高嶺の花くんは隣のあいつが気になる。

花村麗はクラスメイトのことをよく知らない。

と言っても、名前と顔はちゃんと一致してる。
物覚えはいい方だ。
何が好きとか、何が嫌いとか、誰と誰が仲良しとか。
僕が知らないのは、そういう『情報』
別にスパイになろうとか、そんなんじゃない。
今のところ、特に困ったこともないし。

放課後のチャイムが鳴った。
今日はスムーズに帰れるだろうか。
ぼんやり考えながら、玄関を出る。
歩いて帰る人、自転車で帰る人、部活に向かう人、友達と遊びに行きそうな人。
みんなそれぞれの目的に向かって、早足で歩いてる。

僕よりずっと前を歩く背中。
あの肩幅、真っすぐ伸びた背筋、短く切り揃えた襟足。
間違いなく涼太だ。
涼太には急ぎの用はないらしい。
普通に歩いているのに、だんだん距離が詰まる。
ふと、左隣に誰かいるのに気づいた。
女子の制服を着て、ツヤツヤした長い黒髪が左右に揺れている。
誰だろう……?
その子が横を向いて、涼太に笑いかけた。
あれは……たぶん同じクラスの佐々木さんだ。
横顔だけじゃはっきりしないけど。
クラスの男子が「女子力ヤバい」と言っていたのを覚えてる。
あのとき、すぐに机の下でスマホを操作して、『女子力』の意味と、理想の彼女像について知った。
確かに手入れの行き届いた髪だ。
以前、手作りのクッキーをクラスのみんなに配っていて、僕にもくれたことがあった。
可愛らしいアイシングがされていて、少し食べるのがもったいなかった。

なるほど。
涼太は今、理想の女の子と歩いているというわけか……
体育の授業を思い出す。
例の「かっこいい」が聞こえたあたりに、佐々木さんはいただろうか。
考えながら歩いていたら、知らないうちに二人を抜かしていた。

「花村ー!」

後ろから聞こえた声。
次の瞬間、涼太が僕の隣に並んだ。
左手に持ったカバンを右手に持ち替えて、僕の顔を覗き込む。

「なんで?」

「いきなりそれ?」

「えーと……」

なんで佐々木さんと帰らないの?
なんで僕を呼んだの?
なんで隣に来たの?
なんでカバンを持ち替えたの?
いろんな疑問がごちゃまぜになった「なんで?」
言葉に詰まる僕に、涼太はわざと肩をぶつけてくる。

「花村、歩くの早すぎ」

「ごめん」

理由もなく謝る。
それなのに、また足を早めた。

「え、なんか怒ってる?」

「なんで?」

「なんとなく」

「僕が怒る理由ある?」

「うーん……」

理由なんてない。
そもそも怒ってない。
僕は小学校からずっと、怒ることも泣くこともなく過ごしてきたんだから。
……しいて言うなら、ぶつけられた肩がほんのちょっぴり痛いくらい。

「涼太には心当たりないよね?」

「ないけど」

「けど?」

「気になるから」

急ブレーキ。
涼太も前につんのめって、カバンが大きく揺れた。

「涼太って、なんでそういうこと言うの?」

「なんでだろ」

視線が交わって、二人して首を傾げる。
どちらからともなく歩き出した。
今度はゆっくり。
僕も涼太もまだ考えていて、答えがそこにあるみたいに、遠くの誰かの背中を見つめる。

「佐々木さんと帰らないの?」

「帰らないよ」

「二人で歩いてた」

「たまたま下駄箱で一緒になっただけだから」

「ふぅん……」

「花村、なんでそんなこと聞くの?」

涼太が一歩、大きく前に出る。
僕の目からは、とがった耳と、とがったエラしか見えなくなった。

「……情報収集」

「なんで?」

「だからそれ、僕のセリフなんだけど」

「他に聞きたいことある?」

一瞬考えて、口の中だけで「女子力」と呟く。
涼太には聞こえない、僕の独り言。

「理想のタイプは?」

「分かんない」

「それじゃ情報収集にならない」

「うーん。……普通に可愛い子かな」

口を噤む。
なんでか石ころを蹴りたくなって、探したけど見つからなかった。
分かってる。
僕の可愛さは、涼太にだけ通用しない。
なぜなら――

「この前の猫」

「どっち?」

「白いの」

「うん」

「写真撮ってたよね?」

「……」

「見せて」

急に黙りこくった涼太。
いつもだったら目をキラッキラさせて見せてくるのに。
不思議に思っていると、左手が首の後ろに回った。
指先が白くなって、切りっぱなしの爪が皮膚に食い込みそう。

「いいけど……」

やけにゆっくりした動き。
カバンからスマホを出す。
両手で画面を操作する。
僕を横目で見てから数秒、何が気に入らないのか、乱暴に突き出してきた。

「……はい」

涼太からスマホを受け取る。
ちょっとだけ顔色を伺ってみるけど、僕には見る権利があるはず。
……うわぁ、やっぱり僕、酷い顔してる。
ほっぺたには錆の汚れがついてるし、ふいに撮られた笑顔は緩みきっている。
しかもアップだし。
こんなのが涼太のスマホに残ってるなんて、僕のプライドが許さない。

「これ、消してよ」

「やだよ」

「変な顔してる」

「猫がメインだから。もう返して」

涼太の手が画面を覆う直前、写真の左上に鍵のようなマークがついているのに気づく。
あっと思ったのもつかの間、スマホは持ち主へ戻り、素早くカバンにしまわれた。

「ねぇ、鍵のマークってなに?」

「なんでもない」

「いいよ、調べるから」

「調べるの禁止」

「なんで?」

涼太は答えないまま、ネクタイを少しだけ緩めた。