冷たい夜には抱きしめて

同じ頃、港湾地区の入口に猛スピードで滑り込む車があった。伊吹だ。


「ハァ……ハァ……っ!」


車を路肩に乗り上げるように止めると、伊吹はシートベルトを千切るように外して外へ飛び出した。




「凪……! 凪っ!!」




立ち並ぶ巨大な廃倉庫の間を全速力で駆け抜ける。パトカーの赤色灯が暗闇を不気味に赤く染めていた。

現場を警戒していた警察官が「おい! 君、ここは立ち入り禁止だ!」と手を広げて制止しようとした。


だが、伊吹はその手を力任せに振り払い、警察官を突き飛ばすようにして第7倉庫の開いた扉へ飛び込んだ。



「凪っ……!!」



倉庫の中に飛び込んだ伊吹の視界に、言葉を失う光景が飛び込んできた。

手錠をかけられ、同僚の警察官たちに押さえつけられている男。そしてその奥で、大きな毛布を頭から深く被せられている小さな影。




「凪……!」






伊吹は足をもつれさせながら駆け寄った。


毛布の中からパッと顔が上がった。

そこにいたのは、間違いなく凪だった。水色のワンピースは乱れ、髪はボサボサになり、頬には泥と涙の痕がくっきりと残っていた。




だが、伊吹の姿を見た瞬間、凪はいつものようにヘラヘラと笑ってみせたのだ。


「あはは! 伊吹〜、行けなくてごめんね〜! 待たせすぎたよね! 一番見られたくない人に見られちゃったなー」


から元気な声を張り上げ、おどけてみせる凪。だが、毛布から覗くその手はガタガタと激しく震えており、瞳はどこを見ているのか分からないほど焦点を失っていた。


壊れかけた心のまま、伊吹に心配をかけまいと必死で作った痛々しい笑顔。



それを見た瞬間、伊吹の胸が張り裂けた。



「凪……っ」



思わず手が伸びる。肩に触れようとした瞬間——






パシッ!







凪は反射的に、伊吹の手を激しく振り払ってしまった。


「あ……ごめん、伊吹、ごめんね……っ! 違うの、わざとじゃなくて……っ」


一瞬で顔を蒼白にし、必死で弁解しようとする凪。男に触られる恐怖が、脳裏に焼き付いて離れないのだ。




それを見た伊吹の瞳から、ボロボロと涙がこぼれ落ちた。

拒絶されるかもしれない。怖がらせてしまうかもしれない。






それでも——伊吹は我慢できなかった。






「いいから……いいから凪、ごめんな……っ!」


伊吹は逃げようとする凪の身体を、強く、けれど決して痛くならないよう、包み込むように抱きしめた。




「ひっ……嫌……っ! やめて……っ!」


悲痛な拒絶の声が漏れ、激しい震えが伝わってくる。伊吹は何も言わず、「俺だよ、伊吹だよ。もう誰も触らせないから、大丈夫だから」と何度も頭を撫で、背中を優しくさすり続けた。




伊吹の体温と、聞き慣れた匂い。それが少しずつ、凪のパニックを溶かしていく。




「……伊吹……?」

震えが少しずつ小さくなり、凪は力なく伊吹の胸に顔を寄せた。



「……伊吹、ありがとう」




その時、連行されていく犯人たちの荒い暴言が遠くから聞こえた。


「チッ、あの女が騒ぎやがったのか! 大したことねぇくせに調子のりやがって!」

その声が耳に入った瞬間、凪の顔から一気に血の気が引いた。

「う……っ!!」

強烈な吐き気が凪を襲う。凪は毛布を振り払い、倉庫の端の下水溝へ駆け寄って激しく嘔吐した。口から吐き出されるのは胃液と、男たちの残した体液だった。




その惨状に、伊吹は言葉を失い立ち尽くした。

横にいた捜査員が、重い声で伊吹に告げた。


「……男3人に乱暴されたんだ。胸糞悪い話だが、これが現実だ」



伊吹は拳を握りしめた。爪が皮膚に食い込み、血が滲むほど強く。



許さない。絶対にあいつらを許さない。






そして——
命にかえても、この手で凪を守り抜くのだと、伊吹は心の中で血の涙を流しながら誓っていた。