君を忘れるための春。

「……好きな人、っている?」

凛の真っ直ぐな問いかけに、恭弥は驚いたように大きく目を見開いた。
いつもの面倒見のいいお兄ちゃんの顔が、一瞬で、ただの十四歳の男の子の顔になる。

恭弥は気まずそうに、けれどどこか嬉しそうに、少しだけ視線を斜め下に逸らした。首筋がほんのりと赤くなっているのが、隙間からでもよく分かった。

「……なんだよ急に。凛らしくねぇじゃん」

後頭部を少し乱暴に掻きながら、照れ隠しのように呟く恭弥。
その表情が、すべてを物語っていた。
『好きな人はいない』なんて、そんな否定の言葉はどこからも出てこなかった。

「そ、そうかな? ……ごめんね、変なこと聞いて! やっぱ今のなし!」

これ以上恭弥の答えを聞くのが怖くなったのか、それとも自分の限界を迎えたのか。
凛は真っ赤になった顔を隠すように、勢いよく教室の引き戸を開けて飛び出してきた。

「っ……!」

私は心臓が跳ね上がるのを必死に抑えながら、廊下の隅の、用具入れの影にある死角へと身を隠した。
バタバタと、静まり返った廊下に凛のローファーの音が響き渡り、だんだんと遠ざかっていく。その足音を聞きながら、私は冷たい壁に背中を預けて息を潜めていた。

教室の中に視線を戻すと、残された恭弥がぽつんと佇んでいた。

「なんだよ、凛のやつ……」

恭弥は差し出されたままのチョコの箱を見つめ、不思議そうに、けれどどこか愛おしそうに小さく笑った。

(ああ、やっぱり、そうなんだ……)

二人の間に流れる空気は、私と恭弥のそれとは、決定的に違っていた。
恭弥が教室から出ていく気配がして、私はさらに身を縮める。彼の足音が完全に階段の向こうへ消えるまで、私は暗くなりかけた廊下で、ただじっと待つことしかできなかった。

完全に誰もいなくなった教室。
放課後の独特な匂いが立ち込めるなか、私は自分の席に戻り、引き出しの奥から忘れていたスマホを取り出した。

液晶画面を立ち上げ、写真フォルダを開く。
画面に映し出されたのは、去年の夏祭りで、三人でお揃いのラムネを持って笑い合っている写真。
真ん中で不器用そうに笑う私と、その両隣で、私を守るように笑う恭弥と凛。

「もし……もし凛が、本当に恭弥のことが好きだったら」

液晶の光が、私の視界をじんわりと滲ませていく。

「……私は、どうしたいんだろう」

問いかけても、心の中の醜い怪物は『恭弥を渡したくない』と叫ぶだけで、正しい答えなんて教えてくれない。

そして、もし恭弥も、凛のことが好きだったとしたら。
私はきっと、この二人を前にして、自分の想いに綺麗な終止符を打つことなんてできない。
二人の邪魔になって、勝手に傷ついて、大好きな幼馴染の関係を私のエゴで壊してしまう。

オレンジ色から、完全に深い群青色へと染まっていく窓の外の空を見つめる。

冷たいガラスに、泣きそうな私の顔が映っていた。
私の初恋の終わりが、もう、すぐそこまで迫っていることを、このときの私は痛いほど予感していた。