「ん……んん~っ」
本棚の一番上の段に本を戻すには、俺はギリ身長が足りなかった。人手が少ない時、シフトに女の子しか入っていない時は、俺が苦労して入れていた。精一杯背伸びする。
「鎮宮さん。僕やりますよ」
後ろからひょいと腕が伸びて、中指の先っちょで押し上げていた本が、いとも簡単に本棚の一番上に戻される。俺はつま先立ちから勢い余ってつんのめり、逆に後ろに倒れそうになる。
「おっと」
柔らかく抱き留められた。
「大丈夫ですか。一番上の棚の時は、僕呼んでください」
抱き留められたままだから、つむじの辺りに息が当たる。
「あ、あっ。市井くん、さんきゅ」
俺は慌てて反転する。正面から市井くんと抱き合うような形になり、思わずその胸を押し返してつっけんどんに離れた。
「あ、あっ。ごめん! 俺、人と距離近いの、に、苦手で」
市井くんはちょっと驚いて目を見張ったあと、長身には不似合いに優しく笑った。笑うと糸目になるんだ。か……かわええ……。
「そうなんですか。すみません。今度から気をつけます」
「あ、いやっ。そんなに気にしなくても大丈夫だから!」
自分でも挙動不審だと思う。一週間前からバイト先のネットカフェに入ってきた市井くんは、俺のドタイプだった。見た目じゃなくて、中身が。俺が何かでつまずいていると、さり気なくフォローしてくれる。一週間目にしてもはや意識しかしていないのだが、カミングアウトする勇気なんかない恋人居ない歴二十年の俺には、どう接していいものやら悩みの種でもあるのだった。
「て言うか」
市井くんは、自分も五冊ほど抱えてきた漫画本を棚に戻しながら、横顔を見せて言う。
「鎮宮さんって、下の名前なんでしたっけ」
「え……要だけど」
「要さんて呼んでもいいですか? 俺のことも陽輔って呼んでください」
えっ! 何そのイベント! 嬉しい! だけど口から出たのはちぐはぐな言葉だった。
「えっ、なんで?」
「要さん、なんだか放っておけなくて。鎮宮さんて感じじゃなくて、要さんて感じ」
ズギュウウウウウウン!! 俺にとっては、心臓を打ち抜かれたような口説き文句だった。思わず、手に持っていたハードカバーの小説本を取り落とす。角が足の小指にヒットした。
「痛っ!」
「ああもう……そういうところが放っておけないんだけど」
また市井くんが糸目になる。落ちた本を拾って、俺に手渡した。
「はい。要さん」
「さ、さんきゅ。市井くん」
「陽輔」
「あ……よ、陽輔くん」
「くん付けもしなくていいんですけど。要さん、帝央大なんですよね」
「あ、うん」
「何年生ですか?」
「二年」
「じゃあ二学年先輩だ。俺、志望大学、帝央大なんです。要さんの後輩になれるの、楽しみにしてます」
なんなんだ!! 無自覚に口説かないでくれ!! 心臓が持たない!! 無言で胸を押さえてしまうと、市井くん……いや、陽輔くんは不思議そうな顔をした。
「要さん?」
「あ、あっ、うん。俺も陽輔くんが後輩になったら嬉しい」
あっ!! 俺の馬鹿馬鹿馬鹿!! つい本音を言ってしまった!! やばい、キモいって思われる!! でも陽輔くんは目を細めた。
「はい。バイトも勉強も頑張ります」
「市井くーん! 高いところお願ーい」
言葉尻に被せるように、一つ向こうの棚から女の子が声をかけてくる。
「あ、はい。今行きます」
そう言って、陽輔くんは俺に軽く会釈をして去っていった。盛り上がっていた気持ちが、急速にしぼんでいく。陽輔くんはバイト仲間の小柄な女の子にも糸目を見せて、本を受け取って高い位置に戻していた。絵になる。陽輔くんと女の子。俺だけが勝手に勘違いをしている。二十年間、ずっとそうだった。好きな人が出来ても、「気持ち悪い」と言われるのが怖くて友人の一人になることを選んできた。今回もきっとそうなるのだろう。俺は手にしたハードカバーの小説本を持って、陽輔くんに背を向けて奥の棚に向かった。
* * *
手帳を開く。その夜、俺は家で机に向かっていた。風呂にも入り、あとはもう寝るだけだ。俺には日課があった。毎日日記をつけている。一日一ページ分用意された分厚い日記兼手帳で、アナログ人間な俺は予定も全部それにつけていた。温かいハーブティーを一口飲んでから、万年筆を握る。万年筆は、二十歳の誕生日に自分で自分に買ったプレゼントだ。
『七月十六日
一週間前にバイト先に来た新人、市井陽輔くんが気になる。俺が困っているとさり気なく駆けつけて、助けてくれる。でもそれは、たぶん誰にでも優しいんだろう。今日は、「市井くん」から下の名前の「陽輔くん」と呼ぶことになった。陽輔くんは俺を「要さん」と呼ぶ。くすぐったい。』
そう日記をつづったあと、次の行にタイトルを書いた。
『運命の恋(仮)』
俺は、小説を書くのが趣味だった。創作の才能がないのは分かっていたから、私小説だ。
