翌朝、すっきりと晴れ渡った青空の下を、僕は一人で学校へと向かって歩いていた。
心なしか、いつもより足取りが軽い気がする。昨日の放課後、夕暮れの教室で織原さんと交わした言葉が、今も胸の奥をじんわりと温めているからだ。
――『ありがとう、瀬戸君』
思い出すだけで少し気恥ずかしくて、僕は鞄の紐をぎゅっと握り直した。
「おーい、拓海!」
後ろから聞き慣れた明るい声がして、振り返ると、太陽が走ってくる姿が見えた。
「おまえ、今日ちょっと足早えよ。追いつくの大変だったわ」
太陽は白い歯を見せて笑いながら、僕の隣に並ぶ。そして、周囲に他の生徒がいないのを確認するように少し声を潜めて僕の顔を覗き込んできた。その瞳には、はっきりと僕を気遣う色が浮かんでいる。
「・・・昨日の放課後、織原と何か話したか?」
直球だけど、静かで、心配そうな太陽の問いかけに、僕は小さく息を呑んだ。
やっぱり、太陽は僕たちのことをずっと心配してくれていたんだ。隠す必要なんてないし、何より、僕自身の口からちゃんと伝えたかった。
「うん。・・・織原さんの方から、話しかけてくれてさ」
僕は歩みを緩めず、でも少しだけ声を和らげて続けた。
「ちゃんと今の気持ちを伝てくれたんだ。答えはまだ出せてないけど、僕の言葉が頭から離れなかった、って。・・・だから、僕も一昨日の強い言い方になっちゃったこと、謝れたよ」
そこまで一気に話すと、僕の胸の中に残っていたトゲが、すっと消えていくような感覚があった。
「そっか。・・・良かったな、拓海」
隣を歩く太陽を見る。
太陽は僕の言葉を一つ一つ噛みしめるように聞いた後、それまでの張り詰めていた表情をふっと緩めた。心底ホッとしたような、柔らかい笑顔がそこにあった。
「実はさ、織原から『瀬戸君ともう一度話がしたい』って、聞いてて。・・・だから、ちゃんと話せたのか心配してたんだけど、その様子なら、大丈夫そうだな」
「え、織原さんがそんなことを?」
驚いて太陽を見返すと、太陽は「おう」と短く頷いて、前を向いた。
織原さんは僕の前に立つ前から、勇気を振り絞ろうとしてくれていたんだ。太陽にそう打ち明けるくらい、必死に僕との関わりを諦めないでいてくれた。その事実が、僕の胸を静かに激しく揺さぶる。
「ありがとな、太陽。あと・・・心配かけて、ごめん」
「気にするなって。ほら、早く行かねーと遅刻するぞ」
太陽はガシガシと自分の頭を掻きながら、走り出した。
僕も太陽を追いかけるように走り出す。校門をくぐり、下駄箱で靴を履き替える。階段を上りながらも、僕の心臓は少しずつ高鳴っていった。
昨日、あの夕暮れの教室で『ありがとう、瀬戸君』と言って微笑んだ彼女は、今朝、どんな顔をして席に座っているだろうか。
そんな期待と少しの緊張を胸に抱きながら、僕たちは教室へと向かって歩みを進めた。
――ガララ。
教室の引き戸を開けると、朝の賑やかな喧騒が僕たちを迎えた。
真っ先に視線が向かったのは――彼女の席だ。
織原さんはすでに登校していて、いつものように周りの友達と楽しそうに談笑していた。その姿は、一見するといつも通りの「完璧で、誰にでも優しい織原さん」に見える。
だけど、僕と太陽が教室に入ってきたのが見えた瞬間、彼女の動きがピタリと止まった。
彼女は友達との会話を小さく区切り、こちらを振り返る。
そして、僕たちの姿をその瞳に移した瞬間、彼女の表情がふわりと綻んだ。
「あ、瀬戸君、太陽。おはよう!」
向けられたのは、いつも見せる完璧に整えられた仮面の笑顔じゃなかった。
どこか照れくさそうで、でも、僕たちをここから歓迎してくれているような、昨日あの夕暮れの教室で見せてくれたものに近い、少し違う笑顔。
(・・・あ)
ドクン、と心臓が大きな音を立てた。
クラスの誰も気づいていない。僕と太陽だけに見せた、彼女の本当の笑顔。
朝の光を浴びて挨拶をしてくれる彼女が、一昨日までよりずっと近くに感じられて、僕は言葉に詰まりそうになるのを必死に堪えた。
「・・・っ、おはよう、織原さん」
