矢守秋人の健康管理をしつつも私は私で自分の仕事をする。
土用の丑の日、それはうなぎさんが繁盛する日であり、私もたくさん働く日である。
これは毎年の事でお世話になっている定食屋さんの御親戚のうなぎ屋さんに応援に行く。
「いらっしゃいませ! いいうなぎ入ってますよ!」
「お姉ちゃん、松三つね~」
「はい! かしこまりました!」
「女将さん、松三つです!」
「はいよー」
「芹ちゃん、うなぎ捌くの手伝ってくれない?」
「はい!」
ウナギを生け簀から捕まえて、通行客に見えるように設置された入り口付近の場所で捌いていると矢守秋人の声がした。
「君はなんでも出来るんだな」
「旦那様! 物覚えの速さと手先が器用なことは商家の娘でよかったとは思います。来てくださったんですか?」
「来てくださったって……御所での仕事帰りのついでに迎えに来ると言っていただろう」
迎えと聞くととても愛情深く思えるけど、これは矢守秋人の業務上の囮である私の管理である。
朝は店前まで送られ、夕方迎えにくると言われていた。
「忘れてました……お疲れ様です」
「随分、繁盛しているな」
「今日は土用の丑の日ですからね」
「あぁ、あの迷信か」
この人は本当に、人々の盛り上がりに水を差すようなことをさらっとを言う。
私が矢守秋人と言いあっていると、女将さんが驚いたように口を押えていた。
「芹ちゃん! 誰この美形」
「えっと……」
なんて言えばいいんだろう。いや、夫ではあるんだけど。
「あの、その女将さん」
「芹の夫です。いつもお世話になってます」
「あら、いつの間に結婚したの!?」
「つい……最近で」
私は目を泳がせながら矢守秋人の言葉に同調する。
「知らなかったとはいえ、前と同じように声掛けちゃってよかったの!?」
「それは」
「芹は家事より外に出た方が生き生きとしますからね」
外面のいい矢守秋人を見ると、鳥肌が立つ。
眼鏡の奥の笑顔が胡散臭いぞ――。
「もう芹ちゃん! 旦那さん、とっても優しい方じゃない! 女が外で働くことに理解があるのねぇ」
「は、はは……」
懐柔されてしまった女将さんは私の背中をバシバシ叩いて、どこか嬉しそうな表情をしていた。
相変わらず、人を丸めこむのが早くてうまい。
矢守秋人はそんな人じゃありません! そう叫びながら帝都中を走り回りたい気分だ。
「もうあがる時間よね? せっかくだから、うなぎ食べていきなさいよ。旦那さんと!」
「女将さん!?」
「ほらほら席に座ってなさい。持って行ってあげるから!」
半ば強引に背中を押されて矢守秋人と向かい合うようにして席についた。
矢守秋人は当然、なにかしらの理由をつけて女将さんの提案を断ると思っていた。
いえ、ご迷惑でしょうしこれでとかなんとか、そそくさ連れ帰られる気でいた。
だから、すとんと大人しく席についた矢守秋人にギョッとしてしまった。
「も、もしかしてうなぎ、お好きなんですか?」
「いや……」
「?」
好きではないらしい。
矢守秋人はいつものように眼鏡を指で押し上げていたが、不思議と不機嫌さはなかった。
どこか、興味深々といった感じでお品書きを眺めていたり、天井を見上げていたりした。
はじめてお食事屋処に来た子供みたい。
「はい、芹ちゃんと旦那さんに! 今日は頑張ってくれたから松ね!」
「いいんですか!? そんな豪勢な」
「いいの、いいの」
立派なお重に入ったうなぎと肝吸い。
輝いている……。女将さんありがとう。私もっと働きます。
「肝吸い……染みる」
お吸い物を大事に啜っていると矢守秋人はどこか慎重な手つきでお重の蓋をあけていた。
「嫌いだったりします?」
「そういうわけじゃない……土用の丑の日にちなんだり、わざわざうなぎを食べに店に入ったことがない」
「え……お犬様なのに?」
「君にどうこう言われる筋合いはない」
矢守秋人、うなぎ屋さん初めてだったんだ……。
彼にも初めてなことがあるんだなぁ。
「どうです? うなぎ屋さんのうな重ですよ。これが、松です! 精もつきますし、不健康な旦那様にはとっておきですね」
「……うまいな」
「矢守秋人もそんな顔するんですね。良いことです」
「ふんっ」
眼鏡を指で押し上げながらも、矢守秋人はうな重を丁寧に味わっていた。
相変わらず、姿勢が良くて、箸の持ち方も綺麗。
少しだけ、ほんの少しだけ不本意だけど、見惚れてしまった。
帰り道、矢守秋人は車に乗ろうと言ったけれど、お腹がいっぱいになって心地いいので歩いて帰ることを提案した。
じゃあ、君だけ歩いて帰れと言われるかもと思いつつ、拒否されることはなかった。
かと言って話が弾むわけでもなく、ふと見上げた夜空に浮かんでいた月のことを呟いた。
「あ、月がかけてきましたね。あっという間に新月ですかね」
「……そうだな」
「明日は古本屋さんの店番にいってきます!」
「今日も朝早くから……君はどうして朝も昼も晩も動き回っているんだ? ひとつきの契約期間は金銭面の援助はするし、家にいた方が安全じゃないか?」
矢守秋人の言葉に私への気遣いや、心配の意味はなかった。
ただ、純粋に疑問、そして、少しだけ皮肉をぶつけられているようだった。
いつもなら、受け流せていた気がする。
あなたには関係ないでしょうって気丈な態度で怒れた気がする。
「うーん」
ここで、気づいた。
怒るって壁を作るってことだったんだな。
あなたには関係ない、これ以上、関わらないで、知られたくない。
でも、あなたとは今月限りだと思い至ると、ふっと身体の力が急に抜けた。
「君の経済的状況なら知ってる。それを理解した上で少しくらい……おい、どうした」
私はいじける子供みたいにしゃがみこんで膝を抱えた。
「足を痛めたのか?」
矢守秋人が私の肩を二本の指でとんっと叩いた。
「……元気に動き回っていないと、考えちゃうじゃないですか」
「考える?」
「どうして私はこんなに動き回っていないといけないんだろうって、そんなのもう動けなくなっちゃいますよ。お母さんのため、なずなのため……苦に思ったことはないですよ? でも、私のためにはだれも助けてくれないなぁって、空しいこと考えたくないのに……動いたまま考えないほうが楽……ですよ」
「君は何も考えていない女だと思っていたが……違うんだな」
今月限りの旦那様、特に仲が良いわけでもない矢守秋人だからこんなどうしようもない弱音を吐いても問題ない。
彼もまた、特に気にはしないだろうから。
「面倒くさい女だな」
そう、私と矢守秋人はそれでいい。
同調もなければ、同情もなくていい。
「今更ですか? 私は生まれてからずっと面倒くさい女です……よ、えっ」
矢守秋人は不機嫌そうな表情で眼鏡を指で押し上げた。
そうして私を見下ろし、しゃがみこむ私の前に背を向けて片膝を地面につけた。
「今月内は契約上、夫婦だ。歩けないなら俺が助けてやる」
「えっと」
「背負って帰ってやると言ってるんだ」
いつもいけすかない矢守秋人であっても、その背中が嬉しかった。
私のために膝を折ってくれた事実に涙がこぼれそうになった。
「重いな」
「こらー、女の子に重いとか言わないでください!」
「事実を言ったまでだ」
「堅物性悪眼鏡……」
「落とすぞ――」
私は笑いながら矢守秋人と喧嘩しながら家まで帰った。


