Prism★Stars〜女装アイドルは美容男子と恋に落ちる〜

この夏、俺には一つの大きな仕事が決まっていた。

次クールから始まる秋の月9ドラマ。
タイトルは『定時間内にはヤメテ!〜神父は私に恋をした〜』。

主人公を演じるのは、大御所女優・佐原レイナ。
彼女が演じるのは、学習塾で働く教師・丸山純子だ。
ある日、純子のもとへ縁談が舞い込む。
相手は、イケメン神父・トーマス。
敬虔で誠実な彼の人柄に少しずつ惹かれていく純子だったが、
「神父の奥さんになるなんて無理!」
と、現実的な価値観から交際を断ってしまう。
そんな純子の周囲には、学習塾の生徒や職場の同僚まで、次々と恋の相手が現れる。
笑って、ときめいて、少し泣ける王道ラブコメ。

そんな作品だった。

そして俺が演じるのは、純子が教える学習塾に通う生徒・中山優希。
……ただし、この役には少し変わった設定がある。

優希は、普段から女の子の格好で学校へ通う〝男の娘〟なのだ。

誰もが彼を女子高生だと思い込んでいる。
主人公の純子も例外ではなく、最初は普通の女子生徒として接していた。
しかし物語の中盤。
優希は純子への想いを伝えるため、長い髪のウィッグを外し、本来の姿に戻って告白する。

「先生。俺、男なんです」

その衝撃的なシーンで、初めて周囲も彼の正体を知るという役どころだった。

(……まあ、だから俺に声が掛かったんだろうけど)

思わず苦笑する。
Prism★Starsで女装アイドルとして活動している俺以上に、この役へ説得力を持たせられる人は少ないのかもしれない。
俺は何度も台本を開き、優希のセリフを読み返した。
優希は女装したまま学校へ通い、買い物をして、ごく普通の日常を送っている。
周囲もそれを自然に受け入れ、誰一人として男だとは疑わない。
そして、そんな彼が女教師に一目惚れし、一途にアプローチを続けていく。

まさに少女漫画らしい、王道ラブコメだった。

「女装は趣味でしてるだけ!」

そんなセリフを声に出して読んでみる。

(……趣味で女装して普通に生活してるって、改めて考えるとすごい設定だよな)

現実ではまずありえない。
そう思いながらも、役は役だと割り切り、一つひとつのセリフを丁寧に頭へ入れていった。

そしていよいよ撮影の日がやってきた。

*******

クランクイン当日。

「中山優希役は女装姿の確認がありますので、ルナさんだけ朝8時入りでお願いします」

事前にそう伝えられていた俺は、まだ眠気の残る目をこすりながら朝7時半、スタジオへ入った。
受付を済ませると、スタッフさんから衣装一式を手渡される。

「更衣室は廊下をまっすぐ進んだ先です。着替えが終わったら、そのままメイクルームへお願いします」
「はい」

返事をして歩き出す。
朝早いこともあって、スタジオはまだ人影も少ない。
静かな廊下を歩いていると、それだけで胸が少し高鳴った。

(ドラマの現場って、こんな感じなんだ……)

初めて足を踏み入れる世界。
期待と緊張が入り混じり、自然と背筋が伸びる。
しばらく進むと、「男性更衣室」と書かれたプレートが目に入った。

(ここだな)

中へ入ると、ロッカーと姿見が並ぶ、ごく普通の更衣室だった。
俺は私服を脱ぎ、下着姿になる。
衣装を手に取ろうとして、ふと鏡の前に置かれたロングウィッグへ目が留まった。

(……そういえば)

普段ならレイやミウと一緒にメイクをして、その流れでウィッグを着ける。
一人でこうして手に取ることなんて、あまりない。
少しだけ好奇心が湧いて、俺はパンツ一枚という姿のまま鏡の前に立つ。
そしてそのウィッグをそっと頭に被ってみた。
さらり、と黒髪が肩へ落ちる。

(……こうして見ると、本当に胸のない女の子みたいだ)

鏡の中には、まだメイクも衣装も着けていない自分が映っている。
童顔と相まって、長い髪のウィッグを被るとそれだけで女の子に見えた。
もちろん胸は平らだが、ぱっと見だけなら貧乳の女の子と見間違えてもおかしくない。

(こうやってじっくり見るの、なんだか新鮮だな)

