クラスの中心で笑う彼女は、あの日、あの時間で止まった時計を抱きしめている

結局、僕は二人に声をかけることができなかった。

いつもの僕なら、何も気にせず「何してんだよ」と笑いながら歩み寄れたはずなのに。今の僕の足は、まるで地面に縫い付けられたかのように重く、一歩も前へ進まなかった。

赤く染まる交差点の前で、親しげに笑い合う太陽と織原さん。
その眩しすぎる光景から逃げるように、僕はそっと踵(きびす)を返した。

交差点を避けて、いつもは通らない裏手の細い路地へと回る。
住宅街の影に沈んだ、少し薄暗遠回りの帰り道。
自分の足音だけがやけに大きく響く中、さっき目撃した二人の笑顔が、どうしても頭の裏側から離れてくれなかった。

太陽は、織原さんと何を話していたんだろう。
織原さんは、どうしてあんなに嬉しそうに笑っていたんだろう。

考えれば考えるほど、胸の奥のモヤモヤは形を変えて、じわじわと苦い痛みに変わっていく。

「・・・何やってんだ、僕は」

ぽつりと溢れた自嘲気味な呟きは、誰に届くこともなく夕闇に消えた。
誰かの真っ直ぐな想いを突っぱねておいて、自分はこんな風に、勝手に他人の距離感に嫉妬している。そんな自分が、ひどく格好悪くて仕方がなかった。

逃げるようにして家に着き、自分の部屋へと駆け込む。ベッドに泥のように寝転がって天井を見つめていると、ポケットの中でスマホが短く震えた。

画面を見れば、通知欄に表示されたのは『太陽』の名前。
いつもならすぐに開くはずのメッセージなのに、今の僕はどうしてもそれをタップする気になれなかった。

『今日さ、織原と――』

ポップアップで一瞬だけ見えたその文字に、心臓が嫌な跳ね方をする。
続きを見るのが怖くて、僕は画面を伏せたまま、そっと目を閉じた。

翌朝、少し寝不足の頭を抱えながら登校すると、下駄箱の近くで太陽が待ち構えていた。

「あ、拓海!おまえさ、昨日何でLINE返してくれなかったんだよ。珍しいな」

いつも通りの、屈託のない明るい声。
いつもなら「寝てたわ」とでも言って笑い飛ばせるはずなのに、昨日の二人の笑顔がフラッシュバックして、胸の奥がちくりと刺さる。

「・・・別に。ちょっと疲れてて、すぐ寝ただけだよ」

意識して、いつもより少し低い声を出してしまった。自分でも驚くほど冷めたトーンに、太陽が「え?」と少し戸惑ったように眉をひそめる。

「おはよー、二人とも!」

そこへ、後ろから弾んだ声が響いた。
振り返ると、いつもと変わらない眩しい笑顔を浮かべた織原さんが立っている。

「あ、織原、おはよ」

太陽の挨拶を余所に、織原さんは僕の方を真っ直ぐに見つめてきた。その綺麗な瞳と目が合った瞬間、昨日廊下で彼女を思い浮かべた記憶が蘇り、急に息が苦しくなる。

「瀬戸君、おはよう!今日も一日、お互い頑張ろうね」

「・・・うん、そうだね」

突き放すような、素っ気ない一言。
織原さんの笑顔が、一瞬だけ悲しそうに曇ったのが分かった。

「じゃぁ、僕、教室行くから」

二人の視線から逃げるように、僕は足早にその場を立ち去った。

背後から追ってくる気まずい沈黙を背中で受け止めながら、階段を駆け上がる。
教室の自分の席に座り、机に突っ伏した瞬間、激しい後悔が波のように押し寄せてきた。

――何やってるんだ、本当に。

太陽も、織原さんも、何も悪くない。ただ普通に挨拶をしてくれただけなのに。
自分の勝手なモヤモヤのせいで、大切な友達と、あんなに優しくしてくれる彼女を傷つけるような態度をとってしまった。

自分の器の小ささと格好悪さに、僕はただ、一人の教室で激しく頭を抱えることしかできなかった。

結局、午前中の授業はまったく頭に入ってこなかった。
昼休みを告げるチャイムが鳴ってもお弁当を食べる気分にはなれず、僕は教室の喧騒から逃げるように、一人で体育館裏へと向かった。

壁に背中を預け、コンクリートの地面をじっと見つめる。

――あんな態度をとられたら、誰だって嫌な気分になるに決まっている。

自分の狭い器の小ささに、ため息さえ出てこない。

「・・・やっぱり、ここにいたか」

突然、上から降ってきた声に心臓が跳ね上がった。
驚いて顔を上げると、そこには心配そうな顔をした太陽が立っていた。手には、購買のパンと炭酸飲料のペットボトルにが握られている。

「太陽・・・」

「おまえ、昼飯も食わずにどっか行くからさ。なんかあったのかと思って」

隣に並んで壁に寄りかかる太陽は、怒る様子もなく、ただ純粋に僕の体調や様子を気遣ってくれていた。その変わらない優しさが、今の僕にはひどく眩しくて、同時に申し訳なさで胸が押し潰されそうになる。

「あ、いや・・・」

僕はぎゅっと拳を握りしめ、喉の奥に引っかかっていた言葉を、絞り出すようにして口にした。

「・・・ごめん。朝、あんな冷たい態度とって。太陽も、織原さんも、何も悪くないのに・・・僕が勝手に、どうかしてたんだ」

逃げずにちゃんと謝らなきゃいけない。それだけは必死だった。
太陽は一瞬だけ丸く目を見開いたけれど、すぐにいつもの穏やかな表情に戻って、ふっと小さく笑った。

「なんだよ、気にしてたのか。別に怒ってねぇよ。おまえが体調悪いんじゃねぇかって、そっちの方が心配だったし」

「太陽・・・」

本当にどこまでもいい奴だ。
それなのに、僕はそんな友達にくだらない嫉妬をして、勝手に距離を置こうとしていた。

救われたような気持ちと、自分の情けなさにまた俯きそうになった時、太陽が少しだけ言いにくそうに、視線を泳がせた。

「・・・たださ、その。怒ってはないんだけど、ちょっと気になることがあって」

「え?」

太陽のトーンが、少しだけ真剣なものに変わる。彼は手元のペットボトルのラベルを意味もなく指先でなぞりならがら、戸惑いを隠せない様子で言葉を繋いだ。

「実は昨日さ・・・織原に呼び止められて、ちょっと話したんだよ」

ドクン、と心臓が大きく波打った。

「そしたら、織原がさ・・・」

太陽はそこで一度言葉を切り、どこか複雑な、困ったような視線を僕に向けてきた。