びしっと敬礼をしている青年は礼儀正しく頭を下げて、はきはきとした発声で挨拶をはじめた。
「はじめまして、お嫁さんの芹さんっスね! 何回か矢守サン呼びに来てるっスけど、ご挨拶はまだでしたね。御影真帆路っス。おそらく歳も同じくらいなんで気軽に呼んでほしいっス」
「じゃあ、真帆路くんで」
「よろしくお願いしまっス!」
あれから二日、矢守秋人は家には帰ってきていない。
その代わり部下である御影真帆路くんが私の管理を行っている。
「あの……旦那様は?」
「矢守サンは別件で仕事っス。大丈夫っスよ。芹さんが嫌で帰ってこないとかそんなことはないっスから」
矢守秋人もずけずけ言うタイプだけど、真帆路くんは愛想よくも無遠慮に踏み荒らすタイプ。
上司があれなら部下もそうなのかな。
「嘘偽りなく、矢守サンは芹さんのこと大事に思ってますよ!」
「え……」
矢守秋人が……私の事を大事に思ってる。
胸の奥の方がじんわり温かくなったのは巷の少女小説によくあるときめきというやつだろうか。
「最近よく言ってるっス! 仕事が増えた。家にも鬼が出る、って」
真帆路くんは矢守秋人のものまねをするように、眼鏡を指で押し上げる動作をして話をした。
「それは大事にしてないですね!」
私のときめきを返して欲しい。 矢守、秋人――!
私のときめきを返して欲しい。
「あ、そうだ。矢守サンから外出の許可出てますけど、ご実家とか様子見に行かれたりしますか?」
「いいんですか!?」
「日が暮れる前までには戻るっスけどね!」
「ありがとうございます!」
私は嬉しさのあまり真帆路くんの手を握ってぶんぶん上下に振った。
半月しかたっていないけれど、とても懐かしく感じる我が家。
「じゃあ、俺は外にいますから終わったら声かけてくださいっス」
「わかりました」
家に入ると体調のよさそうななずなと針仕事をしているお母さんがいた。
「ただいま!」
「お姉ちゃん!? どうしたの?」
「おかえりなさい。芹」
久しぶりの家族団らんに身も心も緩んでいくのがわかる。
「そうそう、お姉ちゃんおでこ大丈夫なの?」
「そうよ、倒れたって聞いたわ」
「全然大丈夫! あれ、誰から聞いたの?」
「誰って……矢守さんだよ。ねぇ、お母さん」
「えぇ、一昨日の夜に突然来てくださって芹が倒れて額を切ったって。芹を追い込んでしまって申し訳ないって頭下げに来られたのよ。律儀よねぇ」
「旦那様が!?」
一昨日?
私にだったらなんだって突き放しておきながら、こっちに話をしに来たってこと……。
「お姉ちゃん、矢守さんと本当にうまく言ってるんだねぇ。優しい旦那様でよかったねぇ」
「いや……そういう感じかんじでもなくて」
「歯切れ悪いね、喧嘩でもしたの?」
「喧嘩? ……喧嘩、になるのかな、そもそも喧嘩にもなっていないような」
そうだよ。今月限りだから何を言っても言われてもどうでもいいはず……じゃない。
ちゃぶ台に頬をつけて唸っているとなずなが私の反対の頬を指でつついた。
「お姉ちゃんらしくないね……鬱々してる」
「鬱々、私が?」
「いつものお姉ちゃんはガーッと言って、バッっと人の事に首突っ込んで当たって砕ける感じだもん」
「砕けたらだめじゃない?」
未だにぶつぶつ言っている私の背中をお母さんがさすってくれた。
「夫婦なら尚更、言いたいことは全部言わないとお父さんみたいにどこか行っちゃうわよ」
「それは困る、けどさぁ」
「そうでしょう?」
矢守秋人とは夫婦であるけど、夫婦じゃないんだってば……。
「ちゃんと言いたいことはぶつけ合いなさい」
なずなとお母さんの様子を見に来たはずが、いつの間にか私の方が元気をもらう形になってしまった。
面目ない。
私はどうしてあの時、力づくでも矢守秋人を引き止めなかったのかな。
色鬼って知って、驚いていただけ?
それとも怖かったの?
どれも違うような気がする。何を言ってもいいと思っていたのに、何を言っても間違いだった気もする。
でも、だったらやることは一つなのかもしれない。
「真帆路くん!」
「もういいんです? お家に戻るっスか?」
私は頬を叩いて、外にいる真帆路くんの腕を掴んだ。
「いや! 矢守秋人はどこにいますか? 話したい事があるんです」
「矢守サンは……帝都御所っスけど、入れないっスよ? 俺にはそんな力ないっスから」
「騒いででも入ります! 帝の犬である矢守秋人の妻嫁なら通されるはず」
「芹さんって、やっぱ噂通り強いっスねぇ」
「これくらいじゃないと矢守秋人の嫁は務まりませんからね」
***
「それで? 帝都御所の前で矢守秋人を出せと騒いだと……真帆路、何故止めなかった」
正座させられている私と真帆路くん。
しかし、私の方を一切見ない矢守秋人。
その姿に胃がちくちく針に刺されているように痛んでいる。
彼からの冷遇、お小言なんて慣れたものなのに。
「いや、芹さんが騒いででも矢守サンに会うって聞かなくて」
「それを止めるのがお前の仕事じゃないのか」
「やだなぁ。それは芹さんの可愛い新妻心じゃないですか」
「公私混同はしない」
だめかもしれない。
三日ぶりに矢守秋人に会えて安心している気持ちと避けられて苦しい気持ちがぐらぐらしている。
別にどう思われていてもいいのに、よかったはずなのに。避けられているのがこんなに堪えるのはどうしてだろう。
今月限りだから、何を言ってもいいと思っていたけど何も言われないのがつらい。
あぁ、あの時。
矢守秋人を引き止められなかったのは「だったら、なんだ」と突き放されたからか。
涙の膜がいつ破れて零れてしまってもおかしくない。
でも、それは絶対に見せたくない。
「芹さんもちゃんと言った方がいいですよ! こんな配慮のない旦那さん……あ、あれ~~、芹さん」
「真帆路くんごめんなさい。勝手なことばかり言って、用事を思い出したので帰ります! ご迷惑をおかけしました」
帝都御所を出て、追いかけてきてくれた真帆路くんに送られて家に帰ってきた。
当然、矢守秋人は追いかけてすら来なかった。


