半透明のエトセトラ

 昼休みの屋上の空気は、正に異色だった。

 風紀委員長と生徒会長が、不良一人を前に顔を見合せて立っている。
 俺に綿貫との関係性を問い詰めていた煌は、アイツの顔を見るや否や、その名前を呼んだ。

 小さく呟かれた「つむぐ」の三文字は、風で吹き消されそうな蝋燭の火ほどの弱々しさを秘めていて、俺と話していた時の芯の強さなどは影も形も無かった。

 二人は互いの事を親しげに呼んでいたものの、彼らの間には透明な境界線があった。澄み渡っていたものに、霧が覆い被さるような不穏さは、数秒の沈黙を一段と際立たせている。

 「千寿が屋上に来るなんて、今日は霰でも降るのかな。針生とは、知り合い?」

 綿貫が横目に俺をちらと見て、再び煌に視線を戻す。観察するように、ヤツの表情から目を逸らさないまま、穏やかな声音で語りかける。その声に、温度はなかった。
 綿貫はただじっと、煌が開口するのを待つ。

 しかし当の煌は歯切れが悪く、綿貫と目を合わせては、顔を背けている。

 さては仲が悪いのか、ここは。

 「知り合いだよ」

 「そうだったんだ。知らなかったな、驚いた」

 「お前らは会長同士で知り合いって感じか」

 正直な感想を言いながら、そっと煌の様子を窺った。不良や秩序を乱すような輩が性根に合わず、敵対意識から生まれた毒牙を剥き出しにされる経験は何度もあったし、慣れたものだと思っていたけれど。
 俺とはかけ離れた生活をして、何ら問題が無い綿貫の前では人が違ったように萎縮してしまうのだ。

 ただの会長という立場が引き合わせた必然的な関係性にしては、このやり取りはどうも気味が悪い。

 「いや、千寿と俺は幼馴染なんだ」

 ああ、どうりで。その方が腑に落ちる。
 にこやかに綿貫は付け加えて、煌との関係性を晒す。

 「へえ。納得した」

 「千寿と何の話をしてたの?」

 俺は「綿貫との関係性を疑われていた」と馬鹿正直に答えかけたが、それまで口を強ばらせていた煌がそれを遮った。

 「身だしなみの注意……」

 逸らしていた目線を戻し、自信のなさ故に離すことなく、殆ど独白のような声量で話す煌は、自身より少しばかり背の高い綿貫にそう教える。
 俺からすればその答えは、紛れもない嘘であったけれど。

 「千寿。嘘はダメ、感心しないな」

 しおらしく答える煌に、容赦なく嘘だと指摘した綿貫の瞳は柔く細められる。

 煌千寿という人間は、真面目という文字から成り立っているのではないかと思う程には、強い責任感のある男であった。その誠実さが裏目に出て、俺に差し向けられるような、固執という厄介なものに成り代わることもあるのだけれど。

 「……紡に評価される筋合いはもうない。分かったような口きかないでくれ」

 「だとしても、他人になったわけじゃないよ。千寿に嘘をつかれるのは悲しい」

 「ッどの口が……!!」

 俺はヘッドフォンをせずに、二人の口論を聞いていた。鼓膜を突く煌の沸騰するような声と、その熱をも冷ましていく綿貫の声が行き交う。ただ傍観していた。口を出すこともなく、気を利かせて仲介に入ることもしなかった。

 眼前の綿貫そのものは"嘘"で構築されていることだけ、何となく察していたから。
 アイツの声だけが、不純物が混じって、ノイズが生まれているように聞こえる。
 前までは、一つの隙も残さずに流れ込む完璧なそれに、違和感を覚えていたが、今はまた少し違った。

 反対に、仮面を被らず己を貫き、嘘を吐く事も出来ない煌は、純粋無垢で、空を透かしてしまいそうに見えた。

 俺とも、綿貫とも違う。

 それは透明だった。

 「千寿がどう思ってても、俺の中ではずっと幼馴染だから」

 綿貫の圧に押され、煌は悔しげに歯を食いしばった後、俺を一瞥した。一瞬歪められた眼はどこか、苦しげに見える。恨みと喩えるべきか、宣戦布告と喩えるべきか、悩むものだった。

