半透明のエトセトラ

 今日も今日とて、綿貫は学校一の人気者を演じきっている。

 受験期も大詰めとなった今でも、アイツ周りが落ち着くことはそうそうなかった。口を開けば生徒会長生徒会長と囃し立てられ、押し寄せられ、本人のプライベートなど合ってないような物だった。

 相反して、俺は変わらず、綿貫とは正反対の存在に位置している。廊下を通れば過去の喧嘩話を持ち出され、時限爆弾のように俺を扱った。
 しかし、綿貫との噂が良くも悪くも拡散された影響か、何故かクラスメイトとの交流が地味に増えるという事象が起きたのである。

 綿貫本人が居なくとも、彼の人間性故の効果は生じるのかと感嘆した。

 昼休みは屋上に入り浸っていた日々であったが、綿貫とおためし恋人関係として再出発をしてからは、互いの家で勉強会をしたり、なんだりする事も頻回になってきたからか、決まった過ごし方はしなくなった。

 「会長〜、頼みますよ〜!俺の心の傷を癒す為に!」

 「う〜ん。妥協し難いなぁ……」

 「そこをなんとか!同じクラスの会長にしか頼めない!美代子ちゃんの連絡先を聞いてほしい!」

 ちょうど昼時、廊下が生徒で賑わう頃。
 目の前から綿貫とその同級生数名が肩を並べながら、何やらアイツに要求をしている状況に出会した。
 互いに「あ」と視線は交差するものの、特段話に水を指すこともなく、通り過ぎようとするのだが。

 綿貫の"声"から察するに、無理難題を引き受けるしかないと半ば諦め気味の様子だった。
 外の人間となると、矢張りどうしても拒否が出来ない綿貫は、しばしば人から望まれた形の善意を、自己犠牲として使いがちである。
 だから無自覚に相手から消耗させられてしまうこともあれば、意図的に利用されてしまうことも多々あるわけで。
 それに対して、咎めることをしないからこそ、綿貫の評判は永遠に落ちない。

 そう、アイツが自分の仮面を保つ為の手段として、他者を"受け入れる"選択していることを頭では理解していても。

 俺はぴたりと歩みを進める足を止め、真横を通過していく綿貫達の方へ爪先を向け、つかつかと近付く。

 「お願い会長〜!」

 「ん〜……ッと、え、うわ!?針生──君?」

 困り顔ではぐらかそうとした綿貫の腕をぐい、と後方に引っ張ってやると、予想だにしなかったのか驚きの声が上がった。
 同時に、体制を崩した綿貫の先で、元凶である俺を見るなり「うげっ」と、驚きと怯えと嫌悪とが入り交じった判別のしにくい、喉の奥で引き攣ったような呻きが耳に届く。

 俺は態とらしくアイツの腕に自身の腕を絡めて、お仲間で顔を見合わせる同級生らに投げかけた。

 「何の話してんの」

 「っえ?いやオマエに関係ないだろ別に……」

 「美代子って、三年B組の寺脇美代子?」

 突然の乱入者に困惑するヤツらに目もくれず、俺がさっさと話を進めて踏み込んでやれば、露骨に肩は揺れ、瞬きも分かり易く増えた。

 綿貫はこの現状を見たまま唖然としていて、口を挟むこともせず、俺を見下ろす。
 何を言い出すのだろうという、不安を混合した瞳の奥の不協和を、宥めるようにアイツの片腕を挟む力を強くした。

 「あの子、中学から付き合ってる彼氏がいるって噂あるよ。可能性を掴みたいなら、当たって砕けろの精神で聞きゃいいだろ。会長サマが忙しいのは、お前達の方が不良の俺よりもよく知ってんじゃねーの」

 一時校内に広まった俺と綿貫の噂によって、俺も何かとコイツの恋愛関係で介入させられそうにった機会はあった。ラブレターの件なんて、あの関係を絶って以降も、時折頼まれたくらい。
 だからか、自然と綿貫に好意を寄せている人物の恋愛事情だとかそういった類は、不本意にもある程度頭に入ってしまっていたのだ。

 俺が諭してやると、綿貫に無理を押し付けていた同級生は頭を抱えてショックを受けていたが、会話に横入りしてきた不良に、現実を突きつけられて苛立ちも湧いてきたのか、険しい顔をした。

 「〜〜ッ!不良に口を挟まれる筋合いなんかねぇっての!!」

 男はこちらに接近してくるのを察知した俺は、綿貫から離れて、一、二歩後退るが、何を思ったかその男は俺のヘッドフォンへ手を伸ばしたのである。途中、綿貫が男を呼び止めていたが、僅かにその手が早く。それから片方のハウジングごと持ち上げて、苛立ち混じりの愚痴を零した。

 前段階で、頬を殴って牽制することは幾らでもできたのだが、俺がここで手を出せば面倒事になりかねないと敢えて受身を取ったわけだが。
 まぁ、俺と男のタイマンで済む話なら問題という問題でもないのだけれど。

 「っ、う"……?!ッこン、の馬鹿野郎……デケェ声、出しやがって……」

 俺がズレたヘッドフォンを抑えながら、びりびりと頭に響く感覚を逃していると、隣の影がすっと前に進み出るのが見えた。

 それは無論綿貫である。

 「健人」

 綿貫は地を這う獣のような唸り声と同じ低さで、同級生の名前を呼ぶ。
 二人のやり取りを見守る他の連中は、自分が呼ばれているわけでもなかろうに、苦い顔をして距離をとった。
 健人と名指しされた男は、綿貫の落ち着き払った声に圧されて、僅かぶるりと身を震わせる。

