屋上で彼女の泣く後ろ姿を見てから三日が経過した。あれ以来、愛奈には一度も会えていない。裏読みトランプもバッグにしまったままで触れられずにいた。
学校は昼休みを迎え、教室はお弁当をつつきながら話に花を咲かせる生徒で賑わっている。桐野含めた女子グループは選挙活動で忙しいらしく、すぐに教室を後にしていた。
僕も自分の弁当を広げ、食べ物を機械的に口へ入れていく。
檜山は変わらず横の席に座っていたが、パンに手をつけず、頬杖をついて僕を見つめていた。
「お前、最近変わったよな。悪い意味で」
「……悪い意味?」
「顔色も悪いし、反応も悪くなった」
「……」
「それだよそれ、何があったんだ? 星川さんは……元気にしてるのか? 毎日会ってんだろ」
僕の箸から卵焼きがすり抜け、ごはんに落ちる。元気……とは到底思えないが、実情は知る由もなかった。
「まぁ……うん」
「そっか……言いたくないんだったら良いけどさ」
僕は食事の手を止め、目の前の空席を視界にいれる。愛奈にはもう……会うことはできない。彼女のお母さんを通じて、面会謝絶も言い渡されている。僕にできることは……ない。
「もういいんだ。終わったことだから」
「終わったって……」
檜山は僕の顔を覗きつつも、やがて諦めたのか眉を落とし、パンの袋をあけて食べ始める。周りはずいぶんと騒がしいのに、教室の窓際の端っこだけが静寂に包まれていた。
翌朝、学校に向かって歩いていると、正門の中心に人だかりが出来ているのが見えた。
間近まで来ると、制服姿の桐野やクラスの女子グループが笑顔で登校する生徒に挨拶をしてビラ配りをしていた。ここ数日は生徒会選挙に向けた準備期間であるため、立候補者が正門や昇降口、教室で広報活動をしているらしい。
その一環だろうと思い、挨拶だけして素通りしようとすると、バッグを強く引っ張られる。
「水谷、ちょっときて」
「え……なに」
「いいから」
桐野は表情こそ平静だが、有無を言わせぬ雰囲気で僕を引っ張っていく。僕は拒否する間もなく、ついていくしかなかった。
僕はかつて愛奈と裏読みトランプをした空き教室に桐野と来ていた。どうしてここに……と思ったが、以前使っていた机に投票箱や生徒会選挙のポスターが置いてあることで合点がいく。
「ここなら誰も来ないでしょ、関係者以外立ち入り禁止だし」
「……それで、何か用?」
「言わなくても分かるんじゃないの? あんたなら」
桐野は腕を組み、冷たい視線を向ける。だが、その目にはいつもの鋭さはなく、薄っすらとクマが出来ていた。彼女は基本早寝早起きで睡眠を大事にするタイプのはず……。
「桐野が僕に話しかける時は、決まって愛奈絡みの話だった」
「そうだよ、私はあんたに興味はない。でも、愛奈があんたのことばかり気にするから……それで、どうしてお見舞いに来ないの? 毎日行ってたでしょ」
「あぁ……会えなくなったんだ」
「はぁ? 何言ってるの?」
桐野は眉をひそめる。彼女は否が応でも事情を問い詰めてくるだろうと思い、僕は愛奈のお母さんから面会謝絶を言われたと話した。
「私は昨日会ってるんだけど。愛奈に何したの? 間違いなくあんたが悪いんでしょ」
「いや……うん」
僕は愛奈と一緒になって行動することが出来なかった。愛奈を否定したんだ、こうなって当然だと思う。
「私はすぐ愛奈の言葉を信じちゃうけどさ、明らかにおかしいもん。はじめ君は忙しいんだよって言って泣いてたんだよ」
「……」
僕にはもう何もできない。面会謝絶を言い渡された以上、このままでいる方がお互いにとっていいんじゃないか。僕が行っても傷つけるだけだ。
「会えないからって、なんで諦めた顔してるの、大切なんじゃないの?!」
