「ただいま」
玄関のドアを開けると、奥から母さんがぱたぱたと駆けてきた。
「おかえり!
みんなでご飯に行くと思ってたから作ってなくって。そこのスーパーでお惣菜買ってきたんだけど、大丈夫だった?」
「うん、ありがとう」
リビングへ向かうと、母さんは冷蔵庫からサラダとローストチキンを取り出し、テーブルに並べた。
「夜だから糖質は控えめね。アイドルはビジュアル管理も大事なんだから」
「……うん」
本当はお腹が空いて仕方なかった。
今ならカツ丼大盛りだって食べられそうだったけど、そんなことは言えなくて、小さく「いただきます」と手を合わせた。
俺が食べ始めるのを見届けると、母さんは待ちきれなかったように口を開く。
「今日、本当に良かったわよ!
ミウちゃんも可愛かったし、レイちゃんも歌がすごく上手で……でも、ハヤテのダンスが一番輝いてた!小さい頃から習わせてきて本当に良かったわ」
嬉しそうに笑いながら、リモコンを手に取る。
「あ、ちゃんと録画してあるの。今から一緒に見ましょ」
「うん」
きっと帰ってくるまで、この話をしたくて仕方なかったんだろう。少し照れくさくなりながら、俺はテレビの前に座った。
今日出演した音楽番組は、生番組。
放送が終わってすぐに映像を見返せるのはありがたい。母さんが再生ボタンを押すと、画面いっぱいにスタジオが映し出された。
『今夜のトップバッターは、SNSに突如現れた話題の女装アイドル〝Prism★Stars〟!
なんとメンバー全員が男子高校生!
圧倒的なビジュアルと確かなパフォーマンスで、今もっとも勢いのある新人グループです。
それではお聴きください〝僕たちのShining Star〟』
静かなピアノが流れ始める。
暗転したステージ。
その中央へ、スポットライトに照らされながら三人が歩み出る。
「……すごい」
思わず声が漏れた。収録の最中はとにかく必死で、周りを見る余裕なんてなかった。でも、テレビ越しに見るとまるで別世界だ。
光の演出。カメラワーク。舞台セット。
その全部が重なって、俺たちは本当にキラキラしたアイドルに見えた。
ミウも、レイも、そしてルナの俺も。
画面の中にいるのは、どう見ても可愛らしい女の子のアイドルだった。
そこへ時折混じる少し低めの歌声だけが「彼女たちは男なんだ」と思い出させる。
そのアンバランスさが、〝Prism★Stars〟だけの個性になっていた。
「これは売れるわねぇ。
社長さん、やっぱり見る目があったのよ」
母さんは満足そうに腕を組み、何度も頷く。
自分の手柄でもないのに得意げな母さんがおかしくて、思わず笑ってしまう。
そんなふうに話しているうちに、画面の中の一曲はあっという間に終わっていた。
『続いては、〝HYPER-MEN〟の皆さんです!』
「あ、この子たちも同じ事務所よね。見る?」
「うん」
なんとなく気になって頷く。画面に現れたのは、同じ事務所の六人組ボーイズグループ、〝HYPER-MEN〟。実力派として知られる人気ユニットだ。
今日は新曲『My Dearest』の初披露らしい。
(そういえばミウ、このセンターの人がかっこいいって言ってたな)
そんなことを思い出しながら、テレビに目を向ける。
イントロと同時に始まる鋭いダンス。
複雑なフォーメーションが寸分の狂いもなく揃い、激しく踊りながらも歌声はまったく乱れない。
「すごいわねぇ……。
ダンスもぴったり揃ってるし、相当練習してるんでしょうね」
「……うん」
母さんが感心したように息をつく。
生で見たときも圧倒されたけれど、テレビ越しだとその完成度がより伝わってくる。
視線を送るタイミング。
カメラが抜く位置。
見せ場の作り方。
芸歴が長いぶん、どう映れば格好よく見えるのかまで計算され尽くしているようだった。
(やっぱり、すごいな)
素直にそう思う。まだまだ追いつけない。
でも、いつか肩を並べられるくらいにはなりたい。
自然と背筋が伸びる。
衣装は白を基調にしたロックテイストで、袖のないトップスから鍛えられた腕がのぞいていた。
一瞬誰かの腕が画面いっぱいに映し出されて、その引き締まったラインになぜかドキッとする。
慌てて視線をステージ全体へ戻すと、気づけば曲は終わっていた。
『HYPER-MENの皆さん、ありがとうございました!続いては…』
「あ、もういいわ」
母さんはリモコンを手に取り、テレビを消した。
