半透明のエトセトラ

 特段、学校なんて場所に期待はしていなかった。

 知覚に過敏さを持つ俺からすれば、外界自体が敵だったものだから。
 友人関係も、次第に友人らしさを失い。
 クラスからは少しずつ、俺の存在が水に紛れた油みたいに浮いていった。

 高校に上がったって、それは変わらない。

 周囲と上手く馴染むことが難しかった俺に、穏やかな桜が舞うことはなかった。

 俺は青春の省かれ物だった。
 自分でも、それを敷いていた。

 高一と高二とを棒に振り、自分の体を痛め付けもした。ピアスを開けて、髪を染めて、他校の輩に絡まれては、顔に痣ばかり作って、生徒指導の教師に懇々と怒られる。
 そうすることで、他の鋭敏な感覚を鈍化させた気になっていた。

 そうして自暴自棄になった後。
 何時の間にか、校舎の廊下を歩く度、「ヤンキーだ」とコソコソ噂されるようになり、今に至る。

 今日もそうだ。

 登校はするものの、怠慢が原因で、授業に真面目に出席していない俺は、当然の如く異端者であった。
 何処にいても、誰かの口車を動かす撥条(ぜんまい)になるのが常だった。

 教室にあって無いような空白の自席へ、久方ぶりに座ってみようかという気になって、クラスに顔をだしてみれば、全員の訝しむような視線が集中する。
 弦を引き分けたまま、放たれずにいる無数の矢の先端が、俺を突っつき回して、刺激していいものか耳打ちし合う。

 俺は音楽の流れていないヘッドフォンで、聞いていないフリをしながら、一時間目を過ごして、教室を後にした。

 ふらふら外廊下に出たらば、前方から三人で固まった男子が歩いてくる。青春と言った言葉がお似合いの彼らだが、その中央に、見覚えのある生徒の姿があった。

 そよ風に靡く金糸の髪。春の麗に揺らぐ薄桃色の双眸。人懐っこい笑顔と、甘い声音。
 脳がぴんと、ソイツにアンテナを向けるものだから、思わず立ち止まる。

 「なあ、健人。お前定例サボりすぎ」

 「サボってないっての〜!彼女と出かける用事があったんだってば」

 「なんで前もって分かっている予定の所に、態々彼女との予定を捩じ込んでるんだよ。一回二回ならまだしも、その理由もう何回聞いたと思ってる。恋してる自分に自惚れるのも大概にしろよ」

 「はあ〜?!別に捩じ込んでるわけじゃねえし!拡大解釈すんなよバカずま!向こうだって忙しくて、なかなか会えねえんだから仕方ねえじゃん!綿貫会長〜、助けてくださいよ〜!」

 何やら揉めあっている両脇の二人に、挟まれる真ん中の金髪は、眉を困らせ苦笑しながら、どうどう宥めている。
 慕われ、信頼されている事が、ひしひしと伝わるような光景だった。

 「まあまあ。どっちの言い分も分かるけど、健人には報連相をこれから意識してほしいって事は、俺からも伝えようと思ってたんだ。彼女さんを大事にできる健人に、お願い。引き継ぐ和真も困っちゃうからね」

 「会長ぉ〜〜……会長ならきっと優しく寄り添ってくれると信じてましたよぉ〜……」

 やいのやいの騒ぎ立てながら通り過ぎていく金髪らの背中を、俺は静かに見送った。
 環境音だけが残された道で、消灯した信号から記憶を辿る。

 「綿貫、会長。どっかで……あ、生徒会長か?」

 この二年半で、どの分野でも常に王冠を取り続けている生徒会会長。正確に名前は覚えていないが、何時も同じ文字の羅列が一位の座に連ねられていることは記憶に新しい。

 イメージ通りというかなんというか。

 誰しもが思い浮かべる生徒会長の理想像そのもののようなオーラがして、面食らってしまったな。と俺は他人事のように思い、漸く歩みを進めたのである。

 それから。事ある毎に、金髪の噂や評判は風や虫を使い尽くす程に俺の耳に届いた。

 時に教師、時に生徒、時に用務員までもが、揃いも揃って"綿貫"やら"生徒会長"やらと口々に話すのだ。依存でもしているように。

 「流石は綿貫だな。先生達も頼りにしてるぞ」

 「有難う御座います。ご期待に添えるよう、頑張ります!」

 同時に。
 姿を見掛ける度に、金髪は必ず笑顔を浮かべていた。それ以外が、見当たらない。

 「…………」


 ***


 ある日の昼休み、俺は早々に一人、立ち入り禁止のトラロープを跨いで、鍵の壊れた屋上に入り浸った。

 碧空に嵩張る雲を流していく、ほんの少し強い風が、前髪を崩す。
 遠くの線路から電車がガタンゴトンと走る音がやや集中力を削ぐが、景色が良いからチャラである。
 無駄な雑念を自然に還すことの出来る、唯一の空間として、絶好の場所であり、誰も立ち入らないから俺だけの特等席だった。

