それから季節は流れ、私たちは中学最後の夏休みを迎えていた。
鳴り響く歓声と、熱気の立ち込める体育館。
県外で行われた剣道の全国大会で、私はこれまでの努力が実を結び、見事チームを優勝へと導くことができた。
面を外したとき、これまで胸の奥に澱のように溜まっていたもやもやが、一瞬だけ綺麗に吹き飛んだような、そんな清々しい達成感に包まれていた。
「あ、スマホ鳴ってる……」
部活の着替えのために更衣室へ戻ると、カバンの奥でスマホが細かく震えていた。
画面に表示された名前に、心臓が跳ね上がる。――恭弥からだった。
「もしもし、恭弥?」
『お、糸! 試合見に行けなくて悪かったな! どうだった? 勝ったのか?』
受話器の向こうから聞こえる、少し焦ったような、でも私を心から気遣ってくれる優しい声。
その声を聴いた瞬間、せっかく消えかけていた胸の痛みが、再び締め付けられるような激痛となって蘇る。
「うん、勝ったよ! 私のチーム、優勝! だからさ、恭弥、今度ちゃんとお祝いしてよね! 私、欲しいものがあるんだから!」
泣きそうになるのを誤魔化すために、私は必死に声を張って、いじけるようなフリをして笑った。
恭弥にお祝いしてもらう口実で、二人きりでデートがしたかった。そんなささやかな願いを込めて。
『……糸、すげぇじゃん! おめでとう! ……あー、お祝いについては、また今度な』
一瞬、恭弥の声のトーンが落ちた。
いつもなら「おう、何でも奢ってやるよ!」と快活に笑うはずの恭弥が、どこか歯切れ悪そうに言葉を濁す。
少しだけ胸騒ぎがしたけれど、私はそれに気づかないフリをして、しばらく他愛もない話を続けてから電話を切った。
更衣室のベンチに座り、小さく息を吐き出す。
けれど、スマホが静寂を取り戻したのも束の間。数分もしないうちに、今度は凛からの着信画面が液晶に浮かび上がった。
「もしもし、凛?」
『糸! 優勝おめでとう! 自分のことみたいに嬉しい!』
凛も、大会の結果を知ってお祝いの電話をくれたのだ。親友からの真っ直ぐな言葉に「ありがとう」と微笑んだ、その直後だった。
『……あともう一つね、ずっと糸に言えなかったことがあるの』
受話器の向こうで、凛の呼吸が少し深くなるのが分かった。
『私……恭弥のことが、好きなの。今度、ちゃんと告白しようと思ってる』
「っ――」
頭の芯が、カーンとけたたましい音を立てて強打されたような衝撃が走る。
指先の力が一気に抜け、スマホを床に落としそうになるのを、私は必死の思いで堪えた。
胸の奥から喉元まで、どす黒くて悲しい感情が一気にせり上がってくる。
「そっか……! なんとなく、そうだと思ってたよ! 水臭いなぁ、もっと早く言ってくれたら良かったのに!」
私は、自分の声が震えてしまわないように、精一杯の明るさを演じて言葉を捲し立てた。
「私は凛のことが大好きだから、全力で応援する! じゃあ、私これからまだ片付けがあるから、またね!」
『あ、待って、糸――』
何かを言いかけようとした親友の声を、私は拒絶するように、一方的に通話を切った。
もうこれ以上、一文字だって、凛の恋バナなんて聞きたくなかった。二人の世界に、私の居場所がないことを突きつけられるのが、たまらなく怖かった。
今の私の耳には、凛の声すらも拾う心の余裕なんて、これっぽっちも残されていなかった。
ぽつん、と静まり返った更衣室のロッカー。
私はスマホを握りしめたまま、膝を抱えてその場に座り込んだ。
「う、くっ……ぅ、あ……っ」
視界が激しく歪み、次から次へと大粒の涙が溢れ出して、床のフローリングを濡らしていく。
手の甲で何度も何度も涙を拭うけれど、一向に止まってくれない。
なんで、あのとき自分の気持ちを正直に言わなかったの?
なんで、こんなに苦しい関係になっちゃったの?
私たちは、一体どこで道を間違えてしまったんだろう。
後悔と、悔しさと、言葉にできない悲しみが、濁流のように一気に押し寄せてきて、呼吸が上手くできない。
(ダメだよ……私はずっと、凛に笑っていてほしいんでしょ? 親友なんだから、応援しなきゃダメじゃない…)
頭では分かっている。凛を傷つけたくない。
だけど、じゃあ恭弥は? 私の、この何年も積み重ねてきた恭弥への大好きな気持ちは、一体どこへ捨てればいいの?
ぐちゃぐちゃになった感情を整理することなんて、今の私には到底できそうになかった。
夕方の誰もいない更衣室で、私は声を出して泣き続けることしかできなかった。