桐野は僕の頬を叩く。痛みがジーンと広がるが、顔を濡らしている彼女の方が痛そうにしていた。そのまま、僕の肩を何度も揺らす。
「私が愛奈を笑顔に出来るならなんだってする! でも、できない……私じゃ、できない」
僕の制服にしがみ付きながらも、膝から崩れ落ちていく。ごめん、ごめん……と思いながらも、僕にはどうすることも出来なかった。
「姉さん、僕はどうしたら良かったんだろうね」
学校から帰宅後、僕は姉の仏壇の前で正座をしていた。ろうそくの明かりに照らされた遺影に映るのは、見慣れた高校の正門で笑う姉の姿だ。
姉が死んだのは二年前、僕が中三の時だった。その後、姉は実家の墓に納骨されたが、僕は未だに墓参りに行くことが出来ずにいる。
「ずっと会いにいけなくて、ごめん。やっぱり僕はいつも失敗してしまう。人となんて関わらない方が良かったんだ」
視界に映る笑顔の姉が涙で揺れ動き、目の奥が熱くなっていく。ついぞ形を成さなくなり、目の前が真っ暗になった途端、病室で一切目を合わせない姉の姿が浮かんだ。
◆
僕の姉――水谷ひよりはしっかり者で面倒見がよく、共働きの両親に代わって僕のことを気にかけてくれていた。
当時の僕は親に褒めてもらおうと淡々と宿題をしていた。友達も作らず、遊ぶこともせず。
そんな姿を見かねてか、姉は僕の部屋に押しかけ「トランプしようよ」と遊びに誘ってきた。
僕は記憶力だけは良かったので、大抵のゲームで負けることはなく、ぐぬぬ……と姉が悔しそうな表情をしていたのを覚えている。それで、姉が苦肉の策で編み出したのがマジックだった。僕は一瞬の動きについていくのは苦手で、「全然わからないよ」というと……
「いぇーい私の勝ち~悔しいならもう一度見せてあげるけど? ほれほれ~」
と言って勝ち誇る姉を見て、なんて大人げないんだ……と思ったが、僕も躍起になって種明かしをしようと何度もマジックをねだる。結果として、僕は日々姉と遊び、日常にはトランプが付き物になっていた。
僕が中学生になり、姉も高校生になると流石に毎日一緒にトランプをすることはなくなった。姉のせいか、その頃には友達にも恵まれ、外に出る機会も人並みにあったと思う。
偶々タイミングが合った時は姉と一緒にマジックに夢中になっていた。恐らく、仲は良かった方なんじゃないかと思う。少なくとも僕から見ると。
そんな姉の病気が分かったのは、僕が中三になってすぐのことだった。学校で行われた健康診断で精密検査が必要と言われ、大きな病院での精査で判明した。当時の姉は僕の心配をよそに「何とかなるよ」と言って笑い飛ばしていた。
だけど、病気はどんどん姉を蝕んでいく。夏に入る頃には学校に行けなくなり、入院生活がスタートした。最初こそ姉の友達が頻繁に来てくれていたが、いつの間にかお見舞いに行くのは家族だけになっていた。姉は次第に口数が減り、表情も暗くなっていく。
僕はそんな姉を少しだけでも勇気づけようと思い、毎日トランプを持って病室を訪れる。姉は段々と体が動かせなくなっていたため、僕が代わりにマジックをするようになっていた。
「時間って残酷だね……暇で暇でしょうがない」
「そんなこと言ってる暇あったら、種明かしをしてみてよ、ほらほら」
「くっ……私は負けないから、はじめにも、病気にも」
秋頃はまだ姉には元気が残っていて、僕の挑発に乗っかりマジックを楽しんでいた。
冬になり、病室の窓越しにしんしんと雪が降る時期になっても姉の病状は悪くなるばかり。僕は高校受験を控えていたが、姉のことを考えれば勉強をする時間も惜しい。周りは塾に通い、学校の図書室や教室で勉強する中、僕はトランプをいじり、自由登校日は病室に通っていた。
