新宿駅を出てつかの間の休憩を取った後、僕らは乗車券や昼食、そしてギリギリ日帰りできる帰りの切符も購入して特急あずさに乗った。僕はじゃんけんで勝ち、窓際の席に深々と座る。
あぁ……これで快適だ。もう何の心配もいらない。
「ねぇ、帰りの切符も買う必要あった? 早めに帰る可能性もあるのに」
「そりゃ……さっ君たいな思いはしたくないからね、絶対。一応変更もできるし」
「はは、君相当焦ってたもんね」
くっそ……星川はどこまでも余裕があって、楽しそうだ。外の都会の景色を見ながら心を落ち着けていると、アナウンスが流れた。
――本日は特急あずさをご利用いただきありがとうございます。当列車は全席指定席となっており、現在満席でのご案内となっております。ごゆるりとおくつろぎください。
そう、今なら帰りの席は確保できるが、直前で確保できるとは限らない。さっきまで心臓が止まりそうな位の山場を乗り越えたのだ。同じ思いはしたくない。
「さーて食べよっか、お弁当!」
僕らは買ったお弁当を広げゆっくりと時間を過ごすことにした。
時刻は十四時。僕らは小海線の電車に乗っていた。ふかふかなシートに座り、心地良い揺れに涼し気な車内が僕らの疲れをいやす。星川は電車の壁に体を預け、うとうとしていた。特急に乗っている間は普通のトランプで遊んでいたし、それまでの疲れもあったのだろう。
時折汽笛が鳴ってびっくりするけれど、それもまた味わい深く感じていた。周囲を見渡せば自然に溢れていて、他の乗客も楽しそうに見たり、寝たりと思い思いの時間を過ごす。
野辺山駅まではあと少しだ。次の次の駅で降りるから間違えないようにしないと……。
数分後、一つ前の駅である清里駅に辿り着いた。比較的栄えている場所なようで、多くの人が降りていく。野辺山で降りるわけではないんだな……。
そんなことを思いつつ窓の外を眺めていると、突然「あっ」という声が聞こえたと思いきや、彼女は反射的に飛び起きて、僕の手を掴む。
「ほ、星川?」
「早く降りないと!」
「だいじょうぶ、まだーー」
「急いで」
必死な様子の彼女に連れられるがまま、電車を降りた。外は快晴ながらも涼し気な温度で、まるで自分の部屋にいるかのような心地良さがある。いやいや、感動している場合ではない。戻らないと。
「星川、ここは一個前の駅だよ」
「えっ?」
「ほら、あそこを見て」
僕はホームに設置された標識を指差す。そこにはハッキリと清里と書かれている。彼女は寝ぼけていたのだろう。今ならまだ引き返せる。そう思っていたが……
「違うのです。私はここで降りたかったのです」
「おい」
星川は何度か瞬きをした後、あっやっちまったという顔で頬をかき、何でもなかったかのように、すまし顔になった。いや、バレてるから。
「私は清里の風景に、自然に感動したの。ここで降りない選択肢はないよ」
「いやいや、星川爆睡してただろ。あと一駅で野辺山着くって」
「大丈夫、時間はたっぷりあるから」
彼女は自信満々に言ってのけた。そんな問答を続けていると、汽笛が周囲に鳴り響き、電車がガタンゴトンと音を立てて行ってしまった。あぁ……次はいつ乗れるのだろうと気落ちし、首を垂れた。
「あの……ごめん、ね?」
「ここまで来たら最後までやり切ってよ、お願いだから」
僕達は清里駅で降りることにした。というのも次の電車は一時間半後。駅にずっといるのは流石にもったいない。ここでどう時間を過ごそうか悩んでいた所、幸運が舞い降りた。
「二名様、自転車のご利用ですね。当日レンタルできますよ」
「ほんと! やった~」
実は駅のすぐ近くにある観光案内所で自転車が借りられるようだ。それも電動自転車、普段は乗れないけど、かなり快適に運転できることは知っている。これでアイスや牧場が有名な清泉寮、吐竜の滝といった観光スポットに行けるらしい。
他にもピクニックバスという選択肢もあったものの、自転車の方が自由度は高く、景色も楽しめそうでそそるものがあった。千七百円と値は張るが、結果的にバスとも近い値段だった。
星川は受付の人からヘルメットを借り、麦わら帽子の代わりに被る。意外にワンピースにヘルメットも似合ってるな。
「もうつけるの? まぁいいけどさ」
