真っ白なトランプと、強がりな君との答え合わせ

 気付けば十月になり、紅葉が見頃の季節になっていた。外も過ごしやすくなってきたが、僕らが会うのはいつも病室だ。日々当て合いを続けているが、最近手が止まることが増えている。
 僕は彼女の一枚のカードを手に取りじっと眺める。何度か挑戦したが、全く掴み所がない。
【星川1 😊】
「正直これだけはお手上げだ……想像がつかない」
「そりゃそうだよ、もしかしたら一生当たらないかもね」
 愛奈は絵文字のように得意げに笑った。
「一応確認するけど、絵文字がヒントになってるの?」
「勿論、例外はないよ」
「……以前やった顔文字だと、学校をサボったし。病院をサボりたいとか?」
「ふふっそれもいいね。そうなったら私もこのカードみたいになれそう」
 愛奈は僕の手からカードを取り、朗らかな表情を浮かべてカードを何度も撫でた。

 ある日、僕が愛奈の部屋に行くと、そこに彼女の姿はなかった。もしかして、何かあったんじゃないか、と心がざわつく。外はやけに澄んだ青空が広がり、時計の秒針が音を立てて進んでいく。まるでこれが日常と言われているような気がした。僕は彼女がここにいない理由を探そうと周りを見つめていると、後ろから扉が開く音がする。
「あれっはじめ君きてたんだ」
「どこ行ってたの?」
「検査だよ~バッチリだった!」
 彼女は笑顔で僕にⅤサインを向けてくる。いつもの愛奈だったが、彼女の手は微かに震えていた。そんな様子を見るのは今日が初めてで、言葉が出ない。
 愛奈はすぐに手を引っ込め、ベッドに座り込む。
「たまに手が震えちゃうんだよ。なんでだろうね~」
「……ずっとカードいじってるからじゃない? 筋肉痛とか」
「かもね、今日も筋トレになっちゃいそう」
 そう言って、彼女はスマホを操作し激しめの音楽を流し始めた。
「よしっテンションぶち上がったし、早速やろう!」
「……うん」
 僕は彼女につられて笑い、曲の雰囲気に吞まれていく。これでいいんだ、きっと。

 お見舞いの帰り、ナースステーションから話し声が聞こえてきた。
「先生、504号室の方の検査結果です」
 ん……? その部屋は愛奈の病室だ。つい気になって耳を傾けてしまう。
「ありがとう……ふむ。思った以上に進行が早いな。もう少し薬を増やすか」
「分かりました。後でオーダーお願いします」
 えっ……どういうこと? 僕はすぐに意味が理解できなかった。
「彼女の様子はどうだ?」
「元気そうにしていますよ、ただ……ご飯が美味しくないようで。全く味がしないと」
「味覚の障害も起きているのか……分かった。他の症状もあったら逐一報告を」
 嘘だろ……前にお土産を持ってきた時は美味しそうに食べていたのに……。
「分かりました。では私はこれで」
 ナースステーションでの会話は終わったようで、廊下は再び静かになる。
 よく考えれば、この前も彼女の手は震えていて、一回カードを落としていたこともあった。
 余命三か月……年は越せないかもしれない……愛奈のお母さんの言葉が頭の中で何度も反芻する。
 そして、僕はまた見えてしまった。病室のベッドに座り、僕を見て口角を上げるあの人の笑顔を。

「はじめ君、今日はトランプするのなしにしない? ちょっと疲れちゃったし」
 愛奈は札を膝元において笑っているが、目にはクマが出来ていて、ぎこちなかった。
日に日に検査や治療の時間が長くなっていて、彼女と会える時間は少なくなっている。
 さらに変わったことと言えば、愛奈が流す曲も変化していた。
「最近、曲の趣味変わった? 前は恋愛ソングが多かったと思うけど」
「はは、バレちゃうか。今はヘビーメタルにはまってるの、こういうやつ」
 彼女が流す曲からは歪んだギター音に、叫ぶような、割れた声が聞こえてくる。耳障りは悪く、音量を下げたくなるが、彼女は気にすることなくぼーっと空に目を向ける。
 今日は曇り空でスッキリしない。雨が降るわけでもなく、晴れになりそうな兆しもない。
 僕達は心が張り裂けそうな音楽を聴きながら、何気ない話をして終えた。
 二人一緒にいるのに当て合いをしなかったのは、花火大会以来だった。