「ねえ、はじめ」
「どうしたの?」
「勉強は……しなくていいの? 私と同じ高校に行きたいって行ってたよね」
「大丈夫、気にしなくていいよ。それよりほら、新しいマジック覚えたんだ」
「……」
姉は肩を落とし、眉間にしわを寄せる。最近は起きているのも辛いのか、僕の声掛けに反応せず、目も合わせないことが増えた。
でも、今日はそれだけでなかった。
姉は顔を上げ、予想だにしない話を告げる。
「はじめ、もう来なくていいよ」
「えっ……」
「高校、行きたいんでしょ。今受検勉強しないと、落ちるよ」
「いや、だからいいんだって」
「ふ~ん、私のせいにするんだ。ひどいね、はじめは」
姉はこれまでに見たこともない突き刺すような視線を向けてきた。
「そういうわけじゃ……僕はただ」
「言い訳するな。今すぐ帰って、邪魔」
「……」
「帰らないならナースコール押すから」
姉はベッドの横にあるボタンに触れる。今にも押しそうな雰囲気を感じ、すぐに帰り支度をする。「じゃあ、帰るから」と言っても、姉は外に目を向けて、僕のことを一切見なかった。
それが、姉との最後の会話だった。
◆
プルルルという、着信音に気付き、顔を上げる。僕はいつの間にか床で寝てしまったらしい。
手元にあるスマホを見ると、桐野から電話が来ていた。一度もやり取りしたことはなかったはずだが……。
「もしもし……水谷だよね?」
「そうだけど。どうして僕の連絡先知ってるの?」
「クラスチャットがあるでしょ。それで辿った」
「あー理解。それで、何か用? もしかして、愛奈に何かあった?」
「いや……そう言うわけじゃないんだけど」
桐野は何やら言いにくそうに口ごもり、沈黙の時間が流れる。いつも彼女はハッキリと物事を言う節があるから珍しい。電話越しにパチンと何かを叩く音が聞こえた後、ややあって桐野は話し始める。
「今朝は言い過ぎた、ごめん」
「あぁ……全然。悪いのは僕だし」
「それでも、冷静じゃなかった」
桐野からそこまで謝罪の言葉が出てくるとは思わず、僕は言葉が見つからなかった。
でも、彼女からどれだけ愛奈のことを大切に想っているのかが痛い程伝わってくる。無下には出来ない。
「気持ちは受け取ったよ。僕は大丈夫だから」
「ありがと。私、愛奈のことになると止まらなくてさ」
「自覚してたんだ」
「意外そうに言わないでよ……。ねぇ、あの子さ、いっつも大切なことだけは言ってくれない気がするんだけど、水谷はどう思う?」
「確かに秘密が多いな、自分から話してくれない」
病気を抱えていること、裏読みトランプの存在を僕以外に教えていないこと、そのゲーム自体も彼女から言わずに僕が愛奈のやりたいことを当てる方式だった。
「あの子はさ、誰にも相談せずに全部ひとりで抱えるの。生徒会に入ってほしいとお願いした時も、きっと今の状況になることを見越して約束できなかったんだと思う」
そうだった。僕が愛奈と関わり始めた時、愛奈は桐野の誘いをその場で引き受けなかったのを思い出す。あとは、自宅での家事もひとりでやっている。それに……
「愛奈は親にも無理してるのを隠してたんだと思う。体調悪かったのに笑ってた」
「まじ? 家族にその対応なら親友の私でも言わないのは……悔しいけどわかる気がする」
はぁ……と桐野はため息をつく。よほど衝撃的だったようだ。彼女は愛奈の親友を自負していた分、無理もない。
思えば、愛奈と一緒に過ごす中で引っかかる言葉が幾つもあった。
――気配り上手なキャラが崩れちゃうから、誰にも見せるつもりはないの
――言わなくても伝わる関係って素敵だと思わない?
