帝の犬の契約嫁による健康管理帖~紫鬼編~


 放り投げられるようにして馬車に詰め込まれ、目的地に降り立った場所を理解して私は血の気が引いた。

「ここは……私でも知ってますよ! 帝都御所ではないですか……帝のお住まい……御用ですか……こんなところ、とんでもなくすごい人か、裁かれ待ちのとんでもない悪人しか、入れない場所ですよ……」
「さっきからうるさい女だな。黙ってついてこい」
「……はい」

 なずなぁ、お母さん。
 お姉ちゃん、もう帰れないかも……。でも、お給金は三倍だから……それは家に届きますように。

 橙色の提灯を持つ守衛に帝の犬と呼ばれていた眼鏡の男性は声をかけた。
 私の時には一切なかった配慮の感じられる温かみのこもった声色で丁寧な言葉を使っていた。

「夜分遅くに申し訳ございません。燈仁様(ともひとさま)にお目通りを……はい、矢守の秋人(やもりのあきと)とお伝えください」
 この方は矢守秋人(やもりあきと)っていうらしい。

 帝都御所なんて一生に一度入るかどうかの場所。
 私の視線はついあちこち散らばってしまう。
 こんなに広いお屋敷で埃ひとつないどころかピカピカ……。
 どこもかしこも清潔で、洗練されている。
 こういう場所でなら、なずなは調子よく過ごせるのかな。

 厳かな広い畳の間。
 奥には滝のように降ろされた立派な御簾があった。

「きょろきょろするな、帝の御前だ」
「帝……あの……ちゃんと家に帰れますよね!」
「うるさい女だな。姿勢よくして黙っていろ」

 感じの悪い矢守秋人を睨んでいると鈴の音がした。
 不浄なものなど一切存在しないと言われているような透き通った音。しかし、足音はしなかった。

「秋人。面をあげなさい」

 私は突然聞こえた落ち着いた声に身体がビクッと驚いた。
 足音しなかったのに大きな御簾の向こうに帝様はいらっしゃるのだ。

「夜分遅くに申し訳ございません」
「よい。その娘は?」
「本日、本郷邸の夜会にて紫鬼(しき)が現れました」
「……なに」
「この娘との関係はわかりませんが、紫鬼がこの娘に近づき次の新月に迎えにくると申しておりました」
「ふむ。もう何十年も人前に姿を現していなかった紫鬼か……」
「おに……?」

 私は先程から飛び交う言葉を鸚鵡返しのように呟いた。
 すると、帝様は慈悲深く察して矢守秋人に解説するように計らってくれた。

「秋人、その娘に説明を」
「かしこまりました……はぁ」

 矢守秋人は小さくため息をついた。
 感じ悪っ。

「帝都は昔から五色の鬼『色鬼(いろおに)』と敵対している」
「五色……」
「赤、緑、黄、紫、白だ」
「知りませんでした……」

 鬼なんて存在するの……。おとぎ話でしか聞いたことも見たこともないけど。

「知るわけがない。民にいらぬ心配をさせないよう、鬼から民を守る私の犬がいるのだからな」

 ……帝様の犬、矢守秋人(やもりあきと)が鬼から守ってくれてるってこと?

「鬼は人食ったり攫ったりする。でも、ここ数十年、紫鬼だけは人前に現れることはなかった。それが君の前に現れて、迎えに来ると言った」
「それは、大変なことじゃないですか!?」
「察しが悪いな。だから、君をここに連れて来たんだろう」
「なるほど、それは一大事ですね!」
「一大事だからここに連れて来たのに、緊張感のない女だな君は」

 今まで未然に帝様の犬? である方たちが守ってくれていたのに私の前に突然鬼が現れたということなのね。
 まだ、自分事には処理が追い付いていない。


「ふ、ふふふっ」
「失礼いたしました。君はしばらく黙っていろ」
「申し訳ありません!」
「いや、秋人がそんなに声をあげるのなんてはじめてだったから面白くて……じゃあ、紫鬼は次の新月の晩、もう一度その娘の前に現れるってことだね……いい機会だな。秋人、その子と夫婦になりなさい。側で守り、紫鬼を討伐しなさい」

 先程までの落ち着いた声から少し弾むような軽さがあった。

燈仁(ともひと)様! それはっ」
「まぁ、夫婦になるならないは任せるが、その娘も帝都の民であれば我が子も同然。必ず守らねばならない。なぁ、秋人。帝の忠犬ならそれくらいできよう」
「……かしこまりました……守護する方法は別途検討いたします」

 うわ、今睨まれた……。

「口が開いているぞ。締まりのない女だな」
「申し訳ございませんね!」

 矢守秋人、ずっと感じが悪い。


 御所を出て私は何度も深呼吸をした。
 身体の節々に力が入り、がちんと固まっていたのを理解した。

「ほら、着いたぞ。降りろ」
 その後、もう一度馬車に詰め込まれた。約束通り、矢守秋人はちゃんと家まで送ってくれた。

 夢だったのかと思ったが、翌日全てが現実だったことを思い知ることになる。