雨の向こうに君がいる

 大晦日の夜は、いつもより少しだけ時間が長く感じた。
 テレビでは、毎年同じような特番が流れている。
 笑い声や拍手が聞こえてくるけれど、俺はほとんど見ていなかった。机の上に置いたスマホを弄ったり、布団に寝転がったり、たまに時計を見たり。

 そんなことを繰り返している。
 十二月三十一日。
 あと数時間で一年が終わる。
 だからといって、何か特別なことがあるわけでもない。
 昨日と今日で、日付が変わるだけだ。
 そう思っていた。

 午後十一時四十分。
 スマホが震えた。
 画面を見ると、聖人からメッセージが来ていた。
 『起きてる?』
 俺は、
 『起きてる』
 とだけ返した。
 すぐに既読がつく。
 『電話しよ』
 『急だな』
 『暇なんだもん』
 『静留は?』
 少し間があって、
 『たぶん起きてる』
 と返ってきた。
 『たぶんって何』
 『電話してみる』
 その直後、着信が鳴った。
 聖人だった。

 「もしもし。」
 『あ、由寿?』
 「そうだけど。」
 『よかったぁ。』
 「何が?」
 『ちゃんと起きてた。』
 「メッセージ送っただろ。」
 『そうだった。』

 電話の向こうで笑っている。
 「お前、何してたの。」
 『テレビ見てた。』
 「何の?」
 『分かんない。』
 「見てないじゃん。」
 『見てるよ!』
 「何が映ってる?」
 『……人。』
 「雑すぎるだろ……」
 聖人が声を上げて笑った。

 その笑い声を聞いて、俺も笑う。
 『静留も呼ぼう。ビデオ通話で。』
 「今から?」
 『今から。』
 「寝てるんじゃない?」
 『起こせばいい。鬼電だよ鬼電。』
 「かわいそうだろ。」
 『大晦日だから大丈夫。新年になれば罪は刷新される。』
 「その理屈、意味分かんない。」

 それでも聖人は静留に電話をかけた。
 数回の呼び出し音。
 『……もしもし……』
 明らかに眠そうな声だった。
 俺は思わず笑った。
 「寝てただろ。」
 『寝てない。』
 「声が寝起きだぞ。」
 『寝てないって。』
 聖人が笑う。
 『絶対寝てたじゃん。』
 『……寝てない。』
 「じゃあ何してたんだよ。」
 少し間があった。

 『……テレビ。』
 「聖人と同じじゃん。」
 『何が?』
 「二人ともテレビ見てたことになってる。」
 『見てたよ。』
 『何見てた?』
 聖人が聞く。
 『……知らない。』
 「ほら。」

 静留が少し黙る。
 それから、
 『……寝てたかもしれない。』
 と言った。
 三人で笑った。
  
 そのあとはビデオ通話に切り替えて、お互いの顔を見ながら話した。
 静留の顔が明らかに寝起きで、俺と聖人は爆笑した。
 聖人はやけにイケメンに見えて、「これも大晦日マジックだな」と静留に言われていた。
 ……俺に関しては、「変わらない」で二人の意見が一致していた。

 十一時四十五分。
 年越しまで、あと十五分。
 「なんか早いな。」
 俺が言う。
 『何が?』
 「今年。」
 『そう?』
 「一年終わるんだぞ。」
 『でも、明日になっても普通に学校あるし。』
 「正月だから休みだよ。」
 『うっわそうじゃんラッキー!!』
 「お前、大丈夫か?」
 『大丈夫〜。』

 聖人が笑う。
 『静留ってたまにすごい馬鹿だよな。』
 『ひど……』
 「今さら?」
 『由寿まで言うの?』
 「事実だろ。」
 『二対一はずるいて。』
 静留が不満そうに言う。
 でも、その声は楽しそうだった。

 俺たちは、それからしばらくくだらない話をした。
 学校のこと。
 冬休みのこと。
 年が明けたら何をするか。
 静留が春から進むコースのこと。
 聖人が最近見つけた動画のこと。
 話題なんて、次から次へと変わった。
 途中で話が脱線して、最初に何を話していたのか分からなくなる。
 それでも、誰も電話を切ろうとは言わなかった。
 時計を見る。
 十一時五十二分。

 「あと八分。」
 『もう?』
 「お前がさっきから喋ってるからだろ。」
 『俺のせい?』
 「半分くらい。」
 『じゃあ静留のせいだ。』
 『なんで俺?』
 「お前、途中からずっと笑ってただけじゃん。」
 『それは聖人が面白いからだろ。』
 『ほら、俺のおかげ。』
 「意味分かんない。」
 また笑う。
 十一時五十五分。

