半透明のエトセトラ

 「また来たのか、生徒会長」

 数日後。昼休み。

 素行不良も甚だしい俺と、学校中で完璧と名高い綿貫は、何度目かの再会を果たしていた。
 ぽつぽつと疎らに屋上にやって来ては、駄弁るだけの時間を過ごす、なんとも高校生にしては味気ない青春の一ページである。

 なんやかんや数えるのを辞めた頃ともなれば、最早、"再会"などと呼ぶべきではないのだろうが、根底にある"他人"の文字が、浮かんだままでいるから、敢えて奇跡的な感覚を継続させている。

 「うん、外の空気吸いたくてさ。ここ凄く丁度いいんだよね。……隣、いいかな?」

 「教師じゃねえんだから、許可とんなくても。好きなとこ座れ」

 「あはは、ありがとう。失礼します」

 遠慮がちに人一人分の距離を空けて、腰を下ろす綿貫の様子をちらと窺った後は、世間話を少し交えた。俺にはあまり、共感できない話も少し。

 綿貫は委員会やクラスでの話題を取り上げていたが、時折そこに自虐が混ぜこまれる。
 言葉の端々から漂う、自信の無さに俺は内心首を傾げた。

 周囲から認められているからと言って、自信が必ずしも伴ってついてくるとは限らないのだな、と辞書でも引いたみたいに、自分で自分を納得させる以外方法はないけれど。

 俺はヘッドフォンを着けながら、さして綿貫の存在も気にせずに無言で携帯を触り、昼食片手にネットニュースなんかに目をやっていた。

 興味も関心もないけれど、出会ってからまだ日が浅い綿貫と和気藹々、話に花を咲かせられるほど、自分のコミュニケーション能力に自信はない。
 寧ろ、しりとりみたいな会話が白けた空気の中行われて、互いに気まずくなる未来が容易に想像できるまである。

 故に、大した会話も交わさないまま、時間を浪費してしまおうとさえ考えていた。

 しかし、自然に流れ込んできていた綿貫の声が、重くなった気がして、ふと携帯を見る手を止めた。それが、ぴきと空気に罅を入れたのが顕著に分かったのだ。
 小さな胸の詰まりに目を瞑れず、隣を見ても、綿貫は至って平静な面持ちのまま話を続けている。

 「それで俺の友達が、会長どうにかしてくれーってさ──」

 「……お前、怒ってんの」

 「っえ?」

 「俺の気のせいならそれでいいけど。嫌なら嫌って言わねぇと、相手が調子に乗るだけだぜ。苛立ちを我慢してまで、お前が合わせてやる必要ねーんじゃねえの」

 綿貫は、空いた口を閉じることさえ忘れたように唖然とした。

 「怒ってる顔だった?俺」

 自分の頬をぺたぺた触りながら、不安げに尋ねられ、余計な事を口走ったなと俺は内省する。

 「いや。顔には出てねぇけど、なんとなく。声が暗いから」

 「声……?」

 「なんとなくな。でもきっと違ぇ」

 「あはは、いやぁ、そう、かも」

 なんだ、認めた。

 やっぱり。という気持ちと、あっさり真に受けられた事への驚きが過ぎる。

 「かも、だろ。可能性の話なら」

 「ううん、合ってる。合ってるよ。凄いな、針生」

 凄い?
 予想だにしない、変な言い回しで褒められ、妙に胸が擽ったくなった。勝手な憶測で自分の気持ちを探られて、何も思わないのだろうか。

 俺が口を噤めば、暫く沈黙が流れた。
 俺は心を羽毛でなぞられたような感触に、注意が向き続けていて、やや冷静さを欠いていた。

 無意識に感じ取った綿貫の心の機微、その音。
 聞き取らなければ、気付かないふりが出来ていれば良かったと、次第に湧き上がる後悔が頭を占め始める。


 その時、隣で黙々と昼食を食べていた綿貫が、こちらにゆっくりと視線を向けている事に気がつく。
 応えるように一瞥してみたが、何を言われるでもなく凝視される。

 「……な、なんだよ」

 訝しんでそう問いかければ、綿貫は表情を変えないまま

 「そのヘッドフォン、何時もしてるなと思って」

 自身の耳をとんとん、と指をさしながらそう開口した。
 指摘されたせいか無意識に刺激が届き、思わず装着していたヘッドフォンに触れる。

 「ああ、これな」

 音楽も流れていない、イヤーマフの代替品だ。
 意地とプライドと、警戒心がつんのめって、誰にも内側へ踏み込ませまいと強がった俺の防御壁である。

 壁は確実に機能していて、見た目だけでは悟られる事もなく、この二年半をやり過ごしていられた。自分自身の存在としては、明らかに異端者扱いだったとは思うが、俺が弱さと呼称する実の種は守られていた。
 けれど。一体何時まで、この疑心暗鬼と向き合わなければならないのか、という途方もない時間を考え始めると、途端に虚しくなる。

