半透明のエトセトラ

 『先生!コイツ、授業中に音楽聴いてます!!』

 『聞いてねぇ』

 『ずっりぃー!!』

 『聞いてねぇっつってんだろ』

 小学生の時、クラスメイトが必ず教師にそう告げ口をした。
 事情を知っている担任は、決まって苦笑しながら、無知の生徒達が納得してもらえるように、角が立たない説明をする。

 『針生くんは、他の子よりも繊細だから』と。

 繊細だなんて、小難しい言葉ですんなり理解できる訳もなく、案の定どういう事だと返されるのだけれど。
 比喩表現でも、自分事のように訴えかけなければ、彼らの首は縦に振られない。
 しかし、教師も教師で配慮しなければならない事があるから、そう安易に口外することも難しい。

 『他の人よりも、音が大きく聞こえたり、電気の光が明るく感じたりするんだよ』

 『へーー、じゃああの耳につけてるの何?ヘッドフォンじゃないの?』

 『あれはね、イヤーマフって言って──』

 俺は進級する度、何十回と繰り返される堂々巡りのような質問大会が、疎ましかった。

 理解されないと、息苦しいくせに、理解されるのが億劫だった。

 誰かが説明し、誰かが俺に配慮をしながら、俺を生かしている。そうでもしないと、俺は生きることが難しい。

 大勢の人間と関わりを持ち、時に手を繋ぎあって、歩んでいくことが当然にある世の中で、その群れの中に浸透しようとしている俺は。

 一番、異色だったように思う。

 どう足掻いても、透き通った清流には溶け込めない。
 次第に、それに抗い拒む自分を肯定することの方が、正解のような気がしてきて、俺は浮き彫りになることを選択するようになった。

 誰かに慮られて、人の肩身を狭めるより幾分マシだと思ったのだ。

 けれど。

 『離せ!!ッそれ、返せよ……っ!』

 『お前、身体がめっちゃ敏感らしいじゃん?男のくせに』

 『は?ンだよそれ、ワケ分かんねぇ』

 この不透明さは、何度も俺の足を引っ張った。

 中学三年生の頃、自然に露呈していった感覚過敏に、どこか滑稽味を覚えられたか、分かり易く虐げられたことがある。

 体育館倉庫の裏手に呼び出され、数人の男子生徒に囲まれた俺は無力以外の何物でもなかった。
 イヤーマフを奪い取られたことで、自制の効かない感覚への焦燥感と恐怖心とで、当時は酷く動揺していたことが記憶に焼き付いている。

 他者に自分の体の主導権すら握られる、その屈辱は計り知れなかった。

 耳元で大声を出せば、怯える俺を見て、相手は心底愉快そうに笑う。
 聴覚、触覚は特に過剰な反応が見られるからと、面白がられた。

 『こんなん付けて、目立とうとすんなよ。いちいちキモいから』

 イヤーマフを目の前で摘みあげられながら、侮蔑され、そこで初めて張り詰めていた一本の糸がぶつん、と弾けて切れる音がしたのだ。

 目立ちたいなんて、誰が思うか。
 そんな欲望を満たす為に、こんな反応を好きでしているとでも思っているのか。


 ふざけるな。


 『……何も知らねぇくせに、外野は黙ってろよッ!!』


 俺はどうしたって、お前らの過ごす世界に溶け込めないのに。

 虚しい、悔しい。


 後にこの嫌がらせは、殴り合いに勃発した現場を目撃していた他生徒が、教師に告発した事によって明るみになり、収束することとなる。

 苦痛に耐えた約一年で俺が得たものは、自分の体への決して、癒えて消え去ることのない嫌悪感のみだった。


 ***


 何時の間にか、火花のように散る光の連鎖は闇に呑まれて消えていた。
 ゆったりと浮上する意識を、瞼の上まで持ち上げて、緩慢な動きで目を開く。

 微睡みから抜けて、ぼんやりとした頭で自分が今何処にいるかを思い出す。
 がたんごとん、という規則的な音と揺れ、重なるように響く車内アナウンス。

 俺、帰りの電車で寝こけちまってたのか……。

 正面にある車窓の外は、僅かな残照と地平線に漂う藍と薄紫とが混じりあった色で染まっていた。
 綺麗だと月並みにも思いながら、もう一度頭を袖仕切りに預けた時、勢いよく意識が釣り上げられる。

 やべ、今何駅だ……!?