「遅くなっちゃうし、そろそろ寝ましょ。明日は学校でしょう?」
「うん」
そうだった。今日はまだ木曜日。
「部活があるから少し遅くなるけど、7時には帰るよ」
そう答えながら、俺はワクワクしていた。学校へ行けば俺はルナじゃなく、ただのハヤテだ。
それに何より、部活の時間が楽しみだった。
******
翌日。
ブレザーの制服に身を包み、ワクワクしながら俺は登校した。
「おはよう」
「おはよう」
学校では、前髪を長めに下ろし、度の強い黒縁メガネをかけている。
分厚いメガネだから、心なしか目が小さく見える仕様だ。
高校では芸能活動をしていることは誰にも話していない。
小学校では芸能活動をからかわれたこともあったから、学校では普通の高校生でいることに決めていた。
周りからは〝真面目で大人しいメガネくん〟に思われてるのかもしれない。
でも、それくらいの方が、俺は気は楽だった。
教室へ入ると、一番最初に目に入るのは窓際の席。
そこに座っているのは、明るく染めた茶髪。
左耳には小さなシルバーのピアス。
制服もネクタイを少し緩めていて、一見すると真面目な高校生には見えない背の高い男──── 橘律だ。
「律、おはよー!」
俺の前を横切った、派手な金髪の女子が声を掛ける。
「……おはよ」
返事はクールで、短い。
顔も朝が弱いのか、いつも無表情だ。
それでも女子は楽しそうに笑って、自分の席へ戻っていった。
初めて見た時は正直思った。
見た目も派手だし、制服も着崩してるし、なんかワルそう。
絶対、住む世界が違う。
友達になることなんて、一生ない。
そう思っていたのに。
偶然にも俺たちは同じ部活になった。
決して多くはない部員に、二年連続で同じクラス。
気付けば俺たちはよく話すようになり、学校では一番長く一緒にいる相手になっていた。
それに律は、見かけみたいな陽キャでも不良でもない。
物静かで、誰より気遣いのできる奴ということはこの二年で知った。
朝の光の中、窓の外を眺める律の隣に座る。
そして笑顔で挨拶した。
「おはよう、律」
「……おはよ」
声を掛けると律は振り向いて、俺を見た。
メガネの真面目クンと、チャラい不良。
周りからはそんな風に見えてるのかな、なんて思う。
「放課後。忘れんなよ」
「もちろん」
短いやり取りだけで十分だった。
互いに小さく頷き合ったところで、始業のチャイムが鳴る。
ほどなくして担任が教室へ入ってきた。
*******
放課後。
俺は少し急ぎ足で美術室へ向かった。
この時間が、一週間の中で一番好きだったから。
「今日は静物画を描きます」
顧問はそう言うと、白い布の上にリンゴやガラス瓶を並べ、簡単な説明だけ済ませて職員室へ戻っていく。
残された部員たちは思い思いに鉛筆を走らせ始めた。
俺もスケッチブックを開く。
正直に言えば、美術部へ入った理由は不純だった。
芸能活動で休むことが多い俺には、毎日練習がある運動部は難しい。
幽霊部員も珍しくない美術部なら、迷惑もかけにくいと思ったのだ。
だから最初は、ほとんど顔を出さないつもりだった。
なのに。
気づけば毎週、この教室へ足が向いていた。
誰も無理に話さない。
誰も急がない。
時間までがゆっくり流れていくようで。
その穏やかな空気に身を置いていると、芸能界の慌ただしさが嘘みたいに遠く感じられた。
ステージでは全身を使って表現する。
でもここでは、一本の鉛筆だけで十分だった。
どちらも「表現すること」なのに、まるで違う世界。
要はこの静かな空間の中で、自分の好きなように絵を描く時間が俺は好きだったのだ。
黙々とデッサンを進めている中、不意に隣を見る。
律は相変わらず無表情のまま、黙々と鉛筆を動かしている。
窓から差し込む夕陽が横顔を照らし、伏せた睫毛の影を長く落としていた。
……絵になる。
そんな言葉が頭をよぎる。
「なあ、律」
「ん?」
律が手を止め、こちらを見る。
「律は背も高いし、運動神経もいいじゃん。なんで運動部じゃなくて美術部だったの?」
少しだけ考えるように視線を泳がせてから、律は短く答えた。
「……絵、好きだから」
それから少し間を置いて、
「運動もできるけど、別に好きじゃない」
と付け足した。
「へぇ」
なんだか律らしい答えだった。
好きだからやる。
ただ、それだけ。
俺は少し笑ってスケッチブックへ目を戻す。
鉛筆を走らせながら、ふと隣から視線を感じた。
