王都からそれほど遠くない場所にリシャール公爵家はある。国の中枢に近いことからも国王からの信頼の高さがよくわかった。宮殿に負けぬ広さと煌びやかさを持つ廊下を、文書を二通携えた執事が歩く。執事は一番奥まで進み、重厚な樫の扉を静かにノックした。
「……旦那様、失礼いたします」
「入れ。鍵は開いておる」
室内に入ると、まず正面の机に座る赤髪赤目の男が目に入った。骨太な体型は座した体勢からも筋肉と骨の密度が感じられ、他者を圧倒するオーラが伝わる。この部屋に入った者は空気が重くなった感覚を覚え、息苦しさを自覚した。長く家に務める執事と、娘のベテルギウスだけが例外だった。
机に座する男こそ……。
――リシャール公爵。
彼女の父で現当主だ。王族の次に権力を持った人間と言って間違いない。執事は文書のうち一通を恭しく差し出した。
「旦那様、お嬢様からお手紙でございます」
「おお、そうか。まったく、いつぶりの連絡だ? あのお転婆娘め。男より剣などとぬかしおって」
リシャール公爵は書き物の手を止めると、丁寧にかつ力強く受け取る。手紙を読むにつれ、ただでさえ鋭い目つきは一段と鋭さを増した。
「ベテルギウスは今、終焉原野にいるらしい。たまに連絡を寄越したかと思えば、あいつはいつも辺(へん)鄙(ぴ)辺鄙な場所にいるな」
「おや、それはまた奇特な土地にいらっしゃいますね。お嬢様らしいと言えばらしいですが」
「瘴気しかない劣悪な場所のどこが気に入ったのだか……ん?」
いつも通りの単なる定例報告と思っていたリシャール公爵は、読み進めるにつれて異変に気づく。
「あのじゃじゃ馬は終焉原野でティエリー・アンタレスなる少年にあ遭ったと記しておる。……アンタレス伯爵家の一員とともに暮らしているのか」
リシャール公爵の全身から魔力の波動が放たれ、室内の窓ガラスが重く揺れた。執事もまた顔に波動を受けながら、努めて冷静に言う。
「旦那様、お気持ちはわかりますが抑えていただいた方が……。屋敷のみなが動揺いたします」
「……うむ、そうだな」
徐々に魔力の波動は弱まり、室内の揺れも収まる。いくぶんか静かになった部屋で、リシャール公爵は呟いた。
「このティエリー少年は……終焉原野の瘴気を浄化した、と書かれている。アンタレス伯爵家にそのような人材がいたとお前は知っていたか?」
「いえ、初耳でございます」
「私もこの手紙で初めて知った」
リシャール公爵の表情はいつにも増して一段と険しい。瘴気が何人にも浄化できない存在であることは彼もよく知っていた。それを浄化したティエリーは悪行で有名なアンタレス伯爵家の一員という背景も踏まえると、文書[I15.1]の話が信じ切れないでいたのだ。
「瘴気の浄化は、伝説の大聖女ですら不可能だった事案だ。あり得ん。しかし、報告書でベテルギウスがふざけるとは思えんが……」
「旦那様、実はもう一通お見せしたい文書がございまして……こちらをどうぞ。敷地内に興味深い新聞が舞い込んでおりました」
「なんだ、それは……ティエリー新聞だと? 早く見せなさい」
リシャール公爵は獲物の僅かな動きも見逃さないような鋭い視線で、スピカが誇るティエリー新聞を注意深く読む。最後まで目を通した彼は、深いため息を吐くばかりだった。
「驚いたな。この新聞が正しければ、本当に瘴気を浄化したらしい。この絵に載っている範囲でも相当貴重な作物ばかり育っている」
「ええ、私も読んだときは驚きました。一刻も早く旦那様にお知らせしたいと」
「……こういう情報は先に伝えるものだと我が輩は考えるが?」
「申し訳ございません。老いると頭の回転が鈍くなるばかりでして……」