誰もいない更衣室。
時間があるのをいいことに、少しだけ遊び心が芽生えて、鏡の前でくるりと一回転してみる。
その時だった。

ガチャ。

更衣室の扉が開く音がした。

「……!」

振り返ると、キャップを深く被った若い男性が立っていた。
彼は俺を見るなり目を見開き、一瞬その場で固まる。

そして次の瞬間、勢いよく扉を閉めた。

「す、すみません!部屋、間違えました!」

慌てた声とともに、バタバタと廊下を駆けていく足音が遠ざかっていく。
静まり返った更衣室。
俺は思わず閉まった扉を見つめた。

(……いや、多分、間違えてないんだけど)

苦笑しながらウィッグを外し、今度こそ急いで衣装へ着替える。

「間違ってませんよ」と伝えようと思って更衣室を出たものの、さっきの男性の姿はもうどこにもなかった。

******

その後、キャスト全員が揃い、本読みを兼ねた顔合わせが行われた。

午前中にはポスターや公式サイト用のスチール撮影も終えていたため、出演者は全員、それぞれの役の衣装とメイクのまま会議室へ集まっている。
長机がロの字型に並べられた部屋は、どこか独特の緊張感に包まれていた。

「丸山純子役の、佐原レイナです。よろしくお願いします」

穏やかな笑みを浮かべながら頭を下げたのは、このドラマの主演であり、長年第一線で活躍する大女優・佐原レイナ。

続いて、隣の男性が立ち上がる。

「トーマス役の川俣純平です。よろしくお願いします」

低く落ち着いた声だけで、その場の空気が引き締まる。

(やっぱりすごいな……)

テレビ越しでは何度も見てきた二人。
けれど、同じ空間にいるだけで伝わってくる存在感は別格だった。

(佐原レイナに、川P……このドラマ、相当話題になりそうだな)

そんなことを考えながら順番に挨拶を聞いていると、向かい側の席の青年が立ち上がった。

「岩倉康太役の、 神崎(かんざき) (そう)です。よろしくお願いします」

その声を聞いた瞬間、俺は思わず顔を上げた。

(……あ)

センターで分けた明るい茶髪。
すらりとした長身。
さっき更衣室で俺を見て慌てて飛び出していった、あの人だ。

(やっぱりあの人だったんだ)

しかも名前にも聞き覚えがある。

人気アイドルグループ HYPER-MEN のメンバー、神崎奏。

Prism★Starsとは同じ事務所で、音楽番組などでも何度か名前を聞いたことがあった。
今回もマネージャーから「同じ事務所の子が出てるよ」と伝えられていた。

(あとでちゃんと挨拶しよう)

そう思っているうちに、進行役のスタッフがこちらを見た。

「それでは、次。中山優希役、ルナさん」
「はい!」

椅子から立ち上がり、一礼する。

「中山優希役の、ルナです。本日はよろしくお願いします」

芸名だけの自己紹介は、何度経験しても少しだけ気恥ずかしい。
会議室に温かな拍手が広がる。
頭を上げた、その時だった。
ふと視線を感じる。

顔を向けると、神崎さんが驚いたような表情で、じっと俺を見つめていた。

******

コンコン、と控え室の扉がノックされた。
ちょうど着替えを終えた俺は、「はい」と返事をして扉を開ける。

「失礼します。ドラマでご一緒します、神崎です。ご挨拶に来ました」

そこに立っていたのは、爽やかな笑顔を浮かべた青年だった。
本読みで反対側に座っていた、HYPER-MENのメンバー・神崎奏。

「あっ……!」

思わず声が漏れる。

「こちらこそ、ご挨拶に伺おうと思ってたんです……!先に来ていただいちゃって、すみません。先輩なのに……」

そう言うと、神崎さんは苦笑しながら首を振った。

「そんなの気にしなくていいって。……それより、入ってもいい?」
「あ、はい!どうぞ」

神崎さんが部屋へ入ってくる。
近くで見ると、やっぱり背が高い。
きれいにセットされた茶髪に、切れ長すぎない大きな瞳。
整った顔立ちなのに笑うと口角が上がって、一気に親しみやすい雰囲気になる。
まさに〝王道アイドル〟という言葉がぴったりの人だった。