見ると、律がこちらをじっと見ている。
目が合うと、何も言わずにまたスケッチブックへ視線を落とす。
その横顔を見ながら、俺も何事もなかったように鉛筆を動かし続けた。
夕陽だけが、静かな美術室をゆっくりと茜色に染めていた。
******
いつの間にか西日は落ちて、部活も終わり。
名残惜しさを感じながら学校を出ると、不意に律は言った。
「…あのさ、今日、夕飯一緒にどう?」
「え?」
思わず足が止まる。
帰る方向が同じだから、一緒に帰ることは何度もあった。
でも、律から夕飯に誘われたのは初めてだった。
しかもちょうど今日は、母さんから「帰り遅くなるから、夕飯は好きに済ませて」と連絡が来ていた。
俺は思わず笑顔で返す。
「行くいく!じゃあどこにする?駅前のファミレスとか?」
友達とどこかに食べに行くことなんて滅多にない俺は、よくクラスの陽キャたちが話してる場所を口にした。
すると律は眉根を寄せ、少し言いにくそうに口を開く。
「…ファミレスはクラスの奴らも多いから、ちょっと。
あの、もしハヤテが良ければなんだけど…うち来ない?」
「え?うちって…律の家ってこと?」
いきなり家に呼ばれる展開が来るとは思わず、俺は目を丸くする。
律はいつものポーカーフェイスで頷いた。
「うん。うち、親が帰ってくるの遅くていつも夕飯、俺が作ってんだよね。
だから外で食べるよりうちがいいし…実は渡したいものもあって。ダメ?」
「渡したいもの?」
「うん」
それ以上は何も言わない。
ただ静かにこちらを見つめる律の視線だけが、「どうする?」と問いかけていた。
少しだけ考える。
母さんは今日帰りが遅い。
律も無理に誘っている感じではなく、断るなら断っていいみたいな雰囲気だ。
(……でも。律の家なんて、ちょっと気になる)
そう思って俺は、律の誘いに応じることにした。
「いいよ。じゃあ律の家、お邪魔させてもらいます」
そう答えると、律はほんの少しだけ表情を緩めた。
「…良かった。じゃあ材料買いにスーパー寄っていい?」
「うん。あ、材料代半分出すよ!」
「いいって」
そんなこんなを言いながら、俺たちはスーパーで食材を調達してから律の家に向かった。
*******
そして俺たちは律の家へ向かった。
案内されたのは、駅近くに建つ大きなマンションの一室だった。
エントランスからしてホテルみたいに綺麗で、思わずきょろきょろしてしまう。
「おじゃましまーす」
緊張しながら玄関をくぐると、律は慣れた様子でキッチンへ向かった。
「その辺、適当に座ってて。すぐ作るから」
「う、うん」
言われるまま広いリビングのソファに腰を下ろす。
部屋はすっきり片付いていて、余計な物がほとんどない。
静かな空間に、トントン、と包丁がまな板を叩く音だけが心地よく響く。
その音をぼんやり聞いているうちに、部活終わりと日々の疲れがどっと押し寄せてきた。
なんだか瞼が重い。
(少しだけ…)
そう思ったところで、俺の意識はゆっくりと闇へ沈んでいった。
******
「……ハヤテ」
遠くから名前を呼ばれている。でも、まだ眠い。
「……ハヤテ」
肩を軽く叩かれる感触が心地よくて、まだ起きたくない俺は、その手に甘えるように頬を寄せた。すり、と手のひらへ擦り寄る。
その瞬間。
「……っ」
近くで小さく息を呑む気配がした。
「ん……?」
重たい瞼を開けると、すぐ目の前に律の顔があった。驚いたように目を見開き、そのまま固まっている。
「……あ」
一瞬、ここがどこなのかわからかった。
けどすぐに、部活帰りに律の家へ来たことを思い出す。
俺は少しズレたメガネを直しながら、慌てて律に謝った。
「あっ……!ご、ごめん!俺、寝ぼけてて……!ていうか寝ちゃってた!?本当にごめん!」
「……いや」
律は短く返事をしただけで、まだどこかぎこちない。
そこでようやく、自分がさっき何をしたのか思い出した。
「……っ」
かあっと顔が熱くなる。
「ほんと、ごめん……」
俯いたその時、ふわりと食欲をくすぐる香りが鼻先をかすめた。その途端。
ぐぅぅぅ……。
静かな部屋に、信じられないくらい大きなお腹の音が響く。
「あ……」
恥ずかしさで固まる俺に、律はしばらく黙ったままだった。やがて視線を逸らし、小さく肩を震わせる。
「……腹、減ったよな」
堪えきれないように笑う律を見て、俺の顔はさらに真っ赤になった。
「も、もう食べよう! 遅いし!」
「うん」
