半透明のエトセトラ

 ありのままの自分を受け入れてくれているのならば、「好きになって」というお願いにも応えられるだろう、と。

 綿貫はそんな意地の悪い、皮肉チックな言葉を俺に向けて吐いた。あの約束は、一種の契約なのだから、断るのは無理だろうとでも言いたげな目付きが、何とも癪に障る。

 俺は何でも屋じゃねぇからな。
 たった三ヶ月、お前のメンタルを調整する立派な役割を担っているだけ。既にこうして話を献身的に聞くという仕事をした。
 少女漫画みたいな恋がお望みなら他を当たれっての。

 心の中で大きめの愚痴を吐いてから、俺は綿貫の余裕そうな笑みに負けじと応戦して

 「泣き虫はお断り」

 とバッサリ断った。

 遠慮なく泣き虫と言ったのが、ショックだったのか、またしても綿貫はぐすぐす泣いた。
 「そんなストレートに言わなくてもいいじゃん」と言いながらに。

 最近は何かと、こうしてキスで会話を展開させようしてくるから始末が悪い。
 それが癖付いているなら矯正した方が身の為ではなかろうか、とぼんやり懸念した。

 心の請負人(セフレ)となってから、一ヶ月半が経過して尚、綿貫が俺に見せる本当のアイツ自身というものは掴めそうにない。
 ただ、矢張り屋上での綿貫は比較的自由奔放に感情表現をしていると思う。

 何せ、声の起伏が段違いだ。振れ幅も大きいし、俺を助けた時みたいな、完璧な調律はなかなか聞けなくなった。
 腹が立っていればそれなりにむしゃくしゃして、八つ当たりのように吐き出すこともある。硬い地面をべしべし叩くみたいな。

 それに加えて。

 日を追う毎に、とてつもない泣き虫である事が明白になっていた。
 綿貫は人前では完璧主義を貫いている。
 それをそこはかとなく匂わせているせいで、自分で自分の首を限界まで締めているのだ。

 ついでに泣き虫で、キス魔だ。なんだアイツは。
 訳が分からない。

 俺は出会った当初よりも、綿貫の不鮮明さが増しているような気がした。


 ***


 残暑の気配は、秋風と茜と共にからからと移ろい姿を消す。湿気がすっかり消え去った心地の良い空気感に浸りながら、俺は一人下校していた。

 車通りの多い道路に架かる歩道橋を渡って、商店街へ入り、綿貫の気に入りのベーカリーを過ぎた頃。

 数十メートル先に、ガラの悪い男達数人が通りを塞ぐように屯しているのを視界に捉える。
 改造された学ランを着崩し、タバコを口に加えながら、大声で口汚く談笑しているのが、神経を逆撫でするようだった。
 よくよく見やれば、その制服が隣の高校のものであることに気が付き、ああ、と一人合点がいく。

 隣校は元々治安が悪いことで有名だった。常に警察沙汰ばかり起こして、教職員も手が付けられない無法地帯だと騒がれる始末である。
 最近漸く汚名返上に至る所まで来たと、公言されていたものの、実情はヤンキー集団はさして減少せず、寧ろ水面下で反発的に数を増やすようになったらしい。

 まだ自分が不良らしい不良をしている時、何度かヤッカミをかけられて喧嘩になったこともある。
 もう二年も前の話だけれど、顔を覚えられていては面倒だ。

 俺はただの通行人として、彼らの横を過ぎ去ろうとした──

 が。

 「オイお前、八篠高校のモンだろ」

 人生、そう上手くいかないように出来ている。

 フードを被る学生に呼び止められ、振り向いてみれば、グループの数人がこちらを見て目を見開いた後、確信めいたようににやりと口角を上げた。

 それに応じて俺もまた、見覚えのある顔触れだなと、記憶を引っ張り出す気力もない中で、無関心そうにソイツらを眺める。

 どうにも、他人のフリをしてやり過ごすわけにもいかなそうだ。

 「……そうだけど」

 「よく見たらァ、お前あざみとかいう奴じゃなかったっけか?久々じゃん、二年ぶり?」

 「俺はお前らと接点もった覚えねぇから、道開けてくんね」

 「そうもいかないんだわ。ちょっとツラ貸せよ」

 嘘も効果なし、か。

 名前を覚えられているとは想定外だった。
 無理に断っても、この商店街で殴り合いになるだけだろう。そう踏んだ俺は、黙って従ってやることを選んだのである。

 俺を「あざみ」だと初めに指摘した奇抜な髪色の学生は、背後から早く行けと言わんばかりに、足を蹴ったり手で背中を押したりしながら揶揄うように笑った。半ば鳥籠状態で一本の路地裏に連れ込まれた俺には、全く逃げ場が無い。
 相手は五人、その内の一人は時代錯誤もいい所の、鉄パイプを肩に担いでいる。

