神妙な面持ちで、まるで何かを確かめるように自分をじっと見つめてくる糸。
響矢はその大きな瞳から視線を逸らすことなく、何がそんなに面白いのか、どこかワクワクとした少年のような表情を浮かべていた。
「あ、名乗るん遅れたな! 俺は、東雲 響矢! 花園高校の剣道部主将や、よろしゅうな!」
握りしめた糸の手を軽く揺らしながら、響矢はいたずらっぽく片目を細めてみせる。
「なんや?糸ちゃんえらい固まっとるけど……もしかして、俺に見て惚れてしもた?」
少し意地悪に、けれど嫌味のない軽快さで笑う響矢。
その低くて弾んだ声が耳に届いた瞬間、糸はハッと我に返り、慌てて自分の手を引き抜いた。
「…っ、あ」
(違う……。恭弥は、こんな笑い方したりしない…)
恭弥はいつだって、面倒見のいい不器用なお兄ちゃんだった。
初対面の女の子をこんな風にからかったり、からっとした関西弁で直球に口説いてきたりなんて絶対にしない。
目の前にいるのは、恭弥ではない。完全に別の人間なのだ。
なのに、どうして――どうして私は、恭弥の残像を残したこの人の瞳から、どうしても目を背けることができないのだろう。
そんな糸の切ない葛藤を、一瞬で切り裂くような乾いた音が道場に響き渡った。
――バシィッ!
「いったぁ! 何すんねん、結月!」
頭を直撃した竹刀の痛みに、響矢は涙目で頭をさすりながら飛び退いた。
そこには、般若のような顔をして竹刀を構えた結月が、肩を怒らせて立っていた。
「あんたなァ! 大会に遅れてきたクセに、私の大事な親友捕まえて何口説いとんねん、ええ度胸しとるわ!! 糸ちゃんは絶対に渡さへんからな!! ほら、男子の試合まだ残ってんねんから、はよ出んかい、このアホ響矢!!」
「結月の親友? ……そらラッキーやな! じゃあこれから毎日、糸ちゃんに会えるってわけやんか!」
結月にどれだけ怒鳴られても、響矢は悪びれる風でもなく、むしろ得をしたとばかりにニカッと白い歯を見せて笑っている。
「……はぁ?」
その様子を見ていた周囲の男子の先輩や他校の生徒たちは、完全に呆気にとられて開いた口が塞がらない。
一年生にして前主将をボコボコにしたあの恐るべき天才・東雲響矢が、東京から来た新入生の女の子を前にして、まるで尻尾を振るワンコのようにデレデレと懐いているのだ。
そのあまりにも変わり果てた主将の姿に、道場全体が奇妙な静寂に包まれていた。
結月の容赦のない竹刀のツッコミによって、ひとまず響矢の猛アプローチの幕は閉じられた。
「ほな、糸ちゃん、また後でな!」
響矢は結月に背中を押されながらも、何度も糸の方を振り返り、ひらひらと人懐っこく手を振って男子コートへと向かっていく。
嵐のように去っていった彼の後ろ姿を見つめながら、糸は道着の胸元をぎゅっと掴んだ。
恭弥にそっくりな容姿と、恭弥からは絶対に想像できない強烈なギャップについていけていない。
京都での新しい生活は、糸が考えていたよりもずっと騒がしく、彼女の止まっていた恋の時間をこれから動かそうとしていた。