律はようやくいつもの表情に戻って、小さく笑う。
「そこに用意してある」
振り向くと、ダイニングテーブルには向かい合わせに二皿のパスタが並んでいた。
艶やかなオリーブオイルに、春キャベツとアスパラガス、こんがり炒めたベーコン。
輪切りの赤唐辛子が彩りを添え、にんにくの香ばしい香りがふわりと鼻をくすぐる。
「うわ……美味しそう!ありがと、律!」
思わず声が弾む。笑顔で礼を言うと、律も安心したようにふわりと笑った。
「どういたしまして。冷める前に食べよ」
「うん。いただきます!」
「いただきます」
フォークでパスタをくるりと巻いて口へ運ぶ。
一口噛んだ瞬間、ガーリックの香りとベーコンの旨味がじゅわっと広がった。
シャキッとした春キャベツとアスパラガスの甘みがアクセントになっていて、絶妙な塩加減のパスタによく合う。
「……おいしい!」
「よかった」
思わず叫ぶように言うと、律は少しだけ口元を緩めた。
「いや、本当に美味しい!お店で出てきても全然おかしくないよ。律って料理上手なんだな」
「母さんも夜遅いし、父さんも単身赴任してて一人暮らしみたいなもんだから。自然と作るようになっただけ」
さらっと言うけれど、その茹で加減も味付けも完璧だ。
気付けば夢中で食べ進め、おかわりまでしてしまった。
「ごちそうさま!」
「お粗末さま」
律は空になった皿を見て、嬉しそうに笑った。
「いっぱい食べてくれてよかった」
その一言に、なんだかこちらまで嬉しくなる。
お腹も満たされたところで、ふと思い出した。
「そういえばさ、渡したい物があるって言ってたよな?」
「ああ」
律は立ち上がると、自分の部屋へ入っていく。
ほどなく戻ってきた手には、小さな紙袋があった。
「はい」
「え、何これ?俺、なんかしたっけ?」
首を傾げると、律は困ったように笑う。
「そういうんじゃないから。開けてみて」
包みを開く。中に入っていたのは、小さな化粧水のサンプルボトルと、花柄の入浴剤だった。
「……化粧水?」
「うん」
律は少しだけ視線を逸らしてから話し始める。
「最近さ、ハヤテ、肌荒れしてるなって思って」
「え」
思わず自分の頬を触る。そんなに目立っていたのか。
「乾燥っぽいし、赤みも少しあるから。日焼けって感じじゃないし、寝不足とか、スキンケアが肌に合ってないのかなって」
そこまで言うと、律は少しだけ早口になった。
「それは敏感肌向けで刺激が少ないやつ。保湿力もちゃんとあるし、ベタつかないから男子でも使いやすい。俺も肌が荒れた時これ使って落ち着いたから、もしよかったら試してみて」
俺は目を丸くする。
(そんなところまで見てたのか……)
少しショックではあったけれど、思い当たる節はあった。
以前、ミウにも言われた。
『アンタ、ケアとか全然興味ないでしょ。プロとしてそれどうなの?』
正直、スキンケアなんて何が違うのか全然わからない。
母さんが「私の使ってるのと一緒でいいでしょ。良いやつだから、これ」と言うから、そのまま使っていただけだった。
少しヒリヒリする日もあったけど「こんなものかな」と思っていた。
それに最近は仕事も忙しい。
夜遅くまで振り入れを確認して、学校の宿題も終わらせる。
寝不足の日は、自分でも肌の調子が悪い気がしていた。
(律、ちゃんと見てくれてたんだ)
そう思うと、胸が少し温かくなる。
「……ありがとう。これ律のおすすめなんだろ?使ってみる」
そう言って紙袋を覗く。
「……あれ?この紫色のは?」
「ああ、入浴剤」
律は少し照れくさそうに笑った。
「忙しいとシャワーだけで済ませちゃう日、あるだろ。でも湯船に浸かると睡眠の質も変わるし、血行も良くなるから肌にもいいんだ」
そう言ってパッケージを指差す。
「ラベンダーとカモミール。香りも強すぎなくて、寝る前にちょうどいいから」
白と紫の花が描かれたパッケージは、まるで雑貨屋に並んでいそうなくらい洒落ていた。
「へぇ……」
入浴剤なんて、いつ使ったか思い出せない。そう思ったら俺はワクワクしてきた。
「なんか使うの楽しみになってきた。ありがとな、律」
「どういたしまして」
律は少しだけ安心したように笑った。
その笑顔を見ながら、俺は紙袋を大事に抱え直す。
この日はもうすっかり遅い時間だった。
俺たちは玄関で別れを告げ、それぞれの家へ帰っていった。
玄関のドアを開けると、奥から母さんがぱたぱたと駆けてきた。
「おかえり!