飄(ひょう)々(ひょう)と答える執事に、リシャール公爵はまた違った意味のため息を吐く。呆れた態度はすぐ切り替わり、彼は真剣な表情で尋ねる。
「この新聞は誰かが届けたのか?」
「いえ、不思議な形態に折られたそれが木の枝に引っかかってございました。……ちょうどこのような形でございます」
執事は紙飛行機を再現する。リシャール公爵は注意深く観察し、結論を下す。
「……ふむ、風を受けてよく飛びそうな形だ。新聞にはわざわざ新聞という名称をつけていることから、ティエリー少年は不特定多数の人間に終焉原野の現状を伝えたいのだと考えられる」
「素晴らしい推理でございます」
執事は拍手で讃(たた)える。実際のところ、ティエリーはそんなことを微塵も考えておらず、むしろスピカだったがこの場の二人が知る由もなかった。
続けて、リシャール公爵は思案した内容を執事に伝える。
「手紙や新聞の内容が事実ならば、これは素晴らしいことだ。今すぐにでも我が領地と交易を結び、貴重な作物を仕入れたい。……だが、領主はアンタレス伯爵家の人間という点がどうしても引っかかる」
「お嬢様はティエリー少年について善人だと証言されているようですが」
「私も信じたいが……あいつが騙されている可能性もある」
リシャール公爵は話し、執事は黙る。相手がアンタレス伯爵家である以上、最悪の事態を想定しておかねばならない……というのが彼の見解だった。
「やはり、警戒は怠らないべきだ。騎士を集めろ。派遣部隊を構成し、終焉原野及びティエリー少年の調査を行う」
執事は一礼し、静かに執務室を後にする。
□□□
リシャール公爵家には、屋敷に匹敵するほど広大な訓練場がある。普段は家に属する騎士が修行する音が響いていたが、今は恐ろしいほどに静かだった。騎士たちは全員整列し、リシャール公爵の話を注意深く聞いていたからだ。
すでに、ティエリー新聞及びベテルギウスの手紙について情報共有が完了した。新聞の写真は執事が特殊な魔導具を使って拡大映像を映し出したことで、終焉原野の現状も共有された。
みなその変貌ぶりに驚きと感嘆の感情を抱きはしたものの、領主のティエリーはアンタレス伯爵家の次男と聞いて表情が険しくなった。この家の悪い噂は騎士たちも周知の通りだからだ。
「私はこの件について、ベテルギウスが騙されている可能性を捨てきれない。そのようなことはないと信じたいが、領主はアンタレス伯爵家の人間だ。十分にあり得る」
リシャール公爵の話を騎士たちは真剣な顔で聞くばかりだ。もし、ベテルギウスが騙されていた場合、強硬手段に出る必要があると、ここにいるみなはよくわかっていた。
「私は手紙や新聞の内容が真実か確かめたい。もし真実ならそれに越したことはない。調査のため、精鋭部隊の派遣を決めた。明日よりその選別試験を行う。成績上位者の三十人を終焉原野に派遣する。みな、心してかかるように」
翌日から始まった選別試験は剣術から始まり、体術、砲術、応急的医術、実戦、筆記などなど多種多様な分野に跨(また)がった。いずれも非常に厳しい内容だったが、志の高い騎士たちは頑張った。
数日後、精鋭中の精鋭の三十人が厳選された。
訓練場で執り行われた遠征式にて、隊長のウォルターが敬礼する。今年で三十五歳を迎えるベテランで、短い黒髪が精悍な印象だ。
「では行って参ります、旦那様」
「うむ、よい成果を期待しているぞ。ティエリー少年が善人ならばそのまま領地に滞在し、交易を結べるよう動いてくれ。もし、悪人なら……言わずともわかるな?」
ウォルターは眉一つ動かすこともなく頷く。
