十七の誕生日には年の離れた兄二人も帰省し、帰宅したら自室にプレゼントまで用意されていた。
「おめでとう、恵司!」
「……兄さんたち、あんなに忙しいのに帰ってきたんですか?」
気恥ずかしくて憎まれ口をたたく。帰って来なくたってよかったのに、と言外に含ませて。
「あら、なんて子」上の兄が頭を撫でてくる。「恵司に会いたくて有給使ったんですけどぉー?」
「あっ、やめてくださいよもう!」
「アニキ、末っ子が可愛いのは分かるんだけど、そろそろ食べようよ。腹減ったわ」
下の兄が呆れ顔で言って、聞き分けの悪い上の兄はおまけとでも言いたげにわたくしの頭をくしゃくしゃに撫でた。
父は大手銀行の重鎮。母は大学教授。わたくしのあこがれであり自慢の兄たちは大企業に就職し、残すは大学進学直前のわたくしだけ。両親と兄からの期待に応えたくて、来る日も来る日も勉強と部活に励んだ。
『恵司は良い子だから……』兄も、両親も、友人もみんなそう言うけれど。
最近はその言葉がつらい。
だって、わたくしは、本当は、そんなに良い子じゃない。
良い子じゃないまま春が来て、三年生になった。本校は文系理系に分けられてクラス分けされるから、人数が少ない文系選択のわたくしのまわりはあまり変わらない。だいたいクラスの半分くらいが知らない顔になるだけだ。
去年からの友人が数人、おはよう三年生もよろしくと声を掛けに来て、柔和に笑いつつ同じように返した。
始業式前に挨拶を交わす見知らぬ顔を横目に、ぼうっと外を眺める。桜は満開だけれど空は曇っている。
「麻住ー!」
元気のいい声が聞こえて、顔を上げる。「だれ?」「マスミ?」とささやきあう声。ただでさえ声がデカいのに、とため息をつきつつ腰を上げた。
「なんですー?」
廊下にいる細山にあきれ顔をしながら席を立つ。
となりに座っていた男子(わたくしが知らないのでたぶん文転の生徒)が「エッでかっ」と声を上げた。クラスの半分くらいから視線を浴びる。
去年の身体測定では180を超えていたから、もうちょっとは高くなっているだろう。視線をかわしてあいまいに笑いながら十歩もかからず廊下につく。
「麻住、ビビられててウケるんだけど」
「心外ですね。そんなにイメージないですか?」
「座ってたら分かんないよ。なんか、立った瞬間に下半身がぬーんって伸びてる」
「なわけないでしょう」
わたくしの爪先から頭のてっぺんまでをぐるりと見定めた細山が、うん、とドヤ顔で頷く。うんじゃないよ。
身長の割に細身ではある。だからといって特段華奢なわけでもないのだが、座高がものすごく低いから立つとびっくりされることはしばしば。細山にはだいぶ前に『脚が長いからだろ』って言われたけれども、それは関係があるのか? と思っている。
「で、お願いなんだけど」
「課題見せてくれってお願いなら断りますよ」
「えー!」
予想していた言葉が聞こえたのでコンマで返す。あからさまに残念がって、麻住ケチ、と唇をとがらせる細山に「わ、すごい、ぜんぜんかわいくない」と口元を押さえて笑った。「うるせえよ!」ってギャンギャン騒ぐから通りすがりの先生に二人まとめて睨まれた。
打率ゼロ割と知りながら頼みに来る細山の、かまって! な感じは結構好き。にっこり、と営業スタイルをして腕を組む。
「これまでだって断ってきたでしょう。あなたのためになりませんよ」
「うーっ、そうだけどさあ……」
「二年間断ったのに懲りませんね」
「そうだけどさあ……!」
しょも、と眉を下げる。やめなさい、その顔わたくしには効かないから。
「はーい、ほら、帰った帰った」
「あーもー!」
体をひっくり返してぐいぐい背中を押すと、十センチ近く離れた細山の頭がぐるぐる揺れながら抵抗している。またギャンギャン騒ぐから、ついさっき通り過ぎたはずの先生が隣のクラスから顔を出した。
「しょうがないな、中間テストは付き合いますから!」
「えっほんとに!?」
だから静かに、と言う前に細山が飛び跳ね、先生が「静かにしろ!」と怒鳴った。なんなら「麻住! ちゃんと細山の手綱握っとけ!」と。意味が分からない。
しょもしょもと萎れていく細山を笑う。
「わたくしの馬ではないんですけど……」
「ひっでー、麻住っておれのこと嘲笑うの好きだよな」
「人聞きが悪い。勉強教えませんよ」
「あーあーごめんって!」細山がわたくしの肩を掴んで揺さぶる。「本心じゃないからぁ」
「じゃあ許します」
細山は目をきらきらさせてわたくしを見上げる。ああ、その顔見覚えがあるな。犬だ。おやつの時間じゃないのにねだる犬。愛嬌のある振る舞いに、ふふ、とつい口元を緩めた。
「ごめん。そこ、通してほしいかも」
「あ、ごめんなさい」
つい出入り口を塞ぐように立っていたらしい。細山をぐいぐい押し出し、そそくさと廊下に出て道を開けた。
「どうぞ」
と相手の顔を見て言おうとして、なかった。顔が。
「ごめんね、ありがとう」
上から声が降ってくる。優しいテノール。そろそろと目線を上げて、目が合う。
――いや!