 前日の夜に買った惣菜パンを咀嚼しながら、誰一人として寄り付かない静寂を堪能する。
 ありのままの自分を解放しても、劣等感に駆られることも煩わしく思うこともないのだから、気楽だ。

 「……この焼きそばパン、ちょっと味変わったか。つーか、食いきれっかな」

 小腹が空くだろうと思って、三つ四つ昼食を持ってきたはいいが、流石に判断を見誤った。
 全部惣菜パンにしたのもミスだった。
 一つくらい菓子パンを買えば良かった。

 そうボソボソ独りごちていると、屋上の扉がギィと錆びた蝶番を鳴らしながら開いたのである。
 
 それはそれは大きな呻き声と共に。

 「あ"〜〜〜、面倒なことになった……クソ」

 「んぐッ……!?」

 想定外の事態に、危うく焼きそばパンで窒息する所であった。
 食道あたりを乱暴に叩きながら入口を凝視してみれば、一人の学生が溜息混じりにその場にへたり込むのが見える。

 根元まで生え揃った、絹みたいに滑らかな綺麗な金髪が微風に揺れていた。

 既視感。

 「はぁ〜……。健斗と和真ギスってたなぁ。委員会の定例ミーティング近いのに、どうしよ。てか俺に言われても困るっての」

 「健斗はああいう真面目な雰囲気得意じゃないけど、和真は頑固で堅物だから……対極すぎて仲介するにも、火に油になりそうだし、うーん……」

 「あー、俺顔ひきつってなかったかなぁ」

 随分デカい独白を吐き散らかしながら、ネクタイを緩め、溜息を繰り返す金髪男子。
 俺は彼への既視感を、神経衰弱をするように思い起こす。

 ペアを見つけるのは無論容易かった。

 ああ、この声。前の電車の金髪。
 中休みの外廊下でも見たな。

 俺は屋上のフェンスに背を預けながら、黙々と咀嚼を続け、何時金髪がこちらに気付くだろうかと傍観していた。

 するとその内、十回目くらいの溜息が空気に吸い込まれていくのを見送ったくらいで、携帯とにらめっこをしながら俯いていた彼が漸く顔をあげる。

 コロッケパンの封を開けた時に、視線が噛み合いパチン、と音が鳴った。

 「……よ」

 「!え、あっ、君この前の電車の……?」

 「奇遇だな」

 ヘッドフォンを外して、ひらひら手を振ってやると、金髪は困り顔で愛想笑いをしながらこれに返す。
 昼飯を貪りながら、近寄ろうと爪先を向けようとすれば、コイツはそれを先読みしてか、こちらに歩いてくる。

 そして、ピタリとベンチ一つ分程の距離を残して立ち止まった。

 「ほ、本当だね……。あれから体調は大丈夫だった?」

 「おかげさまで。家で寝たらマシになったよ」

 「良かったぁ、心配だったんだ」

 大袈裟に胸を撫で下ろす仕草と、安堵の声音。
 しかし金髪は、何処か地に足がついていないような、言葉だけが遠のいているような雰囲気を纏っていた。
 それの影響か、心の表皮が地味に痒くなる。
 毛綿を撫でつけられているような気分だった。

 心地よいけれど、時たま厄介なむず痒さがある。

 俺は数メートル空けられた距離を詰めて、この違和感がどこにあるのかと、まじまじ観察した。

 「どっかで見覚えあると思ったら、お前生徒会長だよな」

 「正解。まあでも、そんな大したことしてないけど……全然知らない他校の人にも名前だけ筒抜けなんだ。過大評価だーって抗議してやろうかな?なんて思ってる」

 「はは、生徒会長もこなして、人助けもして。出来た坊ちゃんなこった」

 「坊ちゃんかあ、新しいあだ名つけられちゃったな。あはは」

 当たり障りのない返答。
 初対面同士、過剰に触れ合わず探りあうことも選ばない。これは正に見えない壁だった。

 当然、金髪と俺の関係性はたった数十分、助け助けられた骨組みのみで構成されている。
 学校が同じだったという奇跡みたいな確率が外れていれば、二度と出会うことも無かったはずだ。