「ルナちゃん、高二なんだよね?」
「はい」
「じゃあ17歳か。俺は21だから……四つ下か」
「よろしくお願いします」

深く頭を下げると、神崎さんは少し困ったように笑う。

「そんなにかしこまらなくていいよ。俺も敬語やめるし」
「あ……俺は、先輩なので敬語で話させてください」
「そっか、じゃあそれで。でも呼び方は奏さん、とかでいいよ」
「……じゃあ、奏さんで」
「うん、いいじゃん。じゃあ俺もルナって呼んでいい?」
「はい、いいですよ」

そのフランクな物言いに思わずふっと笑ってしまうと、奏さんも笑っていた。
そうして暫く顔を見合わせていたが、奏さんは「あ」と突然思い出したように頭をかいた。

「そうだ。朝のこと」
「え?」
「更衣室。いきなり入っちゃって、本当にごめん」

そう言って、ぺこりと頭を下げる。
思わぬ謝罪に、俺は慌てて首を振った。

「い、いえ!本当に気にしないでください!俺、女装アイドルやってますけど普通に男なんで。奏さんが悪いわけじゃないですし」
「……そうなんだけどさ」

奏さんはそう言って苦笑した。
そして、俺の顔を見る。
そのまま一瞬だけ目が合った。

「……」

奏さんはじっとこちらを見ている。
そして心なしか少しだけ、彼の耳が赤いような気がした。

「……?」

俺が首をかしげると、奏さんはハッとしたように咳払いをした。
そして照れ隠しのように笑う。

「いや、その……。朝は本気で女の子だと思ったからさ。こうしてウィッグ取ってると、ちゃんと男の子なんだなって」
「あはは。よく言われます」

笑って返すと、奏さんもつられて笑った。
そうして彼は右手を差し出した。

「……じゃあ、改めて。これからよろしく」
「はい!」

俺もその手を握り返す。
温かくて、大きな手だった。
奏さんは握手を終えても、ほんの一瞬だけ名残惜しそうに俺の手を見つめ、それから照れたように微笑む。

「じゃ、他の人にも挨拶してくる」
「あ、俺も行きます!」

そうして俺たちは控え室を出ると、それぞれ別の出演者のもとへ挨拶に向かった。

*******

実は俺は、奏さん演じる康太との共演シーンが多い。
なぜなら康太と俺が演じる優希は、同じ高校に通い、同じ学習塾にも通う友達という設定だから。

劇中でも二人は一緒にいることが多く、その仲の良さを見た主人公・純子は、「優希は康太のことが好きなんだ」と勘違いしてしまう。
今日撮るのは、そのきっかけになる大事なシーンだった。

撮影は、今日で三日目。
セットは学習塾を再現した教室。
教室の外には、カメラを構える撮影班。
照明や音声スタッフ、技術スタッフ、そしてモニター前で全体を見守る監督。

たくさんの人に囲まれながら、俺は女子高生姿で机に座り、向かい側には制服姿の奏さんが座っていた。

カチン、とカチンコが鳴る。

「───よーい、スタート!」

静まり返った現場で、俺たちは視線をプリントへ落としている。

『ねえ康太、ここどういうこと?』

優希が困ったように首を傾げる。

『これは動詞。こっちは名詞。……あと、independenceの綴りも間違ってる』
『あ、そっかぁ!康太ってやっぱり頭いいね!』
『……別に。そんなことないし』

嬉しそうに言うと、少し照れくさそうに視線を逸らす康太。
その瞬間、視界の端で監督が小さく手を動かした。
──佐原レイナさん演じる純子が、今ここを通ります。
事前に確認していた合図だ。
俺はそれを意識しながらも、あくまで優希として会話を続ける。

『そんなことあるよ!康太って優しいし、いつも助かってる。ありがと』
『……はいはい。ちゃんと宿題もやっとけよな』
『わかってるよ!』

優希が笑顔を向ける。
その様子を見た純子は「なるほど……」と言いたげな表情で小さく頷き、その場を通り過ぎていく。
───そこで。

「はい、カット! ……オッケーです!」

監督の声が響いた瞬間、張り詰めていた空気がふっと緩む。
思わず小さく息を吐いた。
このシーンは何度もテストを重ね、細かなニュアンスまで監督と確認してから臨んだ本番だった。
セリフを間違える心配はほとんどなかったけれど、それでも「OK」の一言を聞くまでは毎回緊張する。