 そうして芯の無い声で返答した俺を、綿貫は気遣わしげに見つめていた。
 垂れ下がった目尻と、慈しみを込めた薄紅色の眼と視線がぶつかった時、ちくりと胸が痛む。

 ああ。この目。
 いやだな。

 「駅前の雑貨店で買った。耐久性とか考えずに買ったから、この前電車で落とした時、アームの部分が欠けちまったんだけどな」

 「……音楽、好きなの?」

 「好きって程でも。多少覚えがあるくらい」

 「へえ……!そうなんだ。ギターとか?」

 「んや、ピアノ」

 「凄いね、俺なんて鍵盤ハーモニカが限界なのに。そっか、やっぱ音楽に縁はあるのか」

 「……まぁ」

 人に気遣わせるのが嫌だった。
 人に気遣われるのが嫌になった。
 理解して貰わなければならない自分も、そうする事がさも至極当然のように浸透している空間も、俺にはどうしても受け入れることが出来なかった。

 これは単なる嫌悪感でも、不快感でもない。
 躍起になって排他的になっているわけでも、ない。
 ただ、理解されなかった現実に理不尽な憤りを感じる自分の醜さに、失望したくないだけである。

 理解されることを拒み、物陰で密やかに生きることを選んでおいて、射し込んだ一筋の光へ希望を抱いてしまう自分の浅薄さときたらない。
 あまりに矛盾だった。

 ふと思う。今、俺はまさにアイツに気を遣わせているんじゃないか、と。
 それを察した心に、後暗い思いがじわじわと侵食していく。

 綿貫から滲み出る、薄日の如き淡い光から、目を背けた時「じゃあ」と声が続いた。

 「余計に針生の耳は、大事にしなきゃな」

 「……ぇ」

 予想外の発言に、動揺のあまり息が詰まる。
 呼吸音に紛れて漏れ出た小さな混乱は、綿貫の耳に確かに届いていて、俺の心臓は殊更驚いていた。

 疾風がワイシャツの襟をバタバタ揺らし、髪の毛を好き放題に乱してしまうから、鬱陶しくて仕方がなかった。びゅおっと、吹き抜けた時、音が残穢としてあるほどの強さだった。

 もっと、踏みいられるものだと思っていたのだ。
 アイツはホームで蹲った俺に、屋上でチャイムに怯んだ俺に、ヘッドフォンを渡した時、音楽が流れていないことは、分かっているはずだと勝手に思っていたから。

 俺が綿貫の声に対して違和感を覚えたように、きっとコイツも何かしら俺に疑念を抱いているものだと。
 違うのだろうか、気付いていないだけなのだろうか。

 「なんで」

 「え?」

 「なんで、そんな言い方」

 「っ!!ご、ごめん、言い方変だった?嫌な気持ちにさせた?」

 「違う。耳を大事にしなきゃなんて、なんでそんな風に言ったのか、気になっただけ」

 綿貫は「えっと」、そう困惑しながら、一度口を閉じて考える。俺の顔をふっと見て、視線を空へと運んで、それからまた悩ましげに俺に意識を戻して。

 「……君は、きっと耳が良いだろうから」

 と言った。

 全身が心臓になったように揺れた。どくんと、ポンプのように収縮して、締め付けられて、無意識に息を止める。
 緊張が走り抜け、背中にじんわりと冷や汗が伝う。恐怖でも、危機感でもなく、どの喜怒哀楽にも当てはまらない、居心地の悪い胸騒ぎに俺は言葉を失った。

 それに気付かれて、自分がどう扱われるのか、綿貫への不信感が湧く。

 「はっ……はは、耳が良い、ね」

 俺は自嘲気味に笑った。
 この感覚の過敏さを悟った人間に、面と向かって言われる言葉に、良い思い出は一つも無い。
 俺がそうだと首を縦に振れば、哀れまれるか、弄ばれるかだ。

 ロクな経験しかしてこなかったのだから、いちいち期待してはいられない。
 察知されたのならば、いっそのこと開き直って、気遣い合うような関係性になる前に、絶ってしまう方が楽だろう。

 蜥蜴(とかげ)の尻尾切りのように。

 「……まぁ、人よか良いだろうな。良すぎて、逆に悪く思うくらいには」

 「どうして?」

 「どんな音でも拾っちまう上に、常にうるさく聞こえるんだよ。どこ行ったって防音具がなきゃ、まともに道も歩けない。……何のメリットもありゃしねぇから」

 「そっか……。昔の音楽家には、耳が良い人が多かったって聞いたことがあったから、羨ましがられるようなセンスだと思ってたけど。良い事ばかりでもなかったのか」

 綿貫は言葉を咀嚼して、噛み締めて、物憂げな顔をする。自問自答するようなゆっくりとした調子が耳に留まり、その名残をじくじくと心の深みへ吸収させていく。

 「でも俺みたいに、何も知らない人から、良い事だって思われ続けるのは、辛いな」

 ふと、琴線に触れられる。
 音はしなかった。ただ何重にも霞んで震えている。

 静謐な湖面を、指先でつつかれれば、忽ち緩やかに波紋が広がった。
 湖の真ん中に在る人一人立てるほどの孤島に俺は居て、その畔(ほとり)に綿貫が居る。
 温度を確かめるように、水を滑らかな手つきで撫でた後、素足を浸けて音一つ、波一つ立てず、島の方へ寄ってくる。