「君も早く付けなよ、絶対楽しいよ」
「調子いいんだから」
僕もワクワクしている自分がいて、すぐにヘルメットを被り、自転車置き場へ向かった。
スタッフの方に自転車の使い方を学び、ガイドマップをもとにオススメの観光スポットも教えてもらった。まずは清泉寮に行くのがいいらしい。行こうと思えば自転車で鉄道の最高地点まで行けたが、星川はまだ行きたくない、ソフトクリームが食べたいと言い張る。
僕としても往復に一時間近くかけて終わるのは味気なく感じ、彼女の意見を受け入れた。
それならいつゴールにたどり着けるんだと疑問に思ったが、後の自分に任せることにする。
僕達は荷物を籠に載せ、電動自転車でスイスイと町へ繰り出した。
その後、僕らは色んな所を巡って楽しんだ。牧場に立ち寄りジャンケンで負けた僕が素手で牛に餌やりをしたり、清泉寮の解放感溢れるウッドデッキで富士山を探しながらソフトクリームを食べたり、吐竜の滝に向かうべく数十キロの速さで下り坂を駆け抜けたり、吐竜の滝でマイナスイオンを感じたり、帰り道に迷って休憩にまたソフトクリームを食べたりもした。
時間はあっという間に無くなり、結局自転車を時間ギリギリまで借りてしまった。今後の動きを考える中でスタッフの方に相談すると、野辺山には夜やっているお店が少ないとわかった。
予め清里駅付近のコンビニで夕食を買ってから電車で移動し、ようやく野辺山駅に到着。
写真撮影もそこそこに檜山のお土産を買うために売店へ立ち寄った。星川は桐野へのお土産を買い、三度目のソフトクリームも注文していた。お腹を壊さないかが心配になる。
「はい、解けないうちに食べてね、お嬢ちゃん」
「やった~ちなみに一つ聞きたいんですけど、最高地点ってどうやっていけばいいですか?」
星川が道を尋ねると、店員は気さくに教えてくれた。そして、道順と一緒に、とある伝承について声を潜めて話し出す。
「あそこには幸せの鐘と呼ばれる場所があるんだけど、電車が通る時に鳴らすと、二人にとって最高の幸せが手に入るって噂なの。夕方は比較的人が少ないからチャンスよ、折角なら彼氏と鳴らしてきたら?」
「えっそうなんですか~」
星川は目を輝かせてこちらを向き、絶対やるからねと言わんばかりのオーラを放つ。いや、彼氏じゃないんだけどさ。
僕らは店員にお礼を言って売店を後にした。道なりに真っ直ぐ進んだ後、踏切を右に曲がり、線路に沿って歩いていく。夕日が空をオレンジ色に染め、軽やかな風が身体を伝う。周囲は田んぼや畑、山が広がっていて、僕ら以外一人も姿は見えなかった。
「今日は楽しかったね~」
「なんだかんだな。最初はどうなるかと思った」
「確かに~でも意外となんとなるでしょ?」
「運が良かっただけだよ。事前に計画を練っていれば今も自転車でスイスイ行けたのに」
「ゆったり歩くのも風情があってよき……疲れたけど」
「おいおい」
星川はえへへーと言いながら道中で座り込む。車も来ないので暫くは平気だが、このままでいると日が暮れてしまう。時刻は十七時三十分、僕達は駅と最高地点の中間にいた。
「どうする? タクシー呼ぼうか」
「ちょっと休んだら大丈夫~それにタクシーは望み薄だよ、捕まりっこない」
周囲はのどかな自然でいっぱいだ。道こそ舗装されているがタクシーは駅の近くでも殆ど見ることはなかった。
彼女は一段高い歩道の縁に腰掛けた。
「ふぅ~快適快適」
「これはある意味最終便に乗るの視野に入れておいた方が良いな……」
僕もお土産袋を歩道の縁に立てかけ、休憩をとることにした。
◆
「あっ見えてきたよ~」
休憩の後、十分ほど道なりに進んでいくと、その先には高さ十メートル近くある大きな石の円柱が目に飛び込んでくる。鉄道最高地点と書かれており、ここがゴールで間違いないようだ。近くには電車の車輪とこじんまりとした神社があった。鉄道神社と呼ぶらしい。
僕達はまず一礼してから鳥居へ入り、手を合わせる。この神社では標高が1375メートルであることから、語呂合わせで合格や幸福のご利益があるようだ。
僕も大学合格を願おうかとも思ったが、それ以前に裏読みトランプに勝たないと大学どころではない。真っ先に星川に勝てますようにとお願いした。横で祈る彼女は何を願っていたのだろうか。