僕が言葉に詰まりながらも何とか返すと、横にいた太陽も一瞬、目を見開いて驚いたような顔をした。いつも織原さんの近くにいた太陽だからこそ、今の笑顔がどれだけ特別で、珍しいものなのかが分かったのだろう。
だけど、太陽はすぐにいつもの頼もしい笑みを浮かべ、片手を軽く挙げた。
「おう、織原。おはよう」
いつも通りのぶっきらぼうな挨拶。だけど、その声はどこか温かい。
そのまま自分の席へと歩き出す途中で、太陽が不意にこちらを振り返り、僕と視線がぶつかった。
(・・・見たか、拓海)
(あぁ・・・見た。びっくりした・・・)
そんな会話が、視線だけで完全に成立していた。
太陽は僕の呆然としたマヌケな顔を見て、小さく吹き出すように鼻で笑うと、自分の席へとついて鞄を置いた。
僕も自分の席に腰を下ろし、教科書を取り出す。
前をそっと盗み見ると、織原さんはまた友達との会話に戻っていたけれど、心なしか、その背中はいつもより少しだけ軽やかそうに見えた。
一歩、前に進めたんだ。
そう実感すると、胸の奥がじんわりと熱くなる。
だけど、そんな僕の浮き立った心を、放課後前の休み時間、太陽の引き締まった声が静かに引き戻した。
「なぁ、拓海。ちょっといいか?」
僕の席に歩み寄ってきた太陽は、朝のあの安堵した表情とは打って変わって、どこか真剣な、鋭い目をしていた。
「織原とのことが一段落したから、今度は、俺がずっと気になってたこと聞いていいか?」
「え・・・?何、太陽」
改まった太陽のトーンに、僕の背筋がわずかに伸びる。
太陽は腕を組み、一つ息を吐くと、真っ直ぐに僕を見据えていった。
「一昨日の昼休みのミニゲームのことなんだけどさ。・・・おまえ、あの時、自分のプレーが誰に似てたか分かっててやったのか?」
「――え?」
太陽のその問いかけに、ドクン、と心臓が跳ね上がった。
頭の中に、昨日、織原さんから言われた「瀬戸君のプレーを見てたら・・・優紀と重なっちゃったの」という言葉が強烈に蘇り、僕は激しい動揺を隠せなくなる。
心なしか、いつもより足取りが軽い気がする。昨日の放課後、夕暮れの教室で織原さんと交わした言葉が、今も胸の奥をじんわりと温めているからだ。
――『ありがとう、瀬戸君』
思い出すだけで少し気恥ずかしくて、僕は鞄の紐をぎゅっと握り直した。
「おーい、拓海!」
後ろから聞き慣れた明るい声がして、振り返ると、太陽が走ってくる姿が見えた。
「おまえ、今日ちょっと足早えよ。追いつくの大変だったわ」
太陽は白い歯を見せて笑いながら、僕の隣に並ぶ。そして、周囲に他の生徒がいないのを確認するように少し声を潜めて僕の顔を覗き込んできた。その瞳には、はっきりと僕を気遣う色が浮かんでいる。
「・・・昨日の放課後、織原と何か話したか?」
直球だけど、静かで、心配そうな太陽の問いかけに、僕は小さく息を呑んだ。
やっぱり、太陽は僕たちのことをずっと心配してくれていたんだ。隠す必要なんてないし、何より、僕自身の口からちゃんと伝えたかった。
「うん。・・・織原さんの方から、話しかけてくれてさ」
僕は歩みを緩めず、でも少しだけ声を和らげて続けた。
「ちゃんと今の気持ちを伝てくれたんだ。答えはまだ出せてないけど、僕の言葉が頭から離れなかった、って。・・・だから、僕も一昨日の強い言い方になっちゃったこと、謝れたよ」
そこまで一気に話すと、僕の胸の中に残っていたトゲが、すっと消えていくような感覚があった。
「そっか。・・・良かったな、拓海」
隣を歩く太陽を見る。
太陽は僕の言葉を一つ一つ噛みしめるように聞いた後、それまでの張り詰めていた表情をふっと緩めた。心底ホッとしたような、柔らかい笑顔がそこにあった。
「実はさ、織原から『瀬戸君ともう一度話がしたい』って、聞いてて。・・・だから、ちゃんと話せたのか心配してたんだけど、その様子なら、大丈夫そうだな」
「え、織原さんがそんなことを?」
驚いて太陽を見返すと、太陽は「おう」と短く頷いて、前を向いた。
