星降る夜の寓話

あの日、環の母親が延長コードを手にしている姿を見た時、一瞬考えた。


これは俺じゃなくてもいいんじゃないか?


通報だけして、俺は、俺以外の誰かが環の母親に手錠をかける姿を、環が見ないように、どこか遠ざける役目でいいんじゃないかと。

でも、すぐにその考えを否定した。

俺がこの手で、環の母親に手錠をかけ、その責任を背負っていくんだ。

静かに泣き続ける環をかたわらに、俺は環の母親と向き合った。


一番最初に、環の母親の手から延長コードを取り上げた。

この状況なら、環も環の母親も、記憶が曖昧なはずだと思った。

身を守るために咄嗟に延長コードを掴んだだけなら、正当防衛が認められる。
けれども、相手の死を知っても尚、その手に延長コードを握りしめていた場合、過剰防衛と判断され、実刑を免れない。

俺にできることはこれくらいしかない。



環が知らないことがある。

一生このことを言うつもりもない。

環の母親が、消え入るようにつぶやいた言葉。


『父親のくせに娘を売ろうだなんて……許せない』


それは、明確な殺意……

だからその言葉を、俺は一生自分の中にしまい込んで生きていこうと決めた。
そこに一寸の迷いもなかった。



裁判で、環の母親に正当防衛は認められなかった。
過剰防衛の証拠なんてないはずなのに。
弁護士の力不足なんじゃないかと腹が立った。
でも環の母親は控訴しなかった。

その理由は、病気のせいだった。
環の母親は、余命宣告を受けており、刑の執行後、間もなく亡くなった。
最後まで黙秘を貫いたまま。


環を父親と2人きりにするわけにはいかなかったんだ……

何も言えるわけがない。

何かを言えば、環に二重の苦しみを与えることになる。

実の娘を借金のカタに売ろうとした父親の悪意に、娘を思う愛情が殺意に変わったんだから……