「好きやで」って言って!

「えっ、めっちゃビジュいいじゃん麻住」
 教卓を陣取ってメイクを直していた田原さんがぱちぱちと瞬いている。彼女の周りにいた女子たちも振り返っては「すごーいデコだし貴重」「眉毛きれいだからTゾーン出すの正解だよ」「てか肌きれー」と口々に言った。
 おはようございます、と言おうとしていたのを遮られて「あ……」とだけ声が漏れる。そわそわしてしまい、意味もなく手のひらを太腿に擦りつけてみた。
「そう、ですかね……? 変じゃないです?」
「え、めっちゃいいと思うよ! やっぱり体育祭だから?」
 とつけまつげをバチバチにして、目元がラメできらきらしている田原さんが言う。
 わたくしは「そういうわけではないんですけど、兄が……」と苦笑いを返した。朝のことを思い出すと未だに笑えてくる。田原さんは興味をひかれたのか持っていた手鏡を置いてなになに、と顔を近付けてくる。
「麻住ってお兄ちゃんいたんだ? 弟なんだ?」
「ああ、はい、上に兄が二人。結構歳離れてるので、今日のために昨日から有給もぎとってきたらしくて」
「えー愛されてんじゃん。それもお兄ちゃんに?」
 リボンがついたメタルックなネイルチップをつけた田原さんの指がわたくしの頭を指さす。ええ、と頷いたら、すごいじゃんと言いながら今日は絶対勝とうねと肩を叩かれた。
 先に教室の机で駄弁っていた男子軍団のところへと向かうと、浅野はまだいないらしい。
 おはようと声をかけながら席に座ると、彼らもわたくしを見るなり「調子のってんなー?」「いつもと違うじゃーん」と声を上げる。一人が髪を崩そうと手を伸ばして来た。
「え、マジでそれはやめろ?」
 立ち上がって距離をとると、どっと笑いが起きる。
「ちょっと麻住のこといじめんなよー」
「浅野に殺されるぞおまえ」
「殺さないでしょ、あの人は」
 と言いながらもとの席に戻る。男子たちは悪い顔をしてそれはどうかな、と笑った。
 ふだんはブラシとドライヤーで寝癖を直すくらいで、視界が開けているのが新鮮でへんな気持ちになる。センターパートにしようなあ、とにこにこしていた上の兄を思い出す。今付き合っている女性が美容師らしいので詳しいのだろう。知らんけど。
 兄二人の手によって普段よりもしっかりとセットされた髪の毛は動いても揺れないので、たしかに、体育祭にはもってこいだ。
「なんか、いつもより麻住の顔見えていいな」
「おまえちゃんと顔かっこいいんだからもっと見せろよ」
「それは、嬉しいですけど……」
 照れてしまって、顔がどんどん赤くなっている気がする。やばい。そもそも褒められ慣れてないのだからしょうがない!
 両手で口元を覆って、ふるふると首を振る。
「照れてんのー?」とからかいまじりの声が聞こえて顔を上げた。
「いやっ、あの! うちの兄のほうがめちゃくちゃかっこいいですから! わたくしなんて滅相もない!!」
 ひとりであっぷあっぷしていると、後ろから頭を軽く抱え込まれ、そのままくいっと上を向かされた。髪は崩れないように、顎を軽くすくわれて。
 ――あ、近い。

「素直に嬉しいって言いなよ、マスミちゃん?」

 ドクン。ドクン。ドクン。
 心臓の音がすごく近くに聞こえる。胸がぐわああっと熱くなって、頭の中が真っ白に焼け落ちてしまった。やさしく緩められたまなじりと、黒い目がまっすぐにわたくしを見ている。
 にこ、と笑った浅野はぱっと手を離して「おはよう」と言った。
 行き場を失った手を膝の上に戻して、口を半開きにしていたことに気付いてきゅっと結ぶ。浅野はなにを勘違いしたのか、顔を寄せて「体調悪い?」と心配そうにして肩を抱いてくる。
「……いや、いま、あかん……」
 弱々しく漏れた声が、自分のものとは思えないくらい震えている。浅野は「まって今そこで出るの?」とわたくしに合わせて小声で言って、赤くなった顔を隠すように肩を貸してくれた。
 ぐりぐりと肩口に顔を押し付ける。
 さっきみんなに褒められたときとは全然違う、変なドキドキが止まらない。浅野の肩は筋肉で分厚く覆われていて、背中をさする手は大きくてあたたかい。
「え、麻住どうしたん?」と男子のひとりが言う。
 なにか答えなきゃ、と思って口を開いたけれど。
 いや、まて、今しゃべったら絶対にぼろが出る……! 今どうやったって関西弁しか出てけえへん……!
「あさのぉ……」
 助けを求めて腕の中からちら、と見上げてみる。浅野は真顔でわたくしを見下ろしてから、にこ、と目元だけで笑って男子たちのほうへと向き直った。
「からかわれすぎて恥ずかしくなったみたい! おれのせいだね!」
 わはは! と本当に楽しいときにしか見せない高らかな笑いをしてやがる。
 男子たちもつられて笑い、わたくしは浅野の肩に顔を擦りつけながら、こいつめ、このぉ、と恨めしげに太腿を叩いた。痛っ、痛っ、と小声で耐えているのが面白くてくふくふ喉の奥で笑う。
「今日かっこいいじゃんマスミちゃん」
「ん……変やない?」
「いいよ。ちょーいい感じ。でも落ち着くまでしゃべるのやめようね」
「ん」
 ぐりぐりと鼻先を押し付けてみる。いつもよりも落ち着いたシャボンの香りがした。もしかして、香水を変えたのだろうか。
 やさしく頭を撫でられて、「髪、崩れるよ」とやさしい声が降ってきた。