気になって聞いてみたが「教えなーい」とのこと。むしろ祈ってまで勝とうとしたことを弄られてしまった。
そして、神社を背にして周囲を見渡すと、正面に踏切がある。渡った先には縦も横も数メートルは優に超える大きな石碑があった。最高地点、と書かれており、あちらも観光スポットになっているらしい。何人かが写真撮影をしている。
僕らも踏切を超えていくと、その石碑の上端に鐘がついているのが分かる。石碑には幸せの鐘と書いてあり、これが店員の話していたものだろう。
幸せの鐘の前には一組のカップルが佇んでいて、何やらソワソワしている。疑問に思った直後、踏切からカンカンカンと音が鳴り始める。周囲はわっと沸き立ち、踏切の近くでカメラを構えている。そして、彼らは石碑の階段を上り、鐘を鳴らすための紐に二人で手をかけた。星川は僕の肩を叩き、はじけるような笑顔を見せる。
「これってもしかしてあれ、だよね?」
「きっと伝承を知っているんだろうな」
次第に電車が近付き、見えたタイミングで紐を持つ二人は一生懸命に振って鐘を鳴らそうとする。思ったよりも苦戦していて、電車が踏切を半分渡った所で鐘が鳴った。
鳴った音は周囲に広がっていき、電車も汽笛で応えていた。
夕焼けに照らされた二人は晴れ晴れとした表情で石碑の階段を下りていき、僕達を見て、頑張ってね、と言いその場を離れていった。
「スゴーい! 一瞬だったね」
「うん、結構難しそうだ」
集まっていた人たちは、それぞれの目的を果たしたのか散り散りになってこの場を離れていく。気付けば僕ら二人だけになっていた。現在の時刻は十八時を超えている。
「ねぇ、次の電車は何時になるかな?」
「次は……十分後、すぐに来そうだ。ただ、これを逃したら、次は僕達が最後に乗れる電車だ。今日中に家に帰れなくなるからね」
「分かった! 入念に練習しておかないと」
星川は意気揚々として、階段を上っていく。僕も荷物を脇に置いて彼女の後をついていった。
「意外と足元ギリギリだ~」
「気を付けてよ」
僕達は二人で紐を掴み、鐘が鳴らない程度に動かしてみる。先人が苦戦するのも分かる位、難しいことが分かった。二人が息ぴったりでないと思うように鐘に当たらないのだ。
「成功、させようね。絶対に」
「はいはい、やれるだけやってみるよ」
位置を調整しつつ、電車が来るのを待った。
段々と空にオレンジと夜が混じり始めた時、踏切の音が聞こえてきた。これが最初で最後のトライとなる。電車が見え始めたタイミングを見計らい、僕達は顔を見合わせる。
「いくよ~せーのっ!」
星川の合図で僕達は紐を左右に揺らす。何とかして振ってはみるが、中々鐘に当たらない。息が微妙に合っていないようだ。それならやむを得ない。
「星川、ごめん」
「えっ」
僕は自分の手を星川の手に重ね、一緒に振る。すると、うまく運動が伝わり、鐘の音が鳴り響き、僕らの身体にも震動が伝わっていく。
そして、電車は踏切を超えて僕らの視界から去っていった。
「鳴った! 鳴ったよ~!」
「やったな、星川」
星川は喜びが抑えきらない程に声を上げ、溢れんばかりの笑顔を見せる。僕も無事に鳴ってくれたことが嬉しくなって、口角は上がり、体中が熱くなった。
喜びもつかの間、僕達は手が触れ合っていることに気付き、思わず手が離れる。
「ふふ、君のおかげだよ。君がいたから、私は幸せになれたんだ」
彼女は顔を赤らめ、両手を後ろに隠した。でも、星川の輝く瞳は僕を一心に見つめていて、心臓がどんどん高鳴っていく。
「幸せって……まだこれからなんじゃないの?」
「君がきざなこと言ってる。面白い」
「あっいや……そういうわけじゃ」
僕は思わず頭を掻いてしまうが、彼女が手を差し出す。
「降りよっか」
「うん」
星川の手を取り、僕らは手を繋いで階段を下りていく。彼女の手は柔らかくて温かくて、そして小さかった。
階段を降り切ってから後ろを振り返ると、幸せの鐘の先に、一番星が煌めいている。まるで、人の幸せを指し示してくれているかのようだった。そんな思いもあってか、今まで見た景色の中でもとびっきりに美しかった。
彼女は僕の手をぎゅっと握り、呟いた。
「もう少しだけ、ここにいてもいいかな?」
「いいよ」