「良かったよ!」

モニターから顔を上げた監督が笑顔で言った。

「優希はイメージ通りの無邪気さがちゃんと出てたし、康太も照れ隠ししてる感じが自然だった。この二人の空気感、すごく良かったよ。この調子でよろしく!」
「「はい!」」

俺と奏さんはほぼ同時に返事をした。

「それじゃ、本日の撮影は終了でーす!」

タイムキーパーさんの声がスタジオに響く。
ふと壁の時計を見ると、針はすでに20時を回っていた。
朝から続いた撮影も、ようやく一区切り。
長い一日だったはずなのに、不思議と心地いい疲労感だけが体に残っていた。

******

控え室で着替えを済ませる。
荷物をまとめて「さて、帰ろうか」と立ち上がった、その時だった。

コンコン。
静かなノックの音が響く。

「はい、どうぞ」

返事をすると、ガチャリと扉が開いた。

「お疲れさま」

顔を覗かせたのは、奏さんだった。

「奏さん?」

思わぬ来訪に目を丸くすると、奏さんは少し照れくさそうに笑う。

「もしよかったら、このあと夕飯でも一緒にどうかなと思って」

一瞬だけ言葉を切り、それから続けた。

「急に誘ってごめん。予定、入ってたりする?」

まさかそんな誘いを受けるなんて思ってもいなかった。
今日は仕事も終わったし、このあと特に予定もない。
俺は胸を弾ませながら、にこやかに答えた。

「いえ、大丈夫です!是非ご一緒したいです」

思わず声を弾ませながらそう答えると、奏さんは心底ほっとしたように表情を緩めた。

「よかった。断られたらどうしようって、ちょっと緊張してたんだ」

そう言って照れ笑いを浮かべる姿が、ドラマやライブで見せる爽やかなアイドルの顔とは少し違って見える。

「じゃあ、行こうか」
「はい!」

俺は荷物を肩に掛けると、奏さんと並んで控え室をあとにした。

********

控え室を出て廊下を歩く。
奏さんはキャップを目深に被り、サングラスを掛けて完全に顔を隠していた。

「この近くに、よく行く和食屋があるんだ。個室だからゆっくり話せるし、ご飯も美味しいよ」
「そうなんですね」

撮影スタジオを出ると、もうすっかり夜の帳が下りていた。
暗い夜道を二人並んで歩く。
不思議だった。
今日初めてちゃんと共演したばかりなのに、奏さんと歩いていると不思議と緊張より安心感の方が大きい。

少し歩くと、落ち着いた和モダンな外観の店が見えてきた。
暖簾の掛かった入口は派手さこそないものの、どこか上品で、大人の雰囲気が漂っている。

奏さんは慣れた様子で暖簾をくぐった。

「こんばんは。二名です」

店員さんも顔見知りらしく、「いらっしゃいませ」と自然な笑顔で二人を迎える。
案内されたのは、障子で仕切られた半個室だった。

「こういう店なら、人目もあまり気にしなくて済むからさ」

腰を下ろしながらキャップとサングラスを外し、奏さんがそう言って笑う。

「あ……そっか」

芸能人は、どこで誰に見られているか分からない。
そんなことを気にしたこともなかった俺は、改めて奏さんとの立場の違いを実感するのだった。

料理を待っている間、店内を見回しながら俺は感心したように口を開いた。

「奏さん、こういうお店慣れてますね」

そう言うと、奏さんは柔らかく笑って頷く。

「メンバーやスタッフとよく来るんだ。料理も美味しいし、個室だから落ち着いて話せるしね」
「なるほど……。なんか、大人って感じですね」

思わず漏れた言葉に、奏さんはくすっと笑った。

「ルナはまだ高校生だもんな。
でも逆にさ、業界の人にご飯誘われたりしないの?」

俺は首を横に振った。

「ほとんどないですね。あっても、夜は学生なんでってお断りしてます」

これは事務所から言われていることだった。
未成年は、ほんの些細な誤解でもスキャンダルにつながりかねない。
だから、夜の食事や飲み会の誘いは、学生であることを理由に断るよう最初に説明を受けていた。
俺も、それをずっと守っている。

