「好きやで」って言って!

 少し時は戻り、今日の朝。
 朝のホームルームが終わって、さあ次は物理基礎ですか、寝なければいいな、と思いつつロッカーに行こうとあげた腰が途中で止まった。
 後ろから伸びてきた手に肩を押さえつけられたからだ。振り返って、顔を見る。
 むくれているような、じとっとした目で見られていた。
「えー、なによ? どうしたんですか」
 浅野は珍しく、寝坊でもしたのか髪の毛がほわほわと窓から入ってきた風に揺れていた。かわいいなあ、とその毛先を見ていたところで、両手で肩を掴まれる。
 浅野がきれいな顔――つまり真顔で言った。
「せっかくマスミちゃんの弱み掴めたのに、おれが堪能できないのは損じゃない!?」
「うるさっ」
 クラスが騒がしくて助かった。
 わたくしは戒めるために浅野の頭をこつん、とかるく叩いて、
「なんてこと言うんです」
「ええっ、だってさあ、おれはマスミちゃんの関西――」
「オイ」
「あっ、……ごめん!」
 まさか誰が聞いてるかわからないところで言い出すのはやばいぞおまえ。なんならここど真ん中だぞ教室の。
 浅野はしょもしょもと小さくなって、ごめん、ともう一度言った。気を付けてくれたらいいよ、と言うと、きらきらとした目でわたくしを見た。すごい嬉しそうだなあなた。
 浅野は声をひそめて、「それでさ」と続けた。
「提案なんだけど、昼一緒に食わん?」
「いいですけど……なんの関係が?」
「誰もいないところ探すからさ。おれたち二人だけで。マスミちゃんはさ、向こうにいたときの話いっぱい聞かせてよ」
 浅野の目は澄んでいる。
 悪意も、恣意も、なにもない。何も企んでいない。ただそうしたいから、わたくしにそう頼んでいるんだろうと言う実直な態度。
 あと、たぶん、浅野はけっこうわたくしのことを気に入っている。
 そう思うと、なんだかそわそわするのだ。もっとわたくしを見てほしい、もっとそばにいてほしい、と思う。離れてしまうと落ち着かない。
 変な意味じゃなくて、こんなふうに真っ直ぐ好意を向けられるのに慣れていないから、だ。たぶん。うん、きっとそう。
 まあ、仕方がないな。と、ため息をついて微笑むと、浅野が「へへ、ありがとうね」と先に言うので、
「まだ返事してないでしょうが」
 とちょっと恥ずかしくなって言うので精一杯だった。

 予想外だったのは、彼のファンクラブ(漫画かよ、と思ったが彼の所属するバスケ部の女子マネージャーを中心にせっせと人数が増えているらしい)が昨日の練習試合での活躍を見て写真を撮りたいと昼休みに彼を探していたことだった。
 のんきに、「一緒に食べようね」「いいですよぉ」「アレ、避雷針コンビ仲良しだね〜」と田原さんが混ざってくるのに「あっちいけおまえ!」と浅野がふざけていたときに、無数の女子軍団が教室に詰め寄ってきて事態が発覚した。
「浅野センパ〜イ」
「写真撮ってくださぁい」
 教室の前ドアから身を乗り出す後輩女子たちはまあまあな数だ。
 ――うわ、ゾンビみてえ。
 わたくしがつぶやいた声にぶっ、と吹き出す浅野。
 察した田原さんが「なにしてんだ後輩ィ」とおらついて気を逸らした間に二人で廊下を爆走したのだが、追いつく子もいたので、(そもそも数が多い)旧校舎だの理科棟だのをあっちにこっちに逃げ惑っていた。
「今日ほど右往左往という言葉が似合う日ないわ」
 しみじみと呟くと、浅野がへんな顔をした。
「なんや」
「たぶん東奔西走だと思う」
「あ、恥ずかしっ」
 浅野がコンビニブランドのサンドイッチを頬張りながら笑っている。