僕らは石碑の近くにあるベンチに腰掛け、空が夜になっていくのをゆっくりと眺めている。相変わらず涼しくて、汗をかくことはないが、僕らの重ねた手だけは、熱を帯びていた。
「次の電車まで一時間以上あるけど、どうする?」
「折角なら今しかできない話をしようよ。ねぇ、君にとっての幸せって何だと思う?」
「すごく難しいこと聞くね」
「ふふ、考えてみて」
星川は柔らかな眼差しで僕を見つめる。回答を急かすことなく、僕のペースを受け入れてくれている感覚があった。深呼吸をして新鮮な空気を取り入れた後、僕は思考を巡らせる。そして、頭に浮かんだ言葉を口にしてみた。
「本当にやりたいこととか、大切なものを見つけることかな。まだわからないけど」
「うんうん」
「この世界のありとあらゆるものの中で、やりたいこと・大切なことを見つけること自体が難しいってことが、星川と裏読みトランプをやってよくわかった」
「君、今も苦戦してるもんね」
「そういう星川はどうなの? さっきは幸せになれたなんて言ってたけど」
「そうだね……」
星川は夜空に手を伸ばし、次第に増えていく星々を一つずつ数えていく。
「私はね、今を生きていることだよ。美味しい空気を吸って、美味しいご飯を食べて、遊んで、学校に行って、寝る。そういう当たり前のことができるのってすごく幸せなことだと思うんだ。君と話しているこの瞬間も、幸せだよ」
彼女は僕に視線を向けて、繋いでいる手をぎゅっと握る。手から星川の温度が伝わり、僕の手も熱を帯びているような気がした。
「あと、私は手探りで何かに挑戦するのも幸せに感じるな。結果が分からない方が好きだし面白いって思う。だって、知っちゃったらあとはそれをなぞるだけだもん。もし頭の中で描いた最高の人生が送れるって分かっちゃったら、絶対動かない自信ある」
「変な自信だ」
「私は天邪鬼だからね、君とのゲームもそうだよ。どっちが勝つか分からない。今は私の方が優勢だろうけど」
星川はニヤッと笑い、夜空に視線を戻した。星や月、山や花々、僕と星川はただそこにいるだけ。でも、一緒にいる。今はそれだけで十分な気がした。
長く続くと思っていた時間はあっという間に過ぎ、僕らはスマホで道を照らしながら来た道を戻っていく。その中で、山々の上に浮かぶ星と雲を見て、ふと星川のもつライオンのペンケースに似ているなと思った。
それを星川に伝えたら、「変なの~」と笑われてしまった。結構似てるのに。
その後、僕達は野辺山駅に着き、十九時五十九分の最終電車に乗ることができた。
小淵沢駅に到着してからは、券売機で乗車予定の特急の空き具合を試しに見てみることにした。すると、星川は顔を真っ青にして、「君の計画も悪くないね」と悔しそうに呟く。
ほら、やっぱり満席じゃないか。
そうかと思えば、星川は行きのじゃんけんで座れなかった窓際の席に座った途端、僕を置いてすぐに寝てしまった。
僕は早速、天邪鬼が出たな、と笑いつつ、スマホを見る。写真フォルダには、今日一日の思い出がつまっていて、写真にうつる星川はいつも笑っていた。
今日は帰りの列車を除いて、何一つ予測できない日々が続いた。僕にとっては不安ばかりの一日だったけど……まぁいっか。そう口から零れたのは君のせいにしておこう。
二十三時過ぎ、僕達はスタート地点であり、ゴールでもある船橋駅に到着。星川はここが最寄り駅であるため、家の近くまで送ることにした。
「別にいいんだよ~家近いし」
「流石に夜遅いし、このまま帰すのも悪いだろ」
「ふわぁ……君もやるねぇ」
星川は眠たげな表情を浮かべる中、彼女のスマホが通知音を鳴らす。親からかも~と言って、彼女が電話に出ると、聞き覚えのある声がスピーカーから聞こえてきた。
『愛奈、大丈夫? ずっと返信来なかったから心配したよ』
『もう心配性だな~大丈夫だよ』
『それにしても珍しくない? 何かあった?』
『うーん別に。ただ、はじめ君とデートしてただけだよ』
『えっえええええええええ』
『また今度ね、おやすみ』
『えちょっと』
星川は通話を切り、うーんと呑気に背伸びをする。おい、とんでもないことを口にしたような気がするぞ。
「大丈夫なのか? あんなこと言って」
「うーん、ねむいからわかんない」
