三カ月後に死ぬ守銭奴花嫁

 一子(いちこ)の顔を、男がじっと見つめている。大きな痣が左半分に浮いている顔。「醜い」「見るに耐えない」と言われ続けてきた顔を。
 居心地悪く姿勢を正しながら、一子は思う。

(……なんやろ、この人)

 一子ははみ出し者だ。生まれつき顔にある痣は、赤子のころに()てくれた神社の神主いわく、並外れた霊力の証であるという。だが「並外れて」いることは、別によいことではなかった。痣があるだけでいじめられたし、おかしな(もの)を惹きつけることも多かった。
 尋常小学校を出たあとも、痣と霊力のせいで定職につけなかった。五年前には両親が相次いで亡くなり、年の離れた弟二人、妹一人を養う責任を一身に負うことになった。十九歳になった今も状況は変わらない。京都の街のあちこちで雑用をし、倹約に倹約を重ねて、辛うじて弟妹(きょうだい)たちを養っている。

 そんな一子のもとを、夏の昼下がりに突然訪れたのが、いま目の前にいる男だった。

 男は美しかった。
 明治の世になり、断髪令が出て数年。この男もまた髪を短く切っていたが、まとっているのは、いかにも値の張りそうな薄色の和服だった。
 その装いにそぐう色白の肌、凛然としたまなざし。暑さなど少しも感じていなさそうな顔で見つめられると、一子は縮こまって消えたくなった。

「一子さん、ですね?」

 低くなめらかに呼ばれる。一子は硬くうなずいた。

「……はい」
守屋(もりや)貴水(たかみ)と申します。お見知りおきを」

 京言葉の抑揚がにじむ声で男――貴水は言い、軽く頭を下げる。どうやら地元の人間ではあるようだ。一子も黙って頭を下げた。
 ジーワ、ジーワジワ。蝉の鳴き声が、二人の座るボロ家の部屋に這い入ってくる。一子は片手でこめかみの汗を拭き、貴水に向き直った。

「それで、何のご用でしょうか」
「単刀直入に申します。一子さん、私の妻となり、三カ月後にその命を捧げていただきたい」
「……はい?」

 意味が分からない。妻になって? 命を、捧げる? 一子はぽかんとして貴水を見やった。
 貴水は小さく息をつく。そして片手で一子の顔を指し示した。

「あなたの痣――それは、並外れた霊力の証です。そう言われたことはありませんか」
「……ありますけど」
「その力を見込んで、あなたにしかできないことをお願いしたいのです」
「それが……命を捧げること、ですか」

 つまりは死ねと言われているのだ。現実離れしすぎていて、恐怖も怒りも何も湧いてこない。ただ純然たる驚きのみをもって、呆けたように貴水を見つめてしまう。

「我が守屋家は高い霊力を持つ一族であり、京の都に封じられた神を代々お守り申し上げております。その一環として、五十年に一度、ご神体に一族の者の血を捧げ、災厄を防いでまいりました」

 ぞわり。一子はひそかに戦慄した。
 あまりに突拍子もない話だ。だが、貴水の語り口には、どこか容易に疑えない薄気味の悪さがあった。

「ここ数十年はなぜか子が生まれ育たず、もはや(にえ)の適格者は私しか残っておりません。しかし私が己を捧げれば守屋の血は絶えてしまい、次の『奉血(ほうけつ)の儀』が行えなくなってしまう」

 そこまで言って、貴水は深く頭を下げた。

「どうかお頼み申します。あなたの霊力であれば、歴代の(にえ)にも匹敵します。我が妻となって守屋の一員となり、神にその身をお捧げいただきたい」

 蝉の声が響く。胸の中の空洞に反響する。
 どうせ自分の人生はろくなものにはならないと分かっていた。弟妹が立派に育ってくれるなら、それでいいと思っていた。
 その予感の行く末が、これか。