 けれどこうして、何の巡り合わせか再会してしまった。ものの数日で。
 想定外だったものの、俺はさして困ってはいなかった。

 けれど金髪は、どこか罰が悪そうに見える。

 「そういえば、名前言ってなかったよね。生徒会長だから割れてるっちゃ割れてるんだけどさ。一応形式だけでも。こうやって会えたのも何かの縁だろうしさ

 「俺は三年B組の綿貫(わたぬき)紡(つむぐ)。よろしくね」

 流れるように自己紹介をされ、殆ど忘れかけていた記憶がふと蘇る。
 高校一年生の入学式で、新入生代表で答辞を読んでいたソイツだ。

 「……生徒会長で優等生か」

 ぼそりと揶揄するように呟くと、綿貫は口角を片方持ち上げて苦笑する。

 「そ、それは恥ずかしいから勘弁して欲しいな。生徒会長もようやく慣れてきた頃なんだ。あ、えっと、君は?」

 そう次に促されて、名乗ろうとした時、名前を教えることに俺はやや躊躇った。
 別に知られたらまずいということでもないが、こんな素行不良も甚だしい自分に見合うような名前でもないし。今更ながら、口に出すのが億劫になったのだ。

 「針生(はりゅう)」

 端的に、簡潔に答えると綿貫は「かっこいい苗字だ」と褒めただけで、「下の名前は?」とは聞いて来なかった。

 故意か、無関心か。

 俺は内心、前者だと思っていた。

 「聞かねえんだ」

 「何を?」

 「下の名前」

 「え?あ、変だった?」

 綿貫は口元に手を当てて、分かりやすく狼狽する。
 困惑させる程の指摘をするつもりではなかったが、矢張りどことなくコイツの返答にはぎこちなくなる。

 これは、きっと心許なさだ。

 俺は首を横に振って、「別に」と言い残す。
 自分の下の名前くらい、知らなくとも会話は成り立つだろうし、詮索は野暮だ。

 「んや、気にすんな」

 食べかけのコロッケパンを口に入れたまま、携帯に目をやると、昼休みが終わるチャイムまで残り十分を切っていた。

 食いきれないな。

 俺は袋を持ち上げて、綿貫の方へと歩み寄る。

 「昼飯、食ったか」

 「いや、実はまだ食べてなくて……」

 「アレルギーは」

 「特にない……けど、え?」

 袋の中には二つ、余り物の惣菜パンが入っていて、小腹くらいは満たせるだろうと、綿貫に突き出す。
 屋上に流れ込んできた突風に吹かれて、それがガサガサと音を立てて、鼓膜を揺するものだから、俺は空いた方の手で片耳を塞いだ。

 「やる。腹いっぱいだし、日持ちしねえから」

 「いいの……?わ、カツサンドとたまごパンだ。俺たまごパン好きなんだよね。カツサンドは初めて食べるかも」

 「そりゃよかった」

 中を除きこみながら、喜びを露わにする綿貫に垣間見えたガキっぽさが、何とも言えなくて笑みが零れる。
 例えそれが、殆ど初対面の俺に対する愛想笑いだったとしても、騙されてもいいと思うくらいには、純真無垢なものだった。

 「俺は授業サボるけど、生徒会長はそうもいかねぇだろうから。持っていけよ、まだ教室でくらいなら食えんだろ」

 「昼休み早いなぁ、屋上に来てからあっという間だった」

 「……つか、ここ立ち入り禁止だぞ。入っていいのかよ」

 「いやぁ、ばっちり校則違反だなぁ。あはは……気付かれてないからセーフ?」

 話を聞くに、人目を盗んで時折屋上に来ているのだという。友人に誘われたり、委員会活動があったりで、頻繁ではないようだが、それなりにこの場所を好いているらしい。

 「生徒会長なのに不正なんて」と呟きながら苦笑する綿貫だったが、話途中で突然、あっと声をあげた。反射的に俺は耳を抑えかける。

 「っ、急にどうした」

 「いや……俺が屋上に来た時から、針生が居たってことは……聞いてた?俺の独り言」

 今更気付いたのか。

 俺はこれに素直に答えるか答えまいか、少しばかり悩んだ。
 生徒会長という立場で、人望も厚い。交友関係は広いだろうし、それ故に付き合いの善し悪しに関わらず、輪に混じっていかなければならないのだろう。