「あぁ……もう知らないぞ」
僕は考えるのを止め、ふにゃふにゃな彼女を家まで送ってから帰宅した。
あぁ……これで快適だ。もう何の心配もいらない。
「ねぇ、帰りの切符も買う必要あった? 早めに帰る可能性もあるのに」
「そりゃ……さっ君たいな思いはしたくないからね、絶対。一応変更もできるし」
「はは、君相当焦ってたもんね」
くっそ……星川はどこまでも余裕があって、楽しそうだ。外の都会の景色を見ながら心を落ち着けていると、アナウンスが流れた。
――本日は特急あずさをご利用いただきありがとうございます。当列車は全席指定席となっており、現在満席でのご案内となっております。ごゆるりとおくつろぎください。
そう、今なら帰りの席は確保できるが、直前で確保できるとは限らない。さっきまで心臓が止まりそうな位の山場を乗り越えたのだ。同じ思いはしたくない。
「さーて食べよっか、お弁当!」
僕らは買ったお弁当を広げゆっくりと時間を過ごすことにした。
時刻は十四時。僕らは小海線の電車に乗っていた。ふかふかなシートに座り、心地良い揺れに涼し気な車内が僕らの疲れをいやす。星川は電車の壁に体を預け、うとうとしていた。特急に乗っている間は普通のトランプで遊んでいたし、それまでの疲れもあったのだろう。
時折汽笛が鳴ってびっくりするけれど、それもまた味わい深く感じていた。周囲を見渡せば自然に溢れていて、他の乗客も楽しそうに見たり、寝たりと思い思いの時間を過ごす。
野辺山駅まではあと少しだ。次の次の駅で降りるから間違えないようにしないと……。
数分後、一つ前の駅である清里駅に辿り着いた。比較的栄えている場所なようで、多くの人が降りていく。野辺山で降りるわけではないんだな……。
そんなことを思いつつ窓の外を眺めていると、突然「あっ」という声が聞こえたと思いきや、彼女は反射的に飛び起きて、僕の手を掴む。
「ほ、星川?」
「早く降りないと!」
「だいじょうぶ、まだーー」
「急いで」
必死な様子の彼女に連れられるがまま、電車を降りた。外は快晴ながらも涼し気な温度で、まるで自分の部屋にいるかのような心地良さがある。いやいや、感動している場合ではない。戻らないと。
「星川、ここは一個前の駅だよ」
「えっ?」
「ほら、あそこを見て」
僕はホームに設置された標識を指差す。そこにはハッキリと清里と書かれている。彼女は寝ぼけていたのだろう。今ならまだ引き返せる。そう思っていたが……
「違うのです。私はここで降りたかったのです」
「おい」
星川は何度か瞬きをした後、あっやっちまったという顔で頬をかき、何でもなかったかのように、すまし顔になった。いや、バレてるから。
「私は清里の風景に、自然に感動したの。ここで降りない選択肢はないよ」
「いやいや、星川爆睡してただろ。あと一駅で野辺山着くって」
「大丈夫、時間はたっぷりあるから」
彼女は自信満々に言ってのけた。そんな問答を続けていると、汽笛が周囲に鳴り響き、電車がガタンゴトンと音を立てて行ってしまった。あぁ……次はいつ乗れるのだろうと気落ちし、首を垂れた。
「あの……ごめん、ね?」
「ここまで来たら最後までやり切ってよ、お願いだから」
僕達は清里駅で降りることにした。というのも次の電車は一時間半後。駅にずっといるのは流石にもったいない。ここでどう時間を過ごそうか悩んでいた所、幸運が舞い降りた。
「二名様、自転車のご利用ですね。当日レンタルできますよ」
「ほんと! やった~」
実は駅のすぐ近くにある観光案内所で自転車が借りられるようだ。それも電動自転車、普段は乗れないけど、かなり快適に運転できることは知っている。これでアイスや牧場が有名な清泉寮、吐竜の滝といった観光スポットに行けるらしい。
他にもピクニックバスという選択肢もあったものの、自転車の方が自由度は高く、景色も楽しめそうでそそるものがあった。千七百円と値は張るが、結果的にバスとも近い値段だった。
星川は受付の人からヘルメットを借り、麦わら帽子の代わりに被る。意外にワンピースにヘルメットも似合ってるな。
「もうつけるの? まぁいいけどさ」
「君も早く付けなよ、絶対楽しいよ」
「調子いいんだから」
僕もワクワクしている自分がいて、すぐにヘルメットを被り、自転車置き場へ向かった。