 こちらの圧倒的に不利な状況を、ヤツらは嘲笑した。

 「感動の再会ってやつ?」

 奇抜な髪の男が言う。
 俺は肩を竦めて、知らぬ存ぜぬを貫いた。

 「再会も何もお前のこと知らねぇから」

 それが地雷だったのか、堪忍袋の緒だったのか、男は逆上して俺の胸倉を掴みあげて、感情任せに怒鳴った。

 「とぼけんなよ。散々舐め腐りやがってたクセに」

 「いちいち昔の事なんて鮮明に覚えてねえだけだっての」

 「俺をボコったこと、忘れたとは言わせねぇ」

 「忘れた」

 歯を食いしばる音がしたと同時に、布地を掴んでいた拳に一層力が込められ、気道を押される圧迫感がする。
 喧嘩が起きそうな一触即発の空気感は、何本もの小さな針が皮膚を刺しているような不快感があって嫌いだ。

 「ッあんま調子に乗んな!!」

 「乗ってねえ。素直に答えただけだろ」

 俺は淡々とそう返し、相手の興味を削ぐような態度をとる。
 それでも虫の居所が悪いのか、俺への私怨が勝るのか、なかなか解放してはくれない。

 「ハッ、一年で随分な変わりようだな?暇さえありゃ他校の連中ボコってたくせに、よく言うぜ」

 感情的になる奇抜髪の後ろから、くつくつ笑うガタイのいい男が、手の骨を不気味に鳴らしながら歩み寄ってくる。
 その男にも見覚えがあったが、以前よりも体格差が歴然で、平静さが続いていた脳内に、緊張が迸(ほとばし)った。

 今コイツに殴られたら、きっと軽傷じゃすまない。歯が一、二本欠けるか、最悪折れる。

 「今は無関係。だからお前達と喧嘩する気もねぇよ」

 「残念ながら、俺らはそうもいかねェんだわ。コッチにとっちゃリベンジマッチの機会だからな」

 「張合いがねぇ分、退屈だと思うけど」

 「やってみなきゃ分かんねぇだろ?なァオマエら」

 俺よりも二回りほど背丈も身幅もある男は、仲間を煽りながら、こちらを見下げて悦に浸った笑みを浮かべる。
 自分達に勝機があると確信している、そんな表情と声音だ。

 ヤツには既に、俺を蹴り倒して岩のようなその拳を何度も振り翳し屈服させる未来が視えている。
 しかし、今の俺にその未来を覆せる勝算はない。
 暴力が跋扈する世界から身を引いた俺は、一秒ごとに増していく切迫感から、焦りを感じていた。

 「あ?オイオイまさか、焦ってるわけじゃァねぇだろうな!?ギャハハハッ!!」

 焦るに決まっている。

 そもに、喧嘩自体好き好んでやっていたわけではない。防音具無しでは、生活に大きく支障をきたす体なのだから、リスキーな事に首を突っ込むだなんてどうかしている。
 ヘッドフォンを奪われたら、喧嘩どころではなくなるというのに。

 それでも、俺が無鉄砲に危険を冒していたのは、自分の体への嫌悪感を別の刺激で拭い去りたかったからだった。
 あの時は、同じ土俵に立ち、同じ痛みを味わっている感覚が安心感に繋がっていたせいで、きっと麻痺していたのだ。

 俺はどうにか退路を見つけなければと、思考を巡らせる。
 その内に、胸倉から手を離されたかと思えば、胸を強く押されて、後方へ身体がよろめく。

 集団のボスであろう男は問答無用にズカズカと接近し、俺を路地の奥の方へと追いやった。商店街から届く明かりが次第に小さくなっていき、背中に冷や汗が伝う。

 「……一人に寄って集って、お前らプライドとかねぇの」

 「はァ?」

 「"俺に恨みはあるが、タイマン張るのだけは避けたい"。態々お仲間引き連れて群がるっつーのはそういう事だろ」

 脳を絞り、突破口が見つかるまで、敢えて集団を扇動する文句を吐く。もって数分の時間稼ぎをしながら、相手の隙を探した。

 案の定、俺に私怨を持つ男達は分かりやすく青筋を立てて殺気立っている。
 せめて一番戦力が高そうな眼前の男の虚を突ければ──。

 そう苦慮していた時、俺が動くより先に、鳩尾に鈍痛が走る。

 「う"ぐッ!?」

 反射的に生じた嘔吐感を堪えて、その場で膝を折り、腹を抑えて蹲る。痛みで歪む視界の中で、自身のワイシャツにくっきりと靴跡が付いていることを確認して、蹴られたのだと理解した。

