みんなで領地開拓に勤しんでいたある日、仔犬商会の人たちが終焉原野にやってきた。人数はおよそ三十人で、リーダーは右目を隠すような髪型をしたカッコイイ女性だ。
商会長のプロキオンさんが紹介してくれる。
「ティエリー君、彼女は仔犬商会のナンバー3――ルーシー君さ。ボクの部下の中でも非常に優秀な人だから、安心して新支部設立とそれに伴う領地の発展を任せてくれたまえ」
「……初めまして、ティエリーちゃん。ルーシーよ。地獄の中で楽園を作り上げた男と会えて光栄ね。あなたに会える日を楽しみにしていたわ。誰にも対処できなかった瘴気をこんなに浄化しちゃうなんて素晴らしいわね。奇跡って本当に起きるのだと、あなたは骨の髄まで教えてくれたわ」
「こちらこそ初めまして。お会いできて僕も嬉しいです」
僕はルーシーさんと握手を交わす。星の名前じゃなくて静かに一安心。仔犬商会の人は全部で三十五人来てくれたとのこと。新支部を設立した後は、作物や資源の売買に力を貸してくれる。
そこまで話したところで、ルーシーさんは呆れた顔で肩を竦めた。
「実は、ここに来るにあたって姉とちょっとしたトラブルがあってね。……あら、気にしないで。いつものことよ。まったく、妹思いの姉が欲しかったものだわ。神様ってほんとに気まぐれなんだから、ははは」
トラブルと聞いたときはドキッとしたけど、別に大したことはないようで安心した。プロキオンさんの手紙ですでに諸々の下準備は完了しているらしく、仔犬商会の仕事の速さを実感する。
「終焉原野での新支部設立、どうぞよろしくお願いします。僕も精一杯お手伝いいたしますので」
『みんなのおうちはわたちが作ってあげりゅからね』
「ティエリー様と二人で行動することは差し控えるように」
「あら、狐人族に喋るマンドラゴラとは驚いたわ。さすがのあたしも見るのは初めてね、ははは」
ははは、というルーシーさんの笑い声がHAHAHAと聞こえるのは気のせいだろうか。まずは領地を案内することになり、一行を畑の区画に連れて行く。数多の作物の中で土ゴーレムがのんびりと働く様子に、ルーシーさんは感嘆の声を上げた。
「もしかして、耕しているのはゴーレム? 今は製造できる人がめっきり減ったはずだけど」
「僕のスキルを土に使ったらできました」
「まさか、そんな話を信じろって? ……ははは、冗談よ。驚いた顔をしないで。素晴らしい作物が育つことは知っていたけど、ゴーレムまでいるなんてね。この光景だけでここは王国史の教科書に載ってしまうわ」
彼女はまたもや肩を竦める。今まで出会った人とは違う奇妙なリアクションの数々に既視感を覚えるのはどうしてだろう……。
と思う僕の耳元で、スピカがこっそりと呟いた。
「毎回この大仰な反応に付き合わないといけないのでしょうか」
ああ、そうか。スピカの言葉で合点がいった。なんかハリウッド映画を観ている気分なのだ、それもB級の。
〔サガオブ〕にこんなキャラがいたとはそれこそ初めて知ったと思う僕に、ルーシーさんは領地における今後の事業計画を説明してくれた。
「終焉原野の素晴らしい作物や資源は、商会の支部を通して各地に輸送することになるわ。領主様にお願いするなんて力不足を実感するばかりなのだけど……あなたの力を貸してほしい。そう……帳簿の作成とかね」
ずいぶんと溜めるのでなんだと緊張していたら、別に大したことなくてよかった。作物なんかは勝手に育つので放っておいてもいいのだけど、やはり管理は重要だ。
「ええ、もちろんです。仔犬商会は色んな貴族と取引がありますものね。たくさんの人に喜んでもらえたら……ヴェあっ!」
「どうされましたか、ティエリー様! 魔物のようなお声が出されるなんて喉に何か詰まったのですか!」
思わず変な声を出してしまった結果、スピカにがくんがくんと揺すられる。僕の身体は健康だけど、彼女の揺れによって何かしらの不具合が生じそうだ。
ルーシーさんとの話の流れで、ずっと忘れていた重要なことを思い出した。
「お隣さんに挨拶に行かないと!」
終焉原野は辺境だけど、同じく辺境を治める貴族の領地が隣接する。前世の日本ではもちろんのこと、ゲーム世界と云えどもご近所付き合いは大切だ。況してや、今の僕は建前とか礼儀とかに厳しい貴族の身だ。
蔑ろにするのはまずいだろうに、忙しさにかまけて忘れてた! しかも、相手の貴族は誰だっけ!?
スピカに地図を出してもらい、みんなで確認する。馬車で東に半日も進んだところにまた別の領地があり、お隣さん貴族の名前を見たら記憶が蘇った。
「そうそう、バークレイ侯爵だ。どうしよう、アンタレス伯爵家の伯爵より高位の貴族だよ。挨拶が遅いって怒ってないかな」
「ティエリー様の功績を考えれば、向こうから挨拶に来るべきだと思いますが。放っておいてもよろしいかと」
「そういうわけにはいかないよ」
そんなことができたらどれだけ楽か! まぁ、思い立ったがラッキーデイという言葉もあるし、すぐ挨拶の準備をすれば問題ないかもしれない。
「今日にでもお手紙を出して日取りを決めなきゃ。ベテルギウスさんか誰かに運んでもらおうかな」
「ご心配には及びません。私が飛ばさせていただきます。さあ、羊皮紙と羽根ペンをどうぞ」
「う、うん、ありがとう。あの、飛ばすってどういうこと?」
「こういうことでございます」
スピカは慣れた手つきで羊皮紙を折ると、なんと紙飛行機を作り上げた。軽く放り投げただけでずいぶんと遠くまで飛んでくれる。
『かっこいいの!』
「なんでそんな物が作れるの!」
教えてないのに!
話を聞くと彼女が自分で閃いたらしい。この前遊んだ『折り紙作り』が発想のきっかけになったとのこと。へぇ~、スピカは発想力が豊かですごいなぁ。狐人族の鋭い感性で風向きなどを計算することで、目的地まで確実に届けられるとも話す。
……なぜか妙な胸騒ぎがするのだけど、きっと気のせいだろう。
形態が失礼だと思われると良くないので、紙飛行機の溝の部分にちゃんとした手紙を挟み入れバークレイ侯爵領に飛ばすことになった。
「ピピは返事が来るまでの間、【植物魔法】で新支部の建物を作ってくれる?」
『任しぇて! かわいいお家をたくさん作るの!』
ついでに郵便受けも作ってもらい、バリアの外のなるべくバークレイ侯爵領に近い場所に設置する。これでお返事が届くはずだ。準備ができたところで僕はまた人数が増えた領民に呼びかける。
「では、さっそく仔犬商会の新支部設立……頑張りましょー!」
「「おおおー!」」
□□□
数日後の早朝、バークレイ侯爵から返事の手紙が届いた。終焉原野の変貌ぶりに驚いていた使者の顔は記憶に新しい。ティエリーハウスのリビングで、僕は緊張して開封する。そもそも紙飛行機を送りつけるなんて失礼甚だしいことにようやく気づいてしまった。
意を決して手紙を読むと、とても読みやすくて綺麗な字が目に飛び込んできた。
「……ああ、よかった。別に怒ってはないみたいだ。いつでも来ていいって」
「先方もティエリー様にお会いするのが楽しみなのでしょう」
『お出かけ楽しみね』
みんなで相談した結果、挨拶に行くメンバーは、僕、スピカ、ピピに決まった。手土産は採取した作物と、ピピ製作の樽に貯蔵した川のお水を持っていく。ルーシーさんたちが持ってきてくれた馬車に満遍なく詰め込み、準備は完了。
御者はスピカが担当することになり、僕は残る領民に呼びかけた。
「では、後は皆さんに任せちゃっていいですか?」
「うむ、わっちらに任せるでありんす。ティエリー殿が帰ってくる頃には新支部が完成しているかもしれんでござんすよ」
「できれば、ボクも一緒に行きたいのだけどね。今は新支部設立に尽力させてもらうよ」
領民のみんなに見送られながら、馬車はバークレイ侯爵領へと長閑に走る。
「ティエリー様、街が見えてまいりました」
『おうちがいっぱいなの!』
「そうだね、とうとう着いた……バークレイ侯爵領だ!」
森を抜け丘を下り始めたら、遠方に街並みが見え始めた。全体は頑丈そうな塀で囲われており、遠目で見てもなかなかの大きさの街だとわかる。近づくにつれ街道の整備具合が向上し、緊張感もまた増してきた。ありがたいことに時間帯はまだ昼を過ぎたくらいだ。
「スピカのおかげで予定よりずっと早く到着できたよ、本当にありがとう。上手な御者技術もだけど、【サーチアイ】で悪路を避けてくれたのが大きかったね」
「そうですね(……ぬああああああっ、ティエリー様に褒められてしまったあああ! 何度経験しても嬉しさで叫んでしまいそうだ!)」
「なんか言った?」
「いえ、何も」
スピカが御者をしてくれたおかげで、平均で半日かかる行程をなんと六時間で走破してしまった。朝出発の夕方着予定が、昼過ぎの到着になったのだ。終焉原野からの旅路はとても順調なもので、ピピが僕の膝に乗って喜ぶ。
『森でご飯食べたの楽ちかったね! 帰り道もピクニックしゅる?』
「うん、今日はバークレイ侯爵領の宿に泊まるだろうけど、明日の帰り道ではまたピクニックをしよう」
「そうですね(久しぶりのティエリー様とのおデート! 思う存分楽しませていただく!)」
長閑な森の中でご飯を食べたりみんなとお喋りするのは楽しさそのもので、前世でゲームを遊んだときの旅感を久しぶりに思い出させてもらった。
丘を下るとすぐに正門が現れ、門番に手紙の返事を見せたらすんなりと通してくれた。まず目に飛び込んできたのは石畳の舗装された道だ。アンタレス伯爵家の街より表面が滑らかで馬車が非常に走りやすい。
両側には側溝も確認できるから排水能力も高い設計だとわかった。モノトーンのモザイク模様がさりげないおしゃれとして街を彩る。家々はロマネスク様式に分類されるだろう、質実剛健なデザインが多かった。特に制限はないのか屋根の色はそれぞれ異なっており、街にはカラフルで明るい雰囲気が漂う。
市場のお店は野菜や魚、肉などが豊富に並び、流通網の発展も感じる。バークレイ侯爵領も辺境に位置するけど、終焉原野の半日分は王都に近い。それだけ距離が離れていると、ずいぶんと様相や交易の規模が違うのだと実感した。
「いっぱい人がいて賑やかな街だね」
「そうですね。それでも終焉原野の方が住みよい場所だと思いますが」
『わたち、みんなが楽しそうだと楽しくなっちゃうの』
マンドラゴラのピピは驚かれてしまうので、シャツのポケットに隠れてもらっていた。スピカは〔収納モード〕とやらで耳が畳めるらしく、一般人のフリをして馬車を進ませる。
走ること、およそ五分。僕たちはバークレイ侯爵の屋敷に到着した。白い壁に藍色の屋根がシックで美しい。ここでも門番に手紙を見せると快く迎え入れてくれた。敷地に入ってすぐ綺麗な庭園が広がり、通るだけでも花々の芳醇な香りが豊かな気持ちにさせる。
ピピがポケットから少しだけ顔を出して深呼吸する。
『いい香りなの~』
「領地に帰ったらもっとお花を植えようね」
「帰り道、苗や種を買ってもいいかもしれませんね。この地域特有の種類があるかもしれません」
などと話しているうちに玄関に着いた。焦げ茶色の木の扉がすでに気品あふれる。獅子が象られた金属製の重厚なドアノッカーを叩く。
……というか、本当にいつでも来ていいのだろうか。本音と建前は違うんじゃ……。
況してや、相手は貴族の中でもとても高位の侯爵だ。
ここに来て心臓が冷たくなったところで扉が開く。初老の執事が不思議そうに僕たちを見る。
「お待たせしました。……おや、これはまた小さなお客様ですね」
「突然申し訳ありません。僕はティエリー・アンタレスと言いまして、こちらの領地の隣にある終焉原野の領主です。このたびはご挨拶に伺った次第です」
「あなたがティエリー様でいらっしゃいましたか! これは失礼しました。さあ、どうぞ中にお入りください。旦那様からお話は伺っております故」
執事は丁寧に屋敷を先導してくれる。いくつもの高そうな調度品が置かれ、壁には何枚もの美麗な風景画が飾られる。さながら美術館のようだった。
そうして案内された応接室でしばし待つように指示される。この部屋もまた豪華絢爛だ。床に敷かれた大きな絨毯はシルク製で、非常に精緻な植物模様で彩られる。シャンデリアなどの照明にもこだわりが感じられ、デザインの調和が洗練されていた。なんかすごく憧れちゃうね。