スタッフの方に自転車の使い方を学び、ガイドマップをもとにオススメの観光スポットも教えてもらった。まずは清泉寮に行くのがいいらしい。行こうと思えば自転車で鉄道の最高地点まで行けたが、星川はまだ行きたくない、ソフトクリームが食べたいと言い張る。
僕としても往復に一時間近くかけて終わるのは味気なく感じ、彼女の意見を受け入れた。
それならいつゴールにたどり着けるんだと疑問に思ったが、後の自分に任せることにする。
僕達は荷物を籠に載せ、電動自転車でスイスイと町へ繰り出した。
その後、僕らは色んな所を巡って楽しんだ。牧場に立ち寄りジャンケンで負けた僕が素手で牛に餌やりをしたり、清泉寮の解放感溢れるウッドデッキで富士山を探しながらソフトクリームを食べたり、吐竜の滝に向かうべく数十キロの速さで下り坂を駆け抜けたり、吐竜の滝でマイナスイオンを感じたり、帰り道に迷って休憩にまたソフトクリームを食べたりもした。
時間はあっという間に無くなり、結局自転車を時間ギリギリまで借りてしまった。今後の動きを考える中でスタッフの方に相談すると、野辺山には夜やっているお店が少ないとわかった。
予め清里駅付近のコンビニで夕食を買ってから電車で移動し、ようやく野辺山駅に到着。
写真撮影もそこそこに檜山のお土産を買うために売店へ立ち寄った。星川は桐野へのお土産を買い、三度目のソフトクリームも注文していた。お腹を壊さないかが心配になる。
「はい、解けないうちに食べてね、お嬢ちゃん」
「やった~ちなみに一つ聞きたいんですけど、最高地点ってどうやっていけばいいですか?」
星川が道を尋ねると、店員は気さくに教えてくれた。そして、道順と一緒に、とある伝承について声を潜めて話し出す。
「あそこには幸せの鐘と呼ばれる場所があるんだけど、電車が通る時に鳴らすと、二人にとって最高の幸せが手に入るって噂なの。夕方は比較的人が少ないからチャンスよ、折角なら彼氏と鳴らしてきたら?」
「えっそうなんですか~」
星川は目を輝かせてこちらを向き、絶対やるからねと言わんばかりのオーラを放つ。いや、彼氏じゃないんだけどさ。
僕らは店員にお礼を言って売店を後にした。道なりに真っ直ぐ進んだ後、踏切を右に曲がり、線路に沿って歩いていく。夕日が空をオレンジ色に染め、軽やかな風が身体を伝う。周囲は田んぼや畑、山が広がっていて、僕ら以外一人も姿は見えなかった。
「今日は楽しかったね~」
「なんだかんだな。最初はどうなるかと思った」
「確かに~でも意外となんとなるでしょ?」
「運が良かっただけだよ。事前に計画を練っていれば今も自転車でスイスイ行けたのに」
「ゆったり歩くのも風情があってよき……疲れたけど」
「おいおい」
星川はえへへーと言いながら道中で座り込む。車も来ないので暫くは平気だが、このままでいると日が暮れてしまう。時刻は十七時三十分、僕達は駅と最高地点の中間にいた。
「どうする? タクシー呼ぼうか」
「ちょっと休んだら大丈夫~それにタクシーは望み薄だよ、捕まりっこない」
周囲はのどかな自然でいっぱいだ。道こそ舗装されているがタクシーは駅の近くでも殆ど見ることはなかった。
彼女は一段高い歩道の縁に腰掛けた。
「ふぅ~快適快適」
「これはある意味最終便に乗るの視野に入れておいた方が良いな……」
僕もお土産袋を歩道の縁に立てかけ、休憩をとることにした。
◆
「あっ見えてきたよ~」
休憩の後、十分ほど道なりに進んでいくと、その先には高さ十メートル近くある大きな石の円柱が目に飛び込んでくる。鉄道最高地点と書かれており、ここがゴールで間違いないようだ。近くには電車の車輪とこじんまりとした神社があった。鉄道神社と呼ぶらしい。
僕達はまず一礼してから鳥居へ入り、手を合わせる。この神社では標高が1375メートルであることから、語呂合わせで合格や幸福のご利益があるようだ。
僕も大学合格を願おうかとも思ったが、それ以前に裏読みトランプに勝たないと大学どころではない。真っ先に星川に勝てますようにとお願いした。横で祈る彼女は何を願っていたのだろうか。
気になって聞いてみたが「教えなーい」とのこと。むしろ祈ってまで勝とうとしたことを弄られてしまった。
