【短】もう夏休みが終わるから




 潮のにおいや、磯の香りが風に乗って届く。

 地平線が見え始め、空がいつもより大きく、高く感じられる。

 藍と橙が混ざりあって、濃淡の差を作っている。

 涼と幸太は自転車とともに浜辺に下り、段差になっているところに隣同士で腰を下ろした。


「夏休み、よく遊びに行ったよな。スイカ割りとか傑作だったし。でも、今年は遊びに来れなくて残念」

「最近来た。先月」


 明るく話していた幸太の笑みが途切れた。


「……やっぱり、そういうこと?」

「そういうことって」

「俺へのプレゼントじゃないんだよなってこと」

「……ああ」


 涼は幸太のほうは向かずに、押し寄せる波を見ながら、きっぱりと言った。


「約束したからな。先月、『夏休み中に返事する』って」

「…………」

「幸太に、告白されたときに」


 涼の横顔を眺めていた幸太は、さっと視線をそらした。涼とは反対側の横を向いて、硬い声音で返事をする。


「……言った。でも」


 横を向いたままの幸太を見つめて、涼は続きを待った。


「でも、そんなガチトーンじゃなくてもいいだろ」

「なら質問したい。幸太はガチなんだろ」

「うん」

「だったら、俺もガチだ」


 涼は近くに落ちていた小さい貝殻を拾った。手のひらでころころと転がしてから、またもとの場所へ戻した。


「……それに、幸太に好きって言われたのは、……ほかの誰かに言われたのと違う気がした」

「違う、って……」

「ありきたりだが、特別な感じがした」


 幸太は乾いた笑いを浮かべた。

 肩があがって、下がる。幸太は横を向いたままだ。


「――気付いたら好きだった」

「……幸太?」

「そういう、なんの説得力もないきっかけなのに?」


 涼はふっと息をはいた。


「そのほうが自然だろ」

「……まあ、それは……そうだけど」


 声を小さくしながら幸太が言う。

 涼は波打ち際に視線を戻した。規則正しい波音に耳をかたむけていると、唐突に幸太が大きくため息をつき、ぱしっと頬を叩く音が聞こえた。


「あーもうっ、いいや!」


 幸太は立ち上がると、強引に涼の視界に入った。


「涼ちゃん、もっかい言ったほうがいい?」

「……任せる。そういうのって、心の準備とかいらないのか」

「いらないよ。何回でも言える。だってほんとのことだし」


 好きだもん、涼ちゃんのこと。

 幸太は、今度は屈託なく笑った。咳払いをして、ちらりと地面に目を落として、左手で右手に触れてから、



「俺、涼ちゃんのことが好きです。付き合ってください」




 これまでにないほどまっすぐな視線を、涼は直視できなかった。それでも、涼は顔を上げて、幸太としっかり向き合った。


「はっきり言うと、まだ分からない」


 幸太は紡がれる涼の言葉に集中する。


「正直、彼女はいたけど恋愛としての好きはまだぴんと来てない」

「一ヶ月待たせといて、また保留?」

「そうじゃない」


 涼は座ったまま、自分の膝の上にのせた手のひらを見つめた。


「今日、半日くらい使ってたくさんの場所回って、なんとなく分かった」


 手のひらから足元に視線を移す。


「幸太と中学校行って、山行って、バス停行って、海も来て、……どこ行っても、幸太との思い出ばっかり浮かんだ」

「……うん」

「ずっと一人で騒いでたし、バカなことやってた。そういうところが、昔からずっと変わってなかった」


 涼はそこで言葉を区切る。沈みゆく夕日に照らされて、二人の影が伸びていた。


「いろんな思い出見に来たのに、幸太との思い出を見に来たみたいだった。今日も、そうだった。ずっと幸太と一緒にいた」


 昼間の熱を残したままの砂が、風で動く。


「ここ来る前は、大学行ったら離れるんだろうなとか、夏休み終わったらこういうのも終わりかなとか、考えてた。仕方ないし、それでもよかった。でも、ここ来てから、よくないなって思った」


 幸太は、一つ一つ言葉にしていく涼を黙って見ていた。


「誰よりも幸太が特別だって思った。ていうか、そうじゃないと説明がつかなかった。――だから、付き合いたい」


 水平線には面積を増した深い紫や群青色が、燃えるような橙にじんわりと染み込んでいる。



「好きかどうかはこれから考える。だから、こちらこそ、――俺と付き合ってくれないか」



 ひときわ大きく風が吹いて、二人の間を通り抜けていった。

 幸太はしゃがみ込むと、膝に顔を埋める。


「……なんだよそれ……んな順番めちゃくちゃな……」

「それは……」

「普通は好きだから付き合うのに」

「……悪い」


 そのまま微動だにしない幸太に、涼は近寄る。同じくしゃがむと、幸太はわずかに涼のほうを向いた。


「どうかしたのか」

「いや……」


 幸太はくしゃりと顔を歪めた。


「なんか、めっちゃ嬉しいことあったのに、……俺のこと話してた涼ちゃんが笑ってたからさ、」

「……そうだったか」

「そうだよ。涼ちゃん、いつもはそんな感じじゃないのに」


 幸太はぎこちなく上目遣いで涼を見る。涼は立ち上がった。


「なんでだろうな。……それも含めてこれから考える」


 幸太が立ち上がるのを待ってから、二人は止めてあった自転車のもとへ歩き出した。その距離は、ここに来るときよりもほんの少しだけ近かった。


「帰るの?」

「ああ。まだやらなきゃいけないことがある」


 二人は自転車に乗った。涼が前、幸太は後ろ。だいぶ沈んだ夕日を背に、自転車は走り出した。

 幸太はなにも言わずに、目の前の背中に体重を預けるように抱きつく。


「重い」

「なに離れろってこと?」

「いや、別にそのままでいい。……落ちるなよ」


 少ししてから、涼はペダルを漕ぐスピードを落とした。