『出会いから一週間が経った。鎮宮が一番上の棚に戻すのを苦労していた本を容易く受け取って、市井は笑う。
「一番上の棚の時は、僕を呼んでください」
手と手が触れ合い、後ろによろけた鎮宮を市井は柔らかく抱き留める。鎮宮の心臓が高鳴った。思わず照れ隠しに突き飛ばしてしまうと、市井は驚いて目を丸くしたあと微笑んだ。
「すみません。今度から気をつけます」
市井の笑顔を初めて見た。奥二重の彼は目を細めるようにして微笑む。鎮宮は思わず見とれていた。いけないと思いつつも、市井に惹かれてしまうのを止められない鎮宮だった。』
好きな人が出来ると、俺は私小説を書く。小説の中では俺と好きな人は結ばれて、デートに行ったり甘い時間を過ごしたりする。そうやって恋愛感情をこじらせて、二十年間生きてきてしまった。その文面を少しだけ眺めて、俺は手帳を閉じた。トートバッグにしまってからベッドに潜った。夢に出てきてくれないかななんてひどくロマンティックなことを考えたが、現実はそんなに甘くなかった。
* * *
次の日、俺はバイトの休憩室でカップラーメンをすすっていた。午後八時半過ぎ。遅めの夕食休憩だ。そこへ、ノックが響く。返事をすると、陽輔くんが入ってきた。
「お疲れ様です」
「あ、お疲れ様です」
「休憩何時までですか?」
「ん? 九時までだけど」
ローテーブルを挟んで、陽輔くんは向かいに座った。仮眠もとれるよう、休憩室は絨毯敷きだった。
「僕今日はもう終わりなんですけど、ちょっと話してもいいですか?」
「えっ。うん」
俺は緊張で一瞬強ばってしまう顔を隠して、下を向いてラーメンをすすった。
「僕、帝央大志望だって言ったじゃないですか」
「うん」
「でも今の成績だと、合格率七十パーだって言われてるんです。要さん、もし、もしよかったらなんですけど、お礼はするんで勉強みて貰えませんか?」
「うわっ」
「え?」
思わず心の叫びが漏れてしまい、俺は慌てて口を覆った。うわあああああああああ何それもの凄いイベントなんですけどおおおおおお。それが俺の心の叫びだった。
「い、いや。何でもない」
陽輔くんが残念そうな顔をする。
「すみません。忙しかったら大丈夫なんで……」
「ううん! 暇! めちゃくちゃ暇!」
力説してしまうと今度は陽輔くんが不思議そうな顔をする。しまった。挙動不審だ。
「ほ、ほら、帝央大、入試問題にくせがあるから。俺でよかったら色々教えるよ」
なんとか格好をつけると、陽輔くんは嬉しそうに糸目になった。
「ありがとうございます! 明日から夏休みなんで、暇な時にお願いします」
「うん。どこでする? 図書館とかもいいけど、話が出来ないし」
俺の中での誘導尋問が始まる。どうせならこのイベント、思い切り楽しみたい。
「あ……えっと、うちに来て貰ってもいいんですけど、うち妹と同じ部屋なんで、集中出来ないんですよね」
なあああああにいいいいいい。渡りに船!!
「じゃあうちに来なよ。一人暮らしだから、遠慮しないで」
「いいんですか?」
「うん。散らかってるけど、よければ」
「ありがとうございます!」
そこでタイミングよく、俺のスマホのアラームが鳴った。休憩終わりの合図だった。
「あ、邪魔しちゃってすみません。じゃあ、よろしくお願いします」
「うん。こちらこそよろしく」
お疲れ様を言い合ってその日は別れた。仕事が始まっても、陽輔くんのことで頭の中がいっぱいだった。
* * *
手帳を開く。
『七月十七日
陽輔くんの受験勉強をみることになった。うちに来る!! どうしよう楽しみで夜しか眠れない!! 掃除しなきゃ。』
万年筆を握り直し、『運命の恋(仮)』の続きを書く。
『市井も同じ気持ちだった。鎮宮ともっと親しくなりたい。そんな願いをかけて切り出した。
「受験勉強をみて貰えませんか?」
鎮宮は快諾する。市井が、鎮宮の家に来るという。鎮宮は一人暮らしだ。一つの部屋に二人きり。淡い期待に鎮宮も心を躍らせて、二人は夏休みを待つのだった。』
小説の中では二人は両想いだ。また少し眺めて、満足してベッドに入ろうとした時だった。LINEがくる。スマホを持ち上げて送信者を確認し、今日眠れるか不安になった。
『要さんお疲れ様です』
『都合のいい日』
『確認したくて』
都合なんか陽輔くんが優先に決まってる。明日から夏休みだって言ってたな。画面に指を走らせた。
『明日からいいけど』
『一日置きでどう?』
返信はすぐにきた。
『えっ』
『嬉しいけどいいんすか』
俺はこの『嬉しい』と『いいんすか』を噛み締める。ずっと敬語だった陽輔くんがデレた。いや本人はデレているつもりはないのだろうが、俺にとっては貴重なデレだった。
『うん』
『勉強に集中したいだろ』
『うちはいつでもいいよ』
少し考えて、もう一文送った。
