半透明のエトセトラ

 駅のホーム、満員電車、通学路、学校。

 綿貫と出会す機会は幾らでもあった。
 俺達の関係がたった一日、あの一言でゼロに帰したからと言って、当然互いの存在に対する認識までもが消失したわけではない。

 廊下を歩けば、生徒や教師が口々にアイツの名前を口にしている所に鉢合わせて、それに耳を傾けてしまう。漠然とした義務感から屋上に行こうとする道中で、ばったり対峙することも屡々あり、思わず話しかけそうにもなる。

 会ったからと言って立ち話をしたり積極的に関わりにいくことは一切無いが、二ヶ月という短くも長い時間を、過ごした記憶はそう簡単に忘れられなかった。

 加えて、綿貫と俺が秘密裏に関わらなくなったとはいえ、一度広まった噂は色濃く残っている。
 だから、言葉で決別を告げたとしても、俺達の関係を真にゼロにするものは無かった。

 そしてそれを一番、無としなかったのは、俺でもあった。

 俺は授業にも時折顔を出しながら、屋上に入り浸り続けているし、綿貫に言った通り隣を空けたままでいる。何時心変わりをして、アイツが泣きながら戻ってきても良いように、例え来なくともあの場所に居座っていた。

 そうこうしている内に、綿貫と交わした期限の三ヶ月もとうに過去の話へと移ろい、再び帰ってきた何事もない日常が、身体に馴染み始めていた。

 金木犀の甘い華やかな香りが、開け放たれた教室の窓から舞い込んでくる霜月の半ば。

 文化祭シーズンを終え、大学受験で緊張をはらんだ空気が本格的に流れ始める。
 皆が全霊投球で挑む中、その姿を遠目から俺は傍観していた。
 自分は内申も悪いだろうし、成績も褒められたものではないから、進学なんて無理だと諦め半分だったのだ。

 それでも、考えなければならない事は一度に増えた気がして、精神を削られながら日々を貪る。
 アイツはきっと、良い大学に行くのだろうな。と謎の僻み地味た感想を抱きながら。

 変わらず昼休みは屋上で過ごしたが、安定に綿貫は現れることはなく。友人と肩を組んで歩いている様は、廊下で何度も見かけたものだし、購買だって行っている所も見た。
 無意識にその姿を目で追いかけて、アイツはカツサンドを買うのだろうか、なんて感想を抱く。
 まるで恋人を喪った片割れみたいな感情が、ぐるぐると胸に渦巻いて、段々と嫌気がさしてきた。

 「綿貫〜、今日何食べる?」

 「カツ……いや、たまごサンドにしようかな」

 一瞬、カツサンドへと伸ばされた綿貫の指先が、躊躇うように引っ込められる。

 「カツサンドこの後争奪戦になるぜ?いいの?好きって言ってたじゃんか」

 「うん。今日はこっちの気分だからさ」

 喧騒に飲み込まれていく綿貫達の声と流れるようなアイツの嘘。
 俺の事が過ぎるから、避けたのかもしれないと思うとチクリと胸が痛んだような気がした。

 なんでこんな事ばかりに、頭が回るのだろ。

 俺は対抗するように敢えて、全く気分ではない惣菜パンを買い、屋上の隅で一人それを食す。
 話し相手もいないものだから、ヘッドフォンを装着していたのだが、それが余計に孤独感を助長させていた。
 密やかに生活していた日々に、例え体は馴染んでも、心は当てはまらない。それが居心地が悪くて仕方がないのだ。

 しかし一番の居心地の悪さは、綿貫が俺と同じ気持ちを感じているところの想像がつかないことにあった。
 表の、誰からも好かれる人格を上手い具合に使い分けていたように、この不快感を柔軟に避ける術は綿貫ならば持っていそうで。

 考えれば考える度、綿貫と何かの背比べをしている自分に、呆れた笑いがこぼれる。
 俺は、何時からアイツを知った気になっているのだろう、と。

 もしや、それが伝わってしまったから、関係を解消しようだなんて、唐突に言い出したのかもしれない。そんな取り留めもないことに時間を割いた後は茫然と時間を浪費する。

 綿貫がどう思おうと、俺にとっては関係の無い話で、アイツの生き方に茶茶を入れようだなんて、微塵も思わないのだが。
 それでもどこかアイツが今、この瞬間も、自分でない自分を演じて、誰かに都合の良い人間に成っているのだとしたら。そう考え出すと、心には靄が立ち込めて、なかなか晴れない。