「僕たちの屋敷もこれくらいインテリアにこだわった方がいいのかな。もしかしたら、この先来客が増えるかもしれないし。……本音を言うとあまり目立ちたくないけど」
「そうですね。やはり、ただの絵や壺などではなく、ティエリー様を讃える絵画や調度品を飾るべきかと思います。領民の皆さまにお話しすれば快く力を貸してくださるはずです。……ええ、そうしましょう。領地に帰ったらすぐ進言しましょう」
『わたちも作るの手伝うの!』
ちょっと待ってね。なぜか、僕の装飾品や調度品を作る方向に話が転がってしまった。スピカは静かに見えて意外と行動力があるので本当にやりかねない。
そもそも、僕はゲームのシナリオや原作キャラから避難するつもりで終焉原野に来たわけだから、僕の存在を主張する物品の製作は控えていただきたい。ただでさえベテルギウスさんやプロキオンさんが来てしまったのに……。
それにしても行動力か……なぜか謎の胸騒ぎを感じるのだけど、この感覚はなんだろうか。なんかこう、極めて重要な〝何か〟を見落としている気がする。そこまで考えたところで、応接室の扉がノックされた。音の強さや雰囲気から屋敷の主人が来たとわかり、僕とスピカは立ち上がる。
現れたのは金髪の穏やかな紳士と、優しそうな緑の目をした淑女だった。
「待たせたね、ティエリー君。私がこの家の主人、ミカエル・バークレイだ。今日は来てくれてありがとう」
「こんにちは、ミカエルの妻シモーネよ。ゆっくりしていってね」
バークレイ侯爵とその夫人は、ともに三十代半ばくらいだと思われる。落ち着いた上品な雰囲気が上流階級の人間であることを示す。父上たち三人とは大違いだ。
「初めまして、バークレイ侯爵。こちらこそ、ご挨拶の機会を賜りましてありがとうございます。終焉原野の領主を務めるティエリー・アンタレスです」
「ティエリー様の妻、スピカでございます」
えっ、妻ってどういうこと、と話す前に ミカエルさんが「まだ幼いだろうになかなかやるじゃないか、ティエリー君」と笑い始めてしまったので機会を逸した。互いに自己紹介を終えたところで、夫妻の後ろで何か小さな人影が動いた。金髪に緑の目をした幼い少女がもじもじとこちらを見る。
もしかして、と思ったらミカエルさんが紹介してくれた。
「ティエリー君、この子は娘のカーラだ。今年で五歳になる。引っ込み思案なところがあるが仲良くしてやってほしい」
「もちろんです。カーラちゃん、よろしくね」
「……よろしく」
小っちゃな声で言ってくれた。挨拶も終わったので、僕とスピカは数々の作物をテーブルに並べる。
「本日はお近づきの印として、僕の領地で採れた作物などを持ってきました。どうぞお納めください」
「S級の作物ばかりじゃないか! ……驚いたな。これほど貴重で高品質な作物を見たのは初めてだ。それもこんなにたくさん……。我が領地の作物でさえ、せいぜいA級が精一杯というのに」
「信じられない光景ってこういうときに使う言葉なのでしょうね」
夫妻は興味津々といった様子で作物を触っては感動し、カーラちゃんも目を輝かせて見入っていた。樽に収めた川の水には類い希な治癒能力があると伝えたら、さらに一同は驚くのだった。手土産を渡し終わった後は、みんなでお茶の時間になった。
領地での生活を簡単にお伝えしたら、ミカエルさんがティーカップを優雅に持ち上げながら話す。
「いやぁ、あの地獄とも賞された終焉原野が今や楽園だね。話を聞いただけで行きたくなってしまったよ」
「いつでもどうぞいらっしゃってください。領地の発展具合もぜひ見ていただきたいです。みなさんは原作キャラじゃないので快くお誘いできるんです」
「「原作キャラ?」」
「い、いえ、こっちの話です! 忘れてください!」
ついうっかり本音を言っちゃった。子どもの身体だからか、時々自制が聞かないのだ。
「落ち着いて聞いていただきたいのですが、実は喋って動けるマンドラゴラの仲間もいるんです。声を聞いても即死はしませんので安心してくださいね。……ピピ、出ておいで」
『初めまちて、ピピでしゅ!』
「「なっ!」」
ポケットからピピを出すと、バークレイ夫妻は驚きの表情で固まった。カーラちゃんだけは今日一番の輝かしい瞳でピピを見ているけど、やはりマンドラゴラの即死は有名で恐ろしいのかバークレイ夫妻は固く抱き合う。
「「マ、マンドラゴラがなんで……」」
「僕には【ミニゲーム】というスキルがありまして、枯れそうになっていたところを助けたんです。そしたらスキルの効果で話せるようにもなった次第です。ついでにお話ししますと、スピカは狐人族で……」
「「!」」
事の経緯を端的に説明したら、ここでもまた驚かれ賞賛されてしまった。
「……なるほど、それはすごいスキルだね。終焉原野が発展したのは、まさしくティエリー君がいたからだ」
「そうですね。ティエリー様の功績を伝えるため領地に銅像を立てたり、絵画を飾ることを考えております。ところで、このお屋敷は調度品のセンスが素晴らしく、何よりもお二方の人柄が……」
ジッと黙って聞いていたスピカが急に饒舌になり、あれこれと話を展開する。謎の営業力が凄まじく、なぜかバークレイ侯爵領に僕の銅像が置かれる話がまとまり始めたところで、さすがに止めに入った。
「す、すみませんが、そろそろ僕たちは帰ろうかと思います。あまり長居してもご迷惑なので……」
「え……もう帰っちゃうの……?」
ピピを抱くカーラちゃんがしょんぼりと呟く。彼女はスピカが営業する間もずっとピピとお喋りしていた。大好きになったことがよくわかり、ミカエルさんが苦笑する。
「ティエリー君、忙しいところ悪いが少し庭で遊んでやってくれないかい?」
「ええ、もちろんです。ピピもカーラちゃんと遊びたいよね?」
『遊びちゃい!』
カーラちゃんは「やったあ!」と万歳する。ピピを抱きしめた彼女と一緒に、僕たちは庭園に向かう。
□□□
「……ピピちゃん、こっちのお花も綺麗だよ」
『本当ね。綺麗なお花いっぱいで嬉ちい』
カーラちゃんはピピのことをとても気に入ったようで、頭に乗せていつまでも走り回っていた。バークレイ侯爵夫妻が見守る目は温かく、親子の尊い絆や愛が感じられる光景だ。
小一時間ほども遊んだところで、カーラちゃんはピピをそっと僕に渡した。
「寂しいけど、ピピちゃん返すね」
「ありがとう、カーラちゃん」
『今度はわたちたちのお家に来てね』
やっぱりカーラちゃんは寂しそうではあったけど、最後には笑顔で頷いてくれた。僕はミカエルさんとお別れの握手を交わす。
「ティエリー君、君に会えてよかった。またいつでも遊びに来てくれたまえ」
「はい、必ずまた来ます」
バークレイ侯爵家のみんなに手を振り、僕とスピカ、ピピは屋敷を後にする。三人は姿が見えなくなるまでずっと手を振ってくれていた。
「短い時間だったけど楽しかったね」
「そうですね(くっ……もう少しでティエリー様の銅像が建てられるはずだったのに! 自分の営業力不足が悔しくてしょうがない!)」
『カーラしゃんとまた会うの楽ちみなの』
帰りは行きと違う道を通ってみることになり、僕たちは大通りを一つ横にズレた道を進む。 少し道を外れるだけでも異なる街並みが現れ新鮮な気分だった。街を眺めていたとき、ふと気になる建物があったので止まってもらった。
周囲の家々より一段と頑強な造りで、質実剛健な装いを放つここは……。
「冒険者ギルドだ! スピカ、アンタレス伯爵領にはなかった冒険者ギルドだよ!」
「そうですね。ずいぶんと栄えているようです」
『おっきくて強そうね~』
外から見た限り、四階建てはある建物だ。ギルドの名前は銀狼同盟と、とてもかっこいい。看板に刻まれた力強い文字を見ただけでわくわくしてしまった。
「ねえ、ちょっと寄り道してみない?」
「はい、寄り道しましょう。ティエリー様の行きたいところが私の行きたいところでございます」
『わたちは隠れてりゅね』
ピピをポケットにしっかり仕舞い、扉に手をかえる。冒険者ギルド。前世のゲームでは何度も訪れた場所だけど、転生してからは初めて来る。いつか行けたらいいな~ってずっと思っていた。だって、なんと言ってもロマンあふれる場所だから。
とはいえ、やっぱり緊張感はあるので静かに開けた。まず目に飛び込んできたのは、ロビーにいるたくさんの冒険者だ。剣や斧、槍などで武装した人々が行き交い、テーブルでは地図を広げて何やら話し合う人たちも確認される。
奥にはカウンターが設置され、壁際には小さな紙が大量に貼られたクエストボードもある。 たちまち、僕のテンションは急激に上がってしまった。
「くぅぅ、これこれ! この感じだよ!」
「ティエリー様が楽しみになられていて私も嬉しく思います」
現実として来るのは初めてのはずなのに、空気も雰囲気も懐かしく感じてしまう。前世では、だいたいにおいて冒険者ギルドを拠点にしていたなぁ。お金や素材集めに便利だったし、何より冒険がすごく楽しかったのだ。
懐かしさに駆られた僕はスピカとボードの前に行く。
「E級のゴブリン討伐にA級のメガグリズリーの討伐、薬草採取に迷い猫の捜索……いろんなクエストがあるね~」
「ティエリー様ならどれを受けても達成できそうでございますね」
「いやいや、僕なんかじゃとても難しいよ。でも、もし受注するとしたら……うわっ」
「大丈夫ですか、ティエリー様!」
スピカとボードを眺めていたとき。いきなり後ろからドンっと押された。僕の可愛い背中が赤くなってないか心配しながら振り返ると、三人組の男がいる。いずれも一般的な冒険者とは異なり、ならず者という雰囲気だ。
中央に立つ男が僕を見下した目で睨む。
「おい、クソガキ。お前、貴族だな? 世間知らずのお坊ちゃんがこんな場所に何の用だ。貧乏人をからかいに来たのかい?」
「いえ、違います。見学に来ただけでして……」
「口では何とでも言えるわな。どうせ、心の中では馬鹿にしているんだろ」
三人組が現れた途端、周囲の冒険者や受付嬢たちは気まずそうに視線を反らした。その反応に満足していることからも、三人組は良い人物ではないようだ。こういう人たちはあまり刺激せず、謝って撤退する方が良い。
頭を下げようとしたら、ステラがスッと僕の前に出た。
「……ティエリー様から離れろ」
「は? なんだ、姉ちゃん。言いたいことがあるならもっと……」
「ティエリー様から離れろ、つってんだクソ野郎!」
ドスの利いた恐ろしい怒鳴り声が響き渡り、全ての視線が一斉に僕たちに集まった。……肩身が狭い~。僕はシナリオ通りに過ごしたら断罪されて死んでしまう悪役モブ貴族。だからなるべく静かに毎日を過ごしたいのに~。
僕の願いなど気にせずスピカは怒鳴りまくる。彼女はおとなしく見えるし、目が隠れているので余計に恐ろしいのだ。
「今すぐ失せろ! ぶち殺されてえのか!」
「わ、わかった、失せるから怒鳴るのをやめろ! ……こ、こんな恐ろしい女が新入りかよ。俺は銀狼同盟を抜けるぞ!」
「「お、俺たちも抜ける!」」
スピカの威圧感に気圧された三人組は、逃げるようにギルドを去ってしまった。彼らには申し訳ないけど、【レーザーアイ】で焼き殺されなかっただけでもよかったかもしれない。
「ありがとう、スピカ。おかげで助かったよ」
「いえ、ティエリー様に仇なす者は何人たりとも許せませんので。それよりお怪我はございませんか」
お礼を言ったところで、不意に周囲からパチパチと拍手が聞こえてきた。
「いいぞ、姉ちゃん! 素晴らしい威勢だ!」
「少年もよく頑張ったな、偉いぞ!」
冒険者や受付嬢たちが拍手している。どうやら、先ほど追い払った三人組は素行の悪い人物だったようだ。
「じゃ、じゃあ、そろそろ外に出ようか。見学もできたし」
「そうですね(あのクソ冒険者ども……次見たら焼き殺す)」
『わたち怖かったけど頑張って静かにしてちゃ』
スピカから仄かな殺意を感じつつ、僕たちは外に出る。すると、自分たちの馬車の前に四人の少年少女が集まっていた。
……たむろしてる子どもたち? ええ~、怖いんですけど……。
スピカに注意してもらおうか考える僕の耳に、まさかという言葉が飛び込んできた。
「……お前は今日で追放だ! この役立たずテイマーが!」
こ、これは……冒険者パーティーの追放場面だ!