「デッ……カ……!」
つい漏れた声に、相手がゆるうと目元をゆるめて「わは」と柔らかく笑う。
わたくしよりも高い人なんてほとんどいなかったのに。それもちゃんと違いがわかるくらい高い。だって目線が違う。ちょっと悔しくて「何センチですか?」と、自己紹介なんかよりも先に尋ねたら「190」と返ってくる。
「大台乗ってんね」
いまだ170ちょっとの細山がぶうたれて言った。
さすがにわたくしも190センチの人を見たことがなかった。すごい。純粋にかっこいいなと思って、胸がチクチクする。羨ましい。
「わたくし見下されたのはじめてなんですけど……」
「あれぇ、麻住、新体験だった?」
ちょっと拗ねた口調になったわたくしをにやにやしながら細山が覗き込んでくる。肩を押し返したら「そろそろホームルームだから行くわ!」と飄々と去って行った。帰り際に先生に注意されていて笑った。
「そっちは何センチなん?」
「180は超えてますけど……」
明るい茶髪の隙間から耳たぶがのぞいて、ピアスがジャラジャラついていた。偏見があるわけじゃないけれど面食らう。こんな人うちの学校にいたんだ。
「だね。めっちゃ顔近いもん。話しやすい」
嬉しそうに目を細めて言うから、顔きれいだなあ、とか、変な人だなあ、とかひと通り思ったあとに、ムッとした。
「中身を見てから、言うべきだと思いますけど?」
「わは。そうだねぇ」
彼は出入り口の枠に頭をぶつけそうになって、ちょっとかがんで教室に入った。
ホームルームで、後ろの女子が黒板が見えないと訴え、彼の後ろにいた生徒はほとんどが見えないと訴え、二人まとめて一番後ろの席になった。
ホームルームの終わりに起立すると、明らかにわたくしと彼だけが頭一つ抜けている。「避雷針みたいだな」と先生が言ってクラス中がドッと沸いた。彼――浅野春はポケットに手を突っ込んでゆったりと笑っていた。
「おめでとう、恵司!」
「……兄さんたち、あんなに忙しいのに帰ってきたんですか?」
気恥ずかしくて憎まれ口をたたく。帰って来なくたってよかったのに、と言外に含ませて。
「あら、なんて子」上の兄が頭を撫でてくる。「恵司に会いたくて有給使ったんですけどぉー?」
「あっ、やめてくださいよもう!」
「アニキ、末っ子が可愛いのは分かるんだけど、そろそろ食べようよ。腹減ったわ」
下の兄が呆れ顔で言って、聞き分けの悪い上の兄はおまけとでも言いたげにわたくしの頭をくしゃくしゃに撫でた。
父は大手銀行の重鎮。母は大学教授。わたくしのあこがれであり自慢の兄たちは大企業に就職し、残すは大学進学直前のわたくしだけ。両親と兄からの期待に応えたくて、来る日も来る日も勉強と部活に励んだ。
『恵司は良い子だから……』兄も、両親も、友人もみんなそう言うけれど。
最近はその言葉がつらい。
だって、わたくしは、本当は、そんなに良い子じゃない。
良い子じゃないまま春が来て、三年生になった。本校は文系理系に分けられてクラス分けされるから、人数が少ない文系選択のわたくしのまわりはあまり変わらない。だいたいクラスの半分くらいが知らない顔になるだけだ。
去年からの友人が数人、おはよう三年生もよろしくと声を掛けに来て、柔和に笑いつつ同じように返した。
始業式前に挨拶を交わす見知らぬ顔を横目に、ぼうっと外を眺める。桜は満開だけれど空は曇っている。
「麻住ー!」
元気のいい声が聞こえて、顔を上げる。「だれ?」「マスミ?」とささやきあう声。ただでさえ声がデカいのに、とため息をつきつつ腰を上げた。
「なんですー?」
廊下にいる細山にあきれ顔をしながら席を立つ。
となりに座っていた男子(わたくしが知らないのでたぶん文転の生徒)が「エッでかっ」と声を上げた。クラスの半分くらいから視線を浴びる。
去年の身体測定では180を超えていたから、もうちょっとは高くなっているだろう。視線をかわしてあいまいに笑いながら十歩もかからず廊下につく。
「麻住、ビビられててウケるんだけど」
「心外ですね。そんなにイメージないですか?」
「座ってたら分かんないよ。なんか、立った瞬間に下半身がぬーんって伸びてる」
「なわけないでしょう」
わたくしの爪先から頭のてっぺんまでをぐるりと見定めた細山が、うん、とドヤ顔で頷く。うんじゃないよ。