 「タイマンに決まってんだろ?しっかり、五人分」

 「ッお構い、な、し、かよ……」

 男は、あたかも理路整然としているかのように振舞って、俺を窘める。後方に控えている連中も、血気盛んになって、肩を回しだしたり、骨を鳴らし始めたりと様々だ。

 五人を一人ずつ相手していたら、こっちの体がもたない。腹部に食らった一撃が想像以上に重く、立ち上がるにも時間がかかっているというのに。

 あまりに、分が悪すぎる。

 「じゃあまずは俺から相手してくれや、あざみ君。たかが一発食らっただけで、へばる様なタマじゃなかったよな?」

 クソ、このままじゃマジで怪我するだけじゃすまねぇ。一人目で病院送りだ。

 間髪入れずに振り翳された拳が、顔面を狙っているのが分かる。互いに制限された動きしか出来ない空間を逆手にとられた上に、ダメージまで負わされていては、最早袋叩きも同然。

 「人様の話聞く時は、まずそのふざけた物を取るところからが礼儀だろ?」

 男の眼差しは、既にヘッドフォンを捉え、破壊する勢いであった。
 悔しさと焦燥感で噛み締めた奥歯が軋んだ音を上げた、その時。

 「……針生?」

 「ッ!?」

 ピンと張った声が塞がれた耳の奥へと透る。

 まるで閃光が駆け抜けたようだった。

 聞き馴染みのある声が響いた途端、ぴたりと男の拳が空中で静止した。その場にいた全員が、声の主に一点集中して振り返り、誰一人として俺を括り付ける人間はいない。

 しめた──!

 動くなと疼く腹に対抗しながら、俺は男の急所を渾身の力を振り絞って蹴り上げる。

 「ァがッ!?!?!?」

 路地に短い悲鳴がこだまし、一同がこちらに向き直るが、反応速度には明確に差があった。

 「喧嘩の途中で余所見してんじゃねーよ、バーカ」

 がくん、と地面に雪崩込み悶絶する男を飛び越え、唖然呆然としている輩四人の間を、全速力で走り抜け、声の方へ直進した。

 後方から追いかけてくる足音や、引き止めるような罵声が聞こえたが、一切耳を貸さずに、俺は立ち尽くしているソイツ(・・・)の腕を掴む。

 「っうわ?!な、何、え?!」

 「いいから走れ!!逃げるぞ!」

 「逃げるって、せめてどういう訳か説明してから、ちょ、速いって針生!!」

 なんて、都合のいいヤツ。

 俺は綿貫の手を取りながら、漫画みたいなトントン拍子の展開に堪えきれず笑った。

 「ははっ……!ほんと、馬鹿みてぇ」

 「!……笑っ……」

 「あ?なんか言ったか」

 「い、いや別に何も。もうちょっとゆっくり走ってって!」

 「まだ追っかけて来てっから無理だわ、悪い」

 二人の学生が商店街を疾走する様は、さぞ異質だった事だろうが、周囲の目なんてものはどうでもよくて。
 危機的状況からの解放感と、神からお告げでも受けたのではないかと疑うくらいにタイミングの良い綿貫の登場に、気持ちが高揚していた。
 走る振動でヘッドフォンがずり落ちてしまったが、それにすら躊躇いは感じない。

 当の綿貫は、ずっと目が泳いでいたけれど。

 追っ手が来ない事をきっちり確認したのは、線路沿いにある公園に転がり込んでからのことだった。

 綿貫も俺も馬鹿みたいに、顔を赤くしながら肩で息をして、額から流れる汗を拭った。

 「も、む、無理……急にと、飛ばさないでよ……!しっ、かも、長いし!」

 「悪ぃ……。ひっさびさに、こんな走ったわ、俺も」

 二人してベンチに座り、つべこべ言いながら呼吸を整える。
 成り行きで繋いでいた手を、綿貫は落ち着いてからも尚、離そうとはしなかった。ずっとそのままで居るのも気まずいだろうからと、俺は自発的に手を引っこめる。

