道の駅の喫茶コーナーには、地元産のブルーベリージャムを添えたトーストの甘い香りが漂っていた。私の突拍子もない提案に、ケンジ君は手に持ったコーヒーカップを空中で止めたまま、目を丸くしている。
「俺が……その、ブイライバー? というやつを、一緒にやるのかい?」
「そうよ。正確には『コラボレーション』という形になるわね。私の『図書室』という設定に、あなたが加わるの。一人で喋り続けるのはそれなりに体力がいるけれど、気心の知れた誰かが隣にいてくれたら、もっと楽しくなると思うのよ」
ケンジ君は困惑したように、白髪の混じった自分の頭をかいた。
「ハナちゃん、気持ちは嬉しいけれど、俺は機械なんてさっぱりだ。スマートフォンだって、息子に言われてようやく持たされているようなもんだよ。それに、この声だ。若者たちの華やかな世界に、こんな年寄りの声が混ざっていいものか……」
「そこがいいのよ、ケンジ君」
私はテーブル越しに、身を乗り出した。
「若者たちはね、完璧なものを求めているわけじゃないの。彼らが求めているのは、自分たちの話を聴いてくれる『居場所』なのよ。あなたのその、少し低くて、落ち着いた声。人生の酸いも甘いも噛み分けてきたような語り口。それは、今のネットの世界では、何物にも代えがたい『宝物』になるわ」
私は自分のスマートフォンを取り出し、AI画像生成ツールの画面を見せた。
「見て。これが、私があなたをイメージして作ってみたアバターの候補よ」
画面の中には、使い込まれたエプロンを身に纏い、手には手入れの行き届いた剪定バサミを持った、渋い壮年の男性が立っていた。銀髪を短く刈り込み、目元には優しげな笑い皺。背景には、深い緑が茂る英国風の庭園が広がっている。
「設定は、私の図書室の裏にある『秘密の庭』を管理している庭師、ゲンさん。どう? 素敵だと思わない?」
ケンジ君は、食い入るように画面を見つめた。
「これが……俺なのか? 随分と、格好よく描いてくれたもんだな」
「AIは、私たちの心の奥にある『理想』を形にしてくれるの。鏡を見る必要はないわ。この姿が、明日からのあなたの『顔』になるのよ」
それからの数週間、私たちはまるで、文化祭の準備をする中学生に戻ったような日々を過ごした。
私は自分の家――あの楠の木が見える古い家――にケンジ君を招き、スマートフォンの操作方法を一つひとつ教えていった。
アプリの立ち上げ方、コメントの読み方、ギフトが届いた時のお礼の言い方。
「ハナちゃん、これじゃあ、まるでおままごとだな」
「いいじゃない。人生の午後の、最高のおままごとよ」
ケンジ君は、覚えは決して早くはなかったが、一度覚えると実直に取り組んだ。彼は自分のアバターに「ゲンさん」という魂を吹き込むために、自分がかつて経験した苦労話や、亡き妻との穏やかな日々、そして趣味である日曜大工の知識を、少しずつ言葉にしていった。
そして、ついにその夜がやってきた。
「司書ハルの秘密の図書室」に、新しい相棒が加わる、初めての配信。
私はいつものように銀髪の司書「ハル」としてカメラの前に立ち、深呼吸をしてから配信開始のボタンを押した。
「皆さん、こんばんは。今夜は、大切なお知らせがあります。この図書室に、新しい仲間が加わることになりました」
コメント欄が猛烈な勢いで動き出す。
『新メンバー!?』『ハルさんに相棒ができるの?』『どんな人?』
「紹介しましょう。私の図書室の庭を、いつも美しく整えてくれている庭師のゲンさんです」
画面が切り替わり、ゲンさんのアバターが表示される。
ケンジ君の、少し震える、けれど温かみのある声が、スマートフォンのスピーカーから流れ出した。
「……あー、皆様、初めまして。庭師のゲンと申します。ハルさんには、いつもこの古い本ばかり読んでいないで、たまには外の空気を吸いなさいと小言を言っているのですが……。今日は、皆様にお会いできて光栄です」