「今日は……やりたいな。いいでしょ?」
「勿論、やろうか」
 彼女は比較的表情が明るく、カードもしっかりと手に持って、机に置いている。
 だが曲は変わらず、ヘビーメタルのもので、ボーカルは超高音で叫んでいた。
 愛奈のカードは残り二枚。その中でも、雷の絵文字が気になり、手に取って見る。
【星川11 ⚡】
 彼女が睨む視線の先は昨日と変わらない空一面雲が広がっているが、黒さが増しているように見える。雷が落ちそうなくらい、天候は不安定だった。
「なんでそんなに空を見てるの? 愛奈」
「雨降るか、さっぱり晴れるかハッキリしてほしいなと思って。いっそのこと曲に合わせて雷が落ちてくれたら、最高なのに」
 言葉の節々に刺があり、ニヒルな笑みを浮かべる愛奈。本当に降ってほしそうにルンルンだ。
「これまで聞いたことはなかったけど、このカードって今の曲と関連してる?」
「ふふ、どうでしょ~」
 当たりだ。彼女の目に光が宿ったようにキラキラしている。ようやく正解への糸口を掴めた。この勢いで話を進めたら、愛奈も元気になるかもしれない。
「叫びたいことがあるとか?」
「あるよ、めっちゃある」
 彼女は間髪を入れずに答えた。余程のことなのだろう。もしかしたら、検査結果が悪かったことを既に彼女が聞いていて、それによるものもあるかもしれない。
「……病気に関すること?」
「それしかないでしょ、他にあると思う?」
「早く僕に残りの裏読みトランプを作れとか」
「あーたまに思うけど、早いからいいわけじゃないじゃん。というか、君とゲームをする前からやりたいことリストは作ってるからないよ」
「そうだった」
 変なの~と笑う愛奈。彼女の言う通り、僕とかかわる前からあるんだ。それでいて病気に関することなら限られてくる。自分が病気になったことへの運の悪さに対する叫び、他の人じゃなくてなんで私……という怒りをぶつけたくなるだろう。
もし、それをぶつける相手を挙げるとしたら……。
「神様に文句を言いたい、とか?」
「正解! いやーようやく当ててくれたね。これ以上待っていたら私が君に叫ぶ所だったよ」
【星川11 神様に文句を言いたい⚡ 】
 愛奈はすっきりとした表情を浮かべ、ヘビーメタルの曲を一時停止する。
「それじゃあいこっか」
「どこに?」
「もちろん、神様に文句を言いに行くの!」
 彼女は窓を指差す。雲行きの怪しい天気だが、少しだけ光が差し込んでいた。