奏さんは少し意外そうに目を丸くした。

「へぇ……。じゃあ、今日俺が誘ったのは大丈夫だった?」
「はい。奏さんは最初から夕飯って言ってましたし。もし飲み会って感じだったら、お断りしてたと思います」

俺は笑って答えると、その言葉に奏さんは照れくさそうに頬をかいた。

「ルナって、本当に真面目なんだな。俺、未成年の時からめちゃくちゃ夜行きまくってたから少し恥ずかしい」
「えっ!?そうなんですね」

俺より奏さんは芸歴も長く、年上だ。
その爽やかなアイドルフェイスは夜遊びをしていたタイプには見えなくて、俺は奏さんの顔をまじまじと見てしまった。
悪戯っぽい笑みを浮かべて、奏さんは続ける。

「遊び回ってたし、ヤンチャもしてた。あ、これはオフレコでね」
「は…はい。ヤンチャって…?」
「…気になる?」

暫く考えてから、俺は頷いた。
すると奏さんは湯のみを手に取り、一口お茶を飲んだ。
そして少し俯いて、話し始めた。

「今だから笑って話せるけどさ。仕事終わりに夜遅くまで遊んで、先輩やマネージャーによく怒られてた。あと……恋愛も、それなりにしてたかな」
「えっ?」

思わず間の抜けた声が出る。
爽やかで優等生なイメージが強い奏さんから、そんな言葉が出てくるとは思わなかった。

「高校の頃は結構モテてたんだよ。告白されることも多くてさ」

どこか照れくさそうに笑いながら続ける。

「その頃は深く考えずに付き合ってみることもあったし」
「…そうなんですね」

なんだか少し意外だった。
でも、よく考えれば当然なのかもしれない。
ルックスはいいし、仕事もできる。
学校でも芸能界でも人気があっただろうことは、容易に想像がつく。

「でも、全然長続きしなかった」

笑みを浮かべたまま、奏さんは少しだけ視線を落とした。

「仕事が一番だったし、当時は本気で誰かを好きになるっていう感覚が、正直よく分からなかったんだ」

その声には、さっきまでの軽い調子とは違う響きがあった。
どこか昔を懐かしむような、少しだけ後悔を滲ませたような。

「だから付き合っても、相手に寂しい思いさせちゃって。結局、『仕事と私、どっちが大事なの?』って聞かれて終わることが多かったな」

そう言って苦笑する奏さんを見て、俺は思わず口を開いた。

「……奏さんでも、そんなことあるんですね」
「あるある。むしろ、そういう失敗ばっかり」

肩をすくめて笑う奏さん。
演技もできるし、歌やダンスのパフォーマンスも完璧。
恋愛もさぞかし器用なんだろうと思ってだけど、そのエピソードと飾らない笑顔に人間味を感じて俺もつられて笑ってしまう。

「じゃあルナは?恋愛、したことある?」
「えっ!? お、俺ですか?」

思わず声が裏返る。
ちょうどそのタイミングで、店員さんが料理を運んできた。
新鮮な刺身の盛り合わせに、小鉢のお通し。
俺の前にはオレンジジュース、奏さんの前には冷えたビールが置かれる。

「じゃあ、とりあえずお疲れ」
「お疲れさまです」

グラスを軽く合わせる。
乾杯を終えると、奏さんはビールをひと口飲んでから、いたずらっぽく笑った。

「俺ばっかり話してるのも不公平じゃん。今度はルナの恋バナ、聞かせてよ」
「うっ……」

確かに、奏さんは昔の恋愛まで包み隠さず話してくれた。
俺だけ何も話さないのも、なんだか申し訳ない。

少しだけ迷ってから、俺はゆっくり口を開いた。

「俺は……恋愛経験全然なくて。でも最近、その……告白されちゃって」
「へぇ」

グラスを見つめながら続けると、奏さんが少しだけ目を見開く。

「それが、今までで一番恋愛らしい出来事……です」
「その相手って、一般の子?」
「はい。同級生です」
「なるほど。返事は?」
「……まだです」

そう答えると、奏さんは「そっか」と呟いて少し考え込む。

「俺も経験あるけど、高校の同級生との恋愛って難しいんだよね」
「難しい……ですか?」
「うん」

ビールジョッキをテーブルに置きながら、奏さんは穏やかに話し始めた。

「最初は、芸能界とは関係ない場所で知り合えたから上手くいくって思うんだ。でも、付き合ってみると生活リズムも違うし、価値観も少しずつズレてくる」

そこで一度言葉を切る。

「それに……余計なことで疑われたりもするしね」
「疑われる?」

思わず聞き返す。
奏さんは苦笑しながら頷いた。

「例えばドラマで共演して、ラブシーンを撮ることになったとするでしょ?もちろん仕事だから何もない。でも、『本当にただの仕事相手なの?』とか、『あの人のことどう思ってるの?』って何度も聞かれるんだ」