そして、神社を背にして周囲を見渡すと、正面に踏切がある。渡った先には縦も横も数メートルは優に超える大きな石碑があった。最高地点、と書かれており、あちらも観光スポットになっているらしい。何人かが写真撮影をしている。
僕らも踏切を超えていくと、その石碑の上端に鐘がついているのが分かる。石碑には幸せの鐘と書いてあり、これが店員の話していたものだろう。
幸せの鐘の前には一組のカップルが佇んでいて、何やらソワソワしている。疑問に思った直後、踏切からカンカンカンと音が鳴り始める。周囲はわっと沸き立ち、踏切の近くでカメラを構えている。そして、彼らは石碑の階段を上り、鐘を鳴らすための紐に二人で手をかけた。星川は僕の肩を叩き、はじけるような笑顔を見せる。
「これってもしかしてあれ、だよね?」
「きっと伝承を知っているんだろうな」
次第に電車が近付き、見えたタイミングで紐を持つ二人は一生懸命に振って鐘を鳴らそうとする。思ったよりも苦戦していて、電車が踏切を半分渡った所で鐘が鳴った。
鳴った音は周囲に広がっていき、電車も汽笛で応えていた。
夕焼けに照らされた二人は晴れ晴れとした表情で石碑の階段を下りていき、僕達を見て、頑張ってね、と言いその場を離れていった。
「スゴーい! 一瞬だったね」
「うん、結構難しそうだ」
集まっていた人たちは、それぞれの目的を果たしたのか散り散りになってこの場を離れていく。気付けば僕ら二人だけになっていた。現在の時刻は十八時を超えている。
「ねぇ、次の電車は何時になるかな?」
「次は……十分後、すぐに来そうだ。ただ、これを逃したら、次は僕達が最後に乗れる電車だ。今日中に家に帰れなくなるからね」
「分かった! 入念に練習しておかないと」
星川は意気揚々として、階段を上っていく。僕も荷物を脇に置いて彼女の後をついていった。
「意外と足元ギリギリだ~」
「気を付けてよ」
僕達は二人で紐を掴み、鐘が鳴らない程度に動かしてみる。先人が苦戦するのも分かる位、難しいことが分かった。二人が息ぴったりでないと思うように鐘に当たらないのだ。
「成功、させようね。絶対に」
「はいはい、やれるだけやってみるよ」
位置を調整しつつ、電車が来るのを待った。
段々と空にオレンジと夜が混じり始めた時、踏切の音が聞こえてきた。これが最初で最後のトライとなる。電車が見え始めたタイミングを見計らい、僕達は顔を見合わせる。
「いくよ~せーのっ!」
星川の合図で僕達は紐を左右に揺らす。何とかして振ってはみるが、中々鐘に当たらない。息が微妙に合っていないようだ。それならやむを得ない。
「星川、ごめん」
「えっ」
僕は自分の手を星川の手に重ね、一緒に振る。すると、うまく運動が伝わり、鐘の音が鳴り響き、僕らの身体にも震動が伝わっていく。
そして、電車は踏切を超えて僕らの視界から去っていった。
「鳴った! 鳴ったよ~!」
「やったな、星川」
星川は喜びが抑えきらない程に声を上げ、溢れんばかりの笑顔を見せる。僕も無事に鳴ってくれたことが嬉しくなって、口角は上がり、体中が熱くなった。
喜びもつかの間、僕達は手が触れ合っていることに気付き、思わず手が離れる。
「ふふ、君のおかげだよ。君がいたから、私は幸せになれたんだ」
彼女は顔を赤らめ、両手を後ろに隠した。でも、星川の輝く瞳は僕を一心に見つめていて、心臓がどんどん高鳴っていく。
「幸せって……まだこれからなんじゃないの?」
「君がきざなこと言ってる。面白い」
「あっいや……そういうわけじゃ」
僕は思わず頭を掻いてしまうが、彼女が手を差し出す。
「降りよっか」
「うん」
星川の手を取り、僕らは手を繋いで階段を下りていく。彼女の手は柔らかくて温かくて、そして小さかった。
階段を降り切ってから後ろを振り返ると、幸せの鐘の先に、一番星が煌めいている。まるで、人の幸せを指し示してくれているかのようだった。そんな思いもあってか、今まで見た景色の中でもとびっきりに美しかった。
彼女は僕の手をぎゅっと握り、呟いた。
「もう少しだけ、ここにいてもいいかな?」
「いいよ」
僕らは石碑の近くにあるベンチに腰掛け、空が夜になっていくのをゆっくりと眺めている。相変わらず涼しくて、汗をかくことはないが、僕らの重ねた手だけは、熱を帯びていた。