一瞬、コメント欄が止まった。
そして次の瞬間、それまでとは全く違う種類の熱狂が、画面を埋め尽くした。
『うわぁ、渋い!』『めちゃくちゃいい声!』『お父さん、って呼びたい』『落ち着く……この二人の会話、一生聴いていられる』
ケンジ君は、最初は緊張で声が裏返っていた。コメントを読む速度にもついていけず、「あわわ」と戸惑う場面もあった。
けれど、私が隣で(実際にはお互いの家で繋がっているのだが)フォローを入れると、彼は次第に自分を取り戻していった。
「ゲンさん、今日はリスナーさんから『最近、仕事で失敗して落ち込んでいる』という相談が届いていますよ」
「……そうですか。失敗、というのはね、後から振り返れば『肥料』のようなものですよ。土をいじっていると分かるのですが、腐った落ち葉や枯れ枝も、時間をかけて発酵させれば、次の春には一番の栄養になるんです。だから、今は辛いかもしれませんが、あなたは今、自分を育てるための大切な準備をしているんですよ」
その言葉が発せられた瞬間、画面全体を覆い尽くすほどの、輝くようなギフトの演出が舞った。
若者たちが、彼の言葉に、その「不器用な誠実さ」に、心を動かされた証だった。
配信を終えた後、私はすぐにケンジ君に電話をかけた。
「大成功よ、ケンジ君! ほら、今のポイント、見てみて。一晩で、先月の一人分の収益を超えちゃったわ」
電話の向こうで、ケンジ君は鼻をすするような音を立てていた。
「……ハナちゃん。俺さ、妻が死んでから、自分が誰の役にも立っていないんじゃない
かって、ずっと思ってたんだ。でも、あんなにたくさんの若者たちが、俺の話を聴いて喜んでくれるなんて。……生きてて、よかったよ」
夜の窓を開けると、遠くでカエルが鳴いている。
田舎の、何も変わらないはずの夜の景色が、今夜はまるで、数えきれないほどの可能性で光り輝いているように見えた。
けれど、私たちの冒険は、ここで終わりではなかった。
「人気者」になった私たちのもとに、ある日、予期せぬ一通のメールが届くことになる。
「俺が……その、ブイライバー? というやつを、一緒にやるのかい?」
「そうよ。正確には『コラボレーション』という形になるわね。私の『図書室』という設定に、あなたが加わるの。一人で喋り続けるのはそれなりに体力がいるけれど、気心の知れた誰かが隣にいてくれたら、もっと楽しくなると思うのよ」
ケンジ君は困惑したように、白髪の混じった自分の頭をかいた。
「ハナちゃん、気持ちは嬉しいけれど、俺は機械なんてさっぱりだ。スマートフォンだって、息子に言われてようやく持たされているようなもんだよ。それに、この声だ。若者たちの華やかな世界に、こんな年寄りの声が混ざっていいものか……」
「そこがいいのよ、ケンジ君」
私はテーブル越しに、身を乗り出した。
「若者たちはね、完璧なものを求めているわけじゃないの。彼らが求めているのは、自分たちの話を聴いてくれる『居場所』なのよ。あなたのその、少し低くて、落ち着いた声。人生の酸いも甘いも噛み分けてきたような語り口。それは、今のネットの世界では、何物にも代えがたい『宝物』になるわ」
私は自分のスマートフォンを取り出し、AI画像生成ツールの画面を見せた。
「見て。これが、私があなたをイメージして作ってみたアバターの候補よ」
画面の中には、使い込まれたエプロンを身に纏い、手には手入れの行き届いた剪定バサミを持った、渋い壮年の男性が立っていた。銀髪を短く刈り込み、目元には優しげな笑い皺。背景には、深い緑が茂る英国風の庭園が広がっている。
「設定は、私の図書室の裏にある『秘密の庭』を管理している庭師、ゲンさん。どう? 素敵だと思わない?」
ケンジ君は、食い入るように画面を見つめた。
「これが……俺なのか? 随分と、格好よく描いてくれたもんだな」