メンバーは男女半々で、前世でいう高校生っぽい年齢の人たちだ。〔サガオブ〕の世界は若くして冒険者になる人が多いという設定のため、それほど不思議ではない。責められている女の子は眼鏡をかけ髪は三つ編みのお下げにまとめており、ザ・委員長という感じ。
三つ編み女の子は健気にも生徒手帳っぽい小さな本を見せる。あれは冒険者手帳と呼ばれ、ギルドの独自ルールやクエストの注意点などが書かれたバイブルだ。
「パ、パーティーに入ったばかりの人を追放するときは、一週間経過してから……って、冒険者手帳にも書いてあるの。き、規則は守らないとダメだよ」
「うるせえ、そんな本知るか! 一週間も待てるかよ!」
他の三人は怒鳴り散らして否定する。まったく読んでいないようだ。
「お前の実力は低すぎるんだよ。トカゲしかテイムできないテイマーなんて聞いたことがねえ。冗談だと思った俺たちが馬鹿みてえじゃねえか。外れスキル持ちは抜けろ」
リーダーらしき男の子は厳しい表情で糾弾するばかりだ。三つ編み女の子は何匹かの小さなトカゲを抱えたまま、悲痛な表情で訴える。
「で、でも、この子たちは小さい身体を活かして偵察とか情報伝達とかでサポートできると思うから……」
「俺たちは力のパーティーだ。偵察だの情報伝達だの必要ねえ。俺たちのパーティーに入りたかったらドラゴンでもテイムしてみろや。じゃあな、もう二度と顔を見せるな」
吐き捨てるように言うと、リーダーたち三人は転送魔道具を使って姿を消してしまった。取り残された三つ編み少女はしくしくと泣き、周囲の通行人は気まずそうに顔を背ける。おそらく、冒険者ギルドではよくある出来事なんだろう。
スピカと顔を見合わせると、こくりと頷かれた。こんな場面を目撃して、見過ごすことはとうていできない。僕たちは意を決して彼女に声をかける。
「あの……大丈夫ですか?」
「失礼ながら、私たちもお話を聞かせていただきました。ずいぶんと大変な思いをされてしまいましたね」
スピカがハンカチを渡す。三つ編み少女は涙を拭きつつも、まだ追放の衝撃が抜けきっていないのかどこか緊張した様子で問い返す。
「え、えっと、あなたたちはいったい……」
「僕はティエリー・アンタレスと言いまして、終焉原野の領主をしています。実は、僕も外れスキルだと言われ家を追放された経験があり、どうしても見過ごすことができなかったんです」
「えっ、アンタレスって伯爵家よね!? そんな偉い人と会っちゃうなんてどうしよう! というより追放っていったい……」
『わたちはピピ! 仲良くちて!』
「マ、マンドラゴラ……!?」
「私は狐人族です」
「!?」
今までの出来事を端的に説明すると、三つ編み少女は真剣に聞いてくれた。
「……なるほど、あなたも辛い目に遭っちゃったのね。おかげで落ち着いたわ。わたしはソフィ、よろしくね。そんなに小さいのに領地の開拓なんて立派だわ」
「改めまして、ティエリーです。まぁ、まだまだ開拓は途中なんですけどね」
挨拶を交わすと、ソフィさんは紫色のトカゲを撫でながらやるせない笑顔で呟く。
「【ミニゲーム】スキルは便利な力でいいなぁ。わたしのスキルは【トカゲテイマー】って言って、トカゲを仲間にできるんだよ。この子は一番最初に仲間になったキュンちゃん。みんな、小さいときからずっと一緒にいてくれるの。ドラゴンになりたいけどなれなかった子たちでね……」
ドラゴンの子どもの中には、成長できない個体があると彼女は話す。ゲームの裏設定と同じだ。
トカゲの個体は成長した他の子どもに食べられてしまうらしく、ソフィさんは密かに助けては育てていたそうだ。キュンちゃんを優しく撫でる穏やかな横顔は聖女のようで、トカゲたちに対する思いが伝わった。
一転して、ソフィさんは悲しげな表情で話を続ける。
「困っている人を助ける冒険者に憧れがあったんだけど、やっぱり私には向いていないみたい……。このスキルは弱すぎて外れって言われちゃった。諦めるのに良い機会と思うわ。A級パーティーの強い人たちに仲間にしてもらってもうまくいかないんだから」
さっきの彼らは貴重な転送魔導具を持っていたことからも、名の知れた冒険者パーティーだとわかった。〔勇猛狩団(ブレイブ・ハント)〕という名前らしい。
ソフィさんをなんとかしてあげたい、と思うのは野暮だろうか。
同じ外れスキルを授かってしまった者同士、助けてあげたい気持ちが湧いてきたのだ。ゲーム機を取り出し、進化BOXを確認する。やはり、〝スキル〟というアイコンがあった。
「僕の【ミニゲーム】スキルを使えば、ソフィさんのスキルをパワーアップできるかもしれません」
「ええ、ほんと!?」
「はい。トカゲたちを一時的にドラゴンにパワーアップできるスキルはどうでしょうか」
「そ、そんなことができたらこの子たちも嬉しいだろうけど……」
「ここでは人も多いですし、一度場所を変えましょう」
銀狼同盟の前を離れ、僕たちは街外れに向かう。広場のように開けた場所に出た。周囲には木々が植えられ人目も少ないので、この辺りでいいだろう。
「ちょっと下準備がありまして。すみませんが少しだけ待っててください」
不思議そうに首を傾げるソフィさんを横目に、僕はミニゲーム『リズムに乗って!』をタップする。難易度は今までで最も高く★4だ。
お馴染みの真っ白な空間にスピカとピピと一緒に行く。周囲の様相が徐々に変わり、宇宙のような暗くて美しい空間になった。僕の目の前にはリズムゲームの筐体みたいな装置がどこからか出現する。
〔じゃあ、行くっよー。ミニゲーム、スタートー!〕
精霊たちが、〔サガオブ〕の雄大で印象的なテーマソングを演奏し始める。クラシック調の非常に美しい曲だ。途端に、スピカとピピはほんわかとした声を上げる。
「初めて聞く音楽のはずなのに、なんだか懐かしくてしょうがありません……どうしてでしょう」
『とってもいい音楽ね! ずっと聞いていたくなっちゃうの!』
なぜなら、このゲームのテーマソングだから。
僕はのんびりしているわけにはいかない。音楽に合わせ、前方の空間からたくさんのブロックが飛んできた。
「ティエリー様、何ですかあれは!?」
『ぶつかっちゃうの!』
「大丈夫だよ」
筐体を操作して、ベストなタイミングでブロックを消す。その度に花火のように鮮やかな光の演出がなされた。
「美しいいいいいい! 私はもう感動で仕方ありません!」
『きれいきれいなのー!』
名前の通り、これはリズムゲームだ。★4以上の開放には、どれもパーフェクトクリアが求められる。よって、一つのミスも許されない。僕は気合いを入れてミニゲームに挑む。
前世でやり込んだ甲斐あってか、全部で約三分の曲をパーフェクトクリアできた!
〔おめでとー! 進化BOXのスキルが開放されたよー!〕
精霊たちはひと際賑やかに楽器を鳴らしてくれ、スピカとピピも拍手喝采で讃えてくれた。
「素晴らしい! 本当に素晴らしくございます! ティエリー様は大天才!」
『しゅごく楽しかった! 綺麗なの見せてくれてありがとうね、ティエリーしゃん!』
「うん、どうもありがとう」
ミニゲームの空間が少しずつ消え、僕たちは現実世界に戻ってきた。時間の経過はないためか、相変わらずぽかんとしたソフィさんが目の前にいる。僕は深呼吸して彼女にゲーム機のセンサーを向ける。
「お待たせしました。準備ができました。トカゲをドラゴンに進化できるスキルになって……【エヴォリューション】!」
ソフィさんの全身が白い光に包まれ、数秒ほどで収まる。彼女はぽかんとした様子で自分の身体を見るばかりだ。
「え、えっと、ティエリー君は何をしたの?」
「ソフィさんのスキルを改良しました。【トカゲテイマー】の力をキュンちゃんたちに使ってみてください」
「わ、わかった……えいっ」
ソフィさんはキュンちゃんにスキルを発動すると、あっという間に巨大なドラゴンに変身してしまった! 全長はおよそ三十メートルくらいもあり、鱗は一枚一枚が触らずとも頑丈だとわかる。ダンジョンのボスを務められそうなくらいに強そうだ。
「え、えええ――! なんじゃこりゃあ!」
僕ではなくソフィさんが叫び、強靱でありながら美しい鱗をおそるおそる撫でた。キュンちゃんは進化前と変わらず頭を擦り付ける様子から、主人との絆の深さを感じる。
「こんなに大きくなっちゃって……ドラゴンになれてよかったね……!」
ソフィさんは涙を拭きながらキュンちゃんを撫で、スピカとピピもまた嬉しそうに呟く。
「感動的な光景でございます。やはり、ティエリー様のスキルは人を救う力があるのです」
『わたち、嬉ちい気持ちでいっぱい!』
三人で見守っていたら、ふと街の方が騒がしいことに気づいた。いきなり大型のドラゴンが出現したからだと考えられる。すぐに【トカゲテイマー】スキルを解除してもらい、辺りに静けさが舞い戻った。
ソフィさんは感動した様子で僕の手を握る。
「すごいよ、ティエリー君! ほんとにドラゴンになっちゃった!」
「うまくいってよかったです。これからはソフィさんがスキルを使うたびに進化できますから」
「この度はおめでとうございます。……ところで、ティエリー様との無用な接触は止めてくださいね。直ちに」
スピカにさらりと手を払われた後も、ソフィさんはいつまでも喜びを露わにしていた。
「もっと早くティエリー君と会えていたら追放されることもなかったのかな……。この子たちにも寂しい思いをさせなかったのに……」
空気がしんみりとなったとき。広場に若い女性が二人走り込んできた。
「お願い、誰か助けて!」
「悪漢に襲われているの!」
周囲を取り巻く空気が硬くなったとき、続けて男が三人現れた。僕とスピカは思わず顔を見合わせる。その悪漢とやらは……。
「さあ、姉ちゃん。俺たちと遊ぼうや」
スピカが追い払った、あの三人組だったのだ。
お姉さんたちは僕とスピカのところに走ってきては、怯えた様子で三人組を指差す。
「街を歩いていたらいきなり絡んできて……」
「以前から女性に声をかけてくる迷惑な人たちだったんです」
どうやら、銀狼同盟だけでなく街でも悪事の絶えない人物だったようだ。僕たちが身構える中、三人組の中央に立つ男――おそらくリーダーが腰元の剣を引き抜いた。
「さっきは目隠れ女の雰囲気に押されちまったが、俺たちにもう威嚇は効かねえ。初めからこうすりゃよかったんだな。まずは貴族のガキ、お前を八つ裂きにしてやる」
他の二人も同時に剣やら斧やらを引き抜く。戦う気満々のようだ。
僕とスピカは小声で相談する。
「仕方ないけど実力行使に出た方がいいよね……」
「そうですね(殺しましょう)」
やけに淡々としたスピカの返答を聞いたとき、ソフィさんが僕たちの前に歩み出た。
「ど、どっかに行って。嫌がっている人に纏わりつくのは……ま、街の規則違反だよ」
彼女の震える声が空中に消える。しばしの沈黙の後、三人組は高らかに笑い出した。
「何を言われるかと思ったら……嘘だろ!? ガキの女に説教されちまったぜ!」
「お返しに良いことを教えてやる。この街じゃな、俺たちが規則なんだよ」
「お前は見逃してやろうと思ったが予定変更だ。そいつらと一緒に死ね」
三人組は武器を振りかざして駆けてくる。大変だ、ソフィさんを守らないと!