『俺明日休みだから』
『僕明日十五時終わりです』
『じゃあ地図送るから来て』
『分かりました』
『ありがとうございます!』
『おやすみなさい』
最後の一文も噛み締めた。友人はちらほらいるが、おやすみを交わすことは多くない。
『うんおやすみ』
そう送って、とりあえず部屋を見回した。一応片付いてはいるが、思わず机の上の本や手帳の角をぴしりと揃えてから、掃除は明日しようとベッドに入った。俺はデートというものをしたことがない。俺にとっては初デートと言える約束に、ドキドキしてなかなか寝つけなかった。
* * *
「お邪魔します」
「散らかってるけど、入って」
嘘だ。隅から隅までピカピカに掃除した。
「うわー。綺麗な部屋ですね。一人暮らし憧れるなあ」
「そこのクッションに座って。今、麦茶持ってくる」
「あっ、すみません。お構いなく」
麦茶をコップに注ぎながら、鼻歌を歌っている自分に気がついて慌ててやめる。俺にとってはデートだけど、向こうからしたらただの受験勉強だ。期待しちゃいけない。麦茶のグラスを二つ持ってローテーブルに向かうと、陽輔くんは分厚い参考書を二冊カバンから出していた。
「はい」
「ありがとうございます。参考書ってこれで合ってますかね?」
一冊は俺も使っていた参考書だ。
「うん。これ、俺も同じの持ってる。重点的に勉強したとこにマーカー引いてあるから、俺のやつ使って勉強しようか」
「いいんすか? よかった、参考書選びって大事だから、なんとなく不安だったんです」
俺はLINEに続いて言葉にも出た「いいんすか」を噛み締める。期待してはいけないのは分かってたけど、好きだと思ってしまう気持ちは止められない。それから俺たちは、俺の参考書を使って三時間ほど勉強した。門限はないと陽輔くんは言ったが、高校生じゃ親御さんも心配するだろう。切り上げようとすると、陽輔くんが話しかけてきた。
「うちの高校から帝央大目指す奴って、ほとんどいないから」
「ん? うん」
「要さんと知り合えてマジよかったです」
ドキーーーン!!
「お、おう」
必要以上に先輩風を吹かせてしまう。
「俺も、サークルとか入ってなくて、あんま交流してないから。後輩が出来て嬉しいよ」
あ。糸目。二人きりの時は心臓に悪い。
「要さん、参考書取ってあるんですか? 要さんが使った参考書、ラインが引いてあって分かりやすいです。もしよかったら、貸して貰ってもいいですか?」
「うん。そのつもりで、参考書出しておいたんだ。十二冊あるけど、重いから少しずつ持って帰る?」
「いえ。僕強いんで。まとめて持って帰れます」
ちょっとおどけて、力こぶが作られた。普段は意識していなかったが、半袖から覗く二の腕は本当に逞しかった。今日二度目のデレだ。し、心臓が持たない……。親しくなるチャンスなのに見とれてしまっていると、陽輔くんは立ち上がって俺の机に向かった。積んである参考書を、大きなボストンバッグに入れていく。
「これですよね。お借りします」
「う、うん」
「ありがとうございました。じゃあ、また明後日お願いします」
「うん。気をつけて帰って」
陽輔くんはくすりと笑った。
「ん?」
「なんかそれって。女の子に言う台詞みたいですね。僕強いんで、大丈夫です」
また力こぶが作られた。二度目だったから、俺にも余裕が生まれていた。
「そうだな。家まで送ってく?」
「駄目です。そうしたら、要さんが心配で俺も家まで送りたくなるから。エンドレスになっちゃいます」
そう言って、俺たちは顔を見合わせて笑った。勉強を教えている時は額をつき合わせていたし、今日一日でずいぶんと親しくなった気がする。玄関まで送って、俺たちは軽く手を上げて別れた。
「ありがとうございました。じゃあ要さん、おやすみなさい」
「うん。おやすみ、陽輔くん」
見送って。閉まった玄関ドアに向かって上げていた手のひらをそっと左手で包み込んで。噛み締める。初めて、好きな人と緊張しないで笑い合えた。自分を偽らずに接することが出来た。それは俺の大きな自信になった。ローテーブルを片付け、風呂に入り、心も身体もほかほかしながら机に向かう。今日は筆が乗りそうだ。
「……あれ?」
だが、手帳が見つからない。え? え? バッグの中? 思いつく限りのところを探したが、手帳はない。俺は青くなった。もしかして……陽輔くん間違えて? だがLINEで確認などしてしまったら、中身を読まれる可能性が大きい。俺は昨日とは違う意味で、眠れぬ夜を過ごしていた。
* * *
次の日、シフトは遅番で十四時からだったが、二時間も早くバイト先に着いてしまう。
「あ、お疲れ様です要さん。めちゃくちゃ早くないですか?」
昨日と変わらない態度で、漫画本を抱えた陽輔くんが出迎えてくれた。よかった。この感じは、読まれてない。