遠征式が終わるや否や、派遣部隊はすぐに終焉原野に向かう。激励の声が響く訓練場を、リシャール公爵は静かに去る[I。
「……旦那様、失礼いたします」
「入れ。鍵は開いておる」
室内に入ると、まず正面の机に座る赤髪赤目の男が目に入った。骨太な体型は座した体勢からも筋肉と骨の密度が感じられ、他者を圧倒するオーラが伝わる。この部屋に入った者は空気が重くなった感覚を覚え、息苦しさを自覚した。長く家に務める執事と、娘のベテルギウスだけが例外だった。
机に座する男こそ……。
――リシャール公爵。
彼女の父で現当主だ。王族の次に権力を持った人間と言って間違いない。執事は文書のうち一通を恭しく差し出した。
「旦那様、お嬢様からお手紙でございます」
「おお、そうか。まったく、いつぶりの連絡だ? あのお転婆娘め。男より剣などとぬかしおって」
リシャール公爵は書き物の手を止めると、丁寧にかつ力強く受け取る。手紙を読むにつれ、ただでさえ鋭い目つきは一段と鋭さを増した。
「ベテルギウスは今、終焉原野にいるらしい。たまに連絡を寄越したかと思えば、あいつはいつも辺(へん)鄙(ぴ)辺鄙な場所にいるな」
「おや、それはまた奇特な土地にいらっしゃいますね。お嬢様らしいと言えばらしいですが」
「瘴気しかない劣悪な場所のどこが気に入ったのだか……ん?」
いつも通りの単なる定例報告と思っていたリシャール公爵は、読み進めるにつれて異変に気づく。
「あのじゃじゃ馬は終焉原野でティエリー・アンタレスなる少年にあ遭ったと記しておる。……アンタレス伯爵家の一員とともに暮らしているのか」
リシャール公爵の全身から魔力の波動が放たれ、室内の窓ガラスが重く揺れた。執事もまた顔に波動を受けながら、努めて冷静に言う。
「旦那様、お気持ちはわかりますが抑えていただいた方が……。屋敷のみなが動揺いたします」
「……うむ、そうだな」
徐々に魔力の波動は弱まり、室内の揺れも収まる。いくぶんか静かになった部屋で、リシャール公爵は呟いた。
「このティエリー少年は……終焉原野の瘴気を浄化した、と書かれている。アンタレス伯爵家にそのような人材がいたとお前は知っていたか?」
「いえ、初耳でございます」
「私もこの手紙で初めて知った」
リシャール公爵の表情はいつにも増して一段と険しい。瘴気が何人にも浄化できない存在であることは彼もよく知っていた。それを浄化したティエリーは悪行で有名なアンタレス伯爵家の一員という背景も踏まえると、文書[I15.1]の話が信じ切れないでいたのだ。
「瘴気の浄化は、伝説の大聖女ですら不可能だった事案だ。あり得ん。しかし、報告書でベテルギウスがふざけるとは思えんが……」
「旦那様、実はもう一通お見せしたい文書がございまして……こちらをどうぞ。敷地内に興味深い新聞が舞い込んでおりました」
「なんだ、それは……ティエリー新聞だと? 早く見せなさい」
リシャール公爵は獲物の僅かな動きも見逃さないような鋭い視線で、スピカが誇るティエリー新聞を注意深く読む。最後まで目を通した彼は、深いため息を吐くばかりだった。
「驚いたな。この新聞が正しければ、本当に瘴気を浄化したらしい。この絵に載っている範囲でも相当貴重な作物ばかり育っている」
「ええ、私も読んだときは驚きました。一刻も早く旦那様にお知らせしたいと」
「……こういう情報は先に伝えるものだと我が輩は考えるが?」
「申し訳ございません。老いると頭の回転が鈍くなるばかりでして……」
飄(ひょう)々(ひょう)と答える執事に、リシャール公爵はまた違った意味のため息を吐く。呆れた態度はすぐ切り替わり、彼は真剣な表情で尋ねる。
