高嶺の花くんは隣のあいつが気になる。

花村麗だって、やるときはやる男だ。

自分に言い聞かせて、唇をとがらせる。
細く長く息を吐き出すと、キッと黒板を睨んだ。
そんな僕を見て、先生は怯んだ……たぶん。
分かんないけど、そういうことにしておく。
なんでもいい。
今の僕には自信が必要だ。

資料の端にメモした『ようきゃ』『ぬま』
あとで調べようと思っていた言葉を、カバンに乱暴に突っ込んだ。
涼太の席まで行って、スマホをいじっている手首を掴む。

「涼太、呼び出し」

「え、誰から?」

「僕」

「なんの?」

「いいから」

そのとき、僕たちの前にスッと影がさした。

「福留くん、ちょっといい?」

佐々木さんだった。
ツヤツヤの黒髪を今日はポニーテールにしていて、男子が「メロい」と騒いでいた。
意味は知ってる。
前に調べたことがあるから。
そんなメロい佐々木さんが、頬を染めて涼太を見上げている。
ピンクの唇を弓なりにして。
その姿は、お世辞じゃなく可愛いと思う。
体育のときの「かっこいい」は、やっぱり佐々木さんだったのかもしれない。

「あ、えっと」

涼太が首の後ろをかいている。
眉をハの字にして、エクボの出ない笑顔を浮かべている。
その顔を見ていると、せっかく溜まった自信が音を立ててしぼんだ。
涼太だってきっと、佐々木さんに呼ばれたほうが嬉しいはずだ。

「僕、帰る」

「え、でも」

「行ってあげなよ」

「なんで……」

カバンを持って、涼太の後ろを通り過ぎる。
涼太がずっと見ているような気がしたけど、これもきっと僕の願望だ。
廊下に出ると、人の間を縫って走った。
驚いて振り向く人、なにか言っている声。
全部を後ろに置いて、僕は走った。

靴をはきかえる。
玄関を出て、一瞬迷った。
ロータリーにはたくさんの生徒がいて、きっと僕はひどい顔をしている。
もう、誰にどう思われたっていいけど、変な噂を立てられるのは嫌だ。
僕の足は、校舎の左側に向いた。
胸に抱えたカバンをぎゅっと握りしめる。

白い猫がいたゴミ置き場。
あのとき撮られた僕の写真。
あんなに消してと頼んだのに、本当に消えてたら嫌だな。
僕ってすごくわがままだ。

足が止まる。
校舎裏のこの場所は、いつも風が吹いている。
今は温く湿った風だったけど、走ってきた僕の肩がブルッと震えた。

白く霞んだ雲。
太陽の周りには光の輪ができている。
こういうの日暈(ハロ)って言うらしい。
天気が崩れる前兆だとか。
そういえば梅雨っていつからなんだろう。
調べてみようかな。
僕はつらつらとそんなことを考えていた。

―――タッタッタッ。
静かな世界に、ふいに入ってきた足音。
空を見ていた僕の視界に、黒が飛び込んできた。

「えっ……涼太?」

僕の肩を掴むと、大きく息を吐き出す。

「はぁ……走るの早すぎ」

「なんで?」

「なんでって、花村に呼ばれたから」

「だって、佐々木さんは?」

「なにを勘違いしたのか知らないけど、そういうんじゃないから」

射抜くような目に見つめられて、今さら背中に汗がにじむ。
靴底がジャリッと鳴った。

「僕、帰るって言ったのに」

「でも、ここにいた」

「なんで追いかけてきたの?」

「泣きそうな顔してたから」

「涼太……」

「なに?」

じりじりと追い詰められてるような気がするのは、僕がちょっとずつ後ずさりしてるから?
日の当たらない校舎の壁。
背中がつくと、日向ぼっこしてる猫みたいなにおいが迫った。
涼太の胸に手をつく。

「僕のこと、どう思ってるの?」

「えっ」

「特別って言ったのはなんで?」

「それは……」

「なんで可愛いなんて言ったの?」

涼太の揺れる視線を追いかける。
じわじわと赤くなる耳。
自信はしぼんだけど、それが僕の背中を押してくれた。

「僕と猫、どっちが可愛い?」

涼太はうつむいたまま、なにも言わない。
小さく息をつく。
力の抜けた手が、涼太の半袖ワイシャツから離れていく。
――と、その手をぎゅっと掴まれた。

「花村」

「え?」

「花村が可愛い。誰よりも、猫よりも」

今度こそ、まっすぐに見つめてくる瞳。
逃がしたくない。
今は可愛い顔なんて作れないけど、僕は目を離さなかった。

「涼太、好き」

誰もいない校舎裏に響いた声は、震えていなかった。
涼太が目を見開く。
握る手に、グッと力が入る。
長く感じられた一瞬のあと、僕の目に映ったのは、大好きなエクボだった。

「俺も好きだよ。花村が好き」

一際強い風が吹き抜ける。
前髪がふわりと浮かんで、熱くなった頬をさらりとなでていく。

「涼太」

「ん?」

「寒い」

「……はいはい」

涼太の腕が背中にまわる。
僕の耳の横に涼太の顔があって、心臓の音が混ざり合う。

「涼太、苦しい」

「……うん」

「苦しいよ」

「……うん」

「ねえってば!」

「……うん」

「涼太、エクボ見せて」

「……はいはい」

少しだけ緩んだ腕から、やっと顔を上げる。
でも、涼太のエクボは見れなかった。
顔が近づいてくる気配に、そっと目を閉じたから。


『可愛い』は、花村麗の代名詞。
僕が可愛いことは、みんなが知っている。
僕は守られるべき存在で、愛されることには慣れている。

――でも。
僕にとっては、世界中の称賛の声よりも、たった一人の『可愛い』がこんなにも愛おしいんだ。