織原さんは僕の前に立つ前から、勇気を振り絞ろうとしてくれていたんだ。太陽にそう打ち明けるくらい、必死に僕との関わりを諦めないでいてくれた。その事実が、僕の胸を静かに激しく揺さぶる。
「ありがとな、太陽。あと・・・心配かけて、ごめん」
「気にするなって。ほら、早く行かねーと遅刻するぞ」
太陽はガシガシと自分の頭を掻きながら、走り出した。
僕も太陽を追いかけるように走り出す。校門をくぐり、下駄箱で靴を履き替える。階段を上りながらも、僕の心臓は少しずつ高鳴っていった。
昨日、あの夕暮れの教室で『ありがとう、瀬戸君』と言って微笑んだ彼女は、今朝、どんな顔をして席に座っているだろうか。
そんな期待と少しの緊張を胸に抱きながら、僕たちは教室へと向かって歩みを進めた。
――ガララ。
教室の引き戸を開けると、朝の賑やかな喧騒が僕たちを迎えた。
真っ先に視線が向かったのは――彼女の席だ。
織原さんはすでに登校していて、いつものように周りの友達と楽しそうに談笑していた。その姿は、一見するといつも通りの「完璧で、誰にでも優しい織原さん」に見える。
だけど、僕と太陽が教室に入ってきたのが見えた瞬間、彼女の動きがピタリと止まった。
彼女は友達との会話を小さく区切り、こちらを振り返る。
そして、僕たちの姿をその瞳に移した瞬間、彼女の表情がふわりと綻んだ。
「あ、瀬戸君、太陽。おはよう!」
向けられたのは、いつも見せる完璧に整えられた仮面の笑顔じゃなかった。
どこか照れくさそうで、でも、僕たちをここから歓迎してくれているような、昨日あの夕暮れの教室で見せてくれたものに近い、少し違う笑顔。
(・・・あ)
ドクン、と心臓が大きな音を立てた。
クラスの誰も気づいていない。僕と太陽だけに見せた、彼女の本当の笑顔。
朝の光を浴びて挨拶をしてくれる彼女が、一昨日までよりずっと近くに感じられて、僕は言葉に詰まりそうになるのを必死に堪えた。
「・・・っ、おはよう、織原さん」
僕が言葉に詰まりながらも何とか返すと、横にいた太陽も一瞬、目を見開いて驚いたような顔をした。いつも織原さんの近くにいた太陽だからこそ、今の笑顔がどれだけ特別で、珍しいものなのかが分かったのだろう。
だけど、太陽はすぐにいつもの頼もしい笑みを浮かべ、片手を軽く挙げた。
「おう、織原。おはよう」
いつも通りのぶっきらぼうな挨拶。だけど、その声はどこか温かい。
そのまま自分の席へと歩き出す途中で、太陽が不意にこちらを振り返り、僕と視線がぶつかった。
(・・・見たか、拓海)
(あぁ・・・見た。びっくりした・・・)
そんな会話が、視線だけで完全に成立していた。
太陽は僕の呆然としたマヌケな顔を見て、小さく吹き出すように鼻で笑うと、自分の席へとついて鞄を置いた。
僕も自分の席に腰を下ろし、教科書を取り出す。
前をそっと盗み見ると、織原さんはまた友達との会話に戻っていたけれど、心なしか、その背中はいつもより少しだけ軽やかそうに見えた。
一歩、前に進めたんだ。
そう実感すると、胸の奥がじんわりと熱くなる。
だけど、そんな僕の浮き立った心を、放課後前の休み時間、太陽の引き締まった声が静かに引き戻した。
「なぁ、拓海。ちょっといいか?」
僕の席に歩み寄ってきた太陽は、朝のあの安堵した表情とは打って変わって、どこか真剣な、鋭い目をしていた。
「織原とのことが一段落したから、今度は、俺がずっと気になってたこと聞いていいか?」
「え・・・?何、太陽」
改まった太陽のトーンに、僕の背筋がわずかに伸びる。
太陽は腕を組み、一つ息を吐くと、真っ直ぐに僕を見据えていった。
「一昨日の昼休みのミニゲームのことなんだけどさ。・・・おまえ、あの時、自分のプレーが誰に似てたか分かっててやったのか?」
「――え?」
太陽のその問いかけに、ドクン、と心臓が跳ね上がった。
頭の中に、昨日、織原さんから言われた「瀬戸君のプレーを見てたら・・・優紀と重なっちゃったの」という言葉が強烈に蘇り、僕は激しい動揺を隠せなくなる。