「ただで死ね、言わはるんですか」
「……ただというわけではありません。お望みがあれば何なりと」

 ――ああ、そういうことならば、話は違ってくる。
 とっさに頭の中でそろばんをはじく。
 今のご時世、安楽に暮らしていける給金が月二十円。それを十二カ月、三人分。上の弟は十三歳、下が十歳、妹は八歳。諸々の費用も加え、万が一のことも考えて、願いましては――

「ほんなら、一万円。きっちり準備してください」

 一子が言うと、貴水はじっと口をつぐむ。ややあって、薄く形のよい唇が再び開いた。

「一万となると、さすがにすぐには支度できません」
「それでも、うちが死ぬまでには用意できはりますやろ? 人に死ね言わはるんやから、そんくらいの覚悟は持ってもらわんと」

 普段はこんなに強く出られない。弟妹のためと思えばこそだ。
 三人の顔を思い浮かべ、唇をきゅっと結んで貴水を見つめる。
 貴水は折れたように視線を逸らした。

「……いいでしょう。しかし、どうしてこれほどの大金を?」

 一子は小さく息をついた。この男、一子の霊力のことは調べてきていても、家族のことは何も知らないらしい。
 別に弟妹のためだと言って憐れまれる必要はない。愛する者の面倒は自分で見る。
 背筋を伸ばし、一子は言い放った。

「うち、守銭奴ですから」

  ***

 守屋家の一員となるため、一子と貴水は正式な婚礼を挙げた。
 弟妹たちは、今までも時々手を貸してくれていた親戚の家に預けた。お嫁に行くことになったから、と説明したら、幼いながらに寂しさを押し殺して祝ってくれた。
 貴水が金を用意してくれたら、何らかの手段で、弟妹たちが成人するまで少しずつ届けてもらおう。その手配さえうまくできれば、あの子たちは安泰のはずだ。

 ……会いたいけれど。寂しいけれど。
 そう思いながらじっと庭を見つめる。

 今の一子は、外に出ることができない。守屋邸に閉ざされているからだ。京都の端に位置する大きな屋敷、その最奥に張られた結界の中に。
 一子が死ぬ日――『奉血の儀』の日までに霊力を限界まで高めつつ、邪悪なものにかすめ取られることを防ぐためなのだそうだ。
 日々の暮らしは不自由なくさせてもらっている。まともな食事、きれいな衣装、やわらかな布団、美しい庭の眺め。それもこれも一子を死なせる埋め合わせなのだろうと思うと、たいして心は躍らない。
 だが、使用人とは仲良くなった。優しい中年の女性だ。思い切って弟妹のことを話すと、用事のついでに様子を見に行ってくれるようになった。
 貴水は気づいていないはずだ。どうせ自分にさしたる興味もなく、目的のために利用しているにすぎないのだから。

 ――そう思っていたとき、ふいに(ふすま)の向こうで足音がした。
 誰だろう。一子が首を傾げるや、静かな声が聞こえた。

「一子さん、失礼します」
「はい……貴水様」

 一子は立ち上がり、結界の端まで歩いていった。すう、と襖が開き、貴水が姿を現した。
 貴水の背は高い。ごく普通の身長の一子は、彼の肩ぐらいまでしかない。その貴水に見下ろされ、一子は小さく固唾を呑んだ。

「一子さん、使用人を外に送っておられますね」
「……それが、どうかしましたか」

 体に緊張が走る。思わず一歩後ずさる。止められるのだろうか。弟妹の様子が分からなくなるのだろうか。
 貴水は淡い色をした瞳でじっと一子を見やり、口を開いた。

「あなたのご弟妹(きょうだい)のことを、調べさせていただきました。見返りの一万円というのは、彼らのためだったのですね」

 ざわ、と首筋の毛が立つような警戒感を覚えた。一子はもう一歩後ずさりながら、かろうじて貴水に反駁した。

「うちらを惨めやと思うたはるんですか。憐れみはいりません」

すれば貴水は唇を噛んだ。そして半歩踏み出し、結界の境ぎりぎりに立った。

「それは違います。――私はあなたを、尊敬しとります」
「……え?」

 一子は目をしばたたいた。
 尊敬。十九年生きてきて、一度としてかけられたことのない言葉だった。
 醜い。汚い。狐憑き。そんなことなら掃いて捨てるほど言われてきたというのに。