みんなでご飯に行くと思ってたから作ってなくって。そこのスーパーでお惣菜買ってきたんだけど、大丈夫だった?」
「うん、ありがとう」
リビングへ向かうと、母さんは冷蔵庫からサラダとローストチキンを取り出し、テーブルに並べた。
「夜だから糖質は控えめね。アイドルはビジュアル管理も大事なんだから」
「……うん」
本当はお腹が空いて仕方なかった。
今ならカツ丼大盛りだって食べられそうだったけど、そんなことは言えなくて、小さく「いただきます」と手を合わせた。
俺が食べ始めるのを見届けると、母さんは待ちきれなかったように口を開く。
「今日、本当に良かったわよ!
ミウちゃんも可愛かったし、レイちゃんも歌がすごく上手で……でも、ハヤテのダンスが一番輝いてた!小さい頃から習わせてきて本当に良かったわ」
嬉しそうに笑いながら、リモコンを手に取る。
「あ、ちゃんと録画してあるの。今から一緒に見ましょ」
「うん」
きっと帰ってくるまで、この話をしたくて仕方なかったんだろう。少し照れくさくなりながら、俺はテレビの前に座った。
今日出演した音楽番組は、生番組。
放送が終わってすぐに映像を見返せるのはありがたい。母さんが再生ボタンを押すと、画面いっぱいにスタジオが映し出された。
『今夜のトップバッターは、SNSに突如現れた話題の女装アイドル〝Prism★Stars〟!
なんとメンバー全員が男子高校生!
圧倒的なビジュアルと確かなパフォーマンスで、今もっとも勢いのある新人グループです。
それではお聴きください〝僕たちのShining Star〟』
静かなピアノが流れ始める。
暗転したステージ。
その中央へ、スポットライトに照らされながら三人が歩み出る。
「……すごい」
思わず声が漏れた。収録の最中はとにかく必死で、周りを見る余裕なんてなかった。でも、テレビ越しに見るとまるで別世界だ。
光の演出。カメラワーク。舞台セット。
その全部が重なって、俺たちは本当にキラキラしたアイドルに見えた。
ミウも、レイも、そしてルナの俺も。
画面の中にいるのは、どう見ても可愛らしい女の子のアイドルだった。
そこへ時折混じる少し低めの歌声だけが「彼女たちは男なんだ」と思い出させる。
そのアンバランスさが、〝Prism★Stars〟だけの個性になっていた。
「これは売れるわねぇ。
社長さん、やっぱり見る目があったのよ」
母さんは満足そうに腕を組み、何度も頷く。
自分の手柄でもないのに得意げな母さんがおかしくて、思わず笑ってしまう。
そんなふうに話しているうちに、画面の中の一曲はあっという間に終わっていた。
『続いては、〝HYPER-MEN〟の皆さんです!』
「あ、この子たちも同じ事務所よね。見る?」
「うん」
なんとなく気になって頷く。画面に現れたのは、同じ事務所の六人組ボーイズグループ、〝HYPER-MEN〟。実力派として知られる人気ユニットだ。
今日は新曲『My Dearest』の初披露らしい。
(そういえばミウ、このセンターの人がかっこいいって言ってたな)
そんなことを思い出しながら、テレビに目を向ける。
イントロと同時に始まる鋭いダンス。
複雑なフォーメーションが寸分の狂いもなく揃い、激しく踊りながらも歌声はまったく乱れない。
「すごいわねぇ……。
ダンスもぴったり揃ってるし、相当練習してるんでしょうね」
「……うん」
母さんが感心したように息をつく。
生で見たときも圧倒されたけれど、テレビ越しだとその完成度がより伝わってくる。
視線を送るタイミング。
カメラが抜く位置。
見せ場の作り方。
芸歴が長いぶん、どう映れば格好よく見えるのかまで計算され尽くしているようだった。
(やっぱり、すごいな)
素直にそう思う。まだまだ追いつけない。
でも、いつか肩を並べられるくらいにはなりたい。
自然と背筋が伸びる。
衣装は白を基調にしたロックテイストで、袖のないトップスから鍛えられた腕がのぞいていた。
一瞬誰かの腕が画面いっぱいに映し出されて、その引き締まったラインになぜかドキッとする。
慌てて視線をステージ全体へ戻すと、気づけば曲は終わっていた。
『HYPER-MENの皆さん、ありがとうございました!続いては…』
「あ、もういいわ」
母さんはリモコンを手に取り、テレビを消した。
「遅くなっちゃうし、そろそろ寝ましょ。明日は学校でしょう?」
