アストラ王国の東に位置する仔犬商会の執務室にて。女性が一人、目を皿のようにして文書を読んでいた。
「まさか、プロキオン様があの終焉原野にいるとは……。時に、神は興味深いいたずらを我ら人間にするものだ。誰も頼んでいないのに、な」
彼女は肩を竦めながら文書を放り出す。仔犬商会ナンバー2――モニカ。焦げ茶色の前髪は左目を隠すような髪型だ。
モニカは机上に視線を落とす。文書にはいくつかの写真が掲載されていた。そのうちの一枚では、プロキオンの隣でティエリーがぎこちなく笑う。
(終焉原野がこれほど豊かな土地になるとは誰が想像できようか。伝説の大聖女ですら不可能だった瘴気の浄化だけでも人類史に残る偉業なのに、領地の発展まで行うとは……)
何度読んでも感動で手が震えてしまった。感極まったモニカは、本人も意図せず呟く。
「このティエリーという人物は、間違いなく今後の商業界で中心人物になる。彼と友好的な関係を築けるかが、商売の発展において何よりも重要になってくるだろう。……〈コメット小麦〉に〈ルナアップル〉、〈星豆〉まであるとは素晴らしい。いずれも市場で流通がほとんどない希少な作物ばかりだ……」
机上には、新聞の他にプロキオンからの手紙も置かれていた。終焉原野に支部を設立するという話で、本部にいる部下をいくらか呼びたいという内容だった。無論、モニカは自分がやるつもりでいる。
「新支部の設立は私が完遂したい。これほど魅力的な仕事は久方ぶりだ。よし、思い立ったがラッキーデイだな。今すぐに準備を開始しよう」
彼女が意気込んだ瞬間、不意に扉がコツコツとノックされる。室内の緊張感が一気に高まり、モニカは二枚の文書を引き出しに隠した。
(このタイミングで訪問者……? あまりにも頃合いが良すぎる)
予期せぬ訪問に彼女が警戒する中、返事を待たずして扉が開かれた。
「まさか、あたしに相談なく旅立とうとしているんじゃないわねよね、姉さん?」
現れた女性はモニカと瓜二つの顔だが、前髪で隠す目は右目だ。
――仔犬商会のナンバー3でモニカの妹、ルーシー。
双子の二人は揃って商会のトップを務めていた。ルーシーは机に遠慮なく腰掛け身を乗り出す。
「姉さんは一度決めたらやりきるまで止まらないんだから。まるで、走り出したら止まれないインパクトボアみたいにね」
「せめて、可愛げのあるクイックラビットに喩えてほしいと言ったら傲慢か?」
「あの魔物は斜めにフラフラと跳ねながら走るでしょう。さすがに姉さんはそこまで自分の行く先が定まらない女ではないわ」
「言われてみればそうだな。ははは、妹に気遣われるとは私も墜ちたものだ」
一旦会話が止まり、二人は揃って肩を竦める。先に話を再開したのはルーシーだ。
「たった今、姉さんが机の引き出しに隠した文書なのだけど……」
「おっと、これは機密事項だ。いくら妹と云えども、情報共有はできないことを伝えさせてもらう」
「残念、あたしも手に入れているのよ。商会の庭を散歩したときに見つけたわ。姉さんが機密事項と宣言する文書――そう、ティエリー新聞をね」
ルーシーは得意げに懐から例の新聞を取り出した。机上に置かれたモニカは大仰に顔をしかめる。
「飛行に長けた複雑に折られた形状と新聞という名称から不特定多数に向けた文書だと思っていたが……やはり何通か流通していたか」
話しながらもモニカは静かに安堵する。
(プロキオン様からの手紙はこいつも知らないはずだ。この場をやり過ごせば、私が終焉原野に行ける)
「あら、安心した顔ね。でも、あたしの目は誤魔化せないことを姉さんなら知っているでしょう。機密事項の文書はもう一枚……あるんじゃない?」
「……なるほど、お前はすでに全て把握しているわけか。無駄な抵抗は止めよう、時間の無駄だ」
プロキオンの手紙を取り出すや否や、ルーシーは不適な笑みを浮かべて回収した。
「ありがとう、姉さん。自分から教えてくれるなんて立派な淑女ね」
「貴様、謀ったな……っ。姉を騙すとは良い度胸じゃないか。そんな不埒な妹に育てた覚えはないぞ」
「商売の世界は油断も隙もない。隙を見せた方が先に食われる。誰の背中を見て育ったと思うの? ……そう、姉さんよ」