「……」

「ファンの子にだって、仕事としてファンサービスするじゃん。『好き!』って言われたら、『ありがとう、俺も大好きだよ』って返したり。
そういう切り抜きがエックスとかで『神ファンサ!』なんて拡散されて、それを見た恋人に怒られたりね」

「そんなことまで……」

俺は思わず呟いた。
芸能人と付き合うということは、その人だけじゃなく、仕事まで受け入れなければならないということなのか。

「だから俺は……。今は、一般の人とは付き合えないかなって思ってるかな」

奏さんは少し遠くを見るように目を細める。
その言葉には、どこか諦めにも似た響きがあった。

「そ、そうなんですね……」

俺は小さく相槌を打ちながら、頭の中にある人物の顔を思い浮かべていた。

律。

もし俺がドラマで誰かと恋人役を演じることになったら。
ファンとの距離が近い仕事を見たら、律はどう思うんだろう。

きっと律なら、仕事だと理解してくれると思う。
……いや、本当にそうだろうか。

でも。
少しくらい嫉妬してくれたら嬉しい、なんて思ってしまう自分もいて。

(……何考えてるんだ、俺)

慌てて首を横に振り、その考えを振り払った。

「ルナは、その相手にどう返事しようと思ってるの?」

奏さんは真っ直ぐ俺を見つめながら、少しだけ焦れたように尋ねた。
俺は視線を落とし、小さく息をつく。

「まだ……分からないです。仕事も忙しくて、ちゃんと考えられなくて……」

半分は本当で、半分は嘘だった。
本当は、考えれば考えるほど分からなくなる。
律への「好き」は、友達としての好きなのか。
それとも、恋愛としての好きなのか。
でも、あの日の帰り道。
真っ直ぐな瞳で告白してくれた律の顔も、頬にそっと触れた唇の温もりも、何度も何度も思い出してしまう。

気づけばぼんやりしていることも増えて、そのたびに仕事へ意識を向けて、考えないようにしていた。
けれど、逃げても答えは出ない。
だから今は、返事を保留にしたまま。

そんな曖昧な状態が続いていた。

「じゃあさ。その人の好きなところ、教えてよ」
「え?」

奏さんの方を見ると、その腕を身体の前に組みながら口をへの字に曲げていた。
そして挑戦的に言う。

「それを聞けば、俺もルナが本当に恋してるのか、一緒に考えられるかもしれない」
「好きなところ……ですか」

頭の中に、律の顔を思い浮かべる。

「優しくて……」
「うん」
「料理がすごく上手で」
「うん」
「一緒にいると安心できて……」
「うんうん」

奏さんは相槌を打ちながら、静かに耳を傾けてくれている。
それにすらすらと言葉が出てきていた。

「あと、男なのに美容にすごく詳しくて、いろいろ教えてくれるところとか」
「…………男?」

その一言で、俺ははっと息を呑んだ。
しまった。
今、自分で言ってしまった。
男女どちらかなんて、一言も話していなかったのに。

「あ……」

固まる俺を見て、奏さんは同じく少し固まっている。
でも暫くしてすぐ、真剣な顔で聞き返した。

「もしかして……告白してきた相手って、男の子?」
「……はい」

観念して頷く。

「で、返事はまだしてない、と」
「……そう、です」

奏さんは少し考え込むように顎へ手を添えた。

「じゃあさ。ルナは、男と付き合うことに抵抗はないってこと?」

その質問に、胸がどきりと鳴る。
言われて初めて気がついた。
考えてみたら、相手が自分と同じ男なのに即断ってないのは稀なのかもしれない。
というかそっちもアリです、と言っているようなものだ。

それに気付いて、顔を赤くしながらも俺は頷いた。

「……俺、昔からかわいい服着せられてきたせいか、男らしいものとか、人とかに惹かれるところがあって。恋愛対象も、だから男でも抵抗ないというか…」

恥ずかしくて、最後はほとんど呟くような声になった。
しばらく沈黙が落ちる。

「……そうなんだ」

奏さんはぽつりとそう呟いた。
その声音は穏やかだったけれど、どこか思案するようでもあった。
俺が恐る恐る顔を上げると、奏さんは真っ直ぐ俺を見つめたまま、何かを考え込んでいるようだった。