 今後、ボロボロ涙を流したり、喧しいくらいに外からの評価に過敏な自分に落ち込んだり、愚痴を吐いたりすることを許してくれる人間が現れるまで、アイツは。

 「あ〜……気分悪ぃ……」

 糸が絡まって、ぐしゃぐしゃになった毛玉のような心が重くのしかかり、ずるずるとフェンスを背に蹲(うずくま)った。
 俯いた時、肩に突っかかるヘッドフォンが煩わしくなって、外してみれば、凡ゆる情報が流れ込んでくる。

 遠くを走る電車の音や閉め切られた扉の向こう側で響いている校内放送、吹きすぎる風のざわめきなんかは、当然鼓膜に障った。
 綿貫と話している時は、不思議と気にもならなかったのに。

 アイツの声は、耳が痛くない。すっと、入り込んで、染み渡ってくれる。
 その感覚を思い起こしては、もうそれを実感することはない虚しさを抱えて、溜息を吐いた。

 そうして随分長く感じられた昼休みを終えれば、乗り気にもならない教室へと足を向ける。
 未だに一部のクラスメイトには警戒されているし、教師も俺が席に大人しく着席しているのを見る度に一驚した。
 授業をきちんと聞いているか、怠けていないか確認するために、わざわざご丁寧に名指しで質問に答えさせたり、意見を求めたり。

 俺はもううんざりだった。

 間の休み時間になると、自席から少し離れた場所で一塊になっていた女子達が、珍しく話しかけにきたが、それもまた憂鬱に他ならない。

 「は、針生君」

 「……なに」

 「最近、教室に来るようになったよね。ちょっとびっくりした。ね?」

 わざとらしい前置きに、うんうんと首を縦に振って同意する数名の女子は、俺の席を囲んで会話をしている。
 否、これを会話とは言わないが。

 俺の日常的な発言を聞くことが目的ではない。
 これは詮索している事を、悟られぬようにと、やけに明るく振舞っている時の声音だ。
 俺からすれば、この光景はさながら尋問部屋の如き空気感がしていた。

 「あのさ、聞きたいことがあって。綿貫君と仲良いんでしょ?これ渡しといて欲しいんだけど」

 「は?」

 そう言われてから、ずい、と机上に置かれた一通の手紙。
 俺は理解が出来ず、彼女を見上げ疑問符を連ねる。
 散々不良と言って怖がっていたはずの女子達から、今は全くと言っていいほどそのきらいが感じられない。

 なにを突然馴れ馴れしく近寄ってきたのかと思えば、綿貫と接点を持ちたいがためか。
 これも、俺と綿貫との噂が尾を引いているせいだろう。

 「仲がいい?ンな話どっから流れてんだよ」

 「い、一緒に下校してたとか、そういう話聞いたから」

 「誰から」

 「別に誰からとかは、ないけど。でも綿貫君ならきっとどんな子にも優しいから……」

 最後に付け足された言葉に、妙な不快さを覚える。
 女子はたじろいで、「そんなことよりも」と俺の方へ手紙を押し付けて、受け取る事をを催促した。
 仲がいいだなんて、そんな情報は一体どこから付いて回りだしたのかに、気を向けていた俺は、一切合切応答せず、無視を極める。

 才色兼備の綿貫が正反対の存在と交流があるという、アイツのイメージダウンに繋がりかねない話を、進んで流す人間が居るとは思い難い。
 かといって、全校生徒が綿貫の事を好いているという確証は何処にも無いのだが。

 それとも、慈悲の心で俺のような省かれ者にも優しく対等に接する会長様を、神輿に担ぎ上げたいのだろうか。

 どちらにせよ、飛んだとばっちりである。

 「渡すだけ!ほんっとーにそれだけだから!」

 執拗に絡まれ続けて、諦め半分だった俺は、溜息を吐きつつ、頼みを引き受けることにした。
 思えば綿貫に配慮するような関係性を築くつもりはなかったし、その縁が切れた今なら、自分がアイツにどう接そうと考える必要も無い。

 「………これっきりにしろよ」

 「マジありがとう!!針生君!!」

 いいように使われた事は、自分が一番分かっているけれど。
 心の片隅で、あの屋上でのやりきれない様な別れ方を、不服に思っている自分を納得させるための好機だと捉える節があった。
 何より、綿貫本人がそれを自覚する必要があると思えてならない。

 あの今にもつっかえそうな、小刻みに揺れる見切り発車の台詞が何を意味しているか、生目で感じさせてやれば。
 人から頼まれた物を渡して、それじゃあと背を向けて立ち去るくらいの距離感だと、綿貫にも自分にも見せてやれば。