「AIは、私たちの心の奥にある『理想』を形にしてくれるの。鏡を見る必要はないわ。この姿が、明日からのあなたの『顔』になるのよ」
それからの数週間、私たちはまるで、文化祭の準備をする中学生に戻ったような日々を過ごした。
私は自分の家――あの楠の木が見える古い家――にケンジ君を招き、スマートフォンの操作方法を一つひとつ教えていった。
アプリの立ち上げ方、コメントの読み方、ギフトが届いた時のお礼の言い方。
「ハナちゃん、これじゃあ、まるでおままごとだな」
「いいじゃない。人生の午後の、最高のおままごとよ」
ケンジ君は、覚えは決して早くはなかったが、一度覚えると実直に取り組んだ。彼は自分のアバターに「ゲンさん」という魂を吹き込むために、自分がかつて経験した苦労話や、亡き妻との穏やかな日々、そして趣味である日曜大工の知識を、少しずつ言葉にしていった。
そして、ついにその夜がやってきた。
「司書ハルの秘密の図書室」に、新しい相棒が加わる、初めての配信。
私はいつものように銀髪の司書「ハル」としてカメラの前に立ち、深呼吸をしてから配信開始のボタンを押した。
「皆さん、こんばんは。今夜は、大切なお知らせがあります。この図書室に、新しい仲間が加わることになりました」
コメント欄が猛烈な勢いで動き出す。
『新メンバー!?』『ハルさんに相棒ができるの?』『どんな人?』
「紹介しましょう。私の図書室の庭を、いつも美しく整えてくれている庭師のゲンさんです」
画面が切り替わり、ゲンさんのアバターが表示される。
ケンジ君の、少し震える、けれど温かみのある声が、スマートフォンのスピーカーから流れ出した。
「……あー、皆様、初めまして。庭師のゲンと申します。ハルさんには、いつもこの古い本ばかり読んでいないで、たまには外の空気を吸いなさいと小言を言っているのですが……。今日は、皆様にお会いできて光栄です」
一瞬、コメント欄が止まった。
そして次の瞬間、それまでとは全く違う種類の熱狂が、画面を埋め尽くした。
『うわぁ、渋い!』『めちゃくちゃいい声!』『お父さん、って呼びたい』『落ち着く……この二人の会話、一生聴いていられる』
ケンジ君は、最初は緊張で声が裏返っていた。コメントを読む速度にもついていけず、「あわわ」と戸惑う場面もあった。
けれど、私が隣で(実際にはお互いの家で繋がっているのだが)フォローを入れると、彼は次第に自分を取り戻していった。
「ゲンさん、今日はリスナーさんから『最近、仕事で失敗して落ち込んでいる』という相談が届いていますよ」
「……そうですか。失敗、というのはね、後から振り返れば『肥料』のようなものですよ。土をいじっていると分かるのですが、腐った落ち葉や枯れ枝も、時間をかけて発酵させれば、次の春には一番の栄養になるんです。だから、今は辛いかもしれませんが、あなたは今、自分を育てるための大切な準備をしているんですよ」
その言葉が発せられた瞬間、画面全体を覆い尽くすほどの、輝くようなギフトの演出が舞った。
若者たちが、彼の言葉に、その「不器用な誠実さ」に、心を動かされた証だった。
配信を終えた後、私はすぐにケンジ君に電話をかけた。
「大成功よ、ケンジ君! ほら、今のポイント、見てみて。一晩で、先月の一人分の収益を超えちゃったわ」
電話の向こうで、ケンジ君は鼻をすするような音を立てていた。
「……ハナちゃん。俺さ、妻が死んでから、自分が誰の役にも立っていないんじゃない
かって、ずっと思ってたんだ。でも、あんなにたくさんの若者たちが、俺の話を聴いて喜んでくれるなんて。……生きてて、よかったよ」
夜の窓を開けると、遠くでカエルが鳴いている。
田舎の、何も変わらないはずの夜の景色が、今夜はまるで、数えきれないほどの可能性で光り輝いているように見えた。
けれど、私たちの冒険は、ここで終わりではなかった。
「人気者」になった私たちのもとに、ある日、予期せぬ一通のメールが届くことになる。