――やっぱり、分かってくれる人がいるのっていいね。グッときちゃった
どうして、愛奈は周りを気遣うのか。
どうして、言いたいことを言えないのか。
どうして、分かってくれることにそこまで反応するのか。
どうして、教室では困った人を助けようとしていたのか。
もう少しで何かが形になりそうだが、まだぼんやりとしている。
でも、ここで考えれば愛奈の本質が見える、そんな気がした。
「……もう遅いかもしれないけど、僕なりにできることを考えてみるよ」
「分かった。私にできることがあったら言って、協力するから。だって……」
「愛奈が大切だから?」
「そ、当たり前でしょ。んじゃ、もう夜遅いから寝る、また来週」
僕らは通話を終えた。数分のやり取りではあったが、桐野と話せて良かったと思う。
桐野は根がまっすぐすぎて、すぐに感情が顔に出てしまう。だからこそ、関わりやすくて愛奈の親友でいられたのかもしれない。そう思えた。
僕は、食事と風呂を済ませ、自室でこれまでのことを振り返る。
裏読みトランプでお互いのやりたいことを当て合い、色んな事を実行してきた。
二人で学校をサボり、夜更かしをし、遊び、旅行に行き、花火を見て、病院の屋上に行った。
『私はもっとやりたいことが沢山あるんだーーーーーーー! 邪魔しないでよーーーーーーー』
愛奈と一緒に僕は叫ぶはずだったのに、叫べなかった。喉が締まって、声にならなくて、掠れ声も出ない。
きっと姉からの罰が下ったんだと思った。
だって……僕は『邪魔者』だから。
姉に告げられた言葉がずっと頭から離れない。
『言い訳するな。今すぐ帰って、邪魔』
僕の目の奥で、冷たい視線の姉と涙で顔を濡らす愛奈の姿が重なる。
『今すぐ帰って! 二度と来ないで!』
また、同じ過ちを犯してしまうのだろうか……。
数年前、僕は姉の言葉に従って、家で勉強し続けた。その結果、第一志望は合格。
だけど……もう遅かった。生きて姉と会うことは最後まで叶わなかった。
追い打ちをかけるように、葬式で泣いている僕に母は告げる。
『お姉ちゃんはね、死ぬ間際まではじめに会いたがってた。今さら後悔しても仕方ないのよ』
結局どうすれば良かったのか、未だに答えは見つからない。
むしろ答えを考えない方が良いとすら思ってしまう。
そんな中、今朝桐野から聞いた言葉が頭をよぎった。
『私はすぐ愛奈の言葉を信じちゃうけどさ、明らかにおかしいもん。はじめ君は忙しいんだよって言って泣いてたんだよ』
桐野は愛奈の言動に違和感を覚えていた。第一、愛奈が僕を庇う必要なんてない。
嫌いだとか、許せないといった話を沙希にしても良かったはずだ。
ますます愛奈のことが分からなくなる。彼女の言葉をそのまま受け取ろうとすればするほど、本心は見えなくなっていく。
いや……違う。僕が愛奈の答えに辿り着いていないだけだ。
これまでの当て合いで、僕は何回も外してきた。
今回も同じなんじゃないか。
言葉を絵文字と考えればわかりやすい。裏に隠された本音が見えていないから、分からなくなるんだ。
あくまでも言葉は一つの答え合わせに過ぎない。そこに惑わされてはいけない。
言葉と態度がズレているなら、そこにヒントがあるはず。
愛奈は人に気遣い、良く気づく人だ。誰かが困っている時はすぐに行動する。
そんな彼女が僕に対してだけは、裏読みトランプを引き合いにある意味で迷惑をかけ続けた。
僕はいつも、愛奈に振り回されていた。それが日常だったはずなのに、屋上での出来事で状況は大きく変わった。
『私だけやるなんて嫌だからね、君がやってこそ意味があるんだから』
『ごめん……ね』
僕が叫べずに項垂れた後、愛奈は泣いていた。
きっと愛奈は僕が苦しんでいる姿を見て、ゲーム内でかけていい迷惑の域を超えて僕を困らせてしまったと思ったんじゃないだろうか。裏読みトランプは二人でやるものであり、互いのやりたいことに相手を付き合わせる遊びだ。見方を変えれば迷惑を掛け合うことが前提にある。