……と思うわけだけど、結果としてその必要はなかった。
「ティエリー君のおかげで私は……私たちは殻を破ることができた。救ってくれた人を傷つけさせはしない……【トカゲテイマー】!」
ソフィさんが叫ぶや否や、キュンちゃんがたちまち巨大なドラゴンに進化した。一転して、三人組はがくぶると震え始める。僕とスピカはもうすっかり見慣れてしまった光景だけど、第三者的に見てこれは極めて危険な状況だ。
だって、S級パーティーでさえ討伐が難しい種族が目の前にいるのだから。
「ド、ドラゴンがなんでこんなところに……っ!」
先ほどまでの威勢はどこにいったのか、三人組は互いに抱き合うばかりだ。
『ゴアアアアアッ!』
「「う、うわああああっ!」」
キュンちゃんが力強い咆哮を上げた瞬間、三人組は武器を放り投げて脱兎の如く逃げ出してしまった。三人組が完全に消え去ると、お姉さんたちがソフィさんの手をギュッと握った。
「ありがとう、三つ編み少女ちゃん! あなた度胸があるのね!」
「ドラゴンを仲間にできちゃうなんてすごい冒険者なんじゃないの!?」
「い、いえ、これも全部ティエリー君のおかげで……」
ちやほやされる彼女を、僕とスピカ、そしてピピは静かに見守る。僕たちも心まで温かくなる光景だ。
「私にも……困っている人を助けることができたんだ……」
ぽつりと呟くソフィさんは、その日一番の笑顔だった。
街の中心部に戻った後も、ソフィさんはずっとちやほやとされていた。お姉さんたちはともに裕福な家の令嬢姉妹だったらしく、話を聞いた両親からもソフィさんは感謝される。
「娘たちを助けてくれてありがとう。これだけ強いお嬢さんがこの街にいるとは思わなかったよ。どうだい、我が家で用心棒を務めてみては? 給金は弾むよ」
「ほ、本当の私はすごくないんです。ティエリー君がスキルを強くしてくれて……」
ソフィさんはしきりに僕の【ミニゲーム】スキルの話を引き合いに出してくれるけど、僕は何もしていない。悪人からお姉さんたちを助けたのは彼女自身なのだ。
もう……大丈夫みたいだね。
少し見守った後、僕はスピカとピピに呼びかける。
「じゃあ、そろそろ領地に帰ろうか」
「そうですね、帰りましょう」
『お家に帰るのー』
そっとその場を離れる。少し遠い場所にあった馬車を回収し、僕たち三人はゆっくりと街の出口に向かう。バークレイ侯爵と挨拶を交わすだけかと思ったけど、なんだか濃い一日だった。
ソフィさんが冒険者として花開いたらいいなと願いながら正門に着いたとき。
「……待ってー!」
後ろの方から女性の声が聞こえてきて、振り向いた僕たちはとても驚いてしまった。
「ソフィさん!?」
慌てて馬車を止めて彼女を迎える。ソフィさんは膝に手をつきながら、荒れた息で僕に話す。
「ねえ、私もティエリー君の領地に連れて行ってもらえない? バークレイ領の住民は、友好関係のある領地なら自由に行っていいの」
「え、ええ、それは構いませんが結構遠いですよ? 馬車だと六時間くらいかかるかも……。今からだと到着するのは夜になりそうです」
時間帯はもう昼過ぎなので、領地に一泊することになってしまうだろう。予定とか大丈夫なのかなと心配する僕に、彼女は意を決した様子で頭を下げた。
「私も領地に住まわせてください」
「しゅ、終焉原野にですか!? どうしてまた……」
バークレイ侯爵領地からは物理的に離れているし、今は改善されたとはいえまだまだ劣悪で有名な土地だ。住み慣れたこの街の方がいいんじゃと疑問に思う僕に、ソフィさんは真剣な表情で語り始めた。
「私ね……ティエリー君に恩返ししたいの。あなたのおかげで、私とこの子たちはとても勇気を貰えたわ。まだ領地開拓は途中というお話だったから、何かお手伝いできることがないかなって……」
そういうことだったのか。 お父さんとお母さんの許可も急いで貰ってきたとのこと。
たまに帰ってきてくれると嬉しいとも言われたそうで、「月に一度はバークレイ領に帰省できるとありがたいんだけど……」と申し訳なさそうに話す。
ソフィさんを新たな仲間にか……考えずとも答えは出ている。彼女は心優しくて頑張り屋さんだし、何より僕を断罪する原作キャラではない。ただでさえすでに二人もいるので、原作濃度が少しでも薄まってくれるかなと思った。
スピカとピピを見ると、同じ考えのようで黙って頷いた。
「わかりました。そういうことなら、ぜひ僕の領地に来てください。領地開拓のお手伝いよろしくお願いします、ソフィさん。そして、キュンちゃんたち」
「ありがとう、ティエリー君! 私たち精一杯頑張るね!」
僕とソフィさんは握手を交わす。また新しい仲間ができて、僕もスピカもピピもとても嬉しかった。
街を出た後、ソフィさんはわくわくした様子でキュンちゃんを掲げた。
「【トカゲテイマー】!」
スキル発動の声が高らかに響き、紫色の強そうなドラゴンが姿を現す。門番が唖然とする中、馬車もキュンちゃんに持ってもらい、僕たちは終焉原野に飛び立った。
□□□
「……というわけで、隣のバークレイ侯爵領からソフィさんとキュンちゃんたちたくさんトカゲが新しい仲間としてやってきてくれました」
「は、初めまして、ソフィです」
領地に帰った後、さっそくみんなを集めてソフィさんを紹介した。今や百人ほどの人数や、世間的には超大物のベテルギウスさんやプロキオンさんなどを見て、ソフィさんは緊張した様子で震え始めた。僕の耳元で小さく訴える彼女は目がぐるぐると回る。
「こここここんなに大勢の領民がいるなんて思わなかったよ! しししししかも、《神閃の刃》のベテルギウスさんや仔犬商会のプロキオンさんまでいるなんて……!」
「そんなに緊張しなくても皆さんとても優しくていい人ですよ。……そうだ、」
「たしかにそうだね。みんなを紹介しなきゃ。この子はキュンちゃんでこっちの子は……」
トカゲは全部で二十匹いて、ソフィさんは一匹一匹の名前と性格と特徴と可愛いところと好きな食べ物と思い出の場所などなど……非常に流暢に教えてくれる。彼女の豹変ぶりと話の密度の濃さに、領民のみんなはぽかんと口を開けるばかりだ。
五分ほど経過しても話は終わらず、僕は咳払いして話を中断させてもらった。
「で、では、今日からソフィさんと一緒に領地開拓を頑張りましょう」
「「おおおー!」」
まずは領地を案内して回る。作物の畑や働く土ゴーレムたち、秘薬ポーションの源流になってしまった川、領民たちの家……その全てをソフィさんは目を輝かせて見学するのだった。
「……すごいなぁ。あの最悪な噂しかなかった終焉原野がこんなに発展していたなんて。ここはもう地獄の中の楽園だよ。私は何をお手伝いすればいいかな」
「そうですねぇ。やっぱり、畑のお仕事を……」
そこまで話したところで、誰かの人影がシュバッと僕たちの間に入り込んだ。人影はウルフカットの髪を靡かせながらソフィーさんの手を握る。
「初めまして、ボクは仔犬商会の商会長、プロキオンだ。とても可愛いトカゲたちだね。もちろん、君も可愛いよ。……ところで、ドラゴン状態のトカゲたちに頼みたいことがあるのだけど運搬なんかは得意かい?」
プロキオンさんは社交辞令を速攻で終え、いきなり商会の荷物配達について交渉を始めていた。逞しい商魂で、ドラゴンが配達に有益だとすぐに考えたようだ。今は馬車で各支部に作物などを運んでいるため、ドラゴンが手伝ってくれたら尚のこと捗るだろう。
さっそく試験飛行を始めようということで、何匹ものドラゴンが空に飛び立つ。優雅だなぁ~とのんびり眺めていたとき。
「……ヴぇあっ!」
「ティエリー様、どうされましたか! 魔物が押し潰されて死ぬときのようなお声を出されてどうされたのですか! しっかりしてくださいませ!」
『ティエリーしゃんの首が取れちゃうよ~』
スピカにがくんがくんと揺すられる僕は、とんでもない可能性に気づいたのだ。
もしかして、領地や僕について今まで以上の人に知られるようになってしまうのでは……?
原作キャラから避難した意味が……と思ったとき。
「わ、私は本当に大したことないです。本当にティエリー君がスキルを改良してくれたおかげで……」
他の領民にもソフィさんとトカゲたちは受け入れられ、やっぱり僕はとても嬉しかったのだ。
◆◆◆
ソフィが領民になった日の夜、例の場所にて。スピカ、ベテルギウス、プロキオン、ミアの四人が集まった部屋の中央に、四角い魔導具が置かれていた。ティエリー新聞の製作は順調に進んでおり、大量生産の準備がようやく完了したのだ。
「とうとう……とうとう完成したのですね」
感極まって声と手の震えるスピカに、ミアとプロキオンが得意げな表情で説明する。
「わっちらがずっと開発していた印刷の魔導具が完成したでありんす。いやぁ、なかなかに設計も製作も難しい一品だったでありんすね。でも、苦労した分非常に高性能だと自信を持って言えるでござんすよ」
「ボクも仕事柄魔導具を扱う機会はそれなりにあってね。いくらか助言させてもらった。まぁ、ミア君は優秀だからボクなんか必要なかったかもしれないけどさ」
彼女たちが開発したのは、現代における印刷機――その名も印刷魔導具だ。
「スピカ殿が記録した光景は、魔力に刻まれているとわっちは推測したでありんす。だから、魔力を流してもらえばその情報に基づいて魔導具が印刷を開始するでござんす」
「その仮説は試作品が証明してくれましたね」
すでに何度も試作を重ねており、全ての失敗や欠点が改善されている。開発の苦労と経緯がしみじみと話される中、ベテルギウスは印刷魔導具にそーっと手を伸ばす。
「これはなかなかに面白そうな魔導具ではないか。もっと強度を高めれば訓練用の道具に転用できそうだな……」
「触らないでください!」
「触ったら謎の現象が発生して壊れるでありんす!」
「触らないでくれたまえ! 君はボクたちの努力を水の泡にするつもりかい!?」
三人のきつい声が響いて彼女は手を引っ込めた。
「そんなに怒らなくてもいいのに……」
ぶつぶつと隅っこで壁に愚痴り出したベテルギウスを放ったまま、スピカとミアは興奮しながら印刷魔導具を操作する。羊皮紙を入れ、インクを補給する。
「これは記念すべき本製作一号機でありんすよ~。じゃあ、スピカ殿。さっそく魔力を流してくださいまし」
「承知しました」
スピカは印刷魔導具に手を当て魔力を込めた。表面の複雑な魔法陣が光り、ウウ……と低い起動音が鳴る。ガシャンガシャンと何枚もティエリー新聞が印刷され始めた。手書きで製作するよりずっと効率がいい。
(今までの何倍、いや何十倍も広い範囲に届けることができる。……ティエリー様の功績を!)