 音もなく刀を鞘から引き抜いて、夜道に背後からその鋒を首に突き立てられるような、静かな恐ろしさだった。

 「おいたがすぎるよ」

 綿貫の冷ややかな視線と、一切の抑揚なく放たれる言葉に、同級生ははっとして弁明し頭を下げる。

 「あ……っじ、冗談ですよ〜!!すみません!!今失恋中でつい……」

 「針生君は大丈夫?ごめんね」

 「いや別に。突っかかられるの慣れてっから」

 綿貫はズレたヘッドフォンを俺にかけ直してから、気遣わしげに見つめてくる。
 同級生の前だから、廊下だから、学校だから理性的に対応しているのであって、今こうして同級生を穏やかに咎めている綿貫は、ハリボテだ。

 俺を心配する声には刺があるし、同級生を優しく叱る時も、それを隠せていない。
 やはり、アイツは分かりやすい。

 「そんじゃ悪ィけど、コイツちょっと借りてく」

 俺は綿貫の手を取って、傍から見れば乱暴そうに、けれども実際は十の力も入れないで、ぐいと引っ張る。
 コイツは抵抗することもなく、俺の方に意識を向けて、引っ張られているように見せかけながら、後ろに着いていた。

 綿貫を同級生と別れさせ、人目を盗んで屋上まで移動した。すると途端にバッと両手で肩を掴まれ謝罪を並べられる。

 「耳、大丈夫?ごめん、本当に……俺が止めるの遅くなったから」

 「気にしてねぇって。それよか、お前よくアイツにたかられんな。舐められてんじゃねーの」

 「あはは……それはそうかも。最近目に余るものがあって困ってはいるんだけどね。針生が間に入ってくれて助かったよ。まさか腕を組まれるとは、思ってなかったな」

 腕を擦る綿貫は、満更でもなさそうに苦笑した。

 「は、嬉しそ」

 「バレたか」

 恋人になってみる、という進展は、それこそ恋愛欲を満たす事を目的とした関係──セフレじみたもなのかもしれない。
 互いを欲した時に欲しいだけ。
 好きなタイミングで呼び出して、求め合う点は何ら変わりない。

 しかし。

 俺達は、何も恋人になったわけではない。
 まどろっこしい日本語だが、なってみる(・・)というだけ。

 つまり、"お試しの恋人関係"という段階にいる。綿貫からしたら恋人になる事は確定事項とでも言うような脳みそになっているかもしれないが。
 片や俺は、アイツを好きだと言える要素を模索中だ。
 加えて綿貫には、「お前のことが好きだ」と言わせるミッションまである状態とさえいえる。

 このお試しという曖昧な関係が、今の所実に阿呆っぽくて、退屈しない。
 俺と綿貫が新たに紡ごうとしているものは、恋人と友人の間にあると言っていい。

 それが不思議と、心地よいのだ。

 「ねぇ針生」

 「ん?」

 「密かにお願いしたいことがあったんだけど、いい?」

 「なに」

 冬の木枯らしが暖かさを取り戻すほどの、柔い微笑をたたえた綿貫が言う。

 「ピアノに覚えがあるって言ってたよね。今度、弾いて見せてほしくて。学校の音楽室でさ。針生の音を、聞いてみたい」

 「まーた突拍子もねぇことを。脈絡ってもん考えろよな」

 「だって、俺は針生みたいに耳が良いわけじゃないから、声とかだけじゃ分からないことの方が多くて。でも、音楽ならきっと少しは感情を拾ってくれるような気がするんだ」

 「…………わぁッたよ」

 「やった!!!」

 綿貫は嬉しげに、犬のように尻尾を振った。
 何故そんな風に喜ばれるのかは、分からないけれど。


 ***


 俺達はいつだって、何かと何かの狭間で息をしていて、曇りガラスのような窓を介した小さな箱庭の中で密かに生きている。

 窓の外へ身を乗り出した先の、眼下に広がる景色に色があったならば、その色に染まろうとするだろう。
 もし色のない世界であったならば、限りなく透明に、或いは限りなく不透明に近い自我を生み、繕っていくだろう。
 透明と不透明の交差点で、淡く脆い曖昧でいて繊細な心を壊しては造るを繰り返して、世界の小さな歯車に成る。

 俺たちはそんな半透明の心を、誰に拾われるでもない、その他の存在。

 そしてまたあの曇りガラス一枚を隔てた向こう側の箱庭に舞い戻った時、互いを繋ぐ一つの、微かに見ゆる糸が、一本一本と挿し込まれ、紡がれて、その繋がりを強くするのなら。

 それを、例えガラス細工のような繊細な造りの仮面をつけたままの綿貫が引いていたとしても。

 またもう一度、あの。透明のその先をも越えた、澄んだ世界を見られるのではないかと思うのだ。

 そうすれば、今度こそ芸術家や音楽家が人々の心を動かす為に生み出してきた数多の物や、世界のことを、美しいと呼べるのではないかと。

 否。そうじゃない。それだけじゃない。

 コイツの横でなら、コイツの紡ぐ声でなら。

 俺達が生きる半透明な世界も、美しいと呼べる日が来るのかもしれない。


 そう思いながら、俺は何年ぶりに押さえた鍵盤から鳴る音色の響く音楽室で、これを愛おしげに聴いている綿貫を見やる。


 「………………なぁ、綿貫」

 「?」

 「悪くねえかもな、本当の恋人ってのも」