「あ、う、うん。ちょっと……出かけるついであって。早く着いちゃった」
声を潜めて耳打ちする。
「陽輔くん昨日……参考書以外の本、間違えて持っていかなかった?」
陽輔くんもひそひそ話す。
「あ、はい。黒い表紙のノートですよね。すみません。持ってきました」
「な、中!」
「え?」
思わず大きな声が出てしまってから、再び耳打ちする。
「中身……見てないよね」
陽輔くんは、ちょっと心外そうな顔をした。
「もちろんです。そんなことしません」
「あ、あ、ごめん。疑ったとかじゃなくて」
怒りを恐れて反射的に謝罪が出る。よかった。陽輔くんとの良好な友人関係まで壊したくなかった。
「いえ。休憩室のピンクのクッションの下に置いてあります。誰にも見つからないように」
「ありがとう」
一刻も早く回収しなくてはいけない。俺はそれだけ言うと、休憩室に急いだ。ピンクのクッションは、誰も使わないような部屋の隅に置かれていた。どかすと、下に俺の手帳があった。
「よかった……」
俺は安堵して深く息を吐く。最後のページを開いて確認する。七月十七日まで書いたはずだ。しっかり黙読してから、昨日書けなかった分のページも何気なくめくった。
「……え?」
頭が真っ白になった。
『七月十八日』
少し癖のある四角っぽい文字で、そう書かれているのが見えた。な、何、これ、俺の字じゃない。恐怖がわき上がるが読むことが習慣で、自然と読み進めてしまう。
『陽輔は確かめたかった。要の気持ちを。陽輔は知っていた。微笑んでみせると、要の頬がわずかに赤くなることを。』
そこまでは小説風に書いてあったが、調子を変えて赤裸々な想いがつづられる。
『要さんは、僕のことをどう思っているのか、知りたかった。だから受験勉強にかこつけた。まだ知り合ったばかりだけど、会う度に守ってあげたい気持ちが強くなる。年上の男の人にこんなことを思うのは変なのかな、って毎日悩んだ。でもこのノートのおかげで僕だけじゃないって分かって嬉しかった。もっとあなたのことを知りたい。心の中も……身体のことも。どんな風にキスするのが好きなのか、僕に教えて。要さん。』
――ガチャッ。
休憩室のドアが開く音がやけに大きく響いて、俺は跳び上がってしまった。手帳を閉じて振り返ると、陽輔くんが立っていた。後ろ手にドアを閉め、近づいてくる。一体どんな顔をして迎えたらいいのか分からずに固まっていると、陽輔くんが目の前で屈んでふわりと横髪に右手が添えられた。
「僕に教えて。要さん」
それだけささやいて、顔が近づいてくる。反射的にぎゅっとまぶたをつむって、心の中で後悔する。うわあああああああどうしようお昼ご飯餃子定食食べちゃった初キスでニンニク臭いとか思われたら絶対嫌われるうわあああああ神様ごめんなさああああああいいいいいいいいもう駄目だああああああああああうわああああああああ。唇が触れてしまうのをもの凄い罪悪感と共に待っていたけど、ぷっと噴き出す音が聞こえて目を開ける。十センチの距離で、陽輔くんがくすくすと笑っていた。
「なっ……な……」
意味不明の声を漏らすと、陽輔くんの笑みは深くなる。
「嘘ついてごめんなさい。要さん。だから、そんな泣きそうな顔しないで」
そう優しく髪を撫でられて、俺は本当に泣いてしまった。涙が一筋頬を伝う。
「ああ……本当にごめんなさい、要さん。要さんぎこちないから、恋愛にあんまり免疫ないんだろうなってのは気づいてました。困らせてごめんなさい」
涙が親指で拭われる。そして改めて、間近で甘くささやかれた。
「嫌じゃなかったら……額にキスしてもいい? 要さん」
たくさん名前が呼ばれた。こんなにいっぺんに名前を呼ばれたことなどない。誰かの友人の友人が関の山な人生だったから。陽輔くんは、俺を見てくれている。無理やりキスすることも出来たのに、それをしなかった。俺は下がっていた視線を上げて、陽輔くんと目を合わせた。
「……いいよ。額にキス、して欲しい」
目を細める笑顔がはじけて、誓いのキスみたいに敬虔な表情でそっと額にキスされた。俺は目をつむって受け入れる。また目が合って、今度は微笑み合う。俺は頬を赤らめながら、一生懸命言葉にした。
「その……俺、恋愛したことなくて。だから、ゆっくりしか応えられないけど、ちゃんと陽輔くんとつき合いたい。あの、その……好き、だから」
我ながら不器用過ぎる告白だけど、陽輔くんは笑わなかった。
「うん。俺も、要さんが好き。大好き。愛してる」
「うわああああああああああ」
顔を覆って変な声を漏らすと、それには可笑しそうに笑われた。
「要さん。要さん、心の声漏れちゃってる」
笑いながら抱き締められて、抱き締め返すべきか両手を上げてしばらく迷ってから……俺もぎゅっと抱き締めた。心の声が漏れてしまう。
「しあわせ」
「うん、僕も。要さん」