 けれどその中に、焔が燻っている姿が確かに見えた。
 煌がどうして俺にそんな目を向けたのか、分からないけれど。

 取り繕わなくても、心遣いをしようとしなくても、アイツは自然に感情表現をしてしまう。
 例え誰かに気を遣えと言われても、自我が許さぬ限りはそれを良しとしない。従わなければならなければ、柔軟に形を変えるけれど、それでも煌千寿としての芯は常に消えない。

 だから、綿貫に牽制されても、煌は折れることがない。従っても、決して自我は曲げないのだろう。

 「それは本音なのか」

 「ッ!」

 仄暗い声で煌がそう吐くと、僅かに綿貫の口元が歪む。急所をナイフの背でなぞられているかのように怯んだ様を、煌は呆れ混じりに鼻で笑った。

 「針生あざみと、僕と、何が違うんだよ。なんでこんな、不良なんかと……」

 すると綿貫が僅かに逸らしていた瞳をくっと、引っ張られるように向け直して、ひっそりとした声で、けれども鷹のような眼光を携えたまま

 「千寿。こんな呼ばわりはするな。それは許さないよ」

 と言った。

 それを受けた煌の握られた拳が、微かに震えている。
 悔しさを帯びたその音は、届くことなく地面に落ちていった。
 綿貫は煌の言葉を反芻した後、何も言い返せないまま、眉間に皺を寄せる。

 「──なにそれ、僕にはそんな事言ってくれなかったくせに」

 「…………ごめん」

 勝手な推察をしていた内、煌が背を向けてつかつかと屋上の出口へと向かっていく。弱々しく閉まった扉が、アイツをこの場から追い出すように見えて、ちくりと胸が傷んだ。

 これは同情か。

 「いいのかよ。あのまんま行かしちまって」

 顎先で追った方がいいんじゃないか、と促してみるが、綿貫の答えは縦に振られた首が示している。隣に腰を下ろし、口惜しそうに苦笑して

 「何時も喧嘩になるんだ。ちっちゃい時は凄く、仲が良かったんだけど……」

 と小さく呟いた。

 「ま、成長すりゃ価値観も変わる」

 「うん。……でも、こうなっちゃったのは、俺のせいだから」

 俯き加減に自責し始める綿貫は、煌に強い言葉をかけてしまったのではないかと、肩を落としている。俺は昼飯にありつきながら、自罰的になる綿貫の背中をトントンと優しく叩いて、適当に慰めてやった。

 「でも、"悲しい"は嘘だったろ」

 けれど、胸の蟠りを放置しておくことに耐えられず、規則的なリズムを打ち消すように、ふっと口走ると綿貫の身体がびくり、と跳ねて縮む。

 図星。

 「悲しいじゃなくて、怖い。煌が嘘をつくことじゃなくて。お前が嘘をつかれて、傷つけられるのが怖い……そうなんじゃねぇの」

 俺は言葉を探った。
 上手い表現を見つけるより先に、咄嗟に思いついたもの達が口をついて出てしまい、全く意味がなかったが。
 断言出来る根拠も自信もないせいで、尻すぼみになっていく俺の声を綿貫は真剣な面持ちで聞いている。

 もし「どうして」と尋ねられたら、俺は行き詰まる。何せ、直感に等しい感覚だ。
 なんとなく、で終わらせられればそれで済む話。
 しかし曖昧模糊にしたままでいるのも、互いに気も晴れないだろう。

 「また、俺顔に出てた?針生の場合だと、声かな」

 「それもそうだけど、でも今の言葉に関してはほとんど直感」

 煌の前で、綿貫が偽りの自分を演じていた事は、俺にとって火を見るより明らかだった。
 けれど、仮にも幼馴染である煌に対して、どこか冷淡さを見せる綿貫に、納得している訳ではない。

