クラスの中心で笑う彼女は、あの日、あの時間で止まった時計を抱きしめている

『今日、帰りながら、少し話せないかな?』

織原さんが残したその言葉は、僕の頭の中に完全に居座ってしまった。

その後の授業の記憶は、驚くほど綺麗に抜け落ちている。
先生が黒板にチョークを走らせる音も、教科書をめくる周囲の気配も、すべてが遠い世界の出来事のようだ。

――一緒に、帰る。

ただそれだけのことが、今の僕にとっては世界の一大事だった。
自分の恋心を自覚した直後に、好きな女の子からそんな風に誘われて、平然としていられる男がいたらお目にかかりたい。

チラリと前の席に視線をやると、織原さんはいつも通り真面目に授業を受けているように見える。けれど、時折その華奢な肩がピクッと小さく揺れたり、ノートを取る手が止まったりしているのが分かった。

(・・・織原さんも、緊張してる、のかな)

そう思うだけで、僕の心臓はさらにうるさく脈打ち始める。
壁にかけられた時計の秒針が、信じられないほどに遅く進むのを睨みつけながら、僕はただひたすらに、放課後を告げるチャイムを待ち続けていた。

そして――。

キーンコーンカーンコーン・・・

ついに鳴り響いた放課後のチャイムが、僕のカウントダウンの終わりを告げた。
ホームルームが終わり、教室が一気に騒がしくなる。

「じゃーな、拓海!俺、今日はちょっと用事あるから先帰るわ!」

斜め後ろの席から、太陽がわざとらしいほど明るい声でバッグを肩にかけた。すれ違いざま、僕にだけ見えるようにニヤリと片目を瞑ってみせる。

(あいつ・・・)

ありがたい反面、逃げ道が完全に塞がれたことに気づいて喉が鳴る。
太陽が教室を出て行くのを見送ってから、僕は意を決して、ゆっくりと立ち上がった。

前の席では、織原さんもすでに帰る支度を終えて、じっと僕が動くのを待っていた。

「・・・帰ろうか、織原さん」

「うん、帰ろう。瀬戸君」

呼びかける声すら少し震えてしまったけれど、織原さんは優しく微笑んで頷いてくれた。
クラスメイトたちの賑やかな声を背に受けながら、僕たちは並んで教室を後にした。

昇降口を出ると、外はあいにくの雨模様だった。
アスファルトを叩く雨音が、僕たちの間の沈黙を埋めるように静かに響いている。

「・・・結構、降ってきたね」

「そうだね。織原さん、濡れないように気を付けてね」

それぞれの傘を差して、僕たちは校門を出て並んで歩き出す。
傘のせいで、お互いの顔はすぐには見えない。
けれど、一歩足を進めるたびに、織原さんの差す傘と僕の傘のフチが、時折かすかに擦れ合って小さな音を立てる。
そのたびに、肩が触れ合っているかのような錯覚に陥って、心臓が跳ね上がった。

何を話せばいいのか分からないまま、雨の音だけが二人を包み込んだ。
織原さんが「話したいこと」って、一体何なんだろう。
昨日のことだろうか。それとも、僕の朝の態度のことだろうか・・・?

ぐるぐるとそんな思考を巡らせながら、慣れ親しんだ通学路を進んでいく。

やがて、前方に押しボタン式の信号機が見えてきた。

赤に変わった信号の手前で、僕たちの足が自然と止まる。
激しく行き交う車の水しぶきと、容赦なく降り続く雨。

――ここは、あの場所だ。

かつて、時任君が事故に遭った、あの交差点。

太陽と織原さん、それから僕の心に消えない影を落とし続けている、すべての始まりの場所。

傘の隙間から見上げた赤信号の光が、雨粒に滲んで、まるで誰かの涙のように赤々と僕たちを照らしていた。
織原さんは傘を少し傾けると、じっとその交差点を見つめたまま、小さく息を呑んだ。