そして、三番手である真琴が出場するとなった、その時のことだった。
「うっ……嘘、ちょっと待って……」
真琴が突然、自分の下腹部を押さえてその場にしゃがみ込んでしまった。
まさかの月に一度の、女性特有の激しい腹痛がこのタイミングで襲ってきたらしい。真琴は冷や汗を流しながら、苦しげに顔を真っ青に染めていた。
「ごめん、結月……ちょっとほんまに、無理かもしれん……お腹痛くて、力が入らへん……」
「えっ!? 真琴ちゃん、大丈夫!?」
うずくまる真琴の異変に、糸はいち早く気づいて駆け寄り、その細い身体を優しく抱きかかえた。
「ちょ、ちょっと待って、今ぁ!? 全国大会レベルのこのタイミングでぇ!? ちょっとどないすんのよぉ、もう試合始まるで!! ――あーもう、とりあえず沙和! 真琴を抱えて医務室に連れてったげて!!」
女子のリーダーである結月は、頭を抱えて文字通り慌てふためいていた。
真琴の身体を心配しつつも、この後の戦況を考えて、結月の顔からみるみる余裕が消えていく。
「どないしよ、作戦ではな、次の相手校の三番手がなかなかのクセモノやから、うちのメンバーで一番素早い動きと圧倒的なパワーがある真琴をあえてぶつける予定やったのに……ほんま困ったわぁ……!」
四番手である澪も、ガタガタと肩を震わせて困り果てていた。
「ええっ! 私じゃあの相手校の人には絶対に敵わへんよ! あんなスピード出せへんし、一瞬で面叩かれて終わりやて……っ」
コートの方からは、無情にも次の試合を促す審判の呼び出しの声が響いてくる。
あと数分で身代わりの選手を立たせなければ、その時点で女子チームの勝ち進みは絶望的になってしまう。
そんな二人の焦りと恐怖を間近で見ていた糸は、すっと立ち上がり、自分の道着の裾を強く握りしめた。
東京にいた頃のドロドロとした感情を消し去るために、すべてを捧げて全国優勝をもぎ取ったあの競技。もう二度と関わらないつもりだったけれど、大好きな友達が泣きそうな顔をしているのを、黙って見ていることなんて出来なかった。
「――じゃあ、結月。私が代わりに試合に出ようか?」
糸の凛とした、けれど迷いのない声に、結月と澪は弾かれたようにぱっと振り返った。二人の顔は、不安と心配で青ざめている。
「そ、そら頭数として糸ちゃんが出てくれたらめっちゃ嬉しいけど……! でも、本来糸ちゃんは補欠やし、試合には出ぇへん約束やったやんか! ……それに、次の相手はほんまに容赦ないくらい強いねん! 剣道をちょっと習ってただけの糸ちゃんがボコボコにやられて怪我でもしたら、私、心配で見てられへんよ!! そんな怖いこと私には出来ひん!!」
結月は涙目を浮かべながら、必死に糸の身体を両手で通せんぼするようにして庇った。糸を巻き込んで傷つけたくないという、結月なりの必死の優しさだった。
けれど、糸はそんな結月の手を優しく包み込み、引き締まった強い瞳で見つめ返した。
「でも、今は私しかいないでしょ? 結月はここのリーダーなんだから、今は焦らないで、私にちゃんと指示を出さなきゃダメだよ」
「糸ちゃん……」
「大丈夫。相手がどんなに強くても、私は最後まで絶対に諦めないから」
糸の口から自然と溢れ出たのは、かつて東京で全国の頂点に立った者だけが持つ、圧倒的な強者のオーラだった。
いつもの大人しくて可憐なお人形さんのような姿からは想像もつかない、芯の通った格好良さに、結月と澪は言葉を失ってただ圧倒されていた。