「ずっと……大変だったことでしょう。ご両親を亡くされて、仕事に就くのも苦労されて、それでもご弟妹を立派に育て上げてきて。そんなあなたは、敬すべき相手以外の何ものでもありません」

 薄色をした切れ長の瞳が、まっすぐにこちらを見ている。
 一子の頬がじわりと熱くなった。

(……いけない)

 そうとっさに思ったのは、なぜだろうか。心臓が強く脈打っているのを感じるから。呼吸が苦しくなるのを感じるから。
 かろうじて声を押し出した。

「ご心配は無用です。いただいた一万円があれば、あの子らは二十歳まで安楽に暮らしていけますから」
「……しかし、一子さん」

 貴水の瞳に浮かんだものを、一子は知っている。
 あれは迷いだ。両親の死んだ日に、一子が捨て置いてきたもの。
 一子は小さく微笑み、貴水の顔を見上げた。

「約束は約束です。安心してうちを斬らはってください、貴水様」

 貴水はじっと黙ったまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。

  ***

「お(ねえ)!」
「一子姉!」

 繕いものをしていた一子は、突然の幼い声に驚いた。まさか、そんなはずはない。
 だが、勢いよく襖を開けて飛び込んできたのは、他でもない、弟二人と妹だった。
 口々に一子の名を呼び、結界の端ぎりぎりまで駆けてくる。

「お前たち……!」

 一子は繕っていた布を放り出し、裾をからげて走り寄った。ちょうどそのとき、弟妹たちの背後から、貴水が姿を現した。

「お姉、こっから先には入ったらあかんって、貴水兄が」
「せやけどうちら、毎日ここまで来るから」
「一子姉に会いにくるから!」

 茫然と手を伸ばし、触れられないと気づいてひっこめる。それでも、もう会えないと覚悟したはずの弟妹たちがこうしてそばにいるのは、言いようのない喜びだった。
 一子の目の端にじわりと涙が浮かんだ。

「……貴水様、どうして」

 すれば貴水は薄く微笑んだ。

「彼らは我が家の離れに住まわせます。学業を終え、成人するまで、必ず面倒を見ると約束しましょう。守屋家の名誉にかけて」
「本当に……?」

 ぽろり、ぽろり。一子の頬を熱い滴が伝い落ちていく。
 これ以上、もう望むべきことはない。一子は膝をつき、両の手を合わせた。

「……ありがとうございます、貴水様」

 ――この人は、優しい人なのだ。途方もなく優しい人なのだ。
 そう、今になって一子は気づいた。
 自分に死ねと告げることも、本当は胸が痛んで仕方なかっただろう。こんな因習をもつ一族に生まれて、きっとつらいことばかりだったろう。

 理解すればするほど、涙が止まらなくなる。胸が温かくくすぐったいもので満たされて、この場で死んでしまっても構わないような気持ちになる。

(ああ……貴水様)

 うちの命を奪うのがあなたで、もしかするとよかったのかもしれない。

「立ってください、一子さん。」

 貴水が焦ったように言い、膝をつく。弟妹たちが心配そうに顔を覗き込んでくる。
 一子は大切な者たちの顔をじっと眺めやり、小さく微笑んだ。

  ***

 三カ月というのは、長いようであっという間だ。
 ついに奉血の儀の日がやってきた。

 当日の未明、一子は三カ月ぶりに結界を出た。貴水に導かれ、屋敷の裏手にある社へと向かう。
 社の拝殿に入ると、地下に降りる階段が続いていた。不気味に軋む足元を危ぶみながら、地面の下へと降りていく。じっとりとした空気が、白い衣装をまとった一子の首筋を舐めた。
 逃げ出したくなる。けれど、先をゆく貴水の背をじっと見つめて耐えた。

