クラスの中心で笑う彼女は、あの日、あの時間で止まった時計を抱きしめている

朝の予鈴で織原さんと視線が切れてから、4時間目が終わるまで、僕の頭はどこか落ち着かなかった。
授業中、前の席にある彼女の背中が、いつもより小さく、強張っているように見える。昨日の放課後、僕に「また、明日」と言って泣きそうに帰っていった彼女の姿が、どうしても頭から離れなかった。

――キーンコーンカーンコーン。

昼休みのチャイムが鳴り響く。
昼休みに何か言われるだろうか、と身構えた瞬間、僕の机の周りに騒がしい足音が押し寄せた。

「瀬戸!今日もグラウンド行くぞ!」

「昨日のリベンジさせろって、他のクラスの連中も待ってるんだよ!」

引きずられるように席を立ちながら、僕はさりげなく織原さんの方を見た。
彼女はお弁当箱を取り出しかけたまま、じっとこちらを見つめている。何かを言いたげに、縋るような熱を帯びた彼女の視線が、痛いくらいに刺さった。

(・・・織原さんの視線が気になるのに、動けないな)

グラウンドでボールを追いかけていても、どこか集中しきれなかった。
他のクラスの人たちにも囲まれて身動きが取れない中、ふと校舎の窓を見上げる。3階の窓際から、こちらをじっと見下ろしている織原さんの姿が小さく見えた。
どうしてあんなに僕のことを見ているんだろう。この間の言葉を怒っているのか、それとも――。

結局、昼休みも、その後の短い休み時間も、僕を離さないクラスの人たちの輪に阻まれ、織原さんとまともに近づくことすらできないまま時間は無情に過ぎていた。

――そして、放課後。

終礼のチャイムが鳴り響く。
クラスメイトたちが部活や下校のために次々と教室を出て行き、喧騒が引いていく。

夕陽が教室の床に長い影を落とす中、僕はあえてゆっくりと鞄に教科書を詰めながら、前に座る彼女の様子を伺っていた。

――ガタタッ。

静まり返った教室に、少し大きな椅子の音が響いた。
びっくりして視線を上げると、前の席で織原さんが意を決したように立ち上がったところだった。

彼女はゆっくりと僕の方を振り向く。
鞄の紐をちぎれそうなくらい強く握りしめているその手は、かすかに震えていた。だけど、僕を見つめるその瞳には、朝からずっと感じていたのと同じ、いや、それ以上に強くて確かな熱が宿っている。

「・・・瀬戸君」

夕陽が差し込む教室の真ん中で、彼女は僕の目を真っ直ぐに見つめ、声を絞り出した。

「少し・・・話がしたい」

その声は小さかったけれど、僕の胸の奥に、驚くほど真っ直ぐに届いた。
朝からクラスの男子に囲まれて、ずっと彼女の視線が気になって仕方がなかった。何を言われるんだろうって、少し怖くもあった。
だけど、逃げずに僕に向き合おうとしてくれている彼女を見て、僕の腹も決まった。

僕は詰めかけていた教科書の手を止め、鞄を机に置いた。

「うん。・・・話そう、織原さん」

僕がそう言うと、織原さんは少しだけホッとしたように肩の力を抜いた。だけど、その表情はまだ緊張で硬いままだ。
夕陽が彼女の横顔を赤く染めている。彼女は、一つ、深く息を吸い込んでから、ぽつり、ぽつりと静かに言葉を溢れさせ始めた。

「・・・まずは、昨日の昼休みのミニゲームのこと。・・・瀬戸君のプレーを見てたら・・・優紀と重なっちゃったの。パスの出し方とか、タイミングとか・・・首の振り方まで、あまりにも似てて。・・・それで、頭が真っ白になっちゃって」