 そう思って、俺は名前も知らぬ女子の手紙を机の中に突っ込んだのである。


 ***


 放課後。

 SHRが切り上げられた後、俺はクラスメイトがバタバタと一斉に動き出す教室の中で、席を立たずに暇つぶしの本を読んでいた。
 最中に、手紙を渡してきた女子からの念押しを、適当にあしらって、頭に入ってくる気配のない文字の羅列を目で追う。

 自分のクラスだけではなく、他の学年もぞくぞくと出ていくものだから、廊下は当然騒がしいし、全く集中できない。
 俺は開始数ページで読書を辞め、机に突っ伏したまま、沸き返る音が静まるのをひたすらに待った。

 ほんの少しだけ開けられた窓の隙間から、秋風が肌にさらさらとあたり、その心地良さに微睡む。
 通り雨のような雑踏が、次第にぽつぽつと疎らになり、無へと帰すまでは然程時間を要さなかったけれど、俺は中途半端な睡魔に襲われて、なかなか動き出せずにいた。

 カーテン越しに射し込む夕映えの赤や橙が、瞼の裏でちかちか爆ぜる。
 その眩しさに机と同化しかけていた体をゆったりと起こし、辺りを見渡せば、教室の中にも廊下にも人の気配は完全に消え去っていた。

 その景色を見て、ふと、綿貫は既に帰ってしまったのではないかと頭が回る。
 しかし、大して焦る気持ちもなく、覚束無い手つきで手紙を取り出してから、俺はのろのろ昇降口へと向かった。

 「……帰っちまったんじゃねぇかな。しくった」

 案の定下に降りてみても、人の気配は限られたものしかなく、渡せる可能性が更に望み薄であることを悟る。
 面倒事が明日に繰り越されてしまった状況に、深い溜息を吐いても、その受け皿はどこにもない。

 せめてもの気持ちで、虱潰しに綿貫がまだ校舎内に居る状況をシミュレートしてはみたものの、今日は委員会も部活もない日だ、用はあっても長居するとは考えにくい。

 綿貫のクラスも覗いてみたけれど、居残っている人間は愚か教室の鍵は施錠されていて、俺は潔く明日に渡すことを決意した。

 日が傾いて、昇降口が空と同じ茜色に染まる頃になる時、自分も帰ろうと靴紐を結んでいると、背後の階段を降りるたった一つの足音が鳴り響いた。

 反射的に振り向いて、音の正体が現れるのを待てば、見慣れた金髪がふわりと視界に入ってくる。一目見た瞬間、俺は無意識にヘッドフォンを外していた。

 「……綿貫」

 「針生……?」

 互いに名前を呼んで、僅かの時間見つめ合った。
 次に綿貫はぎこちない表情をして、決まりが悪そうに顔を背けると、それ以降視線が交わることは無くなってしまった。

 釈然としない態度を取りながら、意外にも話を切り出したのは、アイツだったけれど。

 「どうしたの、もう下校時刻は過ぎてるのに」

 綿貫は俺に尋ねながら、立ち止まることなく自身の靴箱へと移動する。
 一方で、紐を結び終えて腰を上げた俺は、足元に目線を落としたまま、女子生徒からの手紙を渡そうとした。

 けれどもいまいち、その手を綿貫の方へ伸ばせない。

 「お前こそ、委員会もねぇのに遅いのな」

 「文化祭関係でまだまだやる事が残ってて」

 そうか、と一つの選択肢しか与えられていない相槌を打つ。
 余計な話を挟まずに、手紙を渡してしまえば良かった。どうしてまどろっこしい方法を取ろうとしたのか、自分でも分からない。

 綿貫との会話が恐ろしく続かないのは、意図的にアイツが調整しているからかのようにも思えて、押され気味になる自分を急かす。
 ここでまた変な噂を助長させるような事を起こしてはいけないのだし、もだもだしている暇もない。

 俺は別れの挨拶を言いかけた綿貫を、弾かれるように呼び止めた。

 「っなあ」

 「?どうかしたかな」

 誰にでも愛想の良い笑みをたたえながら、振り向いたその拍子に、後ろ手に持っていた手紙を、アイツの胸に押し付ける。
 綿貫は小さく声を上げて困惑し、それを受け取ることを躊躇った。

 渡した薄桃色の上品な封筒は、中身を見ずとも何が書かれているかは察しがつく代物で、それが分からない綿貫でもなく。
 恋愛に興味のない俺にだって、頼まれた理由くらい分かる。それほど露骨な物といえた。