「うん」
そうだった。今日はまだ木曜日。
「部活があるから少し遅くなるけど、7時には帰るよ」
そう答えながら、俺はワクワクしていた。学校へ行けば俺はルナじゃなく、ただのハヤテだ。
それに何より、部活の時間が楽しみだった。
******
翌日。
ブレザーの制服に身を包み、ワクワクしながら俺は登校した。
「おはよう」
「おはよう」
学校では、前髪を長めに下ろし、度の強い黒縁メガネをかけている。
分厚いメガネだから、心なしか目が小さく見える仕様だ。
高校では芸能活動をしていることは誰にも話していない。
小学校では芸能活動をからかわれたこともあったから、学校では普通の高校生でいることに決めていた。
周りからは〝真面目で大人しいメガネくん〟に思われてるのかもしれない。
でも、それくらいの方が、俺は気は楽だった。
教室へ入ると、一番最初に目に入るのは窓際の席。
そこに座っているのは、明るく染めた茶髪。
左耳には小さなシルバーのピアス。
制服もネクタイを少し緩めていて、一見すると真面目な高校生には見えない背の高い男──── 橘律だ。
「律、おはよー!」
俺の前を横切った、派手な金髪の女子が声を掛ける。
「……おはよ」
返事はクールで、短い。
顔も朝が弱いのか、いつも無表情だ。
それでも女子は楽しそうに笑って、自分の席へ戻っていった。
初めて見た時は正直思った。
見た目も派手だし、制服も着崩してるし、なんかワルそう。
絶対、住む世界が違う。
友達になることなんて、一生ない。
そう思っていたのに。
偶然にも俺たちは同じ部活になった。
決して多くはない部員に、二年連続で同じクラス。
気付けば俺たちはよく話すようになり、学校では一番長く一緒にいる相手になっていた。
それに律は、見かけみたいな陽キャでも不良でもない。
物静かで、誰より気遣いのできる奴ということはこの二年で知った。
朝の光の中、窓の外を眺める律の隣に座る。
そして笑顔で挨拶した。
「おはよう、律」
「……おはよ」
声を掛けると律は振り向いて、俺を見た。
メガネの真面目クンと、チャラい不良。
周りからはそんな風に見えてるのかな、なんて思う。
「放課後。忘れんなよ」
「もちろん」
短いやり取りだけで十分だった。
互いに小さく頷き合ったところで、始業のチャイムが鳴る。
ほどなくして担任が教室へ入ってきた。
*******
放課後。
俺は少し急ぎ足で美術室へ向かった。
この時間が、一週間の中で一番好きだったから。
「今日は静物画を描きます」
顧問はそう言うと、白い布の上にリンゴやガラス瓶を並べ、簡単な説明だけ済ませて職員室へ戻っていく。
残された部員たちは思い思いに鉛筆を走らせ始めた。
俺もスケッチブックを開く。
正直に言えば、美術部へ入った理由は不純だった。
芸能活動で休むことが多い俺には、毎日練習がある運動部は難しい。
幽霊部員も珍しくない美術部なら、迷惑もかけにくいと思ったのだ。
だから最初は、ほとんど顔を出さないつもりだった。
なのに。
気づけば毎週、この教室へ足が向いていた。
誰も無理に話さない。
誰も急がない。
時間までがゆっくり流れていくようで。
その穏やかな空気に身を置いていると、芸能界の慌ただしさが嘘みたいに遠く感じられた。
ステージでは全身を使って表現する。
でもここでは、一本の鉛筆だけで十分だった。
どちらも「表現すること」なのに、まるで違う世界。
要はこの静かな空間の中で、自分の好きなように絵を描く時間が俺は好きだったのだ。
黙々とデッサンを進めている中、不意に隣を見る。
律は相変わらず無表情のまま、黙々と鉛筆を動かしている。
窓から差し込む夕陽が横顔を照らし、伏せた睫毛の影を長く落としていた。
……絵になる。
そんな言葉が頭をよぎる。
「なあ、律」
「ん?」
律が手を止め、こちらを見る。
「律は背も高いし、運動神経もいいじゃん。なんで運動部じゃなくて美術部だったの?」
少しだけ考えるように視線を泳がせてから、律は短く答えた。
「……絵、好きだから」
それから少し間を置いて、
「運動もできるけど、別に好きじゃない」
と付け足した。
「へぇ」
なんだか律らしい答えだった。
好きだからやる。
ただ、それだけ。
俺は少し笑ってスケッチブックへ目を戻す。
鉛筆を走らせながら、ふと隣から視線を感じた。
見ると、律がこちらをじっと見ている。