了
本棚の一番上の段に本を戻すには、俺はギリ身長が足りなかった。人手が少ない時、シフトに女の子しか入っていない時は、俺が苦労して入れていた。精一杯背伸びする。
「鎮宮さん。僕やりますよ」
後ろからひょいと腕が伸びて、中指の先っちょで押し上げていた本が、いとも簡単に本棚の一番上に戻される。俺はつま先立ちから勢い余ってつんのめり、逆に後ろに倒れそうになる。
「おっと」
柔らかく抱き留められた。
「大丈夫ですか。一番上の棚の時は、僕呼んでください」
抱き留められたままだから、つむじの辺りに息が当たる。
「あ、あっ。市井くん、さんきゅ」
俺は慌てて反転する。正面から市井くんと抱き合うような形になり、思わずその胸を押し返してつっけんどんに離れた。
「あ、あっ。ごめん! 俺、人と距離近いの、に、苦手で」
市井くんはちょっと驚いて目を見張ったあと、長身には不似合いに優しく笑った。笑うと糸目になるんだ。か……かわええ……。
「そうなんですか。すみません。今度から気をつけます」
「あ、いやっ。そんなに気にしなくても大丈夫だから!」
自分でも挙動不審だと思う。一週間前からバイト先のネットカフェに入ってきた市井くんは、俺のドタイプだった。見た目じゃなくて、中身が。俺が何かでつまずいていると、さり気なくフォローしてくれる。一週間目にしてもはや意識しかしていないのだが、カミングアウトする勇気なんかない恋人居ない歴二十年の俺には、どう接していいものやら悩みの種でもあるのだった。
「て言うか」
市井くんは、自分も五冊ほど抱えてきた漫画本を棚に戻しながら、横顔を見せて言う。
「鎮宮さんって、下の名前なんでしたっけ」
「え……要だけど」
「要さんて呼んでもいいですか? 俺のことも陽輔って呼んでください」
えっ! 何そのイベント! 嬉しい! だけど口から出たのはちぐはぐな言葉だった。
「えっ、なんで?」
「要さん、なんだか放っておけなくて。鎮宮さんて感じじゃなくて、要さんて感じ」
ズギュウウウウウウン!! 俺にとっては、心臓を打ち抜かれたような口説き文句だった。思わず、手に持っていたハードカバーの小説本を取り落とす。角が足の小指にヒットした。
「痛っ!」
「ああもう……そういうところが放っておけないんだけど」
また市井くんが糸目になる。落ちた本を拾って、俺に手渡した。
「はい。要さん」
「さ、さんきゅ。市井くん」
「陽輔」
「あ……よ、陽輔くん」
「くん付けもしなくていいんですけど。要さん、帝央大なんですよね」
「あ、うん」
「何年生ですか?」
「二年」
「じゃあ二学年先輩だ。俺、志望大学、帝央大なんです。要さんの後輩になれるの、楽しみにしてます」
なんなんだ!! 無自覚に口説かないでくれ!! 心臓が持たない!! 無言で胸を押さえてしまうと、市井くん……いや、陽輔くんは不思議そうな顔をした。
「要さん?」
「あ、あっ、うん。俺も陽輔くんが後輩になったら嬉しい」
あっ!! 俺の馬鹿馬鹿馬鹿!! つい本音を言ってしまった!! やばい、キモいって思われる!! でも陽輔くんは目を細めた。
「はい。バイトも勉強も頑張ります」
「市井くーん! 高いところお願ーい」
言葉尻に被せるように、一つ向こうの棚から女の子が声をかけてくる。
「あ、はい。今行きます」
そう言って、陽輔くんは俺に軽く会釈をして去っていった。盛り上がっていた気持ちが、急速にしぼんでいく。陽輔くんはバイト仲間の小柄な女の子にも糸目を見せて、本を受け取って高い位置に戻していた。絵になる。陽輔くんと女の子。俺だけが勝手に勘違いをしている。二十年間、ずっとそうだった。好きな人が出来ても、「気持ち悪い」と言われるのが怖くて友人の一人になることを選んできた。今回もきっとそうなるのだろう。俺は手にしたハードカバーの小説本を持って、陽輔くんに背を向けて奥の棚に向かった。
* * *
手帳を開く。その夜、俺は家で机に向かっていた。風呂にも入り、あとはもう寝るだけだ。俺には日課があった。毎日日記をつけている。一日一ページ分用意された分厚い日記兼手帳で、アナログ人間な俺は予定も全部それにつけていた。温かいハーブティーを一口飲んでから、万年筆を握る。万年筆は、二十歳の誕生日に自分で自分に買ったプレゼントだ。
『七月十六日
一週間前にバイト先に来た新人、市井陽輔くんが気になる。俺が困っているとさり気なく駆けつけて、助けてくれる。でもそれは、たぶん誰にでも優しいんだろう。今日は、「市井くん」から下の名前の「陽輔くん」と呼ぶことになった。陽輔くんは俺を「要さん」と呼ぶ。くすぐったい。』
そう日記をつづったあと、次の行にタイトルを書いた。
『運命の恋(仮)』
俺は、小説を書くのが趣味だった。創作の才能がないのは分かっていたから、私小説だ。