 慌てて電光掲示板を見上げるが、次駅の名前がなかなか出てこず、気持ちが急ぐ。
 各駅停車だからと油断して、つい長く眠りについてしまった。
 寝起きで霞む視力を限界まで引き絞って、注視する。

 すると。

 「日波里(ひのばり)駅だよ」

 そんな俺を見かねてか、隣から親切にも教えてくれる声がした。

 良かった。降りはぐってない。

 その安心感だけが脳内を占めていて、何の不審感もなく俺は相槌を打つ。

 「日波里か……。危ねぇ、寝過ごすところだった」

 「あと何駅?」

 「あと三駅くら──……い」

 しかしそこで、漸く事の異常さに気付き、見向きもしていなかった隣席へ顔を捻る。

 そこには、あの金髪──綿貫が座っていた。

 「はっ?」

 俺が短い混乱の声を上げると、綿貫はいつも通り愛想良く微笑みながら、一席の距離を取る。

 「急に隣に居たら驚くよね、気を悪くさせてたらごめん」

 「いや、悪くっつーか……なんでいんだよ」

 そう尋ねれば、綿貫は何やら手の中に持っていた物をこちらへと渡す。確認してみれば、リュックの中に閉まっていたはずの財布であることに気が付く。

 「これの為、って感じかな。あ、盗ってないよ!?偶然っていうか、本当にたまたまで……」

 話を聞くに、どうやらこの財布が僅かに空いていたチャックから落ちていたようで、盗難されないように、見張っていたのだという。
 あまりに、俺が無防備だったものだから。

 「戻そうとしたんだけど、俺完全に窃盗してる人みたいだったから……」

 「逃げるに逃げられなくなって、俺が起きるまで横に座ってたと」

 「そういうことです……」

 「お前、何か変な運でも持ってんのか?そういうのに出会す系の」

 「持ってないよ!」

 仮に、そんな運を持っていたとしても、だが。
 いや、俺が持ってんのか?

 あのベーカリーで見かけてから、時差があったはずだが。

 「……じゃ瞬間移動か?」

 「それも持ってないよ、ちょっと欲しいけど」

 「お前さっきまでパン屋に寄ってただろ。なんで同じ電車乗れてんだ」

 「ああ、今日妹の誕生日でさ。ケーキ予約してたこと忘れてて、慌てて駅まで猛ダッシュしたんだよね」

 綿貫はすらすら理由を説明する。
 走っても電車に間に合わない距離では無いし、理には適っていた。
 そうかよ、と俺がそれ以上詰めるのを止めて、綿貫に妹がいた事に話題を変える。

 残り二駅で会話は強制的に終わることになるだろうが、無言のまま男二人で横に並ぶよりは良いと思った。

 「妹いんだな。まだ小せえの」

 「小学校六年生だから、多少大きいかな?最近お年頃になってきて、俺はついていけなくなってきたけど」

 「妹に振り回される生徒会長、ね」

 「針生はいつまで生徒会長ネタ擦るのさ」

 「ずっと」

 揶揄する俺を、綿貫は少しばかり不機嫌そうにじとりと見つめる。冗談めかした謝罪で訂正すると、直ぐに向こうも気を直して話が続いた。
 自分たちのやり取りは、まるでシーソーのようだった。

 互いの調子を察しながら、テンポ良く言葉で戯れる。浮いたり沈んだり、間を置いたり。
 俺は与えられた分だけをそっくりそのまま返すだけの、何ともぶっきらぼうな所作だけれど、綿貫は違う。
 何処で地面を踏ん張って、何処で相手を浮かせるのか、そのタイミングを緻密に計算している。

 だからか、話が面白いくらいに途切れない。

 「パン屋に俺が居たことやっぱり知ってたんだ」

 「……ま、見かけたからな」

 「ちょっと意外だったんだよね。針生が皆の下校時刻よりもちょっと遅い時間帯に帰ってるの」

 「ああ。風紀委員長に目付けられて、足止めくらったんだよ」

 そう口にすれば、寝こけたせいで、既に記憶の海の底に沈んでいた煌との記憶が、水泡のようにぶくぶくと浮かんでくる。
 さしてダメージにもなりやしない程度の会話だからと、大雑把に話している最中、綿貫は顎に手を当てて神妙な面持ちをしていた。