思い描いた未来がすぐそこに来て、スピカは含み笑いが止まらなかった。
「ククク……ドラゴンが運んでくれたら、より迅速に大量に新聞を頒布することができますね」
「もちろん、ボクがすでに話はつけたるよ。明日にでも支部に送っていこうじゃないか……ククク」
「いやはや……ククク、この発明には可能性を感じてしょうがないね」
「なんで我が魔導具を触ると壊れるのだ……」
大量印刷された新聞はドラゴンによって拡充されたルートも使いティエリーの評判は着々と国内中に広がりつつあるのであった。
商会長のプロキオンさんが紹介してくれる。
「ティエリー君、彼女は仔犬商会のナンバー3――ルーシー君さ。ボクの部下の中でも非常に優秀な人だから、安心して新支部設立とそれに伴う領地の発展を任せてくれたまえ」
「……初めまして、ティエリーちゃん。ルーシーよ。地獄の中で楽園を作り上げた男と会えて光栄ね。あなたに会える日を楽しみにしていたわ。誰にも対処できなかった瘴気をこんなに浄化しちゃうなんて素晴らしいわね。奇跡って本当に起きるのだと、あなたは骨の髄まで教えてくれたわ」
「こちらこそ初めまして。お会いできて僕も嬉しいです」
僕はルーシーさんと握手を交わす。星の名前じゃなくて静かに一安心。仔犬商会の人は全部で三十五人来てくれたとのこと。新支部を設立した後は、作物や資源の売買に力を貸してくれる。
そこまで話したところで、ルーシーさんは呆れた顔で肩を竦めた。
「実は、ここに来るにあたって姉とちょっとしたトラブルがあってね。……あら、気にしないで。いつものことよ。まったく、妹思いの姉が欲しかったものだわ。神様ってほんとに気まぐれなんだから、ははは」
トラブルと聞いたときはドキッとしたけど、別に大したことはないようで安心した。プロキオンさんの手紙ですでに諸々の下準備は完了しているらしく、仔犬商会の仕事の速さを実感する。
「終焉原野での新支部設立、どうぞよろしくお願いします。僕も精一杯お手伝いいたしますので」
『みんなのおうちはわたちが作ってあげりゅからね』
「ティエリー様と二人で行動することは差し控えるように」
「あら、狐人族に喋るマンドラゴラとは驚いたわ。さすがのあたしも見るのは初めてね、ははは」
ははは、というルーシーさんの笑い声がHAHAHAと聞こえるのは気のせいだろうか。まずは領地を案内することになり、一行を畑の区画に連れて行く。数多の作物の中で土ゴーレムがのんびりと働く様子に、ルーシーさんは感嘆の声を上げた。
「もしかして、耕しているのはゴーレム? 今は製造できる人がめっきり減ったはずだけど」
「僕のスキルを土に使ったらできました」
「まさか、そんな話を信じろって? ……ははは、冗談よ。驚いた顔をしないで。素晴らしい作物が育つことは知っていたけど、ゴーレムまでいるなんてね。この光景だけでここは王国史の教科書に載ってしまうわ」
彼女はまたもや肩を竦める。今まで出会った人とは違う奇妙なリアクションの数々に既視感を覚えるのはどうしてだろう……。
と思う僕の耳元で、スピカがこっそりと呟いた。
「毎回この大仰な反応に付き合わないといけないのでしょうか」
ああ、そうか。スピカの言葉で合点がいった。なんかハリウッド映画を観ている気分なのだ、それもB級の。
〔サガオブ〕にこんなキャラがいたとはそれこそ初めて知ったと思う僕に、ルーシーさんは領地における今後の事業計画を説明してくれた。
「終焉原野の素晴らしい作物や資源は、商会の支部を通して各地に輸送することになるわ。領主様にお願いするなんて力不足を実感するばかりなのだけど……あなたの力を貸してほしい。そう……帳簿の作成とかね」
ずいぶんと溜めるのでなんだと緊張していたら、別に大したことなくてよかった。作物なんかは勝手に育つので放っておいてもいいのだけど、やはり管理は重要だ。
「ええ、もちろんです。仔犬商会は色んな貴族と取引がありますものね。たくさんの人に喜んでもらえたら……ヴェあっ!」
「どうされましたか、ティエリー様! 魔物のようなお声が出されるなんて喉に何か詰まったのですか!」
思わず変な声を出してしまった結果、スピカにがくんがくんと揺すられる。僕の身体は健康だけど、彼女の揺れによって何かしらの不具合が生じそうだ。
ルーシーさんとの話の流れで、ずっと忘れていた重要なことを思い出した。
「お隣さんに挨拶に行かないと!」
終焉原野は辺境だけど、同じく辺境を治める貴族の領地が隣接する。前世の日本ではもちろんのこと、ゲーム世界と云えどもご近所付き合いは大切だ。況してや、今の僕は建前とか礼儀とかに厳しい貴族の身だ。
蔑ろにするのはまずいだろうに、忙しさにかまけて忘れてた! しかも、相手の貴族は誰だっけ!?
スピカに地図を出してもらい、みんなで確認する。馬車で東に半日も進んだところにまた別の領地があり、お隣さん貴族の名前を見たら記憶が蘇った。
「そうそう、バークレイ侯爵だ。どうしよう、アンタレス伯爵家の伯爵より高位の貴族だよ。挨拶が遅いって怒ってないかな」
「ティエリー様の功績を考えれば、向こうから挨拶に来るべきだと思いますが。放っておいてもよろしいかと」
「そういうわけにはいかないよ」
そんなことができたらどれだけ楽か! まぁ、思い立ったがラッキーデイという言葉もあるし、すぐ挨拶の準備をすれば問題ないかもしれない。
「今日にでもお手紙を出して日取りを決めなきゃ。ベテルギウスさんか誰かに運んでもらおうかな」
「ご心配には及びません。私が飛ばさせていただきます。さあ、羊皮紙と羽根ペンをどうぞ」
「う、うん、ありがとう。あの、飛ばすってどういうこと?」
「こういうことでございます」
スピカは慣れた手つきで羊皮紙を折ると、なんと紙飛行機を作り上げた。軽く放り投げただけでずいぶんと遠くまで飛んでくれる。
『かっこいいの!』
「なんでそんな物が作れるの!」
教えてないのに!
話を聞くと彼女が自分で閃いたらしい。この前遊んだ『折り紙作り』が発想のきっかけになったとのこと。へぇ~、スピカは発想力が豊かですごいなぁ。狐人族の鋭い感性で風向きなどを計算することで、目的地まで確実に届けられるとも話す。
……なぜか妙な胸騒ぎがするのだけど、きっと気のせいだろう。
形態が失礼だと思われると良くないので、紙飛行機の溝の部分にちゃんとした手紙を挟み入れバークレイ侯爵領に飛ばすことになった。
「ピピは返事が来るまでの間、【植物魔法】で新支部の建物を作ってくれる?」
『任しぇて! かわいいお家をたくさん作るの!』
ついでに郵便受けも作ってもらい、バリアの外のなるべくバークレイ侯爵領に近い場所に設置する。これでお返事が届くはずだ。準備ができたところで僕はまた人数が増えた領民に呼びかける。
「では、さっそく仔犬商会の新支部設立……頑張りましょー!」
「「おおおー!」」
□□□
数日後の早朝、バークレイ侯爵から返事の手紙が届いた。終焉原野の変貌ぶりに驚いていた使者の顔は記憶に新しい。ティエリーハウスのリビングで、僕は緊張して開封する。そもそも紙飛行機を送りつけるなんて失礼甚だしいことにようやく気づいてしまった。
意を決して手紙を読むと、とても読みやすくて綺麗な字が目に飛び込んできた。
「……ああ、よかった。別に怒ってはないみたいだ。いつでも来ていいって」
「先方もティエリー様にお会いするのが楽しみなのでしょう」
『お出かけ楽しみね』
みんなで相談した結果、挨拶に行くメンバーは、僕、スピカ、ピピに決まった。手土産は採取した作物と、ピピ製作の樽に貯蔵した川のお水を持っていく。ルーシーさんたちが持ってきてくれた馬車に満遍なく詰め込み、準備は完了。
御者はスピカが担当することになり、僕は残る領民に呼びかけた。
「では、後は皆さんに任せちゃっていいですか?」
「うむ、わっちらに任せるでありんす。ティエリー殿が帰ってくる頃には新支部が完成しているかもしれんでござんすよ」
「できれば、ボクも一緒に行きたいのだけどね。今は新支部設立に尽力させてもらうよ」
領民のみんなに見送られながら、馬車はバークレイ侯爵領へと長閑に走る。
「ティエリー様、街が見えてまいりました」
『おうちがいっぱいなの!』
「そうだね、とうとう着いた……バークレイ侯爵領だ!」
森を抜け丘を下り始めたら、遠方に街並みが見え始めた。全体は頑丈そうな塀で囲われており、遠目で見てもなかなかの大きさの街だとわかる。近づくにつれ街道の整備具合が向上し、緊張感もまた増してきた。ありがたいことに時間帯はまだ昼を過ぎたくらいだ。
「スピカのおかげで予定よりずっと早く到着できたよ、本当にありがとう。上手な御者技術もだけど、【サーチアイ】で悪路を避けてくれたのが大きかったね」
「そうですね(……ぬああああああっ、ティエリー様に褒められてしまったあああ! 何度経験しても嬉しさで叫んでしまいそうだ!)」
「なんか言った?」
「いえ、何も」
スピカが御者をしてくれたおかげで、平均で半日かかる行程をなんと六時間で走破してしまった。朝出発の夕方着予定が、昼過ぎの到着になったのだ。終焉原野からの旅路はとても順調なもので、ピピが僕の膝に乗って喜ぶ。
『森でご飯食べたの楽ちかったね! 帰り道もピクニックしゅる?』
「うん、今日はバークレイ侯爵領の宿に泊まるだろうけど、明日の帰り道ではまたピクニックをしよう」
「そうですね(久しぶりのティエリー様とのおデート! 思う存分楽しませていただく!)」
長閑な森の中でご飯を食べたりみんなとお喋りするのは楽しさそのもので、前世でゲームを遊んだときの旅感を久しぶりに思い出させてもらった。
丘を下るとすぐに正門が現れ、門番に手紙の返事を見せたらすんなりと通してくれた。まず目に飛び込んできたのは石畳の舗装された道だ。アンタレス伯爵家の街より表面が滑らかで馬車が非常に走りやすい。
両側には側溝も確認できるから排水能力も高い設計だとわかった。モノトーンのモザイク模様がさりげないおしゃれとして街を彩る。家々はロマネスク様式に分類されるだろう、質実剛健なデザインが多かった。特に制限はないのか屋根の色はそれぞれ異なっており、街にはカラフルで明るい雰囲気が漂う。
市場のお店は野菜や魚、肉などが豊富に並び、流通網の発展も感じる。バークレイ侯爵領も辺境に位置するけど、終焉原野の半日分は王都に近い。それだけ距離が離れていると、ずいぶんと様相や交易の規模が違うのだと実感した。
「いっぱい人がいて賑やかな街だね」
「そうですね。それでも終焉原野の方が住みよい場所だと思いますが」
『わたち、みんなが楽しそうだと楽しくなっちゃうの』
マンドラゴラのピピは驚かれてしまうので、シャツのポケットに隠れてもらっていた。スピカは〔収納モード〕とやらで耳が畳めるらしく、一般人のフリをして馬車を進ませる。
走ること、およそ五分。僕たちはバークレイ侯爵の屋敷に到着した。白い壁に藍色の屋根がシックで美しい。ここでも門番に手紙を見せると快く迎え入れてくれた。敷地に入ってすぐ綺麗な庭園が広がり、通るだけでも花々の芳醇な香りが豊かな気持ちにさせる。
ピピがポケットから少しだけ顔を出して深呼吸する。
『いい香りなの~』
「領地に帰ったらもっとお花を植えようね」
「帰り道、苗や種を買ってもいいかもしれませんね。この地域特有の種類があるかもしれません」
などと話しているうちに玄関に着いた。焦げ茶色の木の扉がすでに気品あふれる。獅子が象られた金属製の重厚なドアノッカーを叩く。
……というか、本当にいつでも来ていいのだろうか。本音と建前は違うんじゃ……。
況してや、相手は貴族の中でもとても高位の侯爵だ。
ここに来て心臓が冷たくなったところで扉が開く。初老の執事が不思議そうに僕たちを見る。
「お待たせしました。……おや、これはまた小さなお客様ですね」
「突然申し訳ありません。僕はティエリー・アンタレスと言いまして、こちらの領地の隣にある終焉原野の領主です。このたびはご挨拶に伺った次第です」
「あなたがティエリー様でいらっしゃいましたか! これは失礼しました。さあ、どうぞ中にお入りください。旦那様からお話は伺っております故」
執事は丁寧に屋敷を先導してくれる。いくつもの高そうな調度品が置かれ、壁には何枚もの美麗な風景画が飾られる。さながら美術館のようだった。