そうして何を思ったか、突然奏さんはTシャツの袖を捲り上げた。
逞しい二の腕が顕になって俺はドキッとする。

「えっ!?そ、奏さん!?」
「俺けっこう筋トレとかしててさ。
筋肉には自信あるんだけど、男らしいのってこういうの好きってこと?」

聞きながら奏さんは笑った。
そして俺は「違う」とも言えずに視線は二の腕に釘付けなまま、頷く。

「は……はい。実は……」
「本当?じゃ触っていいよ」
「え!?じゃ、じゃあ…」

恐る恐る触ってみる。
その二の腕はその白い見た目より固く、逞しかった。

「うわ…!すごい固い…」
「…なんか。そこまで熱い目で見られながら触られると、照れるな」
「あ、ごめんなさい!」
「いや……」

謝りながら慌てて離れると、奏さんはどこか複雑そうな顔で俯いた。
そして不意にこちらをじっと見つめた。

不思議に思って顔を向けた、その瞬間だった。

トン。

俺の肩のすぐ横、壁に奏さんの手がつかれる。
突然のことに息を呑む。
するともう片方の腕も、手に壁をついて。

先ほどまで触っていた二の腕に完全に閉じこめられる形になった。

「……っ」

思わず見上げると、こちらを真っ直ぐ真剣な目で見る奏さんと目が合った。

近い。
近すぎる。

爽やかな香水とシャンプーが混ざったような香りがふわりと漂い、鼓動が一気に速くなる。

「奏……さん?」

名前を呼ぶ声まで震えてしまう。
奏さんはそんな俺をじっと見つめたまま。
暫く俺たちは見つめあった後────奏さんは身体を離した。

そして先ほどまでと同じ俺の隣に座って、笑みを浮かべながら静かに口を開いた。

「……ごめん。ちょっと試したくなった」
「試す……?」
「ルナが、本当に男でも平気なのかなって」

その言葉に、顔が一気に熱くなる。

「そ、それは……っ」

うまく言葉にならない。

「でもさ、俺こういうのには鋭いけど────」

奏さんは言葉を切って、意味ありげに沈黙する。
そして俺を見て、爽やかに笑った。

「さっき、俺も結構アリって思ったっしょ?」
「……っ」

今度こそ俺は顔が真っ赤になった。
ちがう、と心の中で言おうとしたけど、さっき逞しい腕に閉じ込められて心音が上がったのは事実で。
俺は何も言えなくなってしまった。

「あー、ルナ可愛すぎ。もっかいしていい?」
「だ、ダメです!」
「はは、ごめん。…ちょっと意地悪しすぎた」

照れ隠しのように頭を掻きながら笑う姿に、さっきまでの色っぽい空気が少しだけ和らいだ。

「もう、揶揄わないでください」

俺は熱くなった頬を手で押さえながら、小さく首を振る。
鼓動はまだ落ち着かない。

そして奏さんは穏やかな表情に戻ると、真っ直ぐ俺を見た。

「でも恋愛ってさ、焦って答えを出すものでもないと思うんだ。ルナは今、仕事も大事にしてるんでしょ?」
「……はい」
「だったら、それでいいんじゃない?無理に結論を出そうとしなくてもさ」

その言葉は、さっきまで俺をからかっていた人とは思えないくらい優しかった。
自然と肩の力が抜ける。

「……そう、ですね。ありがとうございます」
「どういたしまして」

奏さんはにっと笑うと、自分のジョッキを持ち上げた。

「ドラマもまだ始まったばっかりだし。」

そう言って俺のグラスへ軽く合わせる。
コツン、と澄んだ音が個室に響いた。

「まずはお互い、最後までいい作品を作ろう」

その一言には、共演者としての真っ直ぐな想いが込められていた。
俺も笑顔で頷く。

「はい!よろしくお願いします。」
「こちらこそ。これから撮影、長い付き合いになるしね」

そう言って笑い合うと、さっきまで漂っていた気まずさは、不思議なくらい消えていた。
そしてこの日はまた業界のこと、お互いのグループのことなど遅くまで語り合った。

俺はこの日。
芸能界のことも相談できる心強い先輩ができたように感じて、無性に嬉しかった。