身長の割に細身ではある。だからといって特段華奢なわけでもないのだが、座高がものすごく低いから立つとびっくりされることはしばしば。細山にはだいぶ前に『脚が長いからだろ』って言われたけれども、それは関係があるのか? と思っている。
「で、お願いなんだけど」
「課題見せてくれってお願いなら断りますよ」
「えー!」
予想していた言葉が聞こえたのでコンマで返す。あからさまに残念がって、麻住ケチ、と唇をとがらせる細山に「わ、すごい、ぜんぜんかわいくない」と口元を押さえて笑った。「うるせえよ!」ってギャンギャン騒ぐから通りすがりの先生に二人まとめて睨まれた。
打率ゼロ割と知りながら頼みに来る細山の、かまって! な感じは結構好き。にっこり、と営業スタイルをして腕を組む。
「これまでだって断ってきたでしょう。あなたのためになりませんよ」
「うーっ、そうだけどさあ……」
「二年間断ったのに懲りませんね」
「そうだけどさあ……!」
しょも、と眉を下げる。やめなさい、その顔わたくしには効かないから。
「はーい、ほら、帰った帰った」
「あーもー!」
体をひっくり返してぐいぐい背中を押すと、十センチ近く離れた細山の頭がぐるぐる揺れながら抵抗している。またギャンギャン騒ぐから、ついさっき通り過ぎたはずの先生が隣のクラスから顔を出した。
「しょうがないな、中間テストは付き合いますから!」
「えっほんとに!?」
だから静かに、と言う前に細山が飛び跳ね、先生が「静かにしろ!」と怒鳴った。なんなら「麻住! ちゃんと細山の手綱握っとけ!」と。意味が分からない。
しょもしょもと萎れていく細山を笑う。
「わたくしの馬ではないんですけど……」
「ひっでー、麻住っておれのこと嘲笑うの好きだよな」
「人聞きが悪い。勉強教えませんよ」
「あーあーごめんって!」細山がわたくしの肩を掴んで揺さぶる。「本心じゃないからぁ」
「じゃあ許します」
細山は目をきらきらさせてわたくしを見上げる。ああ、その顔見覚えがあるな。犬だ。おやつの時間じゃないのにねだる犬。愛嬌のある振る舞いに、ふふ、とつい口元を緩めた。
「ごめん。そこ、通してほしいかも」
「あ、ごめんなさい」
つい出入り口を塞ぐように立っていたらしい。細山をぐいぐい押し出し、そそくさと廊下に出て道を開けた。
「どうぞ」
と相手の顔を見て言おうとして、なかった。顔が。
「ごめんね、ありがとう」
上から声が降ってくる。優しいテノール。そろそろと目線を上げて、目が合う。
――いや!
「デッ……カ……!」
つい漏れた声に、相手がゆるうと目元をゆるめて「わは」と柔らかく笑う。
わたくしよりも高い人なんてほとんどいなかったのに。それもちゃんと違いがわかるくらい高い。だって目線が違う。ちょっと悔しくて「何センチですか?」と、自己紹介なんかよりも先に尋ねたら「190」と返ってくる。
「大台乗ってんね」
いまだ170ちょっとの細山がぶうたれて言った。
さすがにわたくしも190センチの人を見たことがなかった。すごい。純粋にかっこいいなと思って、胸がチクチクする。羨ましい。
「わたくし見下されたのはじめてなんですけど……」
「あれぇ、麻住、新体験だった?」
ちょっと拗ねた口調になったわたくしをにやにやしながら細山が覗き込んでくる。肩を押し返したら「そろそろホームルームだから行くわ!」と飄々と去って行った。帰り際に先生に注意されていて笑った。
「そっちは何センチなん?」
「180は超えてますけど……」
明るい茶髪の隙間から耳たぶがのぞいて、ピアスがジャラジャラついていた。偏見があるわけじゃないけれど面食らう。こんな人うちの学校にいたんだ。
「だね。めっちゃ顔近いもん。話しやすい」
嬉しそうに目を細めて言うから、顔きれいだなあ、とか、変な人だなあ、とかひと通り思ったあとに、ムッとした。
「中身を見てから、言うべきだと思いますけど?」
「わは。そうだねぇ」
彼は出入り口の枠に頭をぶつけそうになって、ちょっとかがんで教室に入った。
ホームルームで、後ろの女子が黒板が見えないと訴え、彼の後ろにいた生徒はほとんどが見えないと訴え、二人まとめて一番後ろの席になった。
ホームルームの終わりに起立すると、明らかにわたくしと彼だけが頭一つ抜けている。「避雷針みたいだな」と先生が言ってクラス中がドッと沸いた。彼――浅野春はポケットに手を突っ込んでゆったりと笑っていた。