そうして案内された応接室でしばし待つように指示される。この部屋もまた豪華絢爛だ。床に敷かれた大きな絨毯はシルク製で、非常に精緻な植物模様で彩られる。シャンデリアなどの照明にもこだわりが感じられ、デザインの調和が洗練されていた。なんかすごく憧れちゃうね。
「僕たちの屋敷もこれくらいインテリアにこだわった方がいいのかな。もしかしたら、この先来客が増えるかもしれないし。……本音を言うとあまり目立ちたくないけど」
「そうですね。やはり、ただの絵や壺などではなく、ティエリー様を讃える絵画や調度品を飾るべきかと思います。領民の皆さまにお話しすれば快く力を貸してくださるはずです。……ええ、そうしましょう。領地に帰ったらすぐ進言しましょう」
『わたちも作るの手伝うの!』
ちょっと待ってね。なぜか、僕の装飾品や調度品を作る方向に話が転がってしまった。スピカは静かに見えて意外と行動力があるので本当にやりかねない。
そもそも、僕はゲームのシナリオや原作キャラから避難するつもりで終焉原野に来たわけだから、僕の存在を主張する物品の製作は控えていただきたい。ただでさえベテルギウスさんやプロキオンさんが来てしまったのに……。
それにしても行動力か……なぜか謎の胸騒ぎを感じるのだけど、この感覚はなんだろうか。なんかこう、極めて重要な〝何か〟を見落としている気がする。そこまで考えたところで、応接室の扉がノックされた。音の強さや雰囲気から屋敷の主人が来たとわかり、僕とスピカは立ち上がる。
現れたのは金髪の穏やかな紳士と、優しそうな緑の目をした淑女だった。
「待たせたね、ティエリー君。私がこの家の主人、ミカエル・バークレイだ。今日は来てくれてありがとう」
「こんにちは、ミカエルの妻シモーネよ。ゆっくりしていってね」
バークレイ侯爵とその夫人は、ともに三十代半ばくらいだと思われる。落ち着いた上品な雰囲気が上流階級の人間であることを示す。父上たち三人とは大違いだ。
「初めまして、バークレイ侯爵。こちらこそ、ご挨拶の機会を賜りましてありがとうございます。終焉原野の領主を務めるティエリー・アンタレスです」
「ティエリー様の妻、スピカでございます」
えっ、妻ってどういうこと、と話す前に ミカエルさんが「まだ幼いだろうになかなかやるじゃないか、ティエリー君」と笑い始めてしまったので機会を逸した。互いに自己紹介を終えたところで、夫妻の後ろで何か小さな人影が動いた。金髪に緑の目をした幼い少女がもじもじとこちらを見る。
もしかして、と思ったらミカエルさんが紹介してくれた。
「ティエリー君、この子は娘のカーラだ。今年で五歳になる。引っ込み思案なところがあるが仲良くしてやってほしい」
「もちろんです。カーラちゃん、よろしくね」
「……よろしく」
小っちゃな声で言ってくれた。挨拶も終わったので、僕とスピカは数々の作物をテーブルに並べる。
「本日はお近づきの印として、僕の領地で採れた作物などを持ってきました。どうぞお納めください」
「S級の作物ばかりじゃないか! ……驚いたな。これほど貴重で高品質な作物を見たのは初めてだ。それもこんなにたくさん……。我が領地の作物でさえ、せいぜいA級が精一杯というのに」
「信じられない光景ってこういうときに使う言葉なのでしょうね」
夫妻は興味津々といった様子で作物を触っては感動し、カーラちゃんも目を輝かせて見入っていた。樽に収めた川の水には類い希な治癒能力があると伝えたら、さらに一同は驚くのだった。手土産を渡し終わった後は、みんなでお茶の時間になった。
領地での生活を簡単にお伝えしたら、ミカエルさんがティーカップを優雅に持ち上げながら話す。
「いやぁ、あの地獄とも賞された終焉原野が今や楽園だね。話を聞いただけで行きたくなってしまったよ」
「いつでもどうぞいらっしゃってください。領地の発展具合もぜひ見ていただきたいです。みなさんは原作キャラじゃないので快くお誘いできるんです」
「「原作キャラ?」」
「い、いえ、こっちの話です! 忘れてください!」
ついうっかり本音を言っちゃった。子どもの身体だからか、時々自制が聞かないのだ。
「落ち着いて聞いていただきたいのですが、実は喋って動けるマンドラゴラの仲間もいるんです。声を聞いても即死はしませんので安心してくださいね。……ピピ、出ておいで」
『初めまちて、ピピでしゅ!』
「「なっ!」」
ポケットからピピを出すと、バークレイ夫妻は驚きの表情で固まった。カーラちゃんだけは今日一番の輝かしい瞳でピピを見ているけど、やはりマンドラゴラの即死は有名で恐ろしいのかバークレイ夫妻は固く抱き合う。
「「マ、マンドラゴラがなんで……」」
「僕には【ミニゲーム】というスキルがありまして、枯れそうになっていたところを助けたんです。そしたらスキルの効果で話せるようにもなった次第です。ついでにお話ししますと、スピカは狐人族で……」
「「!」」
事の経緯を端的に説明したら、ここでもまた驚かれ賞賛されてしまった。
「……なるほど、それはすごいスキルだね。終焉原野が発展したのは、まさしくティエリー君がいたからだ」
「そうですね。ティエリー様の功績を伝えるため領地に銅像を立てたり、絵画を飾ることを考えております。ところで、このお屋敷は調度品のセンスが素晴らしく、何よりもお二方の人柄が……」
ジッと黙って聞いていたスピカが急に饒舌になり、あれこれと話を展開する。謎の営業力が凄まじく、なぜかバークレイ侯爵領に僕の銅像が置かれる話がまとまり始めたところで、さすがに止めに入った。
「す、すみませんが、そろそろ僕たちは帰ろうかと思います。あまり長居してもご迷惑なので……」
「え……もう帰っちゃうの……?」
ピピを抱くカーラちゃんがしょんぼりと呟く。彼女はスピカが営業する間もずっとピピとお喋りしていた。大好きになったことがよくわかり、ミカエルさんが苦笑する。
「ティエリー君、忙しいところ悪いが少し庭で遊んでやってくれないかい?」
「ええ、もちろんです。ピピもカーラちゃんと遊びたいよね?」
『遊びちゃい!』
カーラちゃんは「やったあ!」と万歳する。ピピを抱きしめた彼女と一緒に、僕たちは庭園に向かう。
□□□
「……ピピちゃん、こっちのお花も綺麗だよ」
『本当ね。綺麗なお花いっぱいで嬉ちい』
カーラちゃんはピピのことをとても気に入ったようで、頭に乗せていつまでも走り回っていた。バークレイ侯爵夫妻が見守る目は温かく、親子の尊い絆や愛が感じられる光景だ。
小一時間ほども遊んだところで、カーラちゃんはピピをそっと僕に渡した。
「寂しいけど、ピピちゃん返すね」
「ありがとう、カーラちゃん」
『今度はわたちたちのお家に来てね』
やっぱりカーラちゃんは寂しそうではあったけど、最後には笑顔で頷いてくれた。僕はミカエルさんとお別れの握手を交わす。
「ティエリー君、君に会えてよかった。またいつでも遊びに来てくれたまえ」
「はい、必ずまた来ます」
バークレイ侯爵家のみんなに手を振り、僕とスピカ、ピピは屋敷を後にする。三人は姿が見えなくなるまでずっと手を振ってくれていた。
「短い時間だったけど楽しかったね」
「そうですね(くっ……もう少しでティエリー様の銅像が建てられるはずだったのに! 自分の営業力不足が悔しくてしょうがない!)」
『カーラしゃんとまた会うの楽ちみなの』
帰りは行きと違う道を通ってみることになり、僕たちは大通りを一つ横にズレた道を進む。 少し道を外れるだけでも異なる街並みが現れ新鮮な気分だった。街を眺めていたとき、ふと気になる建物があったので止まってもらった。
周囲の家々より一段と頑強な造りで、質実剛健な装いを放つここは……。
「冒険者ギルドだ! スピカ、アンタレス伯爵領にはなかった冒険者ギルドだよ!」
「そうですね。ずいぶんと栄えているようです」
『おっきくて強そうね~』
外から見た限り、四階建てはある建物だ。ギルドの名前は銀狼同盟と、とてもかっこいい。看板に刻まれた力強い文字を見ただけでわくわくしてしまった。
「ねえ、ちょっと寄り道してみない?」
「はい、寄り道しましょう。ティエリー様の行きたいところが私の行きたいところでございます」
『わたちは隠れてりゅね』
ピピをポケットにしっかり仕舞い、扉に手をかえる。冒険者ギルド。前世のゲームでは何度も訪れた場所だけど、転生してからは初めて来る。いつか行けたらいいな~ってずっと思っていた。だって、なんと言ってもロマンあふれる場所だから。
とはいえ、やっぱり緊張感はあるので静かに開けた。まず目に飛び込んできたのは、ロビーにいるたくさんの冒険者だ。剣や斧、槍などで武装した人々が行き交い、テーブルでは地図を広げて何やら話し合う人たちも確認される。
奥にはカウンターが設置され、壁際には小さな紙が大量に貼られたクエストボードもある。 たちまち、僕のテンションは急激に上がってしまった。
「くぅぅ、これこれ! この感じだよ!」
「ティエリー様が楽しみになられていて私も嬉しく思います」
現実として来るのは初めてのはずなのに、空気も雰囲気も懐かしく感じてしまう。前世では、だいたいにおいて冒険者ギルドを拠点にしていたなぁ。お金や素材集めに便利だったし、何より冒険がすごく楽しかったのだ。
懐かしさに駆られた僕はスピカとボードの前に行く。
「E級のゴブリン討伐にA級のメガグリズリーの討伐、薬草採取に迷い猫の捜索……いろんなクエストがあるね~」
「ティエリー様ならどれを受けても達成できそうでございますね」
「いやいや、僕なんかじゃとても難しいよ。でも、もし受注するとしたら……うわっ」
「大丈夫ですか、ティエリー様!」
スピカとボードを眺めていたとき。いきなり後ろからドンっと押された。僕の可愛い背中が赤くなってないか心配しながら振り返ると、三人組の男がいる。いずれも一般的な冒険者とは異なり、ならず者という雰囲気だ。
中央に立つ男が僕を見下した目で睨む。
「おい、クソガキ。お前、貴族だな? 世間知らずのお坊ちゃんがこんな場所に何の用だ。貧乏人をからかいに来たのかい?」
「いえ、違います。見学に来ただけでして……」
「口では何とでも言えるわな。どうせ、心の中では馬鹿にしているんだろ」
三人組が現れた途端、周囲の冒険者や受付嬢たちは気まずそうに視線を反らした。その反応に満足していることからも、三人組は良い人物ではないようだ。こういう人たちはあまり刺激せず、謝って撤退する方が良い。
頭を下げようとしたら、ステラがスッと僕の前に出た。
「……ティエリー様から離れろ」
「は? なんだ、姉ちゃん。言いたいことがあるならもっと……」
「ティエリー様から離れろ、つってんだクソ野郎!」
ドスの利いた恐ろしい怒鳴り声が響き渡り、全ての視線が一斉に僕たちに集まった。……肩身が狭い~。僕はシナリオ通りに過ごしたら断罪されて死んでしまう悪役モブ貴族。だからなるべく静かに毎日を過ごしたいのに~。
僕の願いなど気にせずスピカは怒鳴りまくる。彼女はおとなしく見えるし、目が隠れているので余計に恐ろしいのだ。
「今すぐ失せろ! ぶち殺されてえのか!」
「わ、わかった、失せるから怒鳴るのをやめろ! ……こ、こんな恐ろしい女が新入りかよ。俺は銀狼同盟を抜けるぞ!」
「「お、俺たちも抜ける!」」
スピカの威圧感に気圧された三人組は、逃げるようにギルドを去ってしまった。彼らには申し訳ないけど、【レーザーアイ】で焼き殺されなかっただけでもよかったかもしれない。
「ありがとう、スピカ。おかげで助かったよ」
「いえ、ティエリー様に仇なす者は何人たりとも許せませんので。それよりお怪我はございませんか」
お礼を言ったところで、不意に周囲からパチパチと拍手が聞こえてきた。
「いいぞ、姉ちゃん! 素晴らしい威勢だ!」
「少年もよく頑張ったな、偉いぞ!」
冒険者や受付嬢たちが拍手している。どうやら、先ほど追い払った三人組は素行の悪い人物だったようだ。
「じゃ、じゃあ、そろそろ外に出ようか。見学もできたし」
「そうですね(あのクソ冒険者ども……次見たら焼き殺す)」
『わたち怖かったけど頑張って静かにしてちゃ』
スピカから仄かな殺意を感じつつ、僕たちは外に出る。すると、自分たちの馬車の前に四人の少年少女が集まっていた。
……たむろしてる子どもたち? ええ~、怖いんですけど……。
スピカに注意してもらおうか考える僕の耳に、まさかという言葉が飛び込んできた。
「……お前は今日で追放だ! この役立たずテイマーが!」
こ、これは……冒険者パーティーの追放場面だ!