姉にも同じことが言えるかもしれない。姉が入院している時、僕は受験生でクラスメイトは勉強に明け暮れる中、毎日お見舞いに行っていた。
『高校、行きたいんでしょ。今受検勉強しないと、落ちるよ』
『言い訳するな。今すぐ帰って、邪魔』
姉は僕の将来を気にして、突き放す言葉を言ったんじゃないか……。
そう考えれば、母の言っていた話と辻褄が合う。
ごめん……姉さん。やっと気付いたよ。
もう、同じ間違いは繰り返したくない。
僕は最後まで愛奈のそばにいたい。
これからも、一緒に裏読みトランプをしたい。
決意を固めた僕は、机上にある白紙のトランプを三枚手に取り、ペンを握る。
今までのこと、これからのこと、自分のこと、そして愛奈のことを思い返し、じっくりと向き合いながら自分のやりたいことを書き始めた。
学校は昼休みを迎え、教室はお弁当をつつきながら話に花を咲かせる生徒で賑わっている。桐野含めた女子グループは選挙活動で忙しいらしく、すぐに教室を後にしていた。
僕も自分の弁当を広げ、食べ物を機械的に口へ入れていく。
檜山は変わらず横の席に座っていたが、パンに手をつけず、頬杖をついて僕を見つめていた。
「お前、最近変わったよな。悪い意味で」
「……悪い意味?」
「顔色も悪いし、反応も悪くなった」
「……」
「それだよそれ、何があったんだ? 星川さんは……元気にしてるのか? 毎日会ってんだろ」
僕の箸から卵焼きがすり抜け、ごはんに落ちる。元気……とは到底思えないが、実情は知る由もなかった。
「まぁ……うん」
「そっか……言いたくないんだったら良いけどさ」
僕は食事の手を止め、目の前の空席を視界にいれる。愛奈にはもう……会うことはできない。彼女のお母さんを通じて、面会謝絶も言い渡されている。僕にできることは……ない。
「もういいんだ。終わったことだから」
「終わったって……」
檜山は僕の顔を覗きつつも、やがて諦めたのか眉を落とし、パンの袋をあけて食べ始める。周りはずいぶんと騒がしいのに、教室の窓際の端っこだけが静寂に包まれていた。
翌朝、学校に向かって歩いていると、正門の中心に人だかりが出来ているのが見えた。
間近まで来ると、制服姿の桐野やクラスの女子グループが笑顔で登校する生徒に挨拶をしてビラ配りをしていた。ここ数日は生徒会選挙に向けた準備期間であるため、立候補者が正門や昇降口、教室で広報活動をしているらしい。
その一環だろうと思い、挨拶だけして素通りしようとすると、バッグを強く引っ張られる。
「水谷、ちょっときて」
「え……なに」
「いいから」
桐野は表情こそ平静だが、有無を言わせぬ雰囲気で僕を引っ張っていく。僕は拒否する間もなく、ついていくしかなかった。
僕はかつて愛奈と裏読みトランプをした空き教室に桐野と来ていた。どうしてここに……と思ったが、以前使っていた机に投票箱や生徒会選挙のポスターが置いてあることで合点がいく。
「ここなら誰も来ないでしょ、関係者以外立ち入り禁止だし」
「……それで、何か用?」
「言わなくても分かるんじゃないの? あんたなら」
桐野は腕を組み、冷たい視線を向ける。だが、その目にはいつもの鋭さはなく、薄っすらとクマが出来ていた。彼女は基本早寝早起きで睡眠を大事にするタイプのはず……。
「桐野が僕に話しかける時は、決まって愛奈絡みの話だった」
「そうだよ、私はあんたに興味はない。でも、愛奈があんたのことばかり気にするから……それで、どうしてお見舞いに来ないの? 毎日行ってたでしょ」
「あぁ……会えなくなったんだ」
「はぁ? 何言ってるの?」
桐野は眉をひそめる。彼女は否が応でも事情を問い詰めてくるだろうと思い、僕は愛奈のお母さんから面会謝絶を言われたと話した。
「私は昨日会ってるんだけど。愛奈に何したの? 間違いなくあんたが悪いんでしょ」