「次の電車まで一時間以上あるけど、どうする?」
「折角なら今しかできない話をしようよ。ねぇ、君にとっての幸せって何だと思う?」
「すごく難しいこと聞くね」
「ふふ、考えてみて」
星川は柔らかな眼差しで僕を見つめる。回答を急かすことなく、僕のペースを受け入れてくれている感覚があった。深呼吸をして新鮮な空気を取り入れた後、僕は思考を巡らせる。そして、頭に浮かんだ言葉を口にしてみた。
「本当にやりたいこととか、大切なものを見つけることかな。まだわからないけど」
「うんうん」
「この世界のありとあらゆるものの中で、やりたいこと・大切なことを見つけること自体が難しいってことが、星川と裏読みトランプをやってよくわかった」
「君、今も苦戦してるもんね」
「そういう星川はどうなの? さっきは幸せになれたなんて言ってたけど」
「そうだね……」
星川は夜空に手を伸ばし、次第に増えていく星々を一つずつ数えていく。
「私はね、今を生きていることだよ。美味しい空気を吸って、美味しいご飯を食べて、遊んで、学校に行って、寝る。そういう当たり前のことができるのってすごく幸せなことだと思うんだ。君と話しているこの瞬間も、幸せだよ」
彼女は僕に視線を向けて、繋いでいる手をぎゅっと握る。手から星川の温度が伝わり、僕の手も熱を帯びているような気がした。
「あと、私は手探りで何かに挑戦するのも幸せに感じるな。結果が分からない方が好きだし面白いって思う。だって、知っちゃったらあとはそれをなぞるだけだもん。もし頭の中で描いた最高の人生が送れるって分かっちゃったら、絶対動かない自信ある」
「変な自信だ」
「私は天邪鬼だからね、君とのゲームもそうだよ。どっちが勝つか分からない。今は私の方が優勢だろうけど」
星川はニヤッと笑い、夜空に視線を戻した。星や月、山や花々、僕と星川はただそこにいるだけ。でも、一緒にいる。今はそれだけで十分な気がした。
長く続くと思っていた時間はあっという間に過ぎ、僕らはスマホで道を照らしながら来た道を戻っていく。その中で、山々の上に浮かぶ星と雲を見て、ふと星川のもつライオンのペンケースに似ているなと思った。
それを星川に伝えたら、「変なの~」と笑われてしまった。結構似てるのに。
その後、僕達は野辺山駅に着き、十九時五十九分の最終電車に乗ることができた。
小淵沢駅に到着してからは、券売機で乗車予定の特急の空き具合を試しに見てみることにした。すると、星川は顔を真っ青にして、「君の計画も悪くないね」と悔しそうに呟く。
ほら、やっぱり満席じゃないか。
そうかと思えば、星川は行きのじゃんけんで座れなかった窓際の席に座った途端、僕を置いてすぐに寝てしまった。
僕は早速、天邪鬼が出たな、と笑いつつ、スマホを見る。写真フォルダには、今日一日の思い出がつまっていて、写真にうつる星川はいつも笑っていた。
今日は帰りの列車を除いて、何一つ予測できない日々が続いた。僕にとっては不安ばかりの一日だったけど……まぁいっか。そう口から零れたのは君のせいにしておこう。
二十三時過ぎ、僕達はスタート地点であり、ゴールでもある船橋駅に到着。星川はここが最寄り駅であるため、家の近くまで送ることにした。
「別にいいんだよ~家近いし」
「流石に夜遅いし、このまま帰すのも悪いだろ」
「ふわぁ……君もやるねぇ」
星川は眠たげな表情を浮かべる中、彼女のスマホが通知音を鳴らす。親からかも~と言って、彼女が電話に出ると、聞き覚えのある声がスピーカーから聞こえてきた。
『愛奈、大丈夫? ずっと返信来なかったから心配したよ』
『もう心配性だな~大丈夫だよ』
『それにしても珍しくない? 何かあった?』
『うーん別に。ただ、はじめ君とデートしてただけだよ』
『えっえええええええええ』
『また今度ね、おやすみ』
『えちょっと』
星川は通話を切り、うーんと呑気に背伸びをする。おい、とんでもないことを口にしたような気がするぞ。
「大丈夫なのか? あんなこと言って」
「うーん、ねむいからわかんない」
「あぁ……もう知らないぞ」
僕は考えるのを止め、ふにゃふにゃな彼女を家まで送ってから帰宅した。