 けれど綿貫が戸惑いを顕にしたのは、このラブレターを貰うことより、俺から手渡された事実の方に驚かされたからだろう。

 「うちのクラスの女子がお前に渡せってさ。人気者は大変だな」

 「なんで針生が」

 当然の疑問だ。
 平生避けられる人間が、途端に他人から頼まれ事をするようになっただなんて、あまりに突飛すぎる。
 俺は、特に包み隠すことなく

 「お前と仲が良いからって。そういう噂が流れてるから」

 と応じた。
 ただ事実を告げているだけだが、どこか虚しくなる。

 「そんな噂──!」

 「都合が悪ぃか?ま、だよな。俺みたいなのとセットにされて流れてる噂なんて、ろくでもねーのばっかだし」

 その噂が、俺達の間で築かれてきたものをゼロにしない、繋ぎ止める糸のような物だと気付いていて、これを否定しなければならなかったから。

 それだけではない。

 今の自分達の関係は、他人が拡散した噂上の、
 都合の良い解釈で成り立っていて、それは如何様にでも書き換えられる可変的な物だと自覚させられた気にすらなった。

 誰かが抱いた理想像に本当の自分を見失いかけながら、それを打ち明けられる居場所を探していた綿貫の事など露知らず。
 外野は表面上で綺麗に笑っているアイツのことを、手を叩いて賞賛するだけである。

 俺はそんな野次馬を跳ね除けられる、綿貫にとってのシェルターだった。向こう側からは見えていない、マジックミラー越しの限られた空間でだけは、俺達はありのままで居られる。

 勿論、綿貫は最初からそう見なしていただろうし、それなりに感情的になって、この関係性を求めていたと思う。
 ただ、提示した俺自身が抱いていたのはもっと単調で、それこそ謝礼のつもりだった。
 自分も素の状態でいることを、許されているような気になるだなんて微塵も思っていなかった。

 だから、心のセフレだなんて例え方をしていた。

 その温度のない呼び方が、俺達の関係に色を付けずに済んだし、この世界に馴染みきった透明なものとして、位置づけられると信じていたのだ。

 信じて、いたはずなんだ。

 「……ろくでもないって」

 「お前の評判を落とすもんばっかりって意味だよ」

 俺はヘッドフォンを掛けなおして、外へ爪先を向けた。

 「俺の評判が落ちる事を気にかける必要があるの」

 「大アリだろ。俺が関わってお前の風評に影響が出たら、学校から追放されるのは誰だと思ってんだ」

 綿貫は顔を顰めて、反論したげに唇を食んでいる。
 けれど、アイツが否定してこないのは、それが容易に想像出来てしまう現実だからだ。
 追放だなんて、大袈裟だろうと言いたかったのだろうが、自分の存在がこの学校において如何に影響力のあるものかを自覚しているからこそ、俺の意見を真っ向から違うと言えないのである。

 俺は綿貫の手渡したラブレターに視線を向けて、小さく笑う。
 関わりさえ利用されるような間柄にまで一気に落ちたのだと思うと、遣る瀬無くなった。
 そうなっても、後腐れのないさっぱりとした別れ方をするつもりで、俺にはちっとも未練なんてものは感じないくらいに思っていたのに。

 「……じゃあな。今度は下手にキスされねえように気ィつけろよ。もう泣きつかれてやれねえから」

 佇む綿貫を追い越して、後ろ手にひらひらと手を振り、何も気にしていないフリをした。
 俺達の間には何もないと、シェルターの外の人間の言う通りに。まるで、昔の自分に舞い戻ったような気がした。

 ポケットに手を突っ込みながら、校門の方へ歩みを進めていると、途端にヘッドフォンが後方から引き抜かれる。
 ビリ、と神経に電流が駆け抜けると共に、底知れぬ恐怖心が沸き上がる。噴火する直前の海底火山のように。驚きの声も上がらず、俺は瞬発的に踵を返し、ヘッドフォンの在処を探った。それは、綿貫の右手に収まっていて、解放された聴力が環境音を全て取り込み始める危機感に動揺する。
 綿貫と話す間は外していても何ともなかったけれど、この瞬間だけは心の余裕が削り取られていくような緊迫感に押し潰されそうであった。
 困惑する俺を他所に、綿貫は沈黙を貫いたまま、手中にあるヘッドフォンを見つめている。

 何を考えているんだ、コイツは。

 「ッ返せ……!何考えてんだ!」