 静留が、
 『そういえばさ』
 と言った。
 「何?」
 『来年っていうか、もう今年だけどさ。』
 「うん。」
 『三人でどっか行こうよ。』
 「どこ?」
 『海。』
 「また?」
 『またって何。まだ行ってないじゃん。』
 「……そうだった。」
 『今年こそ行こうよ!』

 静留が言う。
 『三人で海。』
 その言葉を聞いて、俺は少し笑った。
 「いいよ。」
 『決まりね。』
 『絶対ね?』
 聖人が念を押す。
 「分かったって。」
 『由寿、忘れそうだから。』
 「忘れないよ。」
 『ほんと?』
 「ほんと。」
 『じゃあ約束。』
 静留が画面に向かって小指を突き出した。
 「約束。」

 十一時五十七分。
 テレビの音が少し大きくなる。
 年越しを待つ人たちの声が聞こえていた。
 俺は布団から起き上がった。
 「あと三分。」
 『早っ!』
 『それな。』
 聖人が言う。

 「さっきからそれしか言ってないじゃん。」
 『だって早いんだもん。』
 『じゃあずっと時計見とけ。』
 静留が言う。
 『見てるよ。』
 『じゃあ分かるだろ。』
 『分かってるけど……』
 「何の会話だよ。」

 十一時五十九分。
 テレビからカウントダウンが始まった。
 『十!』
 聖人が言う。
 「早い早い。」
 『九。』
 『聖人!由寿が追いついてないって。』
 静留が笑う。
 『八。』
 俺も声を合わせる。
 『七、』

 『六、』

 『五、』

 窓の外を見る。
 街は静かだった。
 いつもの夜と変わらない。
 それでも、どこか特別な夜に思えた。

 『四。』

 『三、』

 『二、』

 年が明けた。
 『あけましておめでとう!一年の幕開けだー!!』
 聖人の声が響く。画面越しなのにわかる異様な声の大きさだった。
 「おめでとう。」
 『あけおめ〜。』
 静留も続く。
 『今年もよろしく!』
 「よろしく。」
 『まじでことよろ。』
 三人の声が、少しずつずれて重なった。
 それがおかしくて、また笑った。

 午前零時。
 新しい一年が始まった。
 何かが変わったような気がする。
 けれど、実際には何も変わっていない。
 俺は俺の部屋にいる。
 静留は静留の家にいる。
 聖人も自分の家にいる。
 ただ、電話の向こうに二人の声がある。
 それだけだった。
 『ねえ。』
 聖人が言った。
 「何?」
 『初詣、行かない?』
 「今から?」
 『そんなわけあるか。このあとだよ。早朝に、三人で。』
 『寒いよ……』
 静留が言う。
 『だからいいんじゃん!』
 「何その理屈。」
 『正月っぽいじゃん?』
 「正月っぽさのために寒い思いするの?」
 『するでしょ。』
 聖人は即答した。
 静留が笑う。
 『俺はいいよ。』
 「お前も行くのかよ。」
 『三人で行くんでしょ?』
 「まあ……」

 俺は少し考えた。
 正直、眠い。
 寒いし、面倒だ。
 でも。
 「……行くか。」
 『よっしゃ!』
 聖人が嬉しそうに言った。
 『じゃあ朝五時集合ね。』
 「どこに。」
 『じゃあ中学校の前とかは?高校だと静留が場所わかんないし。』
 「あー、確かに。」
 中学校。俺たちが出会って過ごした、三年間の舞台。

 『初日の出も見れるかもよ。』
 「初詣じゃなくて初日の出になってるじゃん。」
 『それもあり。』
 『え、てかほんとに五時に中学校前ね?俺だけ行ってるとかやめてよ?』
 静留が言う。
 「お前ら絶対寝坊すんなよ。」
 『俺はしない。』
 聖人が言う。
 「お前が一番信用できない。」
 『ひどいなぁ。』
 三人で笑った。

 電話を切る。
 午前零時十五分。
 部屋はさっきまでと何も変わっていない。
 けれど、明日の朝には三人で会う。
 そう思うと、少しだけ眠るのが惜しかった。
 窓の外を見る。
 暗い空に、星がいくつか浮かんでいた。
 今年もきっと、いつもと同じように過ぎていく。

 春が来て。
 夏が来て。
 また三人で海に行って。
 くだらない話をして。
 笑って。
 そういう一年になるのだ。きっと。