織原さんの口から溢れた、時任君の名前。
彼女は僕の中に、どうしても時任君の幻影を探してしまう自分に苦しんでいるようだった。

だけど、彼女の話はそこでは終わらなかった。
織原さんはさらに一歩、僕の方へと近づく。

「・・・それでね。その後、ずっと考えてたの。――一昨日の放課後、瀬戸君が私に言ってくれた言葉のこと」

――一昨日、この教室で、感情を抑えきれずに彼女にぶつけてしまったあの言葉。

『もう前を向いて笑っていいんだ』

あの時、彼女は言葉を失って、泣き崩れてしまったけれど、彼女はあの言葉をずっと、胸の中に抱えていたんだ。
彼女はその言葉を拒絶するためにここに来たわけじゃない――そんな気がした。

「あの時、私・・・」

織原さんは一度言葉を区切り、ぎゅっと胸元を掴んだ。まるで、そこに押し込めていた本音を一つずつ確かめるように。

「本当に笑ってもいいの?って、何度も何度も自分に問いただした。優紀を置いて、私だけが前に進んでいいのかなって・・・。その答えは、まだ出せていない。出せていないけど・・・でも、あの時の瀬戸君の言葉が、ずっと頭から離れないんだ」

夕陽に照らされた彼女の瞳から、一筋の涙が溢れて、頬を伝い落ちた。
だけど、彼女は視線を逸らさず、僕を真っ直ぐに見つめ続けている。

「私、まだ怖いよ。でも・・・瀬戸君ともう一度、ちゃんと話したいって思ったの」

胸が、締め付けられるように熱くなった。
答えが出なくて、怖くて、それでも織原さんは、僕の言葉をずっと胸に抱えて苦しんで、考えて、そうして今、僕の前に立ってくれている。

一昨日の僕の言葉は、無責任に彼女の過去を否定するものじゃなかっただろうか。そんな不安が、彼女の涙と、その奥にある強い光を見た瞬間に消え去っていった。

「織原さん・・・」

彼女の涙が夕陽にきらめくのを見つめながら、僕はゆっくりと言葉を紡ぎ出した。
朝からずっと、クラスの男子の輪越しに彼女の視線を感じていた。そのたびに、僕の胸も同じようにせめぎ合っていた。

「・・・僕も、織原さんと話したいって思ってた。だけど・・・一昨日のこともあるから、僕から話しかけない方がいいのかなって思ってて」

声をかけることで、また彼女を苦しませてしまうんじゃないか。そう思ったら、どうしても足が一歩踏み出せなかった。
だけど、目の前の彼女は、震えながらも自分の足で僕の前に立ってくれている。

「でも、こうして織原さんの方から話しかけてくれて、今思っていることを話してくれて・・・」

僕は少しだけ視線を落とし、それから、もう一度彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ直した。

「不謹慎かもしれないけど・・・。すごく嬉しく思ってる」

あいつ――時任君のことで、今もこんなに苦しんでいる彼女に対して「嬉しい」なんて言うのは、間違っているのかもしれない。
だけど、それが僕の偽らざる本音だった。
織原さんが僕の言葉をちゃんと胸に留めて、迷いながらも、もう一度向き合おうとしてくれたことが、たまらなく愛おしくて、嬉しかった。

僕の言葉を聞いた織原さんは、溢れそうだった涙を引っ込めるように、驚いた顔でパチリと瞬きをした。
夕陽に照らされた彼女の瞳が、小さく揺れている。

沈黙が、オレンジ色に染まった教室を優しく満たしていく。
僕は彼女の涙をこれ以上溢れさせたくなくて、そして、自分の不器用な言葉を少し気恥ずかしく思って、小さく息を吐いた。

「・・・一昨日は、あんな強い言い方しちゃって、ごめん」

ずっと胸につかえていたお詫びを、ようやく口にすることができた。
すると、織原さんは濡れた目元のまま、ふわりと、あの日僕が惹きつけられたあの優しい笑顔を少しだけ覗かせた。

「・・・ううん。ありがとう、瀬戸君」

その声は、夕暮れの教室に静かに溶けていった。
止まっていた彼女の時計が、確かに小さな音を立てて、新しく刻み始めたような気がした。