『出会いから一週間が経った。鎮宮が一番上の棚に戻すのを苦労していた本を容易く受け取って、市井は笑う。
「一番上の棚の時は、僕を呼んでください」
手と手が触れ合い、後ろによろけた鎮宮を市井は柔らかく抱き留める。鎮宮の心臓が高鳴った。思わず照れ隠しに突き飛ばしてしまうと、市井は驚いて目を丸くしたあと微笑んだ。
「すみません。今度から気をつけます」
市井の笑顔を初めて見た。奥二重の彼は目を細めるようにして微笑む。鎮宮は思わず見とれていた。いけないと思いつつも、市井に惹かれてしまうのを止められない鎮宮だった。』
好きな人が出来ると、俺は私小説を書く。小説の中では俺と好きな人は結ばれて、デートに行ったり甘い時間を過ごしたりする。そうやって恋愛感情をこじらせて、二十年間生きてきてしまった。その文面を少しだけ眺めて、俺は手帳を閉じた。トートバッグにしまってからベッドに潜った。夢に出てきてくれないかななんてひどくロマンティックなことを考えたが、現実はそんなに甘くなかった。
* * *
次の日、俺はバイトの休憩室でカップラーメンをすすっていた。午後八時半過ぎ。遅めの夕食休憩だ。そこへ、ノックが響く。返事をすると、陽輔くんが入ってきた。
「お疲れ様です」
「あ、お疲れ様です」
「休憩何時までですか?」
「ん? 九時までだけど」
ローテーブルを挟んで、陽輔くんは向かいに座った。仮眠もとれるよう、休憩室は絨毯敷きだった。
「僕今日はもう終わりなんですけど、ちょっと話してもいいですか?」
「えっ。うん」
俺は緊張で一瞬強ばってしまう顔を隠して、下を向いてラーメンをすすった。
「僕、帝央大志望だって言ったじゃないですか」
「うん」
「でも今の成績だと、合格率七十パーだって言われてるんです。要さん、もし、もしよかったらなんですけど、お礼はするんで勉強みて貰えませんか?」
「うわっ」
「え?」
思わず心の叫びが漏れてしまい、俺は慌てて口を覆った。うわあああああああああ何それもの凄いイベントなんですけどおおおおおお。それが俺の心の叫びだった。
「い、いや。何でもない」
陽輔くんが残念そうな顔をする。
「すみません。忙しかったら大丈夫なんで……」
「ううん! 暇! めちゃくちゃ暇!」
力説してしまうと今度は陽輔くんが不思議そうな顔をする。しまった。挙動不審だ。
「ほ、ほら、帝央大、入試問題にくせがあるから。俺でよかったら色々教えるよ」
なんとか格好をつけると、陽輔くんは嬉しそうに糸目になった。
「ありがとうございます! 明日から夏休みなんで、暇な時にお願いします」
「うん。どこでする? 図書館とかもいいけど、話が出来ないし」
俺の中での誘導尋問が始まる。どうせならこのイベント、思い切り楽しみたい。
「あ……えっと、うちに来て貰ってもいいんですけど、うち妹と同じ部屋なんで、集中出来ないんですよね」
なあああああにいいいいいい。渡りに船!!
「じゃあうちに来なよ。一人暮らしだから、遠慮しないで」
「いいんですか?」
「うん。散らかってるけど、よければ」
「ありがとうございます!」
そこでタイミングよく、俺のスマホのアラームが鳴った。休憩終わりの合図だった。
「あ、邪魔しちゃってすみません。じゃあ、よろしくお願いします」
「うん。こちらこそよろしく」
お疲れ様を言い合ってその日は別れた。仕事が始まっても、陽輔くんのことで頭の中がいっぱいだった。
* * *
手帳を開く。
『七月十七日
陽輔くんの受験勉強をみることになった。うちに来る!! どうしよう楽しみで夜しか眠れない!! 掃除しなきゃ。』
万年筆を握り直し、『運命の恋(仮)』の続きを書く。
『市井も同じ気持ちだった。鎮宮ともっと親しくなりたい。そんな願いをかけて切り出した。
「受験勉強をみて貰えませんか?」
鎮宮は快諾する。市井が、鎮宮の家に来るという。鎮宮は一人暮らしだ。一つの部屋に二人きり。淡い期待に鎮宮も心を躍らせて、二人は夏休みを待つのだった。』
小説の中では二人は両想いだ。また少し眺めて、満足してベッドに入ろうとした時だった。LINEがくる。スマホを持ち上げて送信者を確認し、今日眠れるか不安になった。
『要さんお疲れ様です』
『都合のいい日』
『確認したくて』
都合なんか陽輔くんが優先に決まってる。明日から夏休みだって言ってたな。画面に指を走らせた。
『明日からいいけど』
『一日置きでどう?』
返信はすぐにきた。
『えっ』
『嬉しいけどいいんすか』
俺はこの『嬉しい』と『いいんすか』を噛み締める。ずっと敬語だった陽輔くんがデレた。いや本人はデレているつもりはないのだろうが、俺にとっては貴重なデレだった。
『うん』
『勉強に集中したいだろ』
『うちはいつでもいいよ』
少し考えて、もう一文送った。
