。
 「寒っ!」
 静留が肩をすくめる。
 「帰れば?」
 俺は大袈裟に震え上がる静留を見て少し笑った。
 もう少しで高校受験というのに、俺たちは相変わらず毎日の放課後ここに来ている。
 「嫌だね。」
 「なんで。」
 「ここまで来たのに。」
 「……意味分かんない。」
 「ほらぁ、聖人もいるじゃん。」
 「は?俺を理由にするなよ。」
 静留が笑う。
 その隣で、聖人が小さく息を吐いた。
 ……気づけば、俺たちは名前で呼び合う仲になっていた。
 白い息が、夕暮れの空に消えていく。
 「でも、寒いね。」
 「……聖人まで言うなよ。」
 「いや、寒いものは寒いでしょ。」
 「じゃあ帰ろうぜ!」
 「静留が帰らないって言ったんじゃん。」
 「……そうだった。」
 俺たちは顔を見合わせて笑った。

 夏から何度ここへ来ただろう。
 数えていない。
 数える必要もなかった。
 学校が終わればここに来て、適当に喋って、暗くなったら帰る。それがいつの間にか、俺たち三人の日常になっていた。

 「そういやさぁ。」
 静留が鞄を開けながら言った。
 「俺、進路決めた。」
 「……急だな。」
 「急じゃねえよ!もう十二月だぞ。」
 「そうだけど……」
 静留は得意げに胸を張った。
 「美容系行く。」
 「美容?」
 聖人が聞き返す。
 「美容師になりたいんだよ、俺。」
 静留は目を細めて空を見上げた。
 「だから、高校も美容専門のコースがあるところ。」
 「もう決めたの?」
 「うん。まあ、ほとんど俺の独断だけどさ。」
 俺と聖人は顔を見合わせた。
 「俺、昔から人の髪切るの好きだったじゃん?」
 「知らない。」
 「いや、お前ら知ってるだろ。」
 「知らないよ?」
 聖人が即答した。
 静留が聖人を見る。
 「聖人……あ、お前は転校生だったか。」
 「ごめん。」
 「絶対思ってないだろ。」
 「ちょっとだけね〜。」
 「お前なぁ!」
 静留が笑いながら聖人の肩を軽く叩く。
 聖人も笑った。
 俺はそんな二人を見ながら、なんとなく思った。

 静留が美容師。
 不思議と似合っている。
 人と話すのが好きで、誰かの変化にすぐ気づく。くだらないことばかり言っているくせに、人のことをよく見ている。
 ____きっと、向いている。
 「いいじゃん。」
 俺が言うと、静留がこっちを見る。
 「だろ?」
 「うん。」
 「由寿、もっと褒めていいぞ!」
 「調子乗るから嫌。」
 「なんでだよぉ。」
 聖人が笑う。
 「でも、静留ならなれそう。」
 「だろ?」
 「うん。」
 俺も頷く。
 嬉しそうに笑う静留の表情は、本当に夢を持った人みたいだった。
 小学生の頃、鉄棒で失敗して泣いていた男もこんなに成長するらしい。少し寂しくなった。
 「二人とも、ちゃんと決まってるんだね。」
 「二人とも?」
 静留が首を傾げる。
 「俺と、由寿?」
 「うん。」
 「……俺、何も決まってないけど。」
 そう答えると、聖人がこちらを見る。
 「え、そうなの?」
 「うん。」
 「由寿、何かやりたいことないの?」
 「ない。全くもってない。」
 「即答じゃーん。」
 静留が笑う。
 「由寿は昔からそうだもんな。」
 「何が?」
 「将来何したいって聞かれても、いつも『分かんない』。」
 「……だって分かんないし。」

 自分でも困るくらい、本当に何も浮かばない。
 高校だって、まだ決めきれていない。

 どこへ行きたいのか。
 何をしたいのか。
 周りが少しずつ進み始めているのに、自分だけがその場に立ったままのような気がした。

 「聖人は?」
 俺が聞き返す。
 「俺?」
 「うん。」
 聖人は少し黙った。
 海の向こうを見る。
 冬の夕方は暗くなるのが早い。
 「……まだ決めてない。」
 「聖人も?」
 静留が驚いたような声を上げる。
 「意外だわ〜。」
 「なんで?」
 「なんでもできそうだから!」
 「それ、褒めてる?」
 「褒めてるし。」
 「じゃあありがとう。」

 聖人は笑った。
 けれど、その笑顔はほんの少しだけ、いつもより薄かった。
 ……俺は、それに気づいた。
 「でも、やりたいことはある?」
 聞くと、聖人は少し考えた。
 「……ある。多分。」
 「何?」
 「まだ秘密。」
 人差し指を唇に当てた。
 「なんだよ、それ。あとそのポーズやめろ。」
 静留が不満そうに言う。
 「教えてくれてもいいじゃん!」
 「まだ自分でも決まってないから。」
 「いややりたいことあるんじゃないの?!」
 「んー、どうなんだろ。」
 聖人はヘラっと笑った。
 「まあ決まったら教えてあげるよ。静留にも、由寿にも。」
 「……なんで俺に確認するの。」
 「だって友達じゃん。」

 さらっと言われた。
 友達。
 その言葉が、妙に胸に残った。
 俺たちはいつから友達になったんだろう。
 夏に初めて会った時は、ただの転校生だった。
 それが今では、放課後に三人で海を見るのが当たり前になっている。
 「じゃあ、俺も決まったら教える。」

 決まる保証はないが、いつか教えられる夢ができると良いな、と思った。

 「静留もね?」
 「俺?」
 「美容院開いたら教えて。」
 「おうよ。県内一でかい店作って、お前らに初回無料クーポンをくれてやる。」
 「大げさだな。」
 「いいじゃん、約束くらい。」

 俺たちは笑った。三人でいると、笑いが尽きる瞬間がなかった。
 
 静留が横から口を挟む。
 「じゃあ三人とも、仕事決まったらここで報告会しようぜ。」
 「報告会?」
 「そう。誰が一番すごい未来に行くか勝負。」
 「勝負するものなの?」
 「俺が美容師になって、聖人が何かすごいことして、由寿が……」
 静留が俺を見る。

 「……まだ何もないな。」
 「お前なぁ……」
 「でもさ。」
 静留はビシッと空を指差した。
 「由寿ならなんとかなるだろ!」
 「適当すぎ。」
 「適当じゃねえよ。」
 静留は笑った。

 「由寿って、なんだかんだ最後にはちゃんと見つけるじゃん。」
 「何を?」
 「知らん!」
 「知らないのかよ……」
 聖人が吹き出した。
 三人で笑う。
 海は相変わらず静かだった。

 冬の夕暮れは短い。
 気づけば、さっきまで明るかった空がもう暗くなり始めている。
 「そろそろ帰るかぁ。」
 静留が立ち上がった。
 「寒いし。」
 聖人が手を擦り合わせる静留を見上げた。
 「お前が残るって言ったんだろ?」
 「そうだったっけ?」
 俺もも立ち上がる。聖人も鞄を持った。

 防波堤から降りる。
 「じゃあ、また途中まで一緒に帰ろうぜ。」
 静留が言う。
 「うん。」