驟雨の向こうに君がいる

 三十四歳になった。
 人は、大人になれば昔のことなんて笑って話せるようになるものだと思っていた。
 けれどあの時からちょうど二倍、十七年経った今でも、七月だけは駄目だった。
 六月が終わる頃から、街の空気が少しずつ変わる。

 風が湿り気を帯びる。
 蝉が鳴き始める。
 スーパーには見慣れない果物が並び始め、夕方になると、どこからともなく線香の匂いが流れてくる。

 その匂いを吸い込むたび、胸の奥で止まっていた時間が静かに動き出す。
 仕事の予定も、取引先の名前も、昨日食べた昼飯も曖昧なのに。
 ……あの夏だけは、何ひとつ忘れられない。

 潮風の温度も。
 防波堤に座って眺めた海の色も。
 波が砕ける音も。

 そして、あいつが笑う声も。

 思い出は、美しくなるという。
 それならきっと、俺の記憶も都合よく書き換えられているんだろう。

 もっと青い海だった気がする。
 もっと高く笑っていた気がする。
 もっと長い夏だった気がする。
 ……多分。

 でも、一つだけ確かなことがある。
 あの夏を境に、俺の時間は少しだけ季節から置いていかれた。
 春が来て、秋が来て、冬を越えて、そしてまた春が来ても。

 七月になるたび、俺は十七歳へ引き戻される。
 理由なんて、考えたことはない。
 考えなくても分かってしまうからだ。

 だから今年も、七月が来た。
 潮の香りを乗せた風が、ゆっくりと窓を揺らした。