 探偵でも心理士でもあるまいし、二人の関係を微塵も知らない俺が、あの会話だけで拗れた過去を推察できはしない。
 だから、理解した気にはこれっぽっちもならないけど。

 綿貫が煌にあんな接し方をしたのは、一度踏み込まれた事があるからなんじゃないか、と。
 もしも世界に溶け込もうとしている自分の本性が、人の期待からかけ離れたものだと知られたら。
 それが、苦楽を共にした幼馴染に知られたのだとしたら。

 きっと、その危機感を覚えたら。

 「知られる事は、知られない事よりずっと、怖いもんだろ」

 このたった数センチの距離感で、聞こえているかどうかも分からない程の、独白にも近い共感を足元に落とす。

 そう呟いた俺の頭の中には、ショーウィンドウ前で品物を指さしながら、物珍しそうに「あれは何、これは何」と尋ね続ける、かつてのクラスメイトの姿があった。

 俺は硝子一枚を隔てたケース内で、その様を傍観している。興味を持たれているのも分かっていながら、黙って彼らが「へえ」と納得して通り過ぎるのを待っている。ペタペタと透明な窓を触られる度に、曇りガラスになったそれを眺めている。
 結局、互いの世界が交わることはないし、掠められたとしても、繋がることはない。

 けれど。
 もし、誰かが諭されて手放した物を拾い上げ、「それでも」と俺をショーケースから引き上げた時。
 二つの世界は交差して、糸のように絡まり合う。

 「知られないは知られないで怖ぇけど。でもそれって、知って欲しいっつー欲の話とは別ものだ。何もこっちが求めてねぇ分、幾ら相手が期待してたって、影響は足しても引いてもゼロだし、世の中知ってる事より知らねぇ事の方が多いんだから、それ自体は別にどうとでもなる

 「でも一回知られちまったら、良くも悪くもゼロには戻れねぇだろ」

 知られるということは、誰かの世界に自分が入り込むことである。そして入り込んだ先で、多かれ少なかれ答え合わせがある。
 そこで他人の世界に受け入れられるかどうかは、知られた側の人間が左右させられるものではない。

 だから不安になる。
 期待値が高ければ高いほど、密に知り合えば知り合うほど、その透明さを求められるほどに。

 「……だから、自分守りたくなるのも分かる」

 俺はずっと、もう随分長い間、知られる事に怯えていた気がするから。

 柄になく、本心を吐露した俺は途端に気恥ずかしくなって、沈黙を貫いたままの綿貫の方を見やった。何かしら、相槌の一つくらい打ってくれという、理不尽な思いをぶつける勢いで。

 「……え、?」

 ほろ。

 綿貫の右目から、花が散るように忍びやかな涙が伝う。俺はその光景に動揺の声を漏らしながら、目を見張った。

 な、泣いた?また?最近やけにコイツの泣き顔ばかり見ている気がする。
 なんだ、俺が余計な事を言ったからか?

 本心を受け止め、出来るだけ綿貫が自然体でいられるような関係から、外れた事を口走った自覚はある。気遣いは無用だと分かっていても、それを侵略の手段として用いてはいけない。

 俺ははっとして、綿貫の頬を親指で拭った。
 しかし、そうしている内に堰が切れたように落涙が続いて、間に合わなくなる。

 「ッな、泣くな、余計なこと言って悪かったから……」

 綿貫は弱々しく首を横に振りながら、ぐすぐす鼻を啜り、それまで涙を拭いていた俺の手を掴んで膝に下ろすと、両手で顔を覆い、また身を縮めた。
 それから聞き取りにくいくらい、詰まった声で話し始める。

 「千寿が、俺に怒るのは、当然なんだ」

 「当然?」

 自分の中で、一つ折り合いがついているような口振りで綿貫が呟く。

 「……俺は千寿を一方的に遠ざけて、色々なことで、裏切ってきたから。変わろうとするあの子を置いて、俺は変わらないままでいることをとった。なんでも一緒にやってきたのに。