『俺明日休みだから』
『僕明日十五時終わりです』
『じゃあ地図送るから来て』
『分かりました』
『ありがとうございます!』
『おやすみなさい』
最後の一文も噛み締めた。友人はちらほらいるが、おやすみを交わすことは多くない。
『うんおやすみ』
そう送って、とりあえず部屋を見回した。一応片付いてはいるが、思わず机の上の本や手帳の角をぴしりと揃えてから、掃除は明日しようとベッドに入った。俺はデートというものをしたことがない。俺にとっては初デートと言える約束に、ドキドキしてなかなか寝つけなかった。
* * *
「お邪魔します」
「散らかってるけど、入って」
嘘だ。隅から隅までピカピカに掃除した。
「うわー。綺麗な部屋ですね。一人暮らし憧れるなあ」
「そこのクッションに座って。今、麦茶持ってくる」
「あっ、すみません。お構いなく」
麦茶をコップに注ぎながら、鼻歌を歌っている自分に気がついて慌ててやめる。俺にとってはデートだけど、向こうからしたらただの受験勉強だ。期待しちゃいけない。麦茶のグラスを二つ持ってローテーブルに向かうと、陽輔くんは分厚い参考書を二冊カバンから出していた。
「はい」
「ありがとうございます。参考書ってこれで合ってますかね?」
一冊は俺も使っていた参考書だ。
「うん。これ、俺も同じの持ってる。重点的に勉強したとこにマーカー引いてあるから、俺のやつ使って勉強しようか」
「いいんすか? よかった、参考書選びって大事だから、なんとなく不安だったんです」
俺はLINEに続いて言葉にも出た「いいんすか」を噛み締める。期待してはいけないのは分かってたけど、好きだと思ってしまう気持ちは止められない。それから俺たちは、俺の参考書を使って三時間ほど勉強した。門限はないと陽輔くんは言ったが、高校生じゃ親御さんも心配するだろう。切り上げようとすると、陽輔くんが話しかけてきた。
「うちの高校から帝央大目指す奴って、ほとんどいないから」
「ん? うん」
「要さんと知り合えてマジよかったです」
ドキーーーン!!
「お、おう」
必要以上に先輩風を吹かせてしまう。
「俺も、サークルとか入ってなくて、あんま交流してないから。後輩が出来て嬉しいよ」
あ。糸目。二人きりの時は心臓に悪い。
「要さん、参考書取ってあるんですか? 要さんが使った参考書、ラインが引いてあって分かりやすいです。もしよかったら、貸して貰ってもいいですか?」
「うん。そのつもりで、参考書出しておいたんだ。十二冊あるけど、重いから少しずつ持って帰る?」
「いえ。僕強いんで。まとめて持って帰れます」
ちょっとおどけて、力こぶが作られた。普段は意識していなかったが、半袖から覗く二の腕は本当に逞しかった。今日二度目のデレだ。し、心臓が持たない……。親しくなるチャンスなのに見とれてしまっていると、陽輔くんは立ち上がって俺の机に向かった。積んである参考書を、大きなボストンバッグに入れていく。
「これですよね。お借りします」
「う、うん」
「ありがとうございました。じゃあ、また明後日お願いします」
「うん。気をつけて帰って」
陽輔くんはくすりと笑った。
「ん?」
「なんかそれって。女の子に言う台詞みたいですね。僕強いんで、大丈夫です」
また力こぶが作られた。二度目だったから、俺にも余裕が生まれていた。
「そうだな。家まで送ってく?」
「駄目です。そうしたら、要さんが心配で俺も家まで送りたくなるから。エンドレスになっちゃいます」
そう言って、俺たちは顔を見合わせて笑った。勉強を教えている時は額をつき合わせていたし、今日一日でずいぶんと親しくなった気がする。玄関まで送って、俺たちは軽く手を上げて別れた。
「ありがとうございました。じゃあ要さん、おやすみなさい」
「うん。おやすみ、陽輔くん」
見送って。閉まった玄関ドアに向かって上げていた手のひらをそっと左手で包み込んで。噛み締める。初めて、好きな人と緊張しないで笑い合えた。自分を偽らずに接することが出来た。それは俺の大きな自信になった。ローテーブルを片付け、風呂に入り、心も身体もほかほかしながら机に向かう。今日は筆が乗りそうだ。
「……あれ?」
だが、手帳が見つからない。え? え? バッグの中? 思いつく限りのところを探したが、手帳はない。俺は青くなった。もしかして……陽輔くん間違えて? だがLINEで確認などしてしまったら、中身を読まれる可能性が大きい。俺は昨日とは違う意味で、眠れぬ夜を過ごしていた。
* * *
次の日、シフトは遅番で十四時からだったが、二時間も早くバイト先に着いてしまう。
「あ、お疲れ様です要さん。めちゃくちゃ早くないですか?」
昨日と変わらない態度で、漫画本を抱えた陽輔くんが出迎えてくれた。よかった。この感じは、読まれてない。