「いや……うん」
僕は愛奈と一緒になって行動することが出来なかった。愛奈を否定したんだ、こうなって当然だと思う。
「私はすぐ愛奈の言葉を信じちゃうけどさ、明らかにおかしいもん。はじめ君は忙しいんだよって言って泣いてたんだよ」
「……」
僕にはもう何もできない。面会謝絶を言い渡された以上、このままでいる方がお互いにとっていいんじゃないか。僕が行っても傷つけるだけだ。
「会えないからって、なんで諦めた顔してるの、大切なんじゃないの?!」
桐野は僕の頬を叩く。痛みがジーンと広がるが、顔を濡らしている彼女の方が痛そうにしていた。そのまま、僕の肩を何度も揺らす。
「私が愛奈を笑顔に出来るならなんだってする! でも、できない……私じゃ、できない」
僕の制服にしがみ付きながらも、膝から崩れ落ちていく。ごめん、ごめん……と思いながらも、僕にはどうすることも出来なかった。
「姉さん、僕はどうしたら良かったんだろうね」
学校から帰宅後、僕は姉の仏壇の前で正座をしていた。ろうそくの明かりに照らされた遺影に映るのは、見慣れた高校の正門で笑う姉の姿だ。
姉が死んだのは二年前、僕が中三の時だった。その後、姉は実家の墓に納骨されたが、僕は未だに墓参りに行くことが出来ずにいる。
「ずっと会いにいけなくて、ごめん。やっぱり僕はいつも失敗してしまう。人となんて関わらない方が良かったんだ」
視界に映る笑顔の姉が涙で揺れ動き、目の奥が熱くなっていく。ついぞ形を成さなくなり、目の前が真っ暗になった途端、病室で一切目を合わせない姉の姿が浮かんだ。
◆
僕の姉――水谷ひよりはしっかり者で面倒見がよく、共働きの両親に代わって僕のことを気にかけてくれていた。
当時の僕は親に褒めてもらおうと淡々と宿題をしていた。友達も作らず、遊ぶこともせず。
そんな姿を見かねてか、姉は僕の部屋に押しかけ「トランプしようよ」と遊びに誘ってきた。
僕は記憶力だけは良かったので、大抵のゲームで負けることはなく、ぐぬぬ……と姉が悔しそうな表情をしていたのを覚えている。それで、姉が苦肉の策で編み出したのがマジックだった。僕は一瞬の動きについていくのは苦手で、「全然わからないよ」というと……
「いぇーい私の勝ち~悔しいならもう一度見せてあげるけど? ほれほれ~」
と言って勝ち誇る姉を見て、なんて大人げないんだ……と思ったが、僕も躍起になって種明かしをしようと何度もマジックをねだる。結果として、僕は日々姉と遊び、日常にはトランプが付き物になっていた。
僕が中学生になり、姉も高校生になると流石に毎日一緒にトランプをすることはなくなった。姉のせいか、その頃には友達にも恵まれ、外に出る機会も人並みにあったと思う。
偶々タイミングが合った時は姉と一緒にマジックに夢中になっていた。恐らく、仲は良かった方なんじゃないかと思う。少なくとも僕から見ると。
そんな姉の病気が分かったのは、僕が中三になってすぐのことだった。学校で行われた健康診断で精密検査が必要と言われ、大きな病院での精査で判明した。当時の姉は僕の心配をよそに「何とかなるよ」と言って笑い飛ばしていた。
だけど、病気はどんどん姉を蝕んでいく。夏に入る頃には学校に行けなくなり、入院生活がスタートした。最初こそ姉の友達が頻繁に来てくれていたが、いつの間にかお見舞いに行くのは家族だけになっていた。姉は次第に口数が減り、表情も暗くなっていく。
僕はそんな姉を少しだけでも勇気づけようと思い、毎日トランプを持って病室を訪れる。姉は段々と体が動かせなくなっていたため、僕が代わりにマジックをするようになっていた。
「時間って残酷だね……暇で暇でしょうがない」
「そんなこと言ってる暇あったら、種明かしをしてみてよ、ほらほら」
「くっ……私は負けないから、はじめにも、病気にも」
秋頃はまだ姉には元気が残っていて、僕の挑発に乗っかりマジックを楽しんでいた。