 「俺が勝手に気まずくなって、離れていって。それでまだ幼馴染だよなんて、虫が良すぎるんだ。……千寿が腹を立てるのも仕方がないし、俺はそれに文句なんて言えない」

 自責の念に駆られるがままに、気持ちを捌けていく綿貫は「でも」とその流れを止めて、じんわり赤くなった目で俺を見る。

 「針生の言う通り、悲しくない。寂しくもない……でも、涙が出る。なんでだろう、誰の為に俺はこんな気持ちになってるんだろう。……分からない」

 分からない。

 心の底から浮上する確かな熱はあれど、その熱が、誰の為に何の為に、湧いてきたものなのかさえ。

 そも、感情自体、悲しもうと思って心の底から悲しむ事をしない、或いは出来ないように、誰かの為と意図して表出させるようなものではない。
 しかし綿貫は、他者世界に合わせた自分を創りすぎた(・・・)あまり、目的の為に感情を縫い合わせていく方法しか得られなかった。

 誰かの為に生み出す物、それが感情だとしか思えなかった。

 「もっと。もっと上手くやればよかったんだ

 「傷つきたくないなら、知られたくないならもっと警戒して突き放すか、逆に和解を持ちかけるべきだった。千寿は、幼馴染の俺が好きなんだから。ずっと一緒にいて、今よりもっとありのままの俺でいれた時──……」

 綿貫が矢継ぎ早に捲し立てながら、頭の中を整理する様は、まるで舞台に立つ前の役者だ。
 そうやって、綿貫紡という人生の台本を握りしめて、照らし合わせて、生きている。

 幾つものスポットライトを浴び、多くの観客から愛され、世間から太鼓判を押される。
 そこに、本当のアイツはいないけれど。

 ふと、言葉が途切れた綿貫が黙って俯く。俺から離れた焦点は、どこに定められるでもなく、眼前に広がる虚空に浮かんだ。そこから刹那的に、アイツの瞳の奥に暗澹が満ちた時、ぷつんと口から音が落ちる。

 「どれだっけ。あの子が好きな俺って」

 その声は終わりのない螺旋階段を降り続けるような途方も無い絶望を帯びていて、背筋にぞくりと寒気が走った。
 大きな音よりも、耳障りなノイズよりも、遮りたくなるような感覚に襲われ、俺は反射的に提げていたヘッドフォンに両手を掛ける。

 その仕草に気付いたのか、綿貫の視線がこちらに向けて滑り、呑み込まれてしまいそうな緊迫感に喉が小さく鳴った。

 すると綿貫は、徐に俺のシャツを掴んで、自身の方へ引き寄せる。突如として体制を崩された俺は、咄嗟に地面に手を着き、恐る恐る見上げれば、アイツの顔が視界を占めていた。

 「素の俺を見てる針生なら分かる?」

 「分かるように思うか」
 
 質問を質問で返してみれば、綿貫は不満そうにして、眉間に皺を寄せる。不穏な空気が漂っているものの、不思議と俺が圧倒されていたのはほんの一、二分程度だった。

 そりゃそうだ。
 そんな子供みたいに泣かれた後に、真面目なツラをして言われても、翻弄されるわけがないし。

 「わ、分かってよ、せめて一つくらい。俺を受け入れてる関係なんだから……」

 「お前を受け入れるとは言ったけど、幼馴染が好きなお前の素の情報までは知らねーよ。分かるわけないだろ。それに」

 俺は綿貫の頬をつねりあげ、正気になれと言わんばかりに揺する。そうして痛い痛いと情けなく悶絶しながらも、律儀に答えを待つコイツの顔を見ながら

 「別に俺、お前のこと好きだと思ったことねえし」

 と笑ってやった。

 本心であり、やたら惨めそうに泣くから、慰めるための揶揄でもあった。腑抜けたまま固まる綿貫の頬を摘んでいた指先の力を抜いて、「昼休み終わるぞ」と促してからヘッドフォンをつける。

 ハッとして慌て出すだろうと踏んでいた俺は、呑気に携帯を見ようとしていたのだが、電源をつける前に、横から伸びた綿貫の手がそれを制する。

 反対に俺が驚かされ、何か、と思う頃には、口元に柔らかい熱が当たっていた。
 理解する前に離れた綿貫は、不敵に微笑んで

 「じゃあ、好きになって」

 と言ったのであった。