午後九時三十分。
駅前の高級イタリアンレストランの前に、伊吹は立っていた。
黒のチェスターコートを着た伊吹は、何度もスマートフォンの画面を確認し、深く溜息を吐いた。
画面に表示された時計は、すでに約束の時間を三十分オーバーしている。
「おかしいな……」
凪は時間にルーズなタイプではない。むしろ「伊吹を待たせる!」と張り切るような奴だ。遅れるときは必ず事前に連絡してくる性格でもある。
だが、三十分前に送った『店に着いたよ』というLINEメッセージには、まだ既読すらついていない。電話をかけても、静かな呼び出し音が虚しく響くだけで一向に出ない。
(事故にでも遭ったのか……?)
胸の奥で、不吉な予感がザワザワと蠢き始めていた。
実はこの時、現場の駐車場に落ちていた凪のカバンの中では、マナーモードに設定されたスマートフォンが濡れたアスファルトに虛しくバイブレーションを伝えているだけだった。店長も警察との対応で焦り切っており、駐車場に落ちたカバンの鳴動には気づいていなかったのだ。
何度かけても出ない画面を見つめ、伊吹の胸騒ぎは強くなる一方だった。
(……もう一回、バイト先に電話してみるか)
伊吹は凪のバイト先である『フェリーチェ緑ヶ丘店』の電話番号をタップした。
呼び出し音が一度鳴り、ガチャンと勢いよく電話が繋がった。
『はい! フ、フェリーチェです……っ!』
電話口から聞こえてきたのは、息を荒らげた店長の焦燥しきった声だった。
「あ、すみません。私、凪の知人の伊吹と申します。凪はまだそちらにいますでしょうか? 連絡がつかなくて……」
『伊吹くん!? 伊吹くんなのか!?』
「え……? はい、そうですけど……」
『よかった……! かかってきてくれて良かった! ずっと待ってたんだよ!』
「店長さん……? 一体、何があったんですか?」
『落ち着いて聞いてくれ……! 凪ちゃんが……凪ちゃんが、いなくなったんだ!』
「……は?」
頭の中が真っ白になった。
『さっき警察に通報したところなんだ! 凪ちゃんのカバンが駐車場に落ちてて……車を残したまま、誰かに連れ去られたみたいなんだよ!』
「……な、何を言ってるんですか……?」
『今、警察が来て防犯カメラを調べてる! カメラの映像だと、黒いワゴン車が旧港湾地区の倉庫街に向かった可能性が高いって……!』
「倉庫街……!?」
血の気が引いていく。
——凪が、連れ去られた?
「……どこですか」
「え?」
「その倉庫街って、具体的にどこなんですか!!!」
伊吹は駅前の路上で、通りすがりの人が振り返るほどの怒号を上げた。
『旧港湾地区の、あの一番奥にある廃倉庫群だよ! 警察もそっちに向かってるけど、伊吹くん、危ないから——』
店長の制止を振り切り、伊吹は通話を切った。
「くそがぁっ!!!」
伊吹は自分の車を止めてある駐車場へ向かって、全速力で走った。
肺が千切れそうになるのも構わず、ただひたすらに走った。
あの屈託のない笑顔が、声が、温もりが。
今、この瞬間にも奪われようとしている。
「頼む……間に合ってくれ……っ! 凪……! 凪っ!!!」
駅前の高級イタリアンレストランの前に、伊吹は立っていた。
黒のチェスターコートを着た伊吹は、何度もスマートフォンの画面を確認し、深く溜息を吐いた。
画面に表示された時計は、すでに約束の時間を三十分オーバーしている。
「おかしいな……」
凪は時間にルーズなタイプではない。むしろ「伊吹を待たせる!」と張り切るような奴だ。遅れるときは必ず事前に連絡してくる性格でもある。
だが、三十分前に送った『店に着いたよ』というLINEメッセージには、まだ既読すらついていない。電話をかけても、静かな呼び出し音が虚しく響くだけで一向に出ない。
(事故にでも遭ったのか……?)
胸の奥で、不吉な予感がザワザワと蠢き始めていた。
実はこの時、現場の駐車場に落ちていた凪のカバンの中では、マナーモードに設定されたスマートフォンが濡れたアスファルトに虛しくバイブレーションを伝えているだけだった。店長も警察との対応で焦り切っており、駐車場に落ちたカバンの鳴動には気づいていなかったのだ。
何度かけても出ない画面を見つめ、伊吹の胸騒ぎは強くなる一方だった。
(……もう一回、バイト先に電話してみるか)
伊吹は凪のバイト先である『フェリーチェ緑ヶ丘店』の電話番号をタップした。
呼び出し音が一度鳴り、ガチャンと勢いよく電話が繋がった。
『はい! フ、フェリーチェです……っ!』
電話口から聞こえてきたのは、息を荒らげた店長の焦燥しきった声だった。
「あ、すみません。私、凪の知人の伊吹と申します。凪はまだそちらにいますでしょうか? 連絡がつかなくて……」
『伊吹くん!? 伊吹くんなのか!?』
「え……? はい、そうですけど……」
『よかった……! かかってきてくれて良かった! ずっと待ってたんだよ!』
「店長さん……? 一体、何があったんですか?」
『落ち着いて聞いてくれ……! 凪ちゃんが……凪ちゃんが、いなくなったんだ!』
「……は?」
頭の中が真っ白になった。
『さっき警察に通報したところなんだ! 凪ちゃんのカバンが駐車場に落ちてて……車を残したまま、誰かに連れ去られたみたいなんだよ!』
「……な、何を言ってるんですか……?」
『今、警察が来て防犯カメラを調べてる! カメラの映像だと、黒いワゴン車が旧港湾地区の倉庫街に向かった可能性が高いって……!』
「倉庫街……!?」
血の気が引いていく。
——凪が、連れ去られた?
「……どこですか」
「え?」
「その倉庫街って、具体的にどこなんですか!!!」
伊吹は駅前の路上で、通りすがりの人が振り返るほどの怒号を上げた。
『旧港湾地区の、あの一番奥にある廃倉庫群だよ! 警察もそっちに向かってるけど、伊吹くん、危ないから——』
店長の制止を振り切り、伊吹は通話を切った。
「くそがぁっ!!!」
伊吹は自分の車を止めてある駐車場へ向かって、全速力で走った。
肺が千切れそうになるのも構わず、ただひたすらに走った。
あの屈託のない笑顔が、声が、温もりが。
今、この瞬間にも奪われようとしている。
「頼む……間に合ってくれ……っ! 凪……! 凪っ!!!」