目が合うと、何も言わずにまたスケッチブックへ視線を落とす。
その横顔を見ながら、俺も何事もなかったように鉛筆を動かし続けた。
夕陽だけが、静かな美術室をゆっくりと茜色に染めていた。
******
いつの間にか西日は落ちて、部活も終わり。
名残惜しさを感じながら学校を出ると、不意に律は言った。
「…あのさ、今日、夕飯一緒にどう?」
「え?」
思わず足が止まる。
帰る方向が同じだから、一緒に帰ることは何度もあった。
でも、律から夕飯に誘われたのは初めてだった。
しかもちょうど今日は、母さんから「帰り遅くなるから、夕飯は好きに済ませて」と連絡が来ていた。
俺は思わず笑顔で返す。
「行くいく!じゃあどこにする?駅前のファミレスとか?」
友達とどこかに食べに行くことなんて滅多にない俺は、よくクラスの陽キャたちが話してる場所を口にした。
すると律は眉根を寄せ、少し言いにくそうに口を開く。
「…ファミレスはクラスの奴らも多いから、ちょっと。
あの、もしハヤテが良ければなんだけど…うち来ない?」
「え?うちって…律の家ってこと?」
いきなり家に呼ばれる展開が来るとは思わず、俺は目を丸くする。
律はいつものポーカーフェイスで頷いた。
「うん。うち、親が帰ってくるの遅くていつも夕飯、俺が作ってんだよね。
だから外で食べるよりうちがいいし…実は渡したいものもあって。ダメ?」
「渡したいもの?」
「うん」
それ以上は何も言わない。
ただ静かにこちらを見つめる律の視線だけが、「どうする?」と問いかけていた。
少しだけ考える。
母さんは今日帰りが遅い。
律も無理に誘っている感じではなく、断るなら断っていいみたいな雰囲気だ。
(……でも。律の家なんて、ちょっと気になる)
そう思って俺は、律の誘いに応じることにした。
「いいよ。じゃあ律の家、お邪魔させてもらいます」
そう答えると、律はほんの少しだけ表情を緩めた。
「…良かった。じゃあ材料買いにスーパー寄っていい?」
「うん。あ、材料代半分出すよ!」
「いいって」
そんなこんなを言いながら、俺たちはスーパーで食材を調達してから律の家に向かった。
*******
そして俺たちは律の家へ向かった。
案内されたのは、駅近くに建つ大きなマンションの一室だった。
エントランスからしてホテルみたいに綺麗で、思わずきょろきょろしてしまう。
「おじゃましまーす」
緊張しながら玄関をくぐると、律は慣れた様子でキッチンへ向かった。
「その辺、適当に座ってて。すぐ作るから」
「う、うん」
言われるまま広いリビングのソファに腰を下ろす。
部屋はすっきり片付いていて、余計な物がほとんどない。
静かな空間に、トントン、と包丁がまな板を叩く音だけが心地よく響く。
その音をぼんやり聞いているうちに、部活終わりと日々の疲れがどっと押し寄せてきた。
なんだか瞼が重い。
(少しだけ…)
そう思ったところで、俺の意識はゆっくりと闇へ沈んでいった。
******
「……ハヤテ」
遠くから名前を呼ばれている。でも、まだ眠い。
「……ハヤテ」
肩を軽く叩かれる感触が心地よくて、まだ起きたくない俺は、その手に甘えるように頬を寄せた。すり、と手のひらへ擦り寄る。
その瞬間。
「……っ」
近くで小さく息を呑む気配がした。
「ん……?」
重たい瞼を開けると、すぐ目の前に律の顔があった。驚いたように目を見開き、そのまま固まっている。
「……あ」
一瞬、ここがどこなのかわからかった。
けどすぐに、部活帰りに律の家へ来たことを思い出す。
俺は少しズレたメガネを直しながら、慌てて律に謝った。
「あっ……!ご、ごめん!俺、寝ぼけてて……!ていうか寝ちゃってた!?本当にごめん!」
「……いや」
律は短く返事をしただけで、まだどこかぎこちない。
そこでようやく、自分がさっき何をしたのか思い出した。
「……っ」
かあっと顔が熱くなる。
「ほんと、ごめん……」
俯いたその時、ふわりと食欲をくすぐる香りが鼻先をかすめた。その途端。
ぐぅぅぅ……。
静かな部屋に、信じられないくらい大きなお腹の音が響く。
「あ……」
恥ずかしさで固まる俺に、律はしばらく黙ったままだった。やがて視線を逸らし、小さく肩を震わせる。
「……腹、減ったよな」
堪えきれないように笑う律を見て、俺の顔はさらに真っ赤になった。
「も、もう食べよう! 遅いし!」