「あ、う、うん。ちょっと……出かけるついであって。早く着いちゃった」
声を潜めて耳打ちする。
「陽輔くん昨日……参考書以外の本、間違えて持っていかなかった?」
陽輔くんもひそひそ話す。
「あ、はい。黒い表紙のノートですよね。すみません。持ってきました」
「な、中!」
「え?」
思わず大きな声が出てしまってから、再び耳打ちする。
「中身……見てないよね」
陽輔くんは、ちょっと心外そうな顔をした。
「もちろんです。そんなことしません」
「あ、あ、ごめん。疑ったとかじゃなくて」
怒りを恐れて反射的に謝罪が出る。よかった。陽輔くんとの良好な友人関係まで壊したくなかった。
「いえ。休憩室のピンクのクッションの下に置いてあります。誰にも見つからないように」
「ありがとう」
一刻も早く回収しなくてはいけない。俺はそれだけ言うと、休憩室に急いだ。ピンクのクッションは、誰も使わないような部屋の隅に置かれていた。どかすと、下に俺の手帳があった。
「よかった……」
俺は安堵して深く息を吐く。最後のページを開いて確認する。七月十七日まで書いたはずだ。しっかり黙読してから、昨日書けなかった分のページも何気なくめくった。
「……え?」
頭が真っ白になった。
『七月十八日』
少し癖のある四角っぽい文字で、そう書かれているのが見えた。な、何、これ、俺の字じゃない。恐怖がわき上がるが読むことが習慣で、自然と読み進めてしまう。
『陽輔は確かめたかった。要の気持ちを。陽輔は知っていた。微笑んでみせると、要の頬がわずかに赤くなることを。』
そこまでは小説風に書いてあったが、調子を変えて赤裸々な想いがつづられる。
『要さんは、僕のことをどう思っているのか、知りたかった。だから受験勉強にかこつけた。まだ知り合ったばかりだけど、会う度に守ってあげたい気持ちが強くなる。年上の男の人にこんなことを思うのは変なのかな、って毎日悩んだ。でもこのノートのおかげで僕だけじゃないって分かって嬉しかった。もっとあなたのことを知りたい。心の中も……身体のことも。どんな風にキスするのが好きなのか、僕に教えて。要さん。』
――ガチャッ。
休憩室のドアが開く音がやけに大きく響いて、俺は跳び上がってしまった。手帳を閉じて振り返ると、陽輔くんが立っていた。後ろ手にドアを閉め、近づいてくる。一体どんな顔をして迎えたらいいのか分からずに固まっていると、陽輔くんが目の前で屈んでふわりと横髪に右手が添えられた。
「僕に教えて。要さん」
それだけささやいて、顔が近づいてくる。反射的にぎゅっとまぶたをつむって、心の中で後悔する。うわあああああああどうしようお昼ご飯餃子定食食べちゃった初キスでニンニク臭いとか思われたら絶対嫌われるうわあああああ神様ごめんなさああああああいいいいいいいいもう駄目だああああああああああうわああああああああ。唇が触れてしまうのをもの凄い罪悪感と共に待っていたけど、ぷっと噴き出す音が聞こえて目を開ける。十センチの距離で、陽輔くんがくすくすと笑っていた。
「なっ……な……」
意味不明の声を漏らすと、陽輔くんの笑みは深くなる。
「嘘ついてごめんなさい。要さん。だから、そんな泣きそうな顔しないで」
そう優しく髪を撫でられて、俺は本当に泣いてしまった。涙が一筋頬を伝う。
「ああ……本当にごめんなさい、要さん。要さんぎこちないから、恋愛にあんまり免疫ないんだろうなってのは気づいてました。困らせてごめんなさい」
涙が親指で拭われる。そして改めて、間近で甘くささやかれた。
「嫌じゃなかったら……額にキスしてもいい? 要さん」
たくさん名前が呼ばれた。こんなにいっぺんに名前を呼ばれたことなどない。誰かの友人の友人が関の山な人生だったから。陽輔くんは、俺を見てくれている。無理やりキスすることも出来たのに、それをしなかった。俺は下がっていた視線を上げて、陽輔くんと目を合わせた。
「……いいよ。額にキス、して欲しい」
目を細める笑顔がはじけて、誓いのキスみたいに敬虔な表情でそっと額にキスされた。俺は目をつむって受け入れる。また目が合って、今度は微笑み合う。俺は頬を赤らめながら、一生懸命言葉にした。
「その……俺、恋愛したことなくて。だから、ゆっくりしか応えられないけど、ちゃんと陽輔くんとつき合いたい。あの、その……好き、だから」
我ながら不器用過ぎる告白だけど、陽輔くんは笑わなかった。
「うん。俺も、要さんが好き。大好き。愛してる」
「うわああああああああああ」
顔を覆って変な声を漏らすと、それには可笑しそうに笑われた。
「要さん。要さん、心の声漏れちゃってる」
笑いながら抱き締められて、抱き締め返すべきか両手を上げてしばらく迷ってから……俺もぎゅっと抱き締めた。心の声が漏れてしまう。
「しあわせ」
「うん、僕も。要さん」
了
