クラスの中心で笑う彼女は、あの日、あの時間で止まった時計を抱きしめている

学校が終わってすぐ、僕と太陽は僕の家へと向かった。
僕の部屋に太陽を招き入れ、机を挟んで床に座る。さぁ、いよいよ作戦会議だ――と、二人で少し身構えた、その時だった。

トントン、と控えめなノックの音がして、ドアがゆっくりと開いた。

「はーい、お邪魔するわね~」

お盆を両手で持った母さんが、おっとりした笑みを浮かべて入ってきた。
今日、太陽が家に来ることをパートの休憩中にラインで送ったら、よほど嬉しかったのだろう。わざわざケーキ屋さんに寄って、ショートケーキとジュースを買ってきてくれたみたいだ。

「ちわっす!お邪魔してます、拓海君と同じクラスの松永太陽です!」

太陽はそれまでの真剣な顔から一転、慌てて姿勢を正して頭を下げた。心なしか少し緊張している。

「あら、太陽君。ご丁寧にどうも。拓海の母です」

母さんはケーキのお皿を並べながら、嬉しそうに目を細めた。

「拓海から『友達が来る』って連絡をもらった時、本当にびっくりしちゃって。この子、前の学校から転校してきてから、お家に誰も来なくて・・・だから、おばさん嬉しくなっちゃって・・・。太陽君、これからも拓海と仲良くしてやってね」

「あ、はい、もちろんです!」

太陽は大きな声を出し、それからちょっと照れくさそうに頭をかいた。

母さんが部屋を出ていった後、僕らはさっそくイチゴのショートケーキにフォークを伸ばした。

「・・・うまっ。これ、駅前の高いところのやつじゃん」

「あ、やっぱり?母さん、気合入れすぎだよ・・・」

男二人、自分の部屋で並んでケーキを食べるなんて少し奇妙な光景だけど、甘いものは張り詰めていた僕らの心を少しだけ柔らかくしてくれた。

ケーキを綺麗に平らげ、ジュースで口を潤したところで、太陽がフォークを置いて真剣な顔になる。

「で?織原と本気で向き合うって決めたのはいいけど・・・何か考えでもあるのか?」

直球の問いかけに、僕はジュースのコップを握ったまま、動きを止めた。
太陽の真っ直ぐな視線が痛い。僕はポリポリと頬を搔きながら、情けない苦笑いを浮かべた。

「あ~・・・何も思い浮かばなくて・・・」

「おい!」

「いや、だって・・・一昨日、織原さんの泣いてるの見たばっかだし、僕が何か言ったところで、時任優紀の代わりになんてなれないのは分かってるから。具体的にどうすればいいかって言われると、全然・・・」

「まぁ、そうだよな。だからこその作戦会議だろ。じゃぁ、まずは現状整理からだ」

太陽は呆れたように息を吐きながらも、頼もしくそう言ってくれた。
僕はジュースのコップを机に置き、ずっと胸に引っかかていたことを口にする。

「そういえば、太陽は時任優紀のこと知ってるんだよな?何となくはこの前聞いたけど・・・もう少し詳しく教えてくれないか?」

その名前を出した瞬間、太陽の目がわずかに細くなった。
さっきまでのどこかふざけた空気は綺麗に消え去り、太陽は静かに天井を見上げた。友達であり、そしてライバルでもあった男の姿を、記憶の底から手繰り寄せているようだった。

「優紀、か・・・」

太陽はぽつり、と呟くようにその名前を呼んだ。

「あいつはさ、一言で言うと『天才』だよ。サッカーに関しても、人としてもな。誰かも好かれて、いつもみんなの中心にいて・・・織原にとっては、幼馴染って枠をとうに超えた、光みたいな存在だったんだ」

太陽の言葉には、羨望と、少しの悔しさと、それ以上の深い愛惜が滲んでいた。

「俺もあいつの背中をずっと追いかけてた。だけど、あいつは急にいなくなっちまった。残された織原は、文字通り心がバラバラになっちまってさ。あの日から、織原の本当の笑顔は消えたんだよ」