 話すような昔話はあったかなあ、そもそもあれは言葉のあやとかかなあ、と考えてみた。
 が、そういえば。
「浅野は、体育祭、なに出るん?」
「ん? ふはいほう、うっふふふふふ!」
「笑うか食べるかどっちかにせえよ」
 浅野のツボに入ってしまったらしいので、とりあえず無視して、
「わたくしは広報なのでカメラマンになりますけど」
 浅野はへえ、と相槌を打って、微糖のコーヒーを飲んだ。センスがちょっとかっこいい。
「おれはねぇ、部対抗リレーと借り物競走かなぁ。あ、ヘルプで応援団」
「ああ、イケメンしかなれないやつですね」
「口調戻ってるう」
 野菜スティックの大根をがりがりしながら睨まれる。
「ごめんやん」
「それは関西弁じゃないでしょ」
「バレたかぁ」
 もう直ぐ体育祭が迫っている。
 体育祭が終わるとすぐに中間考査になるので、特段勉強が苦手ではないけど、得意でもないわたくしはちょっと憂鬱だ。
 あと走る以外の運動が基本的に苦手なので体育祭もそんなに楽しくはない。
 地球なんて滅びちゃえ。
「マスミちゃんも応援団やる?」
「やらんよ。広報やから撮る側です」
「えー、マスミちゃんもかっこいいからさあ、映えると思うんだけどなあ」
「誰にでも言ってるでしょう」
「言ってないよ。マスミちゃんだけね」
 じわわ、と顔に熱が広がる。それは、もう、素直に、嬉しいですけども。
 ――だから、浅野は、よくない。
 浅野が人差し指と親指でフレームを作る。
 片目をつぶって焦点を合わせているので、まんなかでピースをしてみた。
「ぐっ」
「どないしたん」
「マスミちゃんが可愛かった」
「はいはい」
 結構本気なのになあ、って机に突っ伏した浅野が言う。女の子がチャラい男に言い寄られてる時ってこんな感じなのかな、ってちょっと思った。
 べつに浅野がそうだってわけではないけど!
 黙々と食べる途中に、浅野がソリで滑って転ぶ子犬の動画を見せてきた。
「あら、かわいらしい」
「マスミちゃんはどっちかっていうと狼だね」
「何と何の二択で狼になったんや」
「あっはは!」
 カーテンから漏れた光に照らされて、毛先がふわふわ揺れている。
「ん? なに」
「あ」
 無意識に撫でていたらしい。
 ごめん、と謝って引っ込めようとした手を、きれいな手がするりと捕まえる。
「なんで? もっとしていいよ」
 まっすぐに見つめられて息が詰まった。
 いや、わたくし、本当に、この男に弱い。
「……えっとぉ……じゃあ、触ります……」
「敬語」
「ほんならさわるでぇ!」
 わしゃわしゃ、とやってやったら、浅野がケラケラ高く笑った。
 細い髪の毛を手の平に広げてしげしげと眺める。
「浅野はさぁ」
「うん」
「これは地毛やないよな」
「……まって指導部とかに突き出したりとか」
「せんわ!」
 よかったあ、と安堵する浅野と笑いあう。わたくしそんなひとじゃありませんよ。
 ただ、と声を落とす。
 これは、ただのわたくしのわがままだ。
「わたくし、あなたが黒い髪だったらもっとかっこいいだろうなって思ってたんですよねぇ……」
 ――ああ、そうだったな。
 わたくし、小さい頃は黒くて大きい犬が欲しかったんだっけ。
「染めてる理由とかあるんですか?」
 と尋ねてから、やばい、いま敬語に戻ってたな、と浅野の顔を伺いみると、
「んーん……別にないよ」
 と、珍しく穏やかに唇を引き上げただけの顔で答えられた。
 なんなんだその顔……と思っていたわたくしは、次の日、髪を黒く染めてきた浅野を見て「あなたは馬鹿なのか!?」と叫ぶことになった。