「うん」
律はようやくいつもの表情に戻って、小さく笑う。
「そこに用意してある」
振り向くと、ダイニングテーブルには向かい合わせに二皿のパスタが並んでいた。
艶やかなオリーブオイルに、春キャベツとアスパラガス、こんがり炒めたベーコン。
輪切りの赤唐辛子が彩りを添え、にんにくの香ばしい香りがふわりと鼻をくすぐる。
「うわ……美味しそう!ありがと、律!」
思わず声が弾む。笑顔で礼を言うと、律も安心したようにふわりと笑った。
「どういたしまして。冷める前に食べよ」
「うん。いただきます!」
「いただきます」
フォークでパスタをくるりと巻いて口へ運ぶ。
一口噛んだ瞬間、ガーリックの香りとベーコンの旨味がじゅわっと広がった。
シャキッとした春キャベツとアスパラガスの甘みがアクセントになっていて、絶妙な塩加減のパスタによく合う。
「……おいしい!」
「よかった」
思わず叫ぶように言うと、律は少しだけ口元を緩めた。
「いや、本当に美味しい!お店で出てきても全然おかしくないよ。律って料理上手なんだな」
「母さんも夜遅いし、父さんも単身赴任してて一人暮らしみたいなもんだから。自然と作るようになっただけ」
さらっと言うけれど、その茹で加減も味付けも完璧だ。
気付けば夢中で食べ進め、おかわりまでしてしまった。
「ごちそうさま!」
「お粗末さま」
律は空になった皿を見て、嬉しそうに笑った。
「いっぱい食べてくれてよかった」
その一言に、なんだかこちらまで嬉しくなる。
お腹も満たされたところで、ふと思い出した。
「そういえばさ、渡したい物があるって言ってたよな?」
「ああ」
律は立ち上がると、自分の部屋へ入っていく。
ほどなく戻ってきた手には、小さな紙袋があった。
「はい」
「え、何これ?俺、なんかしたっけ?」
首を傾げると、律は困ったように笑う。
「そういうんじゃないから。開けてみて」
包みを開く。中に入っていたのは、小さな化粧水のサンプルボトルと、花柄の入浴剤だった。
「……化粧水?」
「うん」
律は少しだけ視線を逸らしてから話し始める。
「最近さ、ハヤテ、肌荒れしてるなって思って」
「え」
思わず自分の頬を触る。そんなに目立っていたのか。
「乾燥っぽいし、赤みも少しあるから。日焼けって感じじゃないし、寝不足とか、スキンケアが肌に合ってないのかなって」
そこまで言うと、律は少しだけ早口になった。
「それは敏感肌向けで刺激が少ないやつ。保湿力もちゃんとあるし、ベタつかないから男子でも使いやすい。俺も肌が荒れた時これ使って落ち着いたから、もしよかったら試してみて」
俺は目を丸くする。
(そんなところまで見てたのか……)
少しショックではあったけれど、思い当たる節はあった。
以前、ミウにも言われた。
『アンタ、ケアとか全然興味ないでしょ。プロとしてそれどうなの?』
正直、スキンケアなんて何が違うのか全然わからない。
母さんが「私の使ってるのと一緒でいいでしょ。良いやつだから、これ」と言うから、そのまま使っていただけだった。
少しヒリヒリする日もあったけど「こんなものかな」と思っていた。
それに最近は仕事も忙しい。
夜遅くまで振り入れを確認して、学校の宿題も終わらせる。
寝不足の日は、自分でも肌の調子が悪い気がしていた。
(律、ちゃんと見てくれてたんだ)
そう思うと、胸が少し温かくなる。
「……ありがとう。これ律のおすすめなんだろ?使ってみる」
そう言って紙袋を覗く。
「……あれ?この紫色のは?」
「ああ、入浴剤」
律は少し照れくさそうに笑った。
「忙しいとシャワーだけで済ませちゃう日、あるだろ。でも湯船に浸かると睡眠の質も変わるし、血行も良くなるから肌にもいいんだ」
そう言ってパッケージを指差す。
「ラベンダーとカモミール。香りも強すぎなくて、寝る前にちょうどいいから」
白と紫の花が描かれたパッケージは、まるで雑貨屋に並んでいそうなくらい洒落ていた。
「へぇ……」
入浴剤なんて、いつ使ったか思い出せない。そう思ったら俺はワクワクしてきた。
「なんか使うの楽しみになってきた。ありがとな、律」
「どういたしまして」
律は少しだけ安心したように笑った。
その笑顔を見ながら、俺は紙袋を大事に抱え直す。
この日はもうすっかり遅い時間だった。
俺たちは玄関で別れを告げ、それぞれの家へ帰っていった。