僕はゴクリと息を呑み、静かに太陽の横顔を見つめる。いつも自信満々で、クラスの男子を引っ張っている太陽が、どこか小さく見えた。

「・・・太陽にとっても、憧れだったんだろ?」

戸惑いながらも、僕はそう言葉を紡いだ。

太陽は一瞬驚いたように目を見開いた。それから、降参したと言わんばかりに両手を軽く上げ、自嘲気味に笑った。

「ハハ・・・。おまえ、たまに鋭いとこ突いてくるよな。・・・あぁ、そうだよ。ぶっちゃけ、めちゃくちゃ憧れてたし、同時に最高のライバルだと思ってた」
太陽はあぐらをかいた膝の上に拳を置き、ぐっと力を込める。

「あいつのサッカーのセンスはピカイチだった。俺がどれだけ練習しても、あいつの背中はいつも少し先にあってさ。いつか絶対追い抜いてやるって、それだけを目標にやってたんだ。だけど・・・」

太陽は言葉を切り、今度は自分の拳をじっと見つめた。

「あいつが死んじまったら、俺はもう、一生あいつに勝てねぇだろ?追いつくことも、追い越すこともできねぇ。神格化された『天才』の幻影と、一生戦い続けなきゃいけないんだ。・・・それが、たまらなく悔しくて、寂しいんだよな」

そう語る太陽の瞳は、夕暮れの部屋の光の中で、ほんの少しだけ揺れていた。
いつも強気で、何でも器用にこなす太陽が、そんな暗闇を抱えていたなんて知らなかった。

「・・・太陽の時間も、止まったままなのかもな」

「え・・・?」

太陽が驚いたように顔を上げる。

「織原さんだけじゃなくて、太陽も。あの日からずっと、時任優紀っていう高すぎる壁の前に立ち尽くしたまま・・・時間が止まっちゃってるんじゃないのかな、って」

おこがましいかもしれない。転校してきたばかりの僕が、二人の過去を分かったような顔をして言うべきじゃないのかもしれない。
だけど、太陽の寂しそうな横顔を見ていたら、どうしても言わずにはいられなかった。

太陽は目を見開いたまま、しばらく硬直していた。
やがて、その視線がゆっくり下へ落ちる。
時計の秒針の音だけが、やけに大きく部屋に響いていた。

「・・・おまえさ」

太陽は前髪をガシガシと掻きむしりながら、深くため息をついた。

「ほんと・・・そういうの、ズケズケ言ってくるよな。・・・でも、そうかもな。俺もあいつの幻影を追いかけたまま、ずっと前に進めてないのかもしれねぇ」

太陽は少し吹っ切れたような顔で、パンッと自分の両頬を叩いて気合を入れ直した。

「よし、じゃぁ、俺たちの時間を動かすためにも、まずは織原のことからだ。本腰入れて考えるぞ」

そこからは、まさに手探りの作戦会議だった。

「まずは普通に話しかける回数を増やすか?」

「いや、あいつは器用に話を合わせちゃうから、余計に『嘘の笑顔』を作らせるだけになるかも」

「じゃぁ、時任優紀の好きだったサッカーの試合に連れ出すのは?」

「それは・・・逆効果じゃないかな。あいつにとってサッカーは、一番心が痛む場所だと思うし」

ノートに思いつく限りのアイデアを書き連ね、二人でああでもない、こうでもないと頭を悩ませる。けれど、織原さんの抱える傷の深さを思えば思うほど、どの方法も決定打にはならなかった。

気づけば、窓の外は完全に真っ暗になっていた。

「・・・あー、ダメだ!今日は頭がパンクした!」

太陽がゴロンと僕のベッドに大の字になって寝転がった。

「そう簡単にはいかないよな・・・」

僕は殴り書きでいっぱいになったノートを閉じ、小さく息を吐く。
結局、今日の作戦会議では、これといった具体的な結論は出せなかった。

「・・・でもさ、拓海」

天井を見つめたまま、太陽がぽつりと言った。

「結論は出なかったけど、俺、なんか少しスッキリしたわ。一人で考えてた時は、あいつの笑顔を見るたびに胸が苦しくなるだけだったから。おまえと話せてよかった」

「・・・うん。僕もだよ」

僕が答えると、太陽はベッドから起き上がり、ニカッと笑って「じゃ、今日は解散!また明日学校でな!」と部屋を出て行った。

机の上に残された、空になったケーキの皿とジュースのコップ。
作戦はまだ決まっていない。
けれど、僕と太陽の二つの時計の針は、確かにほんの少しだけ前に動き始めていた。