冬になり、病室の窓越しにしんしんと雪が降る時期になっても姉の病状は悪くなるばかり。僕は高校受験を控えていたが、姉のことを考えれば勉強をする時間も惜しい。周りは塾に通い、学校の図書室や教室で勉強する中、僕はトランプをいじり、自由登校日は病室に通っていた。
「ねえ、はじめ」
「どうしたの?」
「勉強は……しなくていいの? 私と同じ高校に行きたいって行ってたよね」
「大丈夫、気にしなくていいよ。それよりほら、新しいマジック覚えたんだ」
「……」
姉は肩を落とし、眉間にしわを寄せる。最近は起きているのも辛いのか、僕の声掛けに反応せず、目も合わせないことが増えた。
でも、今日はそれだけでなかった。
姉は顔を上げ、予想だにしない話を告げる。
「はじめ、もう来なくていいよ」
「えっ……」
「高校、行きたいんでしょ。今受検勉強しないと、落ちるよ」
「いや、だからいいんだって」
「ふ~ん、私のせいにするんだ。ひどいね、はじめは」
姉はこれまでに見たこともない突き刺すような視線を向けてきた。
「そういうわけじゃ……僕はただ」
「言い訳するな。今すぐ帰って、邪魔」
「……」
「帰らないならナースコール押すから」
姉はベッドの横にあるボタンに触れる。今にも押しそうな雰囲気を感じ、すぐに帰り支度をする。「じゃあ、帰るから」と言っても、姉は外に目を向けて、僕のことを一切見なかった。
それが、姉との最後の会話だった。
◆
プルルルという、着信音に気付き、顔を上げる。僕はいつの間にか床で寝てしまったらしい。
手元にあるスマホを見ると、桐野から電話が来ていた。一度もやり取りしたことはなかったはずだが……。
「もしもし……水谷だよね?」
「そうだけど。どうして僕の連絡先知ってるの?」
「クラスチャットがあるでしょ。それで辿った」
「あー理解。それで、何か用? もしかして、愛奈に何かあった?」
「いや……そう言うわけじゃないんだけど」
桐野は何やら言いにくそうに口ごもり、沈黙の時間が流れる。いつも彼女はハッキリと物事を言う節があるから珍しい。電話越しにパチンと何かを叩く音が聞こえた後、ややあって桐野は話し始める。
「今朝は言い過ぎた、ごめん」
「あぁ……全然。悪いのは僕だし」
「それでも、冷静じゃなかった」
桐野からそこまで謝罪の言葉が出てくるとは思わず、僕は言葉が見つからなかった。
でも、彼女からどれだけ愛奈のことを大切に想っているのかが痛い程伝わってくる。無下には出来ない。
「気持ちは受け取ったよ。僕は大丈夫だから」
「ありがと。私、愛奈のことになると止まらなくてさ」
「自覚してたんだ」
「意外そうに言わないでよ……。ねぇ、あの子さ、いっつも大切なことだけは言ってくれない気がするんだけど、水谷はどう思う?」
「確かに秘密が多いな、自分から話してくれない」
病気を抱えていること、裏読みトランプの存在を僕以外に教えていないこと、そのゲーム自体も彼女から言わずに僕が愛奈のやりたいことを当てる方式だった。
「あの子はさ、誰にも相談せずに全部ひとりで抱えるの。生徒会に入ってほしいとお願いした時も、きっと今の状況になることを見越して約束できなかったんだと思う」
そうだった。僕が愛奈と関わり始めた時、愛奈は桐野の誘いをその場で引き受けなかったのを思い出す。あとは、自宅での家事もひとりでやっている。それに……
「愛奈は親にも無理してるのを隠してたんだと思う。体調悪かったのに笑ってた」
「まじ? 家族にその対応なら親友の私でも言わないのは……悔しいけどわかる気がする」
はぁ……と桐野はため息をつく。よほど衝撃的だったようだ。彼女は愛奈の親友を自負していた分、無理もない。
思えば、愛奈と一緒に過ごす中で引っかかる言葉が幾つもあった。
――気配り上手なキャラが崩れちゃうから、誰にも見せるつもりはないの
――言わなくても伝わる関係って素敵だと思わない?