メンバーは男女半々で、前世でいう高校生っぽい年齢の人たちだ。〔サガオブ〕の世界は若くして冒険者になる人が多いという設定のため、それほど不思議ではない。責められている女の子は眼鏡をかけ髪は三つ編みのお下げにまとめており、ザ・委員長という感じ。
三つ編み女の子は健気にも生徒手帳っぽい小さな本を見せる。あれは冒険者手帳と呼ばれ、ギルドの独自ルールやクエストの注意点などが書かれたバイブルだ。
「パ、パーティーに入ったばかりの人を追放するときは、一週間経過してから……って、冒険者手帳にも書いてあるの。き、規則は守らないとダメだよ」
「うるせえ、そんな本知るか! 一週間も待てるかよ!」
他の三人は怒鳴り散らして否定する。まったく読んでいないようだ。
「お前の実力は低すぎるんだよ。トカゲしかテイムできないテイマーなんて聞いたことがねえ。冗談だと思った俺たちが馬鹿みてえじゃねえか。外れスキル持ちは抜けろ」
リーダーらしき男の子は厳しい表情で糾弾するばかりだ。三つ編み女の子は何匹かの小さなトカゲを抱えたまま、悲痛な表情で訴える。
「で、でも、この子たちは小さい身体を活かして偵察とか情報伝達とかでサポートできると思うから……」
「俺たちは力のパーティーだ。偵察だの情報伝達だの必要ねえ。俺たちのパーティーに入りたかったらドラゴンでもテイムしてみろや。じゃあな、もう二度と顔を見せるな」
吐き捨てるように言うと、リーダーたち三人は転送魔道具を使って姿を消してしまった。取り残された三つ編み少女はしくしくと泣き、周囲の通行人は気まずそうに顔を背ける。おそらく、冒険者ギルドではよくある出来事なんだろう。
スピカと顔を見合わせると、こくりと頷かれた。こんな場面を目撃して、見過ごすことはとうていできない。僕たちは意を決して彼女に声をかける。
「あの……大丈夫ですか?」
「失礼ながら、私たちもお話を聞かせていただきました。ずいぶんと大変な思いをされてしまいましたね」
スピカがハンカチを渡す。三つ編み少女は涙を拭きつつも、まだ追放の衝撃が抜けきっていないのかどこか緊張した様子で問い返す。
「え、えっと、あなたたちはいったい……」
「僕はティエリー・アンタレスと言いまして、終焉原野の領主をしています。実は、僕も外れスキルだと言われ家を追放された経験があり、どうしても見過ごすことができなかったんです」
「えっ、アンタレスって伯爵家よね!? そんな偉い人と会っちゃうなんてどうしよう! というより追放っていったい……」
『わたちはピピ! 仲良くちて!』
「マ、マンドラゴラ……!?」
「私は狐人族です」
「!?」
今までの出来事を端的に説明すると、三つ編み少女は真剣に聞いてくれた。
「……なるほど、あなたも辛い目に遭っちゃったのね。おかげで落ち着いたわ。わたしはソフィ、よろしくね。そんなに小さいのに領地の開拓なんて立派だわ」
「改めまして、ティエリーです。まぁ、まだまだ開拓は途中なんですけどね」
挨拶を交わすと、ソフィさんは紫色のトカゲを撫でながらやるせない笑顔で呟く。
「【ミニゲーム】スキルは便利な力でいいなぁ。わたしのスキルは【トカゲテイマー】って言って、トカゲを仲間にできるんだよ。この子は一番最初に仲間になったキュンちゃん。みんな、小さいときからずっと一緒にいてくれるの。ドラゴンになりたいけどなれなかった子たちでね……」
ドラゴンの子どもの中には、成長できない個体があると彼女は話す。ゲームの裏設定と同じだ。
トカゲの個体は成長した他の子どもに食べられてしまうらしく、ソフィさんは密かに助けては育てていたそうだ。キュンちゃんを優しく撫でる穏やかな横顔は聖女のようで、トカゲたちに対する思いが伝わった。
一転して、ソフィさんは悲しげな表情で話を続ける。
「困っている人を助ける冒険者に憧れがあったんだけど、やっぱり私には向いていないみたい……。このスキルは弱すぎて外れって言われちゃった。諦めるのに良い機会と思うわ。A級パーティーの強い人たちに仲間にしてもらってもうまくいかないんだから」
さっきの彼らは貴重な転送魔導具を持っていたことからも、名の知れた冒険者パーティーだとわかった。〔勇猛狩団(ブレイブ・ハント)〕という名前らしい。
ソフィさんをなんとかしてあげたい、と思うのは野暮だろうか。
同じ外れスキルを授かってしまった者同士、助けてあげたい気持ちが湧いてきたのだ。ゲーム機を取り出し、進化BOXを確認する。やはり、〝スキル〟というアイコンがあった。
「僕の【ミニゲーム】スキルを使えば、ソフィさんのスキルをパワーアップできるかもしれません」
「ええ、ほんと!?」
「はい。トカゲたちを一時的にドラゴンにパワーアップできるスキルはどうでしょうか」
「そ、そんなことができたらこの子たちも嬉しいだろうけど……」
「ここでは人も多いですし、一度場所を変えましょう」
銀狼同盟の前を離れ、僕たちは街外れに向かう。広場のように開けた場所に出た。周囲には木々が植えられ人目も少ないので、この辺りでいいだろう。
「ちょっと下準備がありまして。すみませんが少しだけ待っててください」
不思議そうに首を傾げるソフィさんを横目に、僕はミニゲーム『リズムに乗って!』をタップする。難易度は今までで最も高く★4だ。
お馴染みの真っ白な空間にスピカとピピと一緒に行く。周囲の様相が徐々に変わり、宇宙のような暗くて美しい空間になった。僕の目の前にはリズムゲームの筐体みたいな装置がどこからか出現する。
〔じゃあ、行くっよー。ミニゲーム、スタートー!〕
精霊たちが、〔サガオブ〕の雄大で印象的なテーマソングを演奏し始める。クラシック調の非常に美しい曲だ。途端に、スピカとピピはほんわかとした声を上げる。
「初めて聞く音楽のはずなのに、なんだか懐かしくてしょうがありません……どうしてでしょう」
『とってもいい音楽ね! ずっと聞いていたくなっちゃうの!』
なぜなら、このゲームのテーマソングだから。
僕はのんびりしているわけにはいかない。音楽に合わせ、前方の空間からたくさんのブロックが飛んできた。
「ティエリー様、何ですかあれは!?」
『ぶつかっちゃうの!』
「大丈夫だよ」
筐体を操作して、ベストなタイミングでブロックを消す。その度に花火のように鮮やかな光の演出がなされた。
「美しいいいいいい! 私はもう感動で仕方ありません!」
『きれいきれいなのー!』
名前の通り、これはリズムゲームだ。★4以上の開放には、どれもパーフェクトクリアが求められる。よって、一つのミスも許されない。僕は気合いを入れてミニゲームに挑む。
前世でやり込んだ甲斐あってか、全部で約三分の曲をパーフェクトクリアできた!
〔おめでとー! 進化BOXのスキルが開放されたよー!〕
精霊たちはひと際賑やかに楽器を鳴らしてくれ、スピカとピピも拍手喝采で讃えてくれた。
「素晴らしい! 本当に素晴らしくございます! ティエリー様は大天才!」
『しゅごく楽しかった! 綺麗なの見せてくれてありがとうね、ティエリーしゃん!』
「うん、どうもありがとう」
ミニゲームの空間が少しずつ消え、僕たちは現実世界に戻ってきた。時間の経過はないためか、相変わらずぽかんとしたソフィさんが目の前にいる。僕は深呼吸して彼女にゲーム機のセンサーを向ける。
「お待たせしました。準備ができました。トカゲをドラゴンに進化できるスキルになって……【エヴォリューション】!」
ソフィさんの全身が白い光に包まれ、数秒ほどで収まる。彼女はぽかんとした様子で自分の身体を見るばかりだ。
「え、えっと、ティエリー君は何をしたの?」
「ソフィさんのスキルを改良しました。【トカゲテイマー】の力をキュンちゃんたちに使ってみてください」
「わ、わかった……えいっ」
ソフィさんはキュンちゃんにスキルを発動すると、あっという間に巨大なドラゴンに変身してしまった! 全長はおよそ三十メートルくらいもあり、鱗は一枚一枚が触らずとも頑丈だとわかる。ダンジョンのボスを務められそうなくらいに強そうだ。
「え、えええ――! なんじゃこりゃあ!」
僕ではなくソフィさんが叫び、強靱でありながら美しい鱗をおそるおそる撫でた。キュンちゃんは進化前と変わらず頭を擦り付ける様子から、主人との絆の深さを感じる。
「こんなに大きくなっちゃって……ドラゴンになれてよかったね……!」
ソフィさんは涙を拭きながらキュンちゃんを撫で、スピカとピピもまた嬉しそうに呟く。
「感動的な光景でございます。やはり、ティエリー様のスキルは人を救う力があるのです」
『わたち、嬉ちい気持ちでいっぱい!』
三人で見守っていたら、ふと街の方が騒がしいことに気づいた。いきなり大型のドラゴンが出現したからだと考えられる。すぐに【トカゲテイマー】スキルを解除してもらい、辺りに静けさが舞い戻った。
ソフィさんは感動した様子で僕の手を握る。
「すごいよ、ティエリー君! ほんとにドラゴンになっちゃった!」
「うまくいってよかったです。これからはソフィさんがスキルを使うたびに進化できますから」
「この度はおめでとうございます。……ところで、ティエリー様との無用な接触は止めてくださいね。直ちに」
スピカにさらりと手を払われた後も、ソフィさんはいつまでも喜びを露わにしていた。
「もっと早くティエリー君と会えていたら追放されることもなかったのかな……。この子たちにも寂しい思いをさせなかったのに……」
空気がしんみりとなったとき。広場に若い女性が二人走り込んできた。
「お願い、誰か助けて!」
「悪漢に襲われているの!」
周囲を取り巻く空気が硬くなったとき、続けて男が三人現れた。僕とスピカは思わず顔を見合わせる。その悪漢とやらは……。
「さあ、姉ちゃん。俺たちと遊ぼうや」
スピカが追い払った、あの三人組だったのだ。
お姉さんたちは僕とスピカのところに走ってきては、怯えた様子で三人組を指差す。
「街を歩いていたらいきなり絡んできて……」
「以前から女性に声をかけてくる迷惑な人たちだったんです」
どうやら、銀狼同盟だけでなく街でも悪事の絶えない人物だったようだ。僕たちが身構える中、三人組の中央に立つ男――おそらくリーダーが腰元の剣を引き抜いた。
「さっきは目隠れ女の雰囲気に押されちまったが、俺たちにもう威嚇は効かねえ。初めからこうすりゃよかったんだな。まずは貴族のガキ、お前を八つ裂きにしてやる」
他の二人も同時に剣やら斧やらを引き抜く。戦う気満々のようだ。
僕とスピカは小声で相談する。
「仕方ないけど実力行使に出た方がいいよね……」
「そうですね(殺しましょう)」
やけに淡々としたスピカの返答を聞いたとき、ソフィさんが僕たちの前に歩み出た。
「ど、どっかに行って。嫌がっている人に纏わりつくのは……ま、街の規則違反だよ」
彼女の震える声が空中に消える。しばしの沈黙の後、三人組は高らかに笑い出した。
「何を言われるかと思ったら……嘘だろ!? ガキの女に説教されちまったぜ!」
「お返しに良いことを教えてやる。この街じゃな、俺たちが規則なんだよ」
「お前は見逃してやろうと思ったが予定変更だ。そいつらと一緒に死ね」
三人組は武器を振りかざして駆けてくる。大変だ、ソフィさんを守らないと!
