きみに幸せを

「帰りたくないなぁ。」

 ぽつりと零した言葉は思ったより小さくて、掠れていた。ポケットからスマホを出して画面を見る。時刻は午前0時02分。誰かからの連絡などいつも通りひとつもない。

 家に帰りたくない日はいつも同じ場所に行く。いつからかそんな習慣が身についていた。近所の商店街の路地裏。暗くて、ジメジメしていて、ネズミでもいそうな雰囲気。僕にはそれが心地よかった。

 きっと、世の高校生達は「やっと家に帰れる」と心を弾ませているか、友人や恋人とどこかへ遊びに行ったりして充実した時間を過ごしているのだろう。

 商店街はたまに人が通る。幸せそうな話し声や笑い声が聞こえる度に、自分が責められているような、そんな気がして嫌だった。それなのに独りは寂しくて。矛盾した思考を持つ自分のことも嫌で、自己嫌悪が渦を巻いた。

 色々考えているうちに気づけば寝てしまっていた。目を覚ました時には辺りは静まり返り、人通りも減っていた。微かに煙草の匂いがする。近くに喫煙所でもあるのだろうか。
 
 スマホを取り出して時間を見る。0時53分。1時間近くも寝てしまっていたのか。それより、もうすぐ母さんが家に帰ってくるはず。帰ってくる前に早く僕も帰らなければ。立ち上がってズボンについた土埃を払って1歩踏み出す。すると、背後から微かな物音がした。

 ネズミか何かか?と振り返る。そこには、ネズミなどでは無い、おそらく僕よりでかい男が壁にもたれて座っていた。

……!?

びっくりして声も出せずにいる僕を見て、男はふっと笑って立ち上がった。

「こんなとこで寝てたら風邪ひくよ?」

立ち上がった彼は想像よりスタイルが良かった。顔もかなり整っている。何より笑顔に余裕がある。陽キャ、とはこういう人を言うのだろう。

「えっと…どちら様…でしょうか」
「俺?俺は四宮(しのみや)(あずま)。…その制服、西高のでしょ?俺近くの北高の生徒だよ。」

へえ…そうなんだ…。と相槌を打っていたが何か引っかかった。


…生徒?

いや、でも煙草持ってるし…


混乱しているのが顔に出たのか、僕の顔を見て(あずま)はくすくす笑う。

「コレ?未成年喫煙ダメだもんね。…バレなきゃいーんだよ。真面目くん」
「ば、バレなきゃいいって…体に良くない…です。それに真面目くん、ってなんですか…」
「タメでいいのに。真面目くんっぽいから真面目くん?」

僕に聞かれても。そんなに学校生活では真面目な方ではない。提出物は、大体いつもギリギリで、たまに遅れて出すし、なんなら出さないことだってある。

「あ、真面目くんの名前…」

彼が言いかけると同時にはっとしてスマホを見る。時刻は午前1時12分。まずい。母より後に帰るとめんどくさくなる。

「す、すみません。そろそろ帰らなきゃなのでで…!」
「え、待っ…」

ぺこりと軽く会釈してから背後で聞こえた制止の声も聞こえなかったことにして家まで走る。家に着いて中に入ると母さんはまだ帰っていなかった。ふう、と安堵の息をついて風呂を済ませ、自室に入ってベッドに寝転がる。


…久しぶりに同年代の人と対等に話した。


正直チャラそうだし僕が苦手そうなタイプだったが。なんだか変に息が抜けた気がした。

普段は母さんが帰ってきて玄関のドアを開ける音がするまで起きているが、その日はそんなことを気にすることもなく眠りに落ちていった。