――やっぱり、分かってくれる人がいるのっていいね。グッときちゃった
どうして、愛奈は周りを気遣うのか。
どうして、言いたいことを言えないのか。
どうして、分かってくれることにそこまで反応するのか。
どうして、教室では困った人を助けようとしていたのか。
もう少しで何かが形になりそうだが、まだぼんやりとしている。
でも、ここで考えれば愛奈の本質が見える、そんな気がした。
「……もう遅いかもしれないけど、僕なりにできることを考えてみるよ」
「分かった。私にできることがあったら言って、協力するから。だって……」
「愛奈が大切だから?」
「そ、当たり前でしょ。んじゃ、もう夜遅いから寝る、また来週」
僕らは通話を終えた。数分のやり取りではあったが、桐野と話せて良かったと思う。
桐野は根がまっすぐすぎて、すぐに感情が顔に出てしまう。だからこそ、関わりやすくて愛奈の親友でいられたのかもしれない。そう思えた。
僕は、食事と風呂を済ませ、自室でこれまでのことを振り返る。
裏読みトランプでお互いのやりたいことを当て合い、色んな事を実行してきた。
二人で学校をサボり、夜更かしをし、遊び、旅行に行き、花火を見て、病院の屋上に行った。
『私はもっとやりたいことが沢山あるんだーーーーーーー! 邪魔しないでよーーーーーーー』
愛奈と一緒に僕は叫ぶはずだったのに、叫べなかった。喉が締まって、声にならなくて、掠れ声も出ない。
きっと姉からの罰が下ったんだと思った。
だって……僕は『邪魔者』だから。
姉に告げられた言葉がずっと頭から離れない。
『言い訳するな。今すぐ帰って、邪魔』
僕の目の奥で、冷たい視線の姉と涙で顔を濡らす愛奈の姿が重なる。
『今すぐ帰って! 二度と来ないで!』
また、同じ過ちを犯してしまうのだろうか……。
数年前、僕は姉の言葉に従って、家で勉強し続けた。その結果、第一志望は合格。
だけど……もう遅かった。生きて姉と会うことは最後まで叶わなかった。
追い打ちをかけるように、葬式で泣いている僕に母は告げる。
『お姉ちゃんはね、死ぬ間際まではじめに会いたがってた。今さら後悔しても仕方ないのよ』
結局どうすれば良かったのか、未だに答えは見つからない。
むしろ答えを考えない方が良いとすら思ってしまう。
そんな中、今朝桐野から聞いた言葉が頭をよぎった。
『私はすぐ愛奈の言葉を信じちゃうけどさ、明らかにおかしいもん。はじめ君は忙しいんだよって言って泣いてたんだよ』
桐野は愛奈の言動に違和感を覚えていた。第一、愛奈が僕を庇う必要なんてない。
嫌いだとか、許せないといった話を沙希にしても良かったはずだ。
ますます愛奈のことが分からなくなる。彼女の言葉をそのまま受け取ろうとすればするほど、本心は見えなくなっていく。
いや……違う。僕が愛奈の答えに辿り着いていないだけだ。
これまでの当て合いで、僕は何回も外してきた。
今回も同じなんじゃないか。
言葉を絵文字と考えればわかりやすい。裏に隠された本音が見えていないから、分からなくなるんだ。
あくまでも言葉は一つの答え合わせに過ぎない。そこに惑わされてはいけない。
言葉と態度がズレているなら、そこにヒントがあるはず。
愛奈は人に気遣い、良く気づく人だ。誰かが困っている時はすぐに行動する。
そんな彼女が僕に対してだけは、裏読みトランプを引き合いにある意味で迷惑をかけ続けた。
僕はいつも、愛奈に振り回されていた。それが日常だったはずなのに、屋上での出来事で状況は大きく変わった。
『私だけやるなんて嫌だからね、君がやってこそ意味があるんだから』
『ごめん……ね』
僕が叫べずに項垂れた後、愛奈は泣いていた。
きっと愛奈は僕が苦しんでいる姿を見て、ゲーム内でかけていい迷惑の域を超えて僕を困らせてしまったと思ったんじゃないだろうか。裏読みトランプは二人でやるものであり、互いのやりたいことに相手を付き合わせる遊びだ。見方を変えれば迷惑を掛け合うことが前提にある。
姉にも同じことが言えるかもしれない。姉が入院している時、僕は受験生でクラスメイトは勉強に明け暮れる中、毎日お見舞いに行っていた。
『高校、行きたいんでしょ。今受検勉強しないと、落ちるよ』
『言い訳するな。今すぐ帰って、邪魔』
姉は僕の将来を気にして、突き放す言葉を言ったんじゃないか……。
そう考えれば、母の言っていた話と辻褄が合う。
ごめん……姉さん。やっと気付いたよ。
もう、同じ間違いは繰り返したくない。
僕は最後まで愛奈のそばにいたい。
これからも、一緒に裏読みトランプをしたい。
決意を固めた僕は、机上にある白紙のトランプを三枚手に取り、ペンを握る。
今までのこと、これからのこと、自分のこと、そして愛奈のことを思い返し、じっくりと向き合いながら自分のやりたいことを書き始めた。

