高嶺の花くんは隣のあいつが気になる。

放課後の花村麗はいそがしい。

部活やバイトをしてるとか、趣味に勤しんでるとか、そういう理由じゃない。
スムーズに帰宅するのが、少し難しいだけ。
早く帰りたいわけでもないからいいんだけど。

「は、花くん!ちょっとだけ、時間いい?」

玄関を出たところで呼び止められた。
振り返ると、真っ赤な顔をした女子。
肩を縮こませて、小柄な体をもっと小さくしている。
今日は一斉下校だから、ほとんどの生徒がここにいる。
相変わらずオーラに包まれている僕に、彼女は一歩近づいた。

「あの子、勇気ある〜」

「今月何人目?」

「ファンに殺されるぜ」

隠す気なんてないせせら笑い。
ただでさえ震えている彼女の手が、ぎゅっとカバンを握りしめた。
僕は周りの生徒を一瞥してから、彼女に向き直った。

「いいよ、行こう」

「う、うん!」

僕が向かったのは、いつもの校舎裏。
風の通り道になっているから、例え覗くやつがいても、話し声は聞こえづらい。
ふと、黒い影が動く。
誰もいないゴミ置き場に涼太がいて、僕を見ていた。
目が合ったのはほんの数秒で、涼太はなにか探すみたいに、地面に視線を這わせた。

「花くん?」

「……なんでもない。こっち」

彼女が目に手を当てながら走り去ったのを見送る。
見上げた空には、悠々と羽を広げるトンビがいた。
すごいな。
羽ばたかなくても飛べるなんて。
大きな鳥のはずなのに、ここからはそうは見えない。
あ、あの雲。
ソフトクリームかな。
それともチョココロネかな……
風がびゅうっと吹いて、目に砂ぼこりが入った。

シパシパする目で時計を確認する。
五分経ったからもういいだろう。
ゴミ置き場の横を通ると、まだ涼太がいた。
腰をかがめて、一箇所に意識を集中させている。
ちっとも僕に気づかない。
そーっと近づく。

「何してんの?」

涼太はびっくりした様子もなく、背筋を伸ばして僕の顔を見据えた。

「猫」

「猫、いた?」

「いた。白いの」

「どこ?僕が捕まえてあげる」

「そこ」

涼太が指差したのは、ゴミを入れるための檻みたいなカゴの後ろ。
壁とカゴの間にはほとんど隙間がなくて、小さな白い猫が、おびえたように身を潜めていた。
痩せてはいないから、誰かがエサをあげているのかもしれない。

「おいで〜、怖くないよ〜」

しゃがんでカゴの後ろにそっと手を入れる。
逃げはしないけど、腕をめいいっぱい伸ばしてもあとちょっとだけ届かない。

「花村、もういいよ」

「ん〜、でも」

チラッと涼太を見る。
せっかくここまできたんだから。
そのとき、猫が自分から近づいてきて、僕の指をペロッと舐めた。
ザラッとした感触と温かさ。
もう少し、もう少し……
錆びた鉄のザラザラが、僕の頬に食い込む。
モフッとした首根っこを捕まえて、慎重に引っ張り出す。

「やった!涼太!」

「パシャ、パシャパシャ」

いつの間にか、涼太がスマホを構えていた。

「え、撮った?」

「撮った」

「なんで今?」

「今がいいなと思ったから」

「……ふぅん」

変なの。
どうせならもっと可愛いところを撮ってあげればいいのに。
僕の腕の中に収まった白猫は、すっかりリラックスして、後ろ足の肉球をカジカジしている。

「涼太。ほら、今」

けれど、涼太の視線は僕の左側にある。

「ここ、汚れてる」

「どこ?」

「ここ」

両腕が塞がってる僕の肩に、涼太の手が伸びる。
長い指で掠めるように払う。
変にくすぐったい。
僕が小さく笑うと、涼太は拳を作って自分の口に当てた。

「……顔」

「なに?」

「汚れてる」

「えっ!取ってよ」

「無理。あとで鏡見て」

肉球をカジカジしていた猫が、うっとりした声で「みゃ〜」と鳴いた。
そんなことはいいから早く撫でろ!って言いたいのかもしれない。

「涼太、撫でてみれば?」

「俺はいいよ」

「なんで?」

「怖がられる」

「大丈夫だよ。たぶん、撫でてって言ってる」

涼太の笑い声。
困っているような、照れているような、下がった眉。
なんとなく見つめる。
あれ、右の頬にエクボあったの?
僕としたことが、今まで全然気づかなかった。

「花村、やっぱり猫としゃべってる」

「そんな気がしただけ」

「絶対しゃべってる」

「もう!……なでなでするの?しないの?」

涼太は口角を上げたまま、そろりと右手を持ち上げた。
猫に触れる直前、一瞬だけ動きが止まる。
それから、ふわんと音がしそうなくらいの柔らかさで、白いモフモフに手が乗った。
猫はいよいよ目を閉じて、本格的な眠りに入ろうとしている。
涼太の目が、見たことないくらい優しく細められた。