君を忘れるための春。



昨日の電話で投げかけられた凛の言葉が頭から離れず、糸は朝からひどく気分が悪かった。

「いつからなの……?」

その問いかけが、何度も、何度も、糸の胸の奥へと鋭く突き刺さる。
じゃあ何? もし自分がすべてを打ち明けていたら、凛はどうしたっていうの?
また自分の前で大粒の涙を流して、自分が一番可哀想な人間だって、そう周りに思わせるのだろうか。恭弥だって板挟みになって困るだけだ。私にこれ以上どうしろというのだろう。

(また、嫌な自分が顔を出してる……)

洗面所の鏡に映る自分の顔を見て、糸の口から重いため息が漏れた。
いけない、いけない。自分は今、過去を捨てるためにこの京都の学校にいるのだ。切り替えなければいけない。
「よしっ」と両頬を強めに叩き、気合いを入れ直して、糸は新しい制服を纏って学校へと向かった。

けれど、教室の引き戸を開けた瞬間、いつもの前向きな決意は一気に吹き飛んでしまった。
いつもなら満面の笑顔で抱きついてくる結月が、今日は自分の机にべったりと突っ伏して、「うえーん、糸ちゃーん! 助けてぇえ!」と文字通りギャン泣きしていたのだ。

「ええっ!? どうしたの結月!? 何かあったの!?」

尋常ではない凹み方に、糸は驚いてカバンを置き、慌てて彼女の席へと駆け寄った。
結月は涙目で顔を上げ、スマホの画面を糸に見せながら、事の顛末を捲し立てた。

どうやら、直近に迫った他校との合同練習試合で、団体戦の補欠として登録していた女子部員の一人が、突然の体調不良でしばらく欠席になってしまったらしい。ただでさえ女子の人数がギリギリだった剣道部。あと一人、誰でもいいからメンバーが揃わなければ、試合に出場することすらできず不戦敗になってしまう。
責任感の強いリーダーである結月は、今まさに、部活動存続に関わるほどの最大のピンチを迎えていた。

「お願い~! 糸ちゃん!!」

結月は糸の両手をぎゅっと握りしめ、すがるような目で必死に頼み込んできた。

「試合に勝ってとか、そんな無茶は絶対に言わへん! ただ道着を着て、人数確保の頭数としてそこに立っててくれるだけでええねん! 糸ちゃんしか頼れる人がおらへんの、お願い、一緒に出てぇな……っ!」

「えええ、私……が、剣道の試合に……?」

結月の必死の訴えに、糸は思わず言葉を失った。
東京でのドロドロした感情を消し去るために、すべてを捧げて全国優勝をもぎ取ったあの競技。京都に来てからは、もう二度と関わらないつもりで箱に閉じ込めたはずの過去が、今、結月のピンチという形で目の前に差し出されていた。

断るべきなのに、泣きじゃくる大好きな友達を前にして、糸は安心させるように言った。