「この新聞は誰かが届けたのか?」
「いえ、不思議な形態に折られたそれが木の枝に引っかかってございました。……ちょうどこのような形でございます」
執事は紙飛行機を再現する。リシャール公爵は注意深く観察し、結論を下す。
「……ふむ、風を受けてよく飛びそうな形だ。新聞にはわざわざ新聞という名称をつけていることから、ティエリー少年は不特定多数の人間に終焉原野の現状を伝えたいのだと考えられる」
「素晴らしい推理でございます」
執事は拍手で讃(たた)える。実際のところ、ティエリーはそんなことを微塵も考えておらず、むしろスピカだったがこの場の二人が知る由もなかった。
続けて、リシャール公爵は思案した内容を執事に伝える。
「手紙や新聞の内容が事実ならば、これは素晴らしいことだ。今すぐにでも我が領地と交易を結び、貴重な作物を仕入れたい。……だが、領主はアンタレス伯爵家の人間という点がどうしても引っかかる」
「お嬢様はティエリー少年について善人だと証言されているようですが」
「私も信じたいが……あいつが騙されている可能性もある」
リシャール公爵は話し、執事は黙る。相手がアンタレス伯爵家である以上、最悪の事態を想定しておかねばならない……というのが彼の見解だった。
「やはり、警戒は怠らないべきだ。騎士を集めろ。派遣部隊を構成し、終焉原野及びティエリー少年の調査を行う」
執事は一礼し、静かに執務室を後にする。
□□□
リシャール公爵家には、屋敷に匹敵するほど広大な訓練場がある。普段は家に属する騎士が修行する音が響いていたが、今は恐ろしいほどに静かだった。騎士たちは全員整列し、リシャール公爵の話を注意深く聞いていたからだ。
すでに、ティエリー新聞及びベテルギウスの手紙について情報共有が完了した。新聞の写真は執事が特殊な魔導具を使って拡大映像を映し出したことで、終焉原野の現状も共有された。
みなその変貌ぶりに驚きと感嘆の感情を抱きはしたものの、領主のティエリーはアンタレス伯爵家の次男と聞いて表情が険しくなった。この家の悪い噂は騎士たちも周知の通りだからだ。
「私はこの件について、ベテルギウスが騙されている可能性を捨てきれない。そのようなことはないと信じたいが、領主はアンタレス伯爵家の人間だ。十分にあり得る」
リシャール公爵の話を騎士たちは真剣な顔で聞くばかりだ。もし、ベテルギウスが騙されていた場合、強硬手段に出る必要があると、ここにいるみなはよくわかっていた。
「私は手紙や新聞の内容が真実か確かめたい。もし真実ならそれに越したことはない。調査のため、精鋭部隊の派遣を決めた。明日よりその選別試験を行う。成績上位者の三十人を終焉原野に派遣する。みな、心してかかるように」
翌日から始まった選別試験は剣術から始まり、体術、砲術、応急的医術、実戦、筆記などなど多種多様な分野に跨(また)がった。いずれも非常に厳しい内容だったが、志の高い騎士たちは頑張った。
数日後、精鋭中の精鋭の三十人が厳選された。
訓練場で執り行われた遠征式にて、隊長のウォルターが敬礼する。今年で三十五歳を迎えるベテランで、短い黒髪が精悍な印象だ。
「では行って参ります、旦那様」
「うむ、よい成果を期待しているぞ。ティエリー少年が善人ならばそのまま領地に滞在し、交易を結べるよう動いてくれ。もし、悪人なら……言わずともわかるな?」
ウォルターは眉一つ動かすこともなく頷く。
遠征式が終わるや否や、派遣部隊はすぐに終焉原野に向かう。激励の声が響く訓練場を、リシャール公爵は静かに去る[I。