 「風紀委員長……」

 何やらぼそり、と呟いて風紀委員に興味を示している。

 「あー煌。煌千寿だよ。会長同士、知り合いだったりしそうなもんだけど」

 「うん。そっか、あの子(・・・)が」

 一際大きく車体が動いた音に、綿貫の声はかき消される。
 噛み締めるように言う姿は、俺の胸に確かな痕を残した。ただ、追及することはしない。

 「……しつけーんだよな。校則破ってる俺が悪いのは分かるけどさ」

 「悪気はあるんだ」

 「ある。でも俺は、浮いてるくらいが丁度いいんだよ」

 「丁度いい?どうして」

 綿貫は俺の顔を覗きこみながら、小首を傾げる。
 応答に遅れれば、「不躾だったかな」と付け加えて、眦を下げた。

 髪の毛を染めるのも、ピアスを開けるのも。
 明らさまに不遜な態度を取って、反抗的な眼差しを向けるのも。

 世界に溶け込めない俺なりに考えた、作戦だった。

 もっと他にやりようは幾らでもある。
 親に納得されて、周囲にも避けられず、順風満帆に進める航路だってきっとあった。
 それでも。

 「浮いてた方が、結構気楽だったんだよ。誰かに好かれなくても、俺は別にいいし。逆に、おべっか言われてまで人に好かれるのも、俺は性じゃねしさ」

「……怖くないの、嫌われるの」

「怖かねぇよ。それで嫌われるんなら、それまでだろ。好きも嫌いも勝手にすればいい。それで自分の人生が変わっちまうわけでもあるまいし」

綿貫は俺の意思が、なかなか腑に落ちていないようだった。それもそうだ。この考えは、かなり人を選ぶし、実際に排他的で協調性もない。

電車に揺られながら、柄になく馬鹿真面目に対話をしている自分を客観視する理性が、羞恥心を擽る。俺は気を紛らわせるように、頬をかく。

「……凄いな針生は。俺は嫌われるのが怖いから……」

一方で、自嘲するような微笑を浮かべる綿貫に、心臓がひくりと、変な拍子を打った。
憐れみとも何とも言えない、心に広がる不明瞭な波紋が、煩わしい。

 俺は電光掲示板へ向けたまま、席から立ち上がり、それから綿貫を見下げる。

「いっそ嫌われてみろ。どれだけの人間がお前に向き合ってるか、ふるいにかけてやればいいんじゃねえの。試しに俺でもいいけどよ

「まあ、そう言っといて多分俺は嫌えなさそうだけど。生徒会長の百面相っつーの?結構好きだしな」

 アイツは面食らったように、瞬きを数回繰り返して、光を反射した薄紅色の瞳で真っ直ぐこちらを凝視している。
 同時に、降車駅を告げる車内アナウンスが流れた。

 「財布、助かった。それと、今度カツサンド確保しとくから。欲しかったら俺に頼んどけよ」

 「あ、ありがとう……!あ、あのさ」

 「ん?」

 「明日も、屋上に行ってもいい?」

 恐る恐る、けれど少し食い気味な問いかけが、胸をとん、と押す。
 何を言い出すかと思えば。どちらかと言うと、その許可を出す権限があるのは、生徒会長である綿貫なのではないかと提言したくなる。

 俺は訝しみながら、

 「俺に許可とる必要あるか、それ。お前の好きにしたらいいだろ」

 と言った。
 しかし、普段他クラスで綿貫がどんな風に友人らと接しているかは定かでないが、こんな如何にも奥手そうな態度を表に出すことはあるのか、ふと疑念が湧く。

 自分の想像していた生徒会長像は、高校一年生の頃から変化してはいない。
 実際、学校生活でしばしば綿貫を見かける時、大抵テンションが高くて、和気藹々と交遊している印象があるし。

 コイツが何かに苦労していそうなことは想像に容易いが、態々俺が入り浸る屋上を選び続ける理由は分からない。

 対局の存在である俺と、関わっていることが知れたら、生徒会長の看板を汚す気がしてならないが。

 「針生が嫌じゃなければと……思って。俺は、君と話していると、なんか、気が楽な感じがして」

 「!」

 ……なんだ、それ。
 俺と話している時が気楽?

 変なやつ。

 「俺は別に、お前の行動を制限できるほど偉い立場じゃねえから。好きにしたらいいんだよ、そういうのは。俺が良いとか悪いとかじゃなくてさ。だから、

 「行きたいと思うなら来ればいい。嫌じゃねえし」

 「……ぅん、うん!」

 綿貫は返答に満足したのか、花のように咲った。賞でもとった子供みたいな、童心が全面に現れた、屈託ない笑顔に俺は内心狼狽する。

 吊革を掴んでいた指先が、じわりと汗ばんできて、電車の扉も開いていないのに、降りようという気持ちが早る。
 地味な羞恥心の圧を受けてか、身体が自然にそう動いたのだ。

 綿貫紡という人間像の剥落が、日に日に頻度を増しているような気がした。

 そりゃあ当然、自分の予想通りに在る人間なんて有り得ないのだけど。

 「……っじゃ、またな」

 「またね。針生」

 綿貫と別れ、ホームに降り立てば、定刻通り電車は動き出す。気持ちだけアイツの隣に置いてきてしまったような、ふわふわとした感覚が心臓を支えている。

 改札を潜り、いつもと同じすっかり陽の落ちた薄暗い帰路に流離(さすら)う風は、この浮ついた思いを攫ってはくれなかった。

 助けた人間が、偶然同じ学校で、奇跡的に再会を果たした感動が持続するのは分かる。
 けれど何もここまで懐かれるとは思っていなかった。


 ──否、絆されかけているのは俺の方かもしれない。


 今までは、防音器具を常に身につけていないと、集中して会話も聞けなかった。
 例え環境音が小さい場所でも、その些細な音を拾ってしまうから。

 けれど、屋上で綿貫と会話をする時は違った。

 アイツの声は、耳馴染みが良かった。
 それは、薄手のカーテン越しに揺らぐ木漏れ日のような、柔らかいものに似ている。

 その和やかな調子で笑う、綿貫を思い出して、コツンと爪先に当たった道端の石ころを蹴飛ばす。

 明日にも訪れる屋上で、アイツは何を話してくるかとか、他愛も無いことを考えては、柄にもなく心が弾んだ。

 柄にもなく。
 自分でも少し気持ちが悪いくらいに。