そこで会話は止まり、二人は再度肩を竦め合う。
ルーシーが手紙を読み終わったところで、今度話を切り出したのは姉のモニカだ。妹が何を考えているのか非常によくわかった。
「お前の心は領主ティエリーに興味を抱いているのか?」
「ええ、誰が何と言おうと会ってみたいわ。地獄の中で楽園を築き上げた男だもの。どんな人間なのか興味を惹かれるのは当然よ。……それに、ナンバー2までもが本部を不在にするのはどうかしら? ただでさえ、プロキオン様はほとんど本部にいないのに」
「プロキオン様から依頼された任務は二つ。新支部設立と、回り回って商会のためにもなる終焉原野の発展に寄与すること。この任務に当たるのは、ナンバー3のお前が適任と言いたいわけか」
「ええ、トップ二人がいない状況は毎日パーティーを開くのにピッタリだと部下たちが思うのなら話は別だけどね」
仔犬商会は大規模故、従業員の数も多い。トップ二人が常に辺境にいたら、労働のモチベーションに悪影響を与える可能性は大いにある。モニカもまたそれはよくわかっており、やがてため息を吐きながら結論を下した。
「あいにくと、今の私には仕事がある。首が回らず、肩が動かなくなるほどな。不本意だが、新支部の設立業務はお前に一任しよう。有能と思う部下も連れて行って構わん」
「ありがとう、姉さん。恩に着るわ。姉さんの無念を果たせるよう全力を尽くすこと、ここに誓わせてもらうわね」
「私も仕事が片付いたら様子を見に行く。必ずだ」
「そうね。地獄の中の楽園で会いましょう、マイシスター」
ルーシーは片手を上げて颯爽と退室した。地獄の中の、という言い回しが気に入ったらしい。残されたモニカは椅子に深く座り、額を片手で押さえる。
「まったく、勝ち気な妹を持つと難儀でしょうがない。顔を合わせるたび振り回される姉の身にもなってくれ。……やれやれ、一度でいいから入れ替わってみたいものだ。そんな神のいたずらなら大歓迎なのだがな」
もしティエリーがこの場にいたらきっと、「B級のハリウッド映画でも観ている気分だ」と思っただろう。
「まさか、プロキオン様があの終焉原野にいるとは……。時に、神は興味深いいたずらを我ら人間にするものだ。誰も頼んでいないのに、な」
彼女は肩を竦めながら文書を放り出す。仔犬商会ナンバー2――モニカ。焦げ茶色の前髪は左目を隠すような髪型だ。
モニカは机上に視線を落とす。文書にはいくつかの写真が掲載されていた。そのうちの一枚では、プロキオンの隣でティエリーがぎこちなく笑う。
(終焉原野がこれほど豊かな土地になるとは誰が想像できようか。伝説の大聖女ですら不可能だった瘴気の浄化だけでも人類史に残る偉業なのに、領地の発展まで行うとは……)
何度読んでも感動で手が震えてしまった。感極まったモニカは、本人も意図せず呟く。
「このティエリーという人物は、間違いなく今後の商業界で中心人物になる。彼と友好的な関係を築けるかが、商売の発展において何よりも重要になってくるだろう。……〈コメット小麦〉に〈ルナアップル〉、〈星豆〉まであるとは素晴らしい。いずれも市場で流通がほとんどない希少な作物ばかりだ……」
机上には、新聞の他にプロキオンからの手紙も置かれていた。終焉原野に支部を設立するという話で、本部にいる部下をいくらか呼びたいという内容だった。無論、モニカは自分がやるつもりでいる。
「新支部の設立は私が完遂したい。これほど魅力的な仕事は久方ぶりだ。よし、思い立ったがラッキーデイだな。今すぐに準備を開始しよう」
彼女が意気込んだ瞬間、不意に扉がコツコツとノックされる。室内の緊張感が一気に高まり、モニカは二枚の文書を引き出しに隠した。
(このタイミングで訪問者……? あまりにも頃合いが良すぎる)
予期せぬ訪問に彼女が警戒する中、返事を待たずして扉が開かれた。
「まさか、あたしに相談なく旅立とうとしているんじゃないわねよね、姉さん?」
現れた女性はモニカと瓜二つの顔だが、前髪で隠す目は右目だ。
――仔犬商会のナンバー3でモニカの妹、ルーシー。