 俺みたいに、自分が居たい場所を、コイツは選べない。綿貫は、俺と違って、配慮をしている人間だろうから。

 「あー」と言葉と言葉の合間を、間の抜けた声で繋いで、誤魔化しながら考える。その末に。

 「コレしてたから、あんまし聞こえてなかったけど」

 首にかけたヘッドフォンをとんとん、と指で叩きながら、そう答えることにした。
 完全に聞いたとも、そうでないとも断言しない。一番妥当な返答だと思ったのだ。

 しかし綿貫は、顔を強ばらせながら小さく唸って、頭を抱えてしまった。

 あれ、ミスったか。伝え方。

 「ちょっとは聞こえてた……?」

 「おう」

 「はあ……迂闊だった、俺完全に一人だと思って……あぁ……」

 大きな溜め息を吐いて、俺の渡した袋を抱えたまま、ずるずるフェンスに背中を預ける綿貫の声にはまるで芯がない。

 「なんか、悪い」

 「いや、針生は悪くないよ。ちょっとトラブルがあってね、ついうっかり」

 「まぁがっつり口悪かったもんだから、鬱憤晴らしに喧嘩しに来た奴って俺も勘違いし──あ……ちが、マジで他意はねえから」

 慰めに繋げるつもりで口にした言葉が、更に追い打ちをかけたのか、綿貫は露骨に肩を落として蹲る。
 なんだか居た堪れなくなり、俺はどうしたものかと、内心焦った。
 この態度が、コイツの猫被りかどうかもあやふやで、本性で話されているのかも、漠然とした違和感の前では判断ができない。

 態とらしいようで、本音のよう。その狭間だ。

 綿貫の表情は、喜怒哀楽は、どうしてか硬い。
 それに釣られて反応する自分も、どこか螺が狂ったみたいだった。
 俺はこの感覚を、この声の不安定さを、以前の友人関係で体感したことがあるから、よく分かるのだ。

 「これ、防音になってっからさ。相当デカくねえと鮮明には聞こえねえし──」

 軌道修正をしようと試みた時、前触れなく馴染みのチャイムが鳴った。
 劣化したスピーカーは、糸を引きちぎるようなぷつ、ぷつというノイズが混じっていて、極めつけは何重にも音律にズレが生じている。

 何も防御をしていない状態で響き渡るそれは、全身を逆撫でながら、縦断する轟音だった。

 「ッ……!!?や、べ、付け忘れ、て」

 押し寄せる焦燥感と音に圧倒されて、身体が強ばり、思うような判断ができない。

 まずい。
 助けてくれた奴の前で、またヘマするなんて、最悪だ。

 けれど、その時綿貫の腕がこちらに伸びてきて、アイツの制服が視界を覆った。
 同時に、二回目のチャイムが遠巻きに、くぐもって聞こえるようになる。

 「大丈夫? 」

 「……おぉ……」

 「ごめん。俺の話に付き合ってくれてたから、それ着けてなかったんだよね。十分って教えてくれてたのに、ちゃんと時間見てればよかったな」

 あまりの躊躇の無さ。電車の時と同じだ。

 呆気にとられる俺に相対して、綿貫は申し訳なさそうに眦を下げて、目を伏せる。
 責めるつもりなど、一つもないのに。
 お前のせいで、と言われる事が頭に浮かんでいたのだろうか。

 「いや、なんでそこ謝んだよ。俺は二回もお前に世話焼かれてんだぞ。こっちが頭下げんのが筋だろ。……貸しを一返したと思ったら、もう一つ増えちまった」

 「え、ごめん……?」

 「謝んのはもういーっての。……あんがとな。ほら、もう教室戻れ。遅刻するぞ」

 「う、うん!ごめん、有難う、針生!!」

 分かってねえな、アイツ。

 急ぎ足で忙しなく屋上を後にした綿貫は、あの時見せた顔よりも、自然な笑顔をしているような気がした。
 無機質ささえ覚えた声への、妙な突っかえも和らいでいた。

 一人残された俺は、コンクリートの床に寝そべり、眼で空を泳いだ。
 ヘッドフォンを咄嗟に耳にかけてきた綿貫が、影送りのように映る空を。