花村麗への賛辞は通学路から始まる。
家から学校までは徒歩十五分。
玄関を開けて、ジョギングコースとは反対へ向かう。
誰も―――猫一匹すらいない通学路。
メインストリートに近づくにつれ、ガヤガヤとした喧騒に包まれる。
僕が一歩踏み出すと、友達とふざけながら歩いていた男子生徒がさっと飛び退いた。
「ヤバ……」
「やば?」
誰にも届かない声量で呟く。
よく聞く「ヤバい」と同じ意味だろうか。
いや、思い込みは良くない。
あとでちゃんと調べないと。
背筋を伸ばして、人波に逆らわずに歩く。
「花くん、今日も可愛い」
「朝から見れるなんてラッキー」
「髪型、ちょっと変わったのかな」
聞き慣れた言葉。
右から左へ流れていき、僕の頭の中はまっさらになる。
ちなみに、髪型は変わってない。
僕に視線が集まる一方で、僕の前にも後ろにもぽっかりと空間ができる。
見えないオーラに守られてるみたいに。
――僕の通り道を邪魔しない。
『花くん親衛隊』のルールは高校でも生きている。
このオーラの中は、少しだけ空気が薄かった。
「はぁ〜、なでなでしたい」
後ろのほうから聞こえた、ため息混じりの声。
今まで言われたことのない言葉にやけに引っかかった。
茶のような、黒のような、さきっちょの曲がったしっぽ。
パシャパシャと余すことなく写真に収める、涼太の指先。
ほほぅ、なでなでしたいか……
なるほどなるほど……
顎に手を当てる。
学校に着くまで、そのポーズで歩いていた。
「花村、おはよう」
「……おはよう?」
いつも通り、一切の躊躇なく隣に座った涼太。
あのヒラメ筋は制服のスラックスに隠れている。
今日はカウントする暇もなく、僕のほうに顔を向けた。
「なんで疑問形?」
「今朝会った」
「でも、おはようは言わなかった」
「……そうだった」
朝の会話を一つずつ辿る。
確かに、挨拶よりも涼太の一番は猫だった。
こんなに可愛い僕のジョギング姿を見たというのに。
でも、おはようを言わなかったことは覚えてたんだ。
少しだけ身を乗り出す。
「猫、撮るだけ?」
「うん」
「なでなで、しないの?」
「しない」
「なんで?」
「逃げられるから」
涼太は机に置いたカバンのチャックを開けた。
またスマホが出てくるのかと思いきや、でっかい水筒。
蓋をパカっと押し開け、直接口をつける。
ゴクゴクと豪快な音が鳴り、喉仏が上下する。
中身はなんだろうと考えながら、じっと待った。
「僕って、猫みたいじゃない?」
「全然」
「なでなでしたくならない?」
「全然」
「あっそ」
涼太の笑い声。
喉を潤したばかりだから、ちょっと湿ってる。
「なんで笑うの」
「面白いから」
ほっぺたに手を当てて、唇をとがらせる。
『可愛い』はいつものことだけど、『面白い』にはどんなリアクションをしたらいいんだろう。
もっと面白いこと言わなきゃ?
考えた結果、何も思いつかなかった。
「いつもあの猫?」
「いや、最近」
「前は?」
「駅前の黒猫、一年くらい追いかけてた」
「なんでやめちゃったの?」
「あいつに出会ったから」
「ふぅん……」
なんとなくつまらなくなって、自分の爪を見つめた。
ちゃんとお手入れして、透明のジェルネイルを塗っている。
……あれ?ささくれができそう。
「ヤバ」
呟いて、カバンからハンドクリームを取り出す。
涼太がスマホを眺め始めた横で、僕はハンドクリームを指先に塗り込む。
スーッと大きく息を吸うと、甘いココナッツの香りに満たされた。
家から学校までは徒歩十五分。
玄関を開けて、ジョギングコースとは反対へ向かう。
誰も―――猫一匹すらいない通学路。
メインストリートに近づくにつれ、ガヤガヤとした喧騒に包まれる。
僕が一歩踏み出すと、友達とふざけながら歩いていた男子生徒がさっと飛び退いた。
「ヤバ……」
「やば?」
誰にも届かない声量で呟く。
よく聞く「ヤバい」と同じ意味だろうか。
いや、思い込みは良くない。
あとでちゃんと調べないと。
背筋を伸ばして、人波に逆らわずに歩く。
「花くん、今日も可愛い」
「朝から見れるなんてラッキー」
「髪型、ちょっと変わったのかな」
聞き慣れた言葉。
右から左へ流れていき、僕の頭の中はまっさらになる。
ちなみに、髪型は変わってない。
僕に視線が集まる一方で、僕の前にも後ろにもぽっかりと空間ができる。
見えないオーラに守られてるみたいに。
――僕の通り道を邪魔しない。
『花くん親衛隊』のルールは高校でも生きている。
このオーラの中は、少しだけ空気が薄かった。
「はぁ〜、なでなでしたい」
後ろのほうから聞こえた、ため息混じりの声。
今まで言われたことのない言葉にやけに引っかかった。
茶のような、黒のような、さきっちょの曲がったしっぽ。
パシャパシャと余すことなく写真に収める、涼太の指先。
ほほぅ、なでなでしたいか……
なるほどなるほど……
顎に手を当てる。
学校に着くまで、そのポーズで歩いていた。
「花村、おはよう」
「……おはよう?」
いつも通り、一切の躊躇なく隣に座った涼太。
あのヒラメ筋は制服のスラックスに隠れている。
今日はカウントする暇もなく、僕のほうに顔を向けた。
「なんで疑問形?」
「今朝会った」
「でも、おはようは言わなかった」
「……そうだった」
朝の会話を一つずつ辿る。
確かに、挨拶よりも涼太の一番は猫だった。
こんなに可愛い僕のジョギング姿を見たというのに。
でも、おはようを言わなかったことは覚えてたんだ。
少しだけ身を乗り出す。
「猫、撮るだけ?」
「うん」
「なでなで、しないの?」
「しない」
「なんで?」
「逃げられるから」
涼太は机に置いたカバンのチャックを開けた。
またスマホが出てくるのかと思いきや、でっかい水筒。
蓋をパカっと押し開け、直接口をつける。
ゴクゴクと豪快な音が鳴り、喉仏が上下する。
中身はなんだろうと考えながら、じっと待った。
「僕って、猫みたいじゃない?」
「全然」
「なでなでしたくならない?」
「全然」
「あっそ」
涼太の笑い声。
喉を潤したばかりだから、ちょっと湿ってる。
「なんで笑うの」
「面白いから」
ほっぺたに手を当てて、唇をとがらせる。
『可愛い』はいつものことだけど、『面白い』にはどんなリアクションをしたらいいんだろう。
もっと面白いこと言わなきゃ?
考えた結果、何も思いつかなかった。
「いつもあの猫?」
「いや、最近」
「前は?」
「駅前の黒猫、一年くらい追いかけてた」
「なんでやめちゃったの?」
「あいつに出会ったから」
「ふぅん……」
なんとなくつまらなくなって、自分の爪を見つめた。
ちゃんとお手入れして、透明のジェルネイルを塗っている。
……あれ?ささくれができそう。
「ヤバ」
呟いて、カバンからハンドクリームを取り出す。
涼太がスマホを眺め始めた横で、僕はハンドクリームを指先に塗り込む。
スーッと大きく息を吸うと、甘いココナッツの香りに満たされた。



