星降る夜の寓話

掃除機の音にかき消されて、ドアフォンの音が聞こえなかった。

モニターのランプが点灯していることに気が付いて、急いでカメラを見ると、マスクをした女性が手提げ袋を持って立っている。
宅配業者の人でないことは確か。

「どちら様でしょうか?」
「上の階に引越して来た者です。ご挨拶に来ました」

一体どのくらい待たせてしまったのだろう?

「すぐに、出ます」

急いだからリビングドアを開けっぱなしにしたまま、待たせるのも申し訳ないと思い、玄関へ向かった。


このマンションは分譲だから、引越して来たということは、上の部屋を買ったということになる。
真上の部屋は年配の夫婦が住んでいて、一昨日、エントランスで会った時にあいさつをしたけれど、売却のことは何も言ってなかった。
そんな話、赤の他人にする理由はないのだから、あれこれ言う権利はないけれど、あまりにも突然だった。

律のお父さんとお母さんみたいに、田舎にでも引越したのかな……


『知らない男がドアフォンを押しても出るな』

律の言ったことが一瞬頭をよぎった。

でも、この人は引越しの挨拶だって言ってたし、これから顔を合わせることも増えるかもしれないのに、失礼なことはできない。
第一、男性でもない。

ドアチェーンをはずして、鍵を開けた。

ドアの取っ手に手をかけようとしたところで、先に向こう側から大きくドアを開けられた。

何で?

いきなり、見知らぬ女性と対峙することになった。

黒いハーフコートの下に黒いハイネックのセーター、下はやはり黒いミモレ丈のフレアスカートに、バレエシューズを履いて、全身が黒ずくめだった。
肩より長いくらいの茶色い髪をしたその女性は、わたしより随分背が高くて、手にはグレーの手袋をしていた。
顔はマスクで半分隠れていたけれど、その目は怒りに満ちている。

「杠葉大和は?」

彼女はわたしを見るなりそう言った。