……と思うわけだけど、結果としてその必要はなかった。
「ティエリー君のおかげで私は……私たちは殻を破ることができた。救ってくれた人を傷つけさせはしない……【トカゲテイマー】!」
ソフィさんが叫ぶや否や、キュンちゃんがたちまち巨大なドラゴンに進化した。一転して、三人組はがくぶると震え始める。僕とスピカはもうすっかり見慣れてしまった光景だけど、第三者的に見てこれは極めて危険な状況だ。
だって、S級パーティーでさえ討伐が難しい種族が目の前にいるのだから。
「ド、ドラゴンがなんでこんなところに……っ!」
先ほどまでの威勢はどこにいったのか、三人組は互いに抱き合うばかりだ。
『ゴアアアアアッ!』
「「う、うわああああっ!」」
キュンちゃんが力強い咆哮を上げた瞬間、三人組は武器を放り投げて脱兎の如く逃げ出してしまった。三人組が完全に消え去ると、お姉さんたちがソフィさんの手をギュッと握った。
「ありがとう、三つ編み少女ちゃん! あなた度胸があるのね!」
「ドラゴンを仲間にできちゃうなんてすごい冒険者なんじゃないの!?」
「い、いえ、これも全部ティエリー君のおかげで……」
ちやほやされる彼女を、僕とスピカ、そしてピピは静かに見守る。僕たちも心まで温かくなる光景だ。
「私にも……困っている人を助けることができたんだ……」
ぽつりと呟くソフィさんは、その日一番の笑顔だった。
街の中心部に戻った後も、ソフィさんはずっとちやほやとされていた。お姉さんたちはともに裕福な家の令嬢姉妹だったらしく、話を聞いた両親からもソフィさんは感謝される。
「娘たちを助けてくれてありがとう。これだけ強いお嬢さんがこの街にいるとは思わなかったよ。どうだい、我が家で用心棒を務めてみては? 給金は弾むよ」
「ほ、本当の私はすごくないんです。ティエリー君がスキルを強くしてくれて……」
ソフィさんはしきりに僕の【ミニゲーム】スキルの話を引き合いに出してくれるけど、僕は何もしていない。悪人からお姉さんたちを助けたのは彼女自身なのだ。
もう……大丈夫みたいだね。
少し見守った後、僕はスピカとピピに呼びかける。
「じゃあ、そろそろ領地に帰ろうか」
「そうですね、帰りましょう」
『お家に帰るのー』
そっとその場を離れる。少し遠い場所にあった馬車を回収し、僕たち三人はゆっくりと街の出口に向かう。バークレイ侯爵と挨拶を交わすだけかと思ったけど、なんだか濃い一日だった。
ソフィさんが冒険者として花開いたらいいなと願いながら正門に着いたとき。
「……待ってー!」
後ろの方から女性の声が聞こえてきて、振り向いた僕たちはとても驚いてしまった。
「ソフィさん!?」
慌てて馬車を止めて彼女を迎える。ソフィさんは膝に手をつきながら、荒れた息で僕に話す。
「ねえ、私もティエリー君の領地に連れて行ってもらえない? バークレイ領の住民は、友好関係のある領地なら自由に行っていいの」
「え、ええ、それは構いませんが結構遠いですよ? 馬車だと六時間くらいかかるかも……。今からだと到着するのは夜になりそうです」
時間帯はもう昼過ぎなので、領地に一泊することになってしまうだろう。予定とか大丈夫なのかなと心配する僕に、彼女は意を決した様子で頭を下げた。
「私も領地に住まわせてください」
「しゅ、終焉原野にですか!? どうしてまた……」
バークレイ侯爵領地からは物理的に離れているし、今は改善されたとはいえまだまだ劣悪で有名な土地だ。住み慣れたこの街の方がいいんじゃと疑問に思う僕に、ソフィさんは真剣な表情で語り始めた。
「私ね……ティエリー君に恩返ししたいの。あなたのおかげで、私とこの子たちはとても勇気を貰えたわ。まだ領地開拓は途中というお話だったから、何かお手伝いできることがないかなって……」
そういうことだったのか。 お父さんとお母さんの許可も急いで貰ってきたとのこと。
たまに帰ってきてくれると嬉しいとも言われたそうで、「月に一度はバークレイ領に帰省できるとありがたいんだけど……」と申し訳なさそうに話す。
ソフィさんを新たな仲間にか……考えずとも答えは出ている。彼女は心優しくて頑張り屋さんだし、何より僕を断罪する原作キャラではない。ただでさえすでに二人もいるので、原作濃度が少しでも薄まってくれるかなと思った。
スピカとピピを見ると、同じ考えのようで黙って頷いた。
「わかりました。そういうことなら、ぜひ僕の領地に来てください。領地開拓のお手伝いよろしくお願いします、ソフィさん。そして、キュンちゃんたち」
「ありがとう、ティエリー君! 私たち精一杯頑張るね!」
僕とソフィさんは握手を交わす。また新しい仲間ができて、僕もスピカもピピもとても嬉しかった。
街を出た後、ソフィさんはわくわくした様子でキュンちゃんを掲げた。
「【トカゲテイマー】!」
スキル発動の声が高らかに響き、紫色の強そうなドラゴンが姿を現す。門番が唖然とする中、馬車もキュンちゃんに持ってもらい、僕たちは終焉原野に飛び立った。
□□□
「……というわけで、隣のバークレイ侯爵領からソフィさんとキュンちゃんたちたくさんトカゲが新しい仲間としてやってきてくれました」
「は、初めまして、ソフィです」
領地に帰った後、さっそくみんなを集めてソフィさんを紹介した。今や百人ほどの人数や、世間的には超大物のベテルギウスさんやプロキオンさんなどを見て、ソフィさんは緊張した様子で震え始めた。僕の耳元で小さく訴える彼女は目がぐるぐると回る。
「こここここんなに大勢の領民がいるなんて思わなかったよ! しししししかも、《神閃の刃》のベテルギウスさんや仔犬商会のプロキオンさんまでいるなんて……!」
「そんなに緊張しなくても皆さんとても優しくていい人ですよ。……そうだ、」
「たしかにそうだね。みんなを紹介しなきゃ。この子はキュンちゃんでこっちの子は……」
トカゲは全部で二十匹いて、ソフィさんは一匹一匹の名前と性格と特徴と可愛いところと好きな食べ物と思い出の場所などなど……非常に流暢に教えてくれる。彼女の豹変ぶりと話の密度の濃さに、領民のみんなはぽかんと口を開けるばかりだ。
五分ほど経過しても話は終わらず、僕は咳払いして話を中断させてもらった。
「で、では、今日からソフィさんと一緒に領地開拓を頑張りましょう」
「「おおおー!」」
まずは領地を案内して回る。作物の畑や働く土ゴーレムたち、秘薬ポーションの源流になってしまった川、領民たちの家……その全てをソフィさんは目を輝かせて見学するのだった。
「……すごいなぁ。あの最悪な噂しかなかった終焉原野がこんなに発展していたなんて。ここはもう地獄の中の楽園だよ。私は何をお手伝いすればいいかな」
「そうですねぇ。やっぱり、畑のお仕事を……」
そこまで話したところで、誰かの人影がシュバッと僕たちの間に入り込んだ。人影はウルフカットの髪を靡かせながらソフィーさんの手を握る。
「初めまして、ボクは仔犬商会の商会長、プロキオンだ。とても可愛いトカゲたちだね。もちろん、君も可愛いよ。……ところで、ドラゴン状態のトカゲたちに頼みたいことがあるのだけど運搬なんかは得意かい?」
プロキオンさんは社交辞令を速攻で終え、いきなり商会の荷物配達について交渉を始めていた。逞しい商魂で、ドラゴンが配達に有益だとすぐに考えたようだ。今は馬車で各支部に作物などを運んでいるため、ドラゴンが手伝ってくれたら尚のこと捗るだろう。
さっそく試験飛行を始めようということで、何匹ものドラゴンが空に飛び立つ。優雅だなぁ~とのんびり眺めていたとき。
「……ヴぇあっ!」
「ティエリー様、どうされましたか! 魔物が押し潰されて死ぬときのようなお声を出されてどうされたのですか! しっかりしてくださいませ!」
『ティエリーしゃんの首が取れちゃうよ~』
スピカにがくんがくんと揺すられる僕は、とんでもない可能性に気づいたのだ。
もしかして、領地や僕について今まで以上の人に知られるようになってしまうのでは……?
原作キャラから避難した意味が……と思ったとき。
「わ、私は本当に大したことないです。本当にティエリー君がスキルを改良してくれたおかげで……」
他の領民にもソフィさんとトカゲたちは受け入れられ、やっぱり僕はとても嬉しかったのだ。
◆◆◆
ソフィが領民になった日の夜、例の場所にて。スピカ、ベテルギウス、プロキオン、ミアの四人が集まった部屋の中央に、四角い魔導具が置かれていた。ティエリー新聞の製作は順調に進んでおり、大量生産の準備がようやく完了したのだ。
「とうとう……とうとう完成したのですね」
感極まって声と手の震えるスピカに、ミアとプロキオンが得意げな表情で説明する。
「わっちらがずっと開発していた印刷の魔導具が完成したでありんす。いやぁ、なかなかに設計も製作も難しい一品だったでありんすね。でも、苦労した分非常に高性能だと自信を持って言えるでござんすよ」
「ボクも仕事柄魔導具を扱う機会はそれなりにあってね。いくらか助言させてもらった。まぁ、ミア君は優秀だからボクなんか必要なかったかもしれないけどさ」
彼女たちが開発したのは、現代における印刷機――その名も印刷魔導具だ。
「スピカ殿が記録した光景は、魔力に刻まれているとわっちは推測したでありんす。だから、魔力を流してもらえばその情報に基づいて魔導具が印刷を開始するでござんす」
「その仮説は試作品が証明してくれましたね」
すでに何度も試作を重ねており、全ての失敗や欠点が改善されている。開発の苦労と経緯がしみじみと話される中、ベテルギウスは印刷魔導具にそーっと手を伸ばす。
「これはなかなかに面白そうな魔導具ではないか。もっと強度を高めれば訓練用の道具に転用できそうだな……」
「触らないでください!」
「触ったら謎の現象が発生して壊れるでありんす!」
「触らないでくれたまえ! 君はボクたちの努力を水の泡にするつもりかい!?」
三人のきつい声が響いて彼女は手を引っ込めた。
「そんなに怒らなくてもいいのに……」
ぶつぶつと隅っこで壁に愚痴り出したベテルギウスを放ったまま、スピカとミアは興奮しながら印刷魔導具を操作する。羊皮紙を入れ、インクを補給する。
「これは記念すべき本製作一号機でありんすよ~。じゃあ、スピカ殿。さっそく魔力を流してくださいまし」
「承知しました」
スピカは印刷魔導具に手を当て魔力を込めた。表面の複雑な魔法陣が光り、ウウ……と低い起動音が鳴る。ガシャンガシャンと何枚もティエリー新聞が印刷され始めた。手書きで製作するよりずっと効率がいい。
(今までの何倍、いや何十倍も広い範囲に届けることができる。……ティエリー様の功績を!)
思い描いた未来がすぐそこに来て、スピカは含み笑いが止まらなかった。
「ククク……ドラゴンが運んでくれたら、より迅速に大量に新聞を頒布することができますね」
「もちろん、ボクがすでに話はつけたるよ。明日にでも支部に送っていこうじゃないか……ククク」
「いやはや……ククク、この発明には可能性を感じてしょうがないね」
「なんで我が魔導具を触ると壊れるのだ……」
大量印刷された新聞はドラゴンによって拡充されたルートも使いティエリーの評判は着々と国内中に広がりつつあるのであった。



