国宝級イケメンは、鍵を返してくれない

本編第4章――二人が恋人同士になり、駿が人生を賭けた映画のオーディションに挑んでいた頃の、ある週末の出来事。
「千秋、今日こそは絶対に完遂させるから」
金曜日の夜。我が家のリビングに現れた駿は、いつも持っている台本ではなく、なぜかお洒落な高級セレクトショップの紙袋を両手に抱えていた。
その目は、大河ドラマの合戦シーンの撮影時よりもギラギラと据わっている。
「何を完遂させるんだよ。というか、その荷物はなんだ」
「恋人らしいこと! 具体的に言うと、千秋とベッドでシーツの海に溺れること!」
「公共の電波で絶対に流せないセリフを吐くなトップ俳優!」
付き合ってからというもの、映画の準備や互いの仕事の忙しさ(あと私の必死の抵抗)のせいで、私たちはキス止まりの清い関係を維持していた。だが、24歳の健康な元男子高校生(かつ千秋大好き人間)である駿の我慢は、どうやら限界を迎えたらしい。
駿は紙袋から、次々と『本気のアテム』を取り出して机に並べ始めた。
「見て千秋。これ、現役のモデル仲間から『絶対に肌荒れしないし最高にムードが出る』って教えてもらったオーガニックの高級マッサージオイル。あと、これが超有名ブランドのシルクのパジャマ(ペア)」
「お前のその無駄に高い行動力と人脈をそんなところに使うな! あとネットで『佐野駿、高級オイルとペアパジャマを購入!』って目撃情報が出たらどうするんだ!」
「大丈夫、なじみの外商に頼んで裏から回してもらったから」
「職権乱用だろ!!」
呆れる私を無視して、駿はそそくさと私をお風呂場へ押し込み、自分もさっとシャワーを浴びて戻ってきた。
いざ、私の狭いセミダブルのベッドへ。
部屋の明かりが消され、間接照明の淡い光の中に、シルクのパジャマを着た駿が私を見下ろす形で覆いかぶさってくる。
薄暗い中でもハッキリと分かる、彫刻のように整った顔立ち。濡れた黒髪から香るシトラスの匂い。
「……千秋」
低く甘い声で名前を呼ばれ、私の心臓は非常事態宣言を出したように激しく脈打ち始める。いつもはツッコミで誤魔化しているが、男の私から見ても今の駿は信じられないくらい色っぽい。
「駿、あの……ちょっと待っ」
「待たない。もう限界」
駿の唇が私の首筋に降りてくる。思わず声が出そうになり、私は駿の肩にすがりついた。駿の手が私のパジャマのボタンに手をかけ、例の高級オイルの蓋を開けようとした――その瞬間だった。
ピロリロリーン! ピロリロリーン!
静まり返った部屋に、けたたましい電子音が鳴り響いた。
駿のスマホだ。画面には『マネージャー・鬼頭』の文字が光っている。
「……チッ」
駿がこの世の終わりかと思うほど凶悪な舌打ちをした。画面を見ると、深夜にもかかわらずメッセージが連投されている。
『駿! 急遽、明日の朝6時から海外の有名監督とのリモート面談が入った! 5時半に迎えに行くから寝るなよ!』
「面談……明日って言ってたじゃん……」
駿はスマホを持ったまま、魂が抜けたような顔でベッドに崩れ落ちた。国宝級イケメンのオーラが完全に消え失せ、雨に濡れた大型犬のようになっている。
私は乱れたパジャマを整えながら、思わずプッと吹き出してしまった。
「あはは! 残念だったな、完遂できなくて」
「笑い事じゃないよ千秋……俺の、俺の感動の初夜が……」
「ほら、さっさと寝ないと明日遅刻するぞ。世界的大監督に目をつけられたらどうするんだ」
うなだれる駿の頭を、私はよしよしと撫でてやった。
駿はしばらく悔しそうに唸っていたが、やがて諦めたように私を横からぎゅっと抱きしめ、自分の胸の中に閉じ込めた。
「……じゃあ、映画のオーディションに合格したら、その時は絶対に逃がさないからね」
「はいはい。合格したら考えてやるよ」
「言ったね!? 今の言質とったからね!?」
急に元気に飛び起きた駿に、私は「うるさい、早く寝ろ!」とクッションを投げつけたのだった。
ちなみにこの数ヶ月後、見事に主役を勝ち取った駿によって、この夜の「約束」は倍以上の情熱をもってきっちりと果たされることになるのだが――それはまた、別のお話。