 火照った身体を冷やすように、夕暮れ時の心地よい風が吹けば、やけに耳がすうすうして、俺はヘッドフォンに手をかけた。
 けれど、綿貫と話をする時に外していた癖が抜けきらず、触れるだけに留めてしまう。

 行き場に彷徨う手を、もう一度綿貫の方へ戻そうとも考えたが、冷静になった頭がいやいや首を振った。

 「……そういや、腕。無理やり引っ張って悪かった。痛くないか」

 「全然平気だよ。どっちかって言うと、足がつりそうって感じかな」

 綿貫は苦笑しながら、冗談混じりに足を摩ってみせる。その声が、何故だかどこか気遣わしげに聞こえて、俺はただ短く相槌を打つことだけをした。

 そうして一つ間を置いた後、綿貫が切り出す。

 「針生は、大丈夫?」

 その問い掛けに、俺は顔にこそ出さないようにしたものの、内心はまごついていた。
 不良に絡まれていた件について、単刀直入に聞かれるものだとばかり思っていたが、綿貫はそうしなかったから。

 大丈夫かと言われて、大丈夫と一口に返せるとも思えず。
 俺は曖昧な、煮え切らない「まあ」という返事をした。
 すると綿貫は「お腹の事だよ」と諭して、俺を見つめ返す。

 「……腹?」

 「走ってた時、ずっと庇ってたの気になってたんだ」

 「すげぇ観察眼。ほんと、人のことよく見てんのなお前……別に痛かねぇけど」

 「嘘。痛いくせに、強がるなって」

 強がってなんかない、そう言い返そうと酸素を吸った時、騙し騙しやっていた腹部の痛みが走り、どっと脂汗が出て言葉に詰まった。
 本当は、腕を振る度に抉られるように苦しくて、何度か足の力が抜けかけていたし、今も蹲って悶えたいのを堪えている。

 気力だけで踏ん張ったものの、痛いものは痛い。

 隠す必要も無く、俺は大人しく腹を抑えて背中を丸める。それを見越していただろうに、露骨に綿貫が動揺の声を上げたものだから、またくすりと笑いが零れた。

 「他校っぽい子たちは、知り合い?」

 「……顔見知りくらいだ。前に喧嘩でボコられた腹いせ、だとさ、」

 「複数で一人を攻撃するなんて卑怯な奴ら。尚更俺が気付けてよかった……。あんな路地裏で人が倒れてても、気付かれるかどうか……」

 「お前はなんで気付いたんだ?」

 「偶然だよ、本当に」

 俺がそう尋ねると、綿貫は肩を竦めてそう言う。
 どうやら、人気のない路地から笑い声が聞こえたのを不審に思って、近寄ったらしい。
 遠目から、ヘッドフォンを付けていることに気付き、瞬時に俺だと判断したと。

 「でも明らかにヤバい空気だったから。偶然でも必然でも、助けないわけにはいかないじゃん」

 人違いだったらどうするつもりだったのか、までは追及しなかった。
 きっと綿貫なら、相手が俺でなくとも、助けたはずだ。

 駅のホームで、見ず知らずの俺に声をかけたように。

 「ふっ……お前らしい」

 「俺らしい?素の俺の事、ちょっと掴めた?」

 「いーや?全然。お前はまだまだ、泣き虫で難儀な猫被り生徒会長だ」

 「酷い呼び名だなぁ……」

 「でも嫌いじゃねぇよ。お前のそういうとこ」

 そう、別に嫌いじゃない。

 俺を助けたことが、幾つもの顔を有する"綿貫紡"の理想像を守るための行為だったとしても。
 そんな自分に嘆きながら泥臭く生きる綿貫紡もまた、俺の中で一つに集約されていくのだし。

 仮面を一つ一つ剥いで、壊してやった後で、また不鮮明なアイツを垣間見るのも、きっと悪くはないだろうし。

 俺は静かに綿貫の手の上へ、自分の手を戻す。
 ぴくりと反応した指先が、遠慮がちに絡んできて、思わず口端が上がった。

 「……こっちは素でやってんのか?」

 揶揄しながら顔を覗き込んでやれば、綿貫は「調子に乗らないで」と俺の額を膝に置いていたもう片方の手で小突く。

 そんな俺たちに、早く家に帰れというように、頭上で烏がカァカァと鳴いた。