 暗澹とした水底は闇を深め、綿貫の足回りに漂い、煙のように絡み纏わりつく。しかし綿貫はそれを振り払おうともせずに、その影に手を伸ばして宥めた。

 そんなイメージが頭の中に浮かんだ。

 「…………悪い」

 「え?」

 「気、遣わせた」

 綿貫は、人の顔色を窺って言葉を選ぶ人間だ。
 俺相手にも、きっとそれは同じだろう。
 こんな共感の得られにくい内情を話したところで、手を焼かせるだけだ。

 そんな事は分かりきっているのに。
 自分は気遣う事も気遣われる事も辞めて、一丁前に意地を張っていたのに。

 どうしてほんの少し、たった一瞬でも、同情してくれと訴えかけたくなった?

 精巧に造られていない、欠陥だらけの細工が、隠れた脆弱さを顕す。心に巣食い沈み込んでいた、漠然とした不安感が浮上してくる音がした。
 俺は無意識にヘッドフォンに手を当てて、何も聞くまいと耳を抑える。

 「遣ってないよ。君の苦悩を知っても、俺が針生の持っている感覚に対して感じることは変わらないから」

 「同情なんかいらねぇし」

 「……違う、君は同情して欲しいんだ」

 「!!」

 心臓が脈を飛ばした。

 隣から向けられる視線を無視しようとすると、本能的に頭がそれを拒んで、俺は油を挿していない錻(ブリキ)の玩具のようなぎこちなさで、綿貫を見る。

 「そういう顔を、している気がした。断言したみたいに言ったけど、本当はこれは、憶測。俺の気持ちを、声だけで当てた君みたいに」

 顔を見るだけで、分かるもんか。そう反論しようと口を開いて息を吸ったけれど、声までにはならなかった。

 違くなんかない。否定が出来ない。
 でも──。

 「俺も、誰かに同じ気持ちをわかって欲しかった人間だから」

 心に被せるように、綿貫が言った。

 「同情されたくないのに、理解(わか)ってくれる人が欲しいんだ。独りぼっちでいいって振り切ったって、どうしても。勝手に共感してくれないって腹を立てる。俺はずっとそうだったよ。ここに来るのだって、結局は望み通りにならない世界に汚れた気持ちを吐き出したかったからだ」

 綿貫は天を仰ぎながら、記憶を手繰るように吐露する。

 俺はその口から放たれる言葉が、胸に刺さったまま抜けず、困惑していた。真正面から、「君は同情してほしいんだ」なんて声を掛けられたことは、初めてだった。
 自発的に"そうしてくれ"と頼むこともなければ、その望みを常時抱いて、行動の動機にしていることもない。
 それでも確かに、俺の無意識に眠っていた本音が、産声をあげるように呼び覚まされた。

 生まれてから、俺の事を分かろうと努めてくれる人間は周りに居た。親や友人、教師や近所の大人。
 俺は用意された恵まれた環境の中で、その柵の内側で、何一つ惑わされることもなく、外の世界を見ていた。
 けれども成長するにつれ、自分の感じ取っている世界は、他の人間が見ている世界の透明さがないということを知った。ノイズに搔き消され、見たいものや聴きたいものを曇らせては、誰もこの感覚を理解はしてくれるまいと悪魔のように囁く。
 その声に蝕まれ始めれば、俺は自分だけがひどく哀れなように思えて仕方がなくて、孤独を強いられているような気さえしてきたのだ。

 俺は決して同年代の子供たちの輪に混ざれるほど、普通ではなかった。
 けれども、この特殊な感覚に寄り添ってくれる人間は誰もいなかったから、普通のフリをして周囲のやつらが築いていく環境に自分を溶け込ませるしかなかった。
 繊細という「普通よりも特別」と考えられた聞こえのいい言葉で、俺は世界に透過されたような扱いになっていたが、そんなものは詭弁にすぎない。

 俺の存在はずっと半透明で、この世界で何かを感じ、生きていることの充足感を得られないまま、地に足のつかない日々を過ごしていた。

 だから、綿貫に自分でも思い出すことのなかった、記憶の墓場に葬り去っていた本音を拾い上げられた時、少しだけ。
 この曇ってしまった心が、澄んで見えてような気がしたのである。

 「……お前って、変な奴。ほんと。なんの確証にもなんねーのに、なんでそんな真剣な顔して言えんだよ」

 「あはは……なんでだろうな、針生が少し辛そうだったから、つい」

 「別に辛くねえし。でも……理解しようとしてくれたのは、なんつーか、まあ……うれしかった。あんがと」

 「……!!うん!」

 一瞬だけ垣間見た、あの澄み渡った景色は、コイツといたらまた見れるのだろうかと、俺は僅かな期待を抱いたのであった。