 僕らは看護師に一声かけてからエレベーターで屋上へ向かった。自動ドアを抜けると、開放感溢れる広場があった。幸いにも雲が途切れている箇所があり、夕日が地上に差し込み、僕らを照らしている。
 それでいて、人は誰もいなかった。
「わー最高! 独占状態だ」
「はしゃいでいる愛奈を見るのは久しぶりだな」
「そりゃもう。ベッド生活には飽き飽きしてたからね~」
 彼女は両手を広げ、自由な空間を満喫していた。そして、奥へ奥へと進んでいき、フェンスの前まで辿り着く。
「神様はどこにいるかな……」
「どこだろう、雲の先とか」
「ふふ、今がチャンスだね。空いている隙間から私の叫びを聞いてもらわないと」
 愛奈はぎゅっと両手を握りしめ、大きく深呼吸をする。体に空気を入れていき、ひとしきり吸い終わった後、ガシャンと音を立ててフェンスを掴む。
「なんで私なのーーーーーーー! 神様のバカーーーーーーー!」
 彼女の叫びは止まらない。次から次へと溜め込んでいた言葉を吐き出していく。空へ向かって、声が割れることも厭わず思いの丈をぶつける。
 僕は彼女のあまりの叫びに開いた口が塞がらなかった。
「私はもっとやりたいことが沢山あるんだーーーーーーー! 邪魔しないでよーーーーーーー」
はぁはぁと息が絶え絶えになりながらも、愛奈がフェンスに手をかける指は力強く、倒れることなく、文句を言い切った。
 彼女の最後の言葉に、僕は思わず一歩後ずさりしてしまう。
「……言っちゃった、ね」
 愛奈は僕の方へ振り返り、恥ずかしそうに頬を掻く。僕はどうしたらいいのか分からず、ただぎこちなく頷くことしかできなかった。
「じゃあ、次は君の番だよ」
「え?」
「当ったり前じゃん、裏読みトランプの二つ目は?」
「二人で必ず実行する……」
「そっじゃあどうぞ! 私だけやるなんて嫌だからね、君がやってこそ意味があるんだから」
 愛奈は僕に近付き、僕の手を引っ張る。目の前にはフェンスと今にも消えそうな夕日。
 やるしかない……と思い、僕もフェンスに手をかける……息を吸い、肺に呼吸を入れていく。
でも一体何を言ったらいいんだろう、愛奈のことか、それとも……。
 僕が声を出そうとした途端、心の奥底から何かが這い出てきて、首を絞めつけられるような感覚に陥る。
 体が固まり、身動きが取れない。
 愛奈以外、誰もいないのに。
 何かを言葉にしようとしても嗚咽や吐く息にしかならなかった。
 肺にあった空気が全てなくなった後、僕は項垂れる。
「どうしたの?」
 愛奈が駆け寄り、心配そうに僕を見つめる。
「な、何でもない……」
「そんなはずないじゃん、具合悪いの?」
「問題ない、よ」
 話は堂々巡りで、僕らはついに言葉を交わさなくなった。沈黙が続き、愛奈は僕のことを見つめ続ける。彼女の瞳には、強張った表情を浮かべる僕がいた。
でも……結局どうしたらいいのか分からず、声を出す事も出来ずに顔を逸らす。
「……ごめんね」
 顔を上げると、涙目の愛奈が顔を拭い、早足で出口へ向かっていく。僕は本来であればすぐに追いかけないといけないのに……足が動かなかった。
 ただ、その小さな背中を、見届けるしかできなかった……。

 翌日、愛奈の病室にお見舞いに行くことにした。昨日のことを謝りたかったし、何より、裏読みトランプは続いている。
 中間試験は近づいているけれど、そんなことよりも彼女のことの方がよっぽど大事だ。
 何より、行かないといけない。僕は制服を着て家を出た後、真っ直ぐ病室へ向かう。
「愛奈……いる?」
「何しに来たの?」
 彼女は病室のベッドで本を読んでいたが、僕を一瞥すると、すぐに本に視線を戻す。
 いつもより声のトーンは低く、一瞬だったが険しい目つきだった。
「何って……いつも通りきたんだよ。それに……さ。昨日のことを謝りたくて」
「ふーん。それより学校は? テスト、近いでしょ」
「今はいいよ」
「良い大学、行きたいんでしょ。私に構ってないで勉強したら?」
 冗談なんて微塵も感じさせないトーンで淡々と僕に告げる。目線が合うことはなく、医療機器の音だけが部屋にそっと響き渡っていく。
「勉強なんて、どうでもいいよ」
「はぁ……」
 愛奈は本を閉じ、溜息をついて僕の方を向いた。
「ゲーム、もう終わりにしよ。お互いにとって良くない」
「え……なんで。あとちょっとで終わるのに」
「君がさっさと終わらせたいならいいじゃん。もうここに来る必要もなくなるよ」
「そういうわけじゃ……ただでさえ時間がないんだし」
「ゲームなんて時間の無駄だよね、これまでも無意味だった」
「そんな訳ない、ずっと一緒にやってきただろ」
「今すぐ帰って! 二度と来ないで!」
 愛奈は悲痛な叫びをあげ、布団に籠ってしまう。何事かと駆け付けた看護師に説明をして僕は重い足取りで病室を後にした。彼女の眼は充血していて、涙でぐしゃぐしゃだった……。
 その日の夜、僕は愛奈のお母さんから「今後は面会を控えて欲しいの……ごめんね」と告げられた。