君を忘れるための春。


小学校に上がってからも、私たちの距離は変わらなかった。
登校するのも、下校するのも、いつだって三人一緒。
少し変わったのはお互いの呼び方くらい。

けれど、体が少しずつ大きくなるにつれて、周りの見る目も変わっていった。

「おい見ろよ、恭弥のやつまた女子二人連れてるぞー!」
「二股だ、二股ー!」

クラスのやんちゃな男の子たちが、どこかで覚えたての大人の言葉を使って、ニヤニヤしながらからかってくる。
そんなとき、恭弥はいつも、
「うるせえ! 幼馴染なんだからいーだろ!」
と、顔を真っ赤にしながらも堂々と言い返してくれた。

めげずに私たちを守ってくれる恭弥は、やっぱり格好よくて。
だけど、からかわれるたびに、私の胸の奥はチクリと痛んだ。

(恭弥は……私と凛、本当はどっちが好きなのかな)

そんな言葉にできない疑問が、澱のように心の底に溜まっていく。


そんなある日の休み時間、事件は起きた。

私の席に他クラスの男子がやってきて、私の筆箱につけていたお気に入りのキーホルダーを、面白半分にむしり取ったのだ。

それは、いつだったかの誕生日に恭弥が「糸に似合いそうだから」と選んでくれた、大切なイルカのキーホルダーだった。

「あはは! これ何だよ、だっせーの!」
「返して……っ! 返して、それだけは本当に大切なものなの!」

必死に手を伸ばしたけれど、体格のいい男の子に頭を押さえられ、涙がポロポロと溢れ出す。

「おい、何してんだ!」

そのとき、教室のドアが激しく開いた。
声の主は恭弥だった。恭弥は怒りで肩を震わせながら真っ直ぐに歩み寄ると、男の子の手からキーホルダーを力任せに奪い返した。

「人のもの勝手に取ってんじゃねえよ! 糸、大丈夫か!?」
「う、うん……ううう、恭弥……っ」

恐怖と安心感で涙が止まらなくなった私を見て、恭弥は焦ったように眉を下げた。
そして、周りの目なんて気にする風でもなく、私の小さな体をぎゅっと力強く抱きしめてくれたのだ。

「ごめんな、遅れて。もう大丈夫だから。糸は俺が絶対に守るからだから心配すんな」

トントン、と背中を優しく叩く、恭弥の手。
洗剤の清潔な匂いと、恭弥の体温が心地よくて。

(ああ、私、これだけで幸せだ。これだけで、胸がいっぱいで、このまま続けばいいなんて……)

この腕の中にいられるなら、世界中を敵に回してもいいとさえ思った。それくらい、私にとって恭弥は特別で、絶対的なヒーローだった。




その日の放課後。

恭弥は親の用事があるとかで、終礼が終わるとすぐに早退してしまった。
結局、その日の帰り道は、凛と二人きりになった。

「今日の恭弥、すっごく格好よかったよね!」

夕日に照らされた通学路を歩きながら、凛がぽつりと言った。

「糸のためにあんなに怒るなんてさ。やっぱり恭弥って、いざというとき頼りになるっていうか、男の子なんだなって思っちゃった」

凛は少し頬を赤らめながら、楽しそうに、愛おしそうに恭弥の話ばかりをする。
いつもなら「うん、格好よかったね」と同意できたはずなのに、今の私の口は上手く動かなかった。

「……うん、そうだね」

気の抜けた相槌を打ちながら、胸の奥で、じわじわと複雑な感情が渦を巻いていく。

恭弥が私を助けてくれたのは、私を『特別』に思ってくれているからじゃないの?
それとも、もし凛が同じ目に遭っていても、恭弥は同じように怒って、同じように凛を抱きしめたのだろうか。

隣で楽しそうに笑う凛の横顔が、眩しくて、少しだけ遠く見えた。
私の心は、夕暮れの影のように、どんどん暗く染まっていく。

このときすでに、私たちの関係のバランスは、少しずつ崩れ始めていたのかもしれなかった。