双子の二人は揃って商会のトップを務めていた。ルーシーは机に遠慮なく腰掛け身を乗り出す。
「姉さんは一度決めたらやりきるまで止まらないんだから。まるで、走り出したら止まれないインパクトボアみたいにね」
「せめて、可愛げのあるクイックラビットに喩えてほしいと言ったら傲慢か?」
「あの魔物は斜めにフラフラと跳ねながら走るでしょう。さすがに姉さんはそこまで自分の行く先が定まらない女ではないわ」
「言われてみればそうだな。ははは、妹に気遣われるとは私も墜ちたものだ」
一旦会話が止まり、二人は揃って肩を竦める。先に話を再開したのはルーシーだ。
「たった今、姉さんが机の引き出しに隠した文書なのだけど……」
「おっと、これは機密事項だ。いくら妹と云えども、情報共有はできないことを伝えさせてもらう」
「残念、あたしも手に入れているのよ。商会の庭を散歩したときに見つけたわ。姉さんが機密事項と宣言する文書――そう、ティエリー新聞をね」
ルーシーは得意げに懐から例の新聞を取り出した。机上に置かれたモニカは大仰に顔をしかめる。
「飛行に長けた複雑に折られた形状と新聞という名称から不特定多数に向けた文書だと思っていたが……やはり何通か流通していたか」
話しながらもモニカは静かに安堵する。
(プロキオン様からの手紙はこいつも知らないはずだ。この場をやり過ごせば、私が終焉原野に行ける)
「あら、安心した顔ね。でも、あたしの目は誤魔化せないことを姉さんなら知っているでしょう。機密事項の文書はもう一枚……あるんじゃない?」
「……なるほど、お前はすでに全て把握しているわけか。無駄な抵抗は止めよう、時間の無駄だ」
プロキオンの手紙を取り出すや否や、ルーシーは不適な笑みを浮かべて回収した。
「ありがとう、姉さん。自分から教えてくれるなんて立派な淑女ね」
「貴様、謀ったな……っ。姉を騙すとは良い度胸じゃないか。そんな不埒な妹に育てた覚えはないぞ」
「商売の世界は油断も隙もない。隙を見せた方が先に食われる。誰の背中を見て育ったと思うの? ……そう、姉さんよ」
そこで会話は止まり、二人は再度肩を竦め合う。
ルーシーが手紙を読み終わったところで、今度話を切り出したのは姉のモニカだ。妹が何を考えているのか非常によくわかった。
「お前の心は領主ティエリーに興味を抱いているのか?」
「ええ、誰が何と言おうと会ってみたいわ。地獄の中で楽園を築き上げた男だもの。どんな人間なのか興味を惹かれるのは当然よ。……それに、ナンバー2までもが本部を不在にするのはどうかしら? ただでさえ、プロキオン様はほとんど本部にいないのに」
「プロキオン様から依頼された任務は二つ。新支部設立と、回り回って商会のためにもなる終焉原野の発展に寄与すること。この任務に当たるのは、ナンバー3のお前が適任と言いたいわけか」
「ええ、トップ二人がいない状況は毎日パーティーを開くのにピッタリだと部下たちが思うのなら話は別だけどね」
仔犬商会は大規模故、従業員の数も多い。トップ二人が常に辺境にいたら、労働のモチベーションに悪影響を与える可能性は大いにある。モニカもまたそれはよくわかっており、やがてため息を吐きながら結論を下した。
「あいにくと、今の私には仕事がある。首が回らず、肩が動かなくなるほどな。不本意だが、新支部の設立業務はお前に一任しよう。有能と思う部下も連れて行って構わん」
「ありがとう、姉さん。恩に着るわ。姉さんの無念を果たせるよう全力を尽くすこと、ここに誓わせてもらうわね」
「私も仕事が片付いたら様子を見に行く。必ずだ」
「そうね。地獄の中の楽園で会いましょう、マイシスター」
ルーシーは片手を上げて颯爽と退室した。地獄の中の、という言い回しが気に入ったらしい。残されたモニカは椅子に深く座り、額を片手で押さえる。
「まったく、勝ち気な妹を持つと難儀でしょうがない。顔を合わせるたび振り回される姉の身にもなってくれ。……やれやれ、一度でいいから入れ替わってみたいものだ。そんな神のいたずらなら大歓迎なのだがな」
もしティエリーがこの場にいたらきっと、「B級のハリウッド映画でも観ている気分だ」と思っただろう。



