高嶺の花くんは隣のあいつが気になる。

花村麗のお昼ごはんは、いつもお弁当だ。

毎朝、母さんの作り置きのおかずを詰める。
たまには卵焼きを自分で作ることもある。
僕の器用さは、母さんのお墨付き。
ぼーっとしていて焦がすこともあるけど……
そういうときは、お弁当を開いたら一番に食べる。
証拠隠滅ってやつ。

でも今朝は、ご飯を炊くのを忘れてしまった。
今ごろ、ほかほかご飯が炊飯器の中で保温されてるだろう。
夜に食べるから別にいいんだ。

四時間目終了のチャイムが鳴る。
カバンの中からお財布を取り出す涼太。
腰を浮かせたところで、ちょいちょいとワイシャツのたるんだところを引っ張った。

「どうした?」

「今日、お弁当ない」

「ん?購買?」

僕が頷くと、涼太は腰をかがめた。
子どもに話しかけるときみたいだ、と思う。

「もしかして、行ったことない?」

「ない」

「買ってこようか?」

今度は首を横に振る。
……こんなこと、言ってもいいのかな。
僕のわがまま、どこまで聞いてくれるんだろう。
きゅっと唇を結んでから、また開く。

「行ってみたい。涼太と」

「いいよ」

涼太はあっさり言って、僕の腕を掴んだ。
ちょっとまだ早かった夏服。
スースーする腕。
涼太の手が熱くて、なんとなく身をよじる。

「ごめん、嫌だった?」

「嫌じゃないけど、くすぐったい」

「ていうか冷たい。カーディガンは?」

「忘れた。涼太、貸して」

「いいよ」

涼太がカバンに手を入れる。
広げて見せてきた紺のカーディガンは、ちょっとシワっぽかった。
ちゃんと畳まないでくるくるしたんだろうな。
律儀に畳む涼太なんて想像できない。
いや、やっぱり想像してみたら、なんか可愛かった。
くすっと笑うと、涼太が眉をしかめる。

「寒いよりいいだろ?」

「着せて」

腕を広げる。
涼太は黙って袖を通してくれる。
反対の腕も通すけど、なぜか馴染まない。
変だなと思ったら、袖がだいぶ余ってた。

「……涼太」

「はいはい」

両手でくるくると、二回折り返す。
うん、ちょうどよくなった。
涼太の口角が満足そうに上がって、僕も大満足。

「行くぞ。なにもなくなる」

「うん!」

一階の多目的スペース。
毎朝通るのに、こんなに混むなんて知らなかった。

「おばちゃーん!焼きそばパン!」

「ツナマヨ売り切れ?!最悪なんだけど」

「ちょっとそこ!ちゃんと並んで」

……戦場だ。
争奪戦という名の戦場。
ここで負けたらどうなるの?
お昼抜き?
それって、死活問題じゃないか。
急にみんながたくましく思えて、涼太に一歩寄った。

「これ、買える?」

「甘いのだったら割と残ってる」

「涼太、甘いの平気?」

「平気。花村は?」

「僕は好き」

みんなパンに夢中で、僕のオーラが小さくなる。
こんなに誰かの体温を感じることって、今までなかった。
良いとか悪いとかじゃなくて、なんとなく変な感じ。
前に並んでた男子は、お目当てのものをゲットしたらしい。
「やった!」と言いながら、大きく後ろに下がる。
ドン。
その子の肩に、僕の顔がぶつかった。
ズーンとする鼻に手を当てる。
涼太のにおいがして、ズーンがスーンに変わった。

「げっ!」

その子は僕の姿を確認してから、キョロキョロと視線を泳がせる。
最後に、僕の後ろの方を見て、サッと青ざめた。

「わ、悪ぃ!」

逃げるように走っていってしまった。
あからさま過ぎる。
慣れてるからいいんだけど。

「花村、大丈夫?」

振り返る。
涼太がニヤリと笑った。

「鼻、赤くなってる」

「大丈夫。それより早く選ぼう」

「そうだな」

残っているのは、メロンパン、あんパン、ジャムパン、クリームパン。
見事に甘いのばっかりだ。

「涼太、どれにする?」

「うーん。……メロンパンかな」

「僕、クリームパンにする。涼太、半分こしよ」

「いいよ」

涼太の提案で、中庭に移動する。
穴場らしい。
ぐるっと囲むように置かれたベンチ。
その一つに並んで座る。
顔は動かさないまま、右から左へ視線を送る。
……カップルばっかり。
身を寄せ合ったり、顔を寄せ合ったり……とにかくいろいろ寄せ合ってる。
僕たちを気にかける人は誰もいない。
ここなら涼太が白い目で見られることもない。
だけど……
日に温まったベンチの上で、もぞもぞと体を動かした。

「はい、半分こ」

相変わらず涼太は空気を読まない。
いろいろ考えてるのが馬鹿らしくなってくる。
僕もクリームパンを半分に割る。
気持ち大きい方を、涼太に差し出した。

「いただきまーす」

「やっぱり甘いな」

涼太がペロッと口の端についたクリームを舐め取った。
ザラッとした猫の舌を思い出す。
僕の指を舐めた白い猫。
保健室の先生がエサをあげていたらしい。
今は正式に家族として迎えられ、きっと幸せに暮らしているんだろう。

「涼太は猫飼わないの?」

「飼わない」

「なんで?」

「たぶん、可愛がりすぎて嫌われるから」

「ふぅん」

僕は可愛がられても嫌いになることはない。
だって、それが『デフォ』ってやつだから。
愛されることには慣れている。
それなのに――
涼太に可愛がられる猫が、ちょっとだけ羨ましいと思うのはなんでだろう。

「涼太」

「ん?」

「……なんでもない」

「なにそれ」

ふわっと笑った涼太の、右頬のエクボ。
ずっと見ていたいと思うのはなんで?
さっきぶつかった鼻がなんとなくムズムズしてきて、そっと手を当てた。