 やがて階段が終わった。貴水が壁の松明に火をつける。浮かび上がったのは荘厳な祭壇だった。ここに守屋家の仕える神が封じられているのだ。
 一子は前へと進み出て、事前に教わったとおり、祭壇の前で首を垂れた。貴水が腰に佩いた刀を抜き、冷たい切っ先を一子の首筋に当てた。

(……さようなら、弟妹(きょうだい)たち。さようなら、貴水様)

 刀が振り上げられる。だが――刃は落ちてはこなかった。
 一子はちらりと視線を上げる。そして息を呑んだ。
 貴水が自分の首筋に刀を当てていたのだ。赤い血がしたたり落ちる。
 一子は驚愕して貴水の腕にすがりついた。

「……貴水様っ! あきまへん!」

 貴水は決然とした瞳で一子を見返した。

「やっぱりあなたを殺すわけにはいきません。弟たちや妹が待っているでしょう!」
「せやけど、貴水様! 貴水様も、うちの家族です!」
「っ……しかし!」

 刀が貴水の白い肌に食い込んでいく。一子はますます焦り、刀身を素手でつかんだ。

「絶対に――あきまへん、貴水様!」
「一子さん!」

 大胆な一子の行動に驚いた貴水が身じろぐ。切れた一子の手のひらから血がはね、祭壇に跳び散った。

「あ……」

 貴水の顔から色が失われた。それと同時に、祭壇がガタガタと激しく揺れ始めた。
 次の瞬間、何本もの黒々とした触手が祭壇を突き破って現れた。

「なっ……」
「これが、神様――?」

 あまりにも禍々しい。背筋が凍りつくような感覚が襲ってくる。
 貴水がかぶりを振り、一子を抱き寄せた。

「違う、これは妖魔だ。我が一族は、ずっと――偽神を封じていたのか……?」

 いつもは凛然としている貴水の声が震える。一子は貴水の手を強く握った。

「貴水様、どないすれば……」
「戦うしかない。これを外に出すわけにはいきません」

 戦う。その言葉を聞き、一子は固唾を呑んだ。

「貴水様。うちには強い霊力がある、言うお話でしたね。うちはあなたのお力になれますか」
「……なれる」

 貴水は生傷が刻まれた一子の手を取る。そしてその血を刀に滴らせ、何事かを唱えた。
 とたん、刀が蒼白く光り始めた。

 貴水は一歩前へと進み出て、高々と刀を振り上げた。

()(めぐ)みを()けても(そむ)(あだなえ)よ! 我が(つま)の力にて――屈服せよ!」

 ――(ざん)。刀が振り下ろされる。
 耳を裂くような絶叫。妖魔は両断され、黒い煙となって溶け去った。

 塗りこめたように暗かった地下に、ぼんやりと明かりが差し始める。禍々しかった気配が消えていく。
 体からへなへなと力が抜けていく。そこをはっしと抱き留められた。
 振り返れば貴水と目が合った。考えることもできないまま、強く抱き合った。

  ***

 庭の方から賑やかな声が近づいてくる。一子は繕いものをする手を止め、愛しい者たちに微笑みかけた。

「貴水様が遊んでくれはったん?」
「うん!」
「よかったねえ」

 弟妹たちの背後から貴水が現れる。彼は目を細めて一子に歩み寄り、彼女の膨らんだ腹をそっと撫でた。一子も微笑み、貴水の手に手を重ねた。
 二人は名実ともに夫婦に――家族になった。そしてじきに、新しい家族も生まれてくる。
 けれど、この子が守屋の因習に苦しむことは、もうないのだ。
 その喜びをかみしめながら、一子は貴水の顔を見上げる。彼の優しい瞳が一子を